エンディング:6 生ぬるい感覚が引き戻す現実感を冷めた脳が消し去っていく。手から滴り落ちる真っ赤なペンキは妙に血生臭くて、ぽたぽたと落ちて床に水玉みたいな模様を作る。鋭心先輩の絶え絶えと言った呼吸に合わせるように、彼から流れる血液がそれを俺の足ごと飲み込もうと灯火のように血溜まりを広げていった。
鋭心先輩はまだ現状が理解できていないように呆然と俺の名前を呟いているが、それ自体はもう見たことのあるものだから特に感慨はない。この場所、このタイミングで、俺は鋭心先輩を殺したことがある。鋭心先輩の言葉よりも俺が気にしていたのは今までとは違う行動を──百々人先輩に気が付かれずに鋭心先輩を殺したときに何が起きるか、それだけだ。
百々人先輩に見つかると俺の罪はバレて事務所のみんなが俺を隔離する。隔離された俺は脱出もできず時間の感覚を失って、気がつけば救助隊に保護されるだけだ。俺はただ血塗れの談話室を通って、事務所の誰もいない車に乗る。百々人先輩と鋭心先輩の安否を尋ねて、その返答が望むものではなかったと認識した瞬間に現実が叩きつけられる。
『エンディング:6 空白の時間』
瞬間、ロードが入る。そうなればあとはやり直しだ。いや違う。俺は鋭心先輩を殺している。きっと何かが変わるはずだ。そうやって、いくつものフラグを回収してきたから。
最初は鋭心先輩を殺すことはできなかったのに、俺がループを繰り返すうちに殺すという選択肢が増えた。殺せたのは前に進んでいる証明だ。だから今回は百々人先輩に知られずに鋭心先輩を殺すはずだった。だって、『ヒント』を拾ったんだから。
『花園百々人といてはいけない』
きっと鋭心先輩を殺したときに一緒にいたらいけないんだ。だから遠ざけた。封鎖された殺人現場に閉じ込めて出られないようにした。そうすれば何かが変わるかもしれない。それなのに、声がする。
「……アマミネくん……?」
呆然とした声は聞いたことがある。絶対に出られないようにしっかりと閉じ込めたはずなのに、振り向けば百々人先輩がいる。見つめた手元は傷だらけだった。百々人先輩はわりとそういうところがある。今度は気絶でもさせて、もっと厳重に閉じ込めておかないと。
百々人先輩の目を見る必要はなかった。現場を見た百々人先輩の行動は知っている。それなのに、もしかしたら何かが変わっているのではないかと期待している自分が嫌だった。
「……っ! マユミくん!」
一瞬だけ逃げ出そうと後ろに下がった百々人先輩の足は踏みとどまって、鋭心先輩に駆け寄る。そっと触れる。俺を見る。遠ざけるようにその体を抱きしめる。また俺を見る。なにもしない俺を見て、また鋭心先輩を見る。必死に声をかける。泣きながら傷口を抑える。どんどん溢れてくる血液に呼吸があがって咽る。全部見た。こんなの、全部知っている。このままじゃまた、同じエンディングに入るだけだ。
「も……ひ、と……にげ、」
「喋っちゃダメ、マユミくん……!」
百々人先輩の手元からどくどくと血液が流れていく。人間って案外血を流しても死なないものだと思ったけれど、これもゲームの『演出』なのかも。泣きそうなのに必死に堪えてる百々人先輩も、百々人先輩を俺から逃がそうとしている鋭心先輩も、全部お涙頂戴の演出だったとしたら。
俺はそんな世界、全部否定してやる。どうにかして百々人先輩と鋭心先輩を無事に連れて帰るんだ。
「やだよ……ねぇ、アマミネくん、助けて……」
百々人先輩のこういうところは現実に似てる。鋭心先輩を殺した俺をまだ少しだけ信じていて、鋭心先輩を助けるために必死になっている。
「血が止まらないの……」
そろそろこの人は泣く。思った瞬間、百々人先輩の目元から涙が零れ落ちた。ダメだ。新しいルートに入れない。フラグをなにも拾えていない。
鋭心先輩はもう何も言わず、わずかに残った呼吸にあわせるように喉から湧き上がる血がこぽこぽと泡を作ってる。百々人先輩は手も体も血で真っ赤にして必死に鋭心先輩の名前を呼んでいる。俺だって最初に殺したときは泣きたかったけど、もうそんな権利はない。だって、泣くなんていう『選択肢』は出てこないんだから。
「ねぇアマミネくん……なんとか言ってよ……」
俺の手にした包丁が見えていないみたいに百々人先輩は言う。あなたが部屋を出なければ、何かが変わったかもしれないのに。
「アマミネくん……なんで……」
「百々人先輩は俺と一緒にいちゃいけないんですよ」
「え……?」
「またやり直しだ」
必死に考える。でもこの場に百々人先輩がいなければ何かが変わるはずだから、次はそれを試せばいい。人って何をすれば気絶するんだろう。まぁ、気が付いた俺ならきっと、選択肢が出てくるはずだ。
「マユミくん、マユミくん、起きてよ……」
「無駄です」
涙でぐちゃぐちゃになった顔が俺を見つめる。ようやく見つめた瞳はまだ俺が鋭心先輩を殺したことを信じられないみたいだった。
「だって、『殺す』ってコマンドを押したから……」
「……なに……言ってるの……?」
殺すって選んだ。前回はそれでちゃんと死んだんだ。百々人先輩を閉じ込めることに失敗すること以外は前回と同じだし、変化があるとは思えない。
「だから……この世界はおしまい」
あとは俺は隔離されたあと、なにもできずに保護されるだけ。いくつかの結末を見てきたけれど、こんなに無力感に苛まれるエンディングもない。憂鬱だ。
百々人先輩が呟く。絶望のなかに、確実に怒気を孕んでいた。
「マユミくんを殺しておいて……なにがおしまいなの……?」
百々人先輩って滅多に怒らないから少し堪えた。泣き言は口にしないと決めたのに、少し、無駄な感情が湧き上がる。こんなの、繰り返すループのなかで捨てたはずなのに。
「だって……百々人先輩と鋭心先輩を助けたいから……」
「……アマミネくん……キミ、本当に何を言ってるの……?」
「だから殺し……ああ、そっか。まだできることがある」
前回はなかった選択肢だ。俺が前に進んでる証拠だ。大丈夫、絶対に助けてみせる。
「ふたり同時に殺したことはなかったですね」
誰かに操られたように手が動く。自分の口角があがっていることに、他人事のように気がつく。
「なにか、かわるかも」
包丁を振り落とした先に百々人先輩はいなかった。寸でのところで避けた百々人先輩は、まだ鋭心先輩の亡骸を気にしている。
「……やめて、アマミネくん」
「お願い、抵抗しないで」
お願いです百々人先輩。俺だって、もう、泣きたくないんだ。
「ちゃんと、助けるから」
血液に足を取られた百々人先輩が尻もちをついたので、その上に乗り上げる。百々人先輩をこのタイミングで殺したことはないから、しっかりと殺さないと。
心臓に突き立てようとした包丁は肋骨のせいで少しズレてしまった。百々人先輩の悲鳴が耳にこびりついて、ひどく気分が悪くなる。心臓を狙わないほうがいいかもしれない。からだを動かして腹部を何度も刺せば、百々人先輩は血を吐きながら泣き出した。
「いたい、やめて、アマ、や、」
もう聞きたくない。もうこんな『演出』は見たくない。せめて悲鳴からは逃れられないかと、俺は百々人先輩の喉に包丁を突き立てる。切り裂いたすべての場所から流れる血が、鋭心先輩の血溜まりとあわさってひとつになる。
完全に百々人先輩が沈黙するのを見届けて、俺は変化を待つ。すると、聞いたことのない声がした。
「……秀さん? なにをして……っ!」
タケルさんの声がした。タケルさんは血塗れの俺とふたつの死骸を見て、逃げることもせず速やかに俺を捕まえた。相手がタケルさんじゃあどうあがいても勝てないよな、と、選択肢が出てこなかったことに納得をする。
そのあとは一緒で、俺は隔離されてしまった。時間はあるから考えよう。そう思っていたのに疲れ果てていた俺は眠ってしまう。夢に百々人先輩と鋭心先輩を見る。ふたりは笑っていて、俺はどうしようもなく幸福になってしまった。
迎えが、助けがくる。生き残りは俺しかいない。
『エンディング:6 空白の時間』
********** IFルート
「ふたり同時に殺したことはなかったですね」
同じルートに入ってしまったことは理解できた。しっかりと気絶させて閉じ込めたはずなのに、何回やっても百々人先輩は脱出してここにきてしまう。百々人先輩を殺したらタケルさんに捕まるし、逃げ出したときには英雄さんに捕まった。そうして、俺は『エンディング:6』を迎える。
考える。あのヒントはなんだったんだろう。『花園百々人といてはいけない』の意味は。
逃げ出しても捕まる。百々人先輩を殺しても捕まる。じゃあどうしようかと考えた瞬間に、知らないはずの選択肢が出てきた。
→逃げる
百々人先輩を殺す
自殺する
「そっか……自殺もできるんだ……」
「……アマミネくん?」
これは諦めたことになるんだろうか。だって俺が死んだらハッピーエンドはないわけだし。
でも俺はひとつの可能性を見てみたかった。フラグだって立つかもしれないし。
「……全部試さなきゃいけないんですけど……やりたくないなぁ」
なにもわからない百々人先輩がぽかんとしてる。鋭心先輩は死んじゃってる。俺はこの人たちを諦めたくない。できることは全部やりたい。
それでも、残される百々人先輩が可哀想だった。思えば変な話だ。何回も俺は百々人先輩を泣かせているのに。
「……百々人先輩は死にたいですか?」
死を理解してもらうために、包丁を持った手を少しだけ持ち上げてみせた。
「……死にたくない」
聞かなきゃよかった。そりゃそうだよな。死にたいわけ、ないよな。
でも、助けるためだから。ふたりにだけはわかってほしいのに。
「絶対に俺が助けますから」
だから安心して。そう言い残して、俺は自分の心臓に包丁を突き立てた。
「……どういうことなの……?」
取り残された百々人は呆然と座り込む。脳裏に、空間に、文字が見える。
『プレイヤー権限が花園百々人に移りました』