パープルムカデ 美術室には毒がある。
これは昔から伝わる七不思議とかじゃなくて、ここ数年で発生した物騒な噂話だ。毒っていうのは喩えてもなんでもなくて、口にしたら死んでしまう毒が美術室にあるらしい。
誰かを殺したいという願望から生まれたのか、死んでしまいたいという願望から生まれたのかはわからないが、いま私がふらりと美術室に忍び込んで毒を探している理由は後者だ。私はなんとなく、意味もなく、漠然と死にたかった。
もっとも死に対しての感情が強いわけではない。痛いのも辛いのも嫌だし、自殺のための計画を練る気もなければ遺書すら書くのもめんどくさくて、ただ扉が開いていて誰もいない美術室を見て、あの噂通りに毒があったら死んでみようか、くらいの気持ちだ。そこになければないですね、くらいの感じ。
美術室には誰もいない。机の上、棚の中、並んだ絵の具、積まれたバケツ。毒なんてどこにもない。姿形もわからない毒を探し始めて10分くらいだろうか。飽き始めた頃に、誰もいなかったはずの窓際に人を見つけた。
「毒を探しにきたんでしょ」
見覚えのある人だった。うちの高校の生徒会長で賞キラー、いまはアイドルをやっているっていうキレイな子。名前は確か、花園百々人。
「うん。まぁあったらいいなー、的な」
生徒会長相手なんだから敬語の方がいいかと思ったけど、相手は年下だしいいだろう。私が雑にそう返すと、花園くんは楽しそうに笑って手招きをする。
「こっち」
おいで、って。その笑顔はなんだか柔らかな花弁の花みたいだった。その原理で言うと、のこのこ寄っていく私は虫なんだけど。
近寄って花園くんの手元を見る。彼は小さなスケッチブックを持っていた。
「キミの探してる毒、僕が使っちゃったんだ」
そう言って、彼はスケッチブックを見せてくれた。
「わかる?」
「全然」
「そっか。ここのさ、紫の部分。これが毒」
スケッチブックに描かれていたのはなんだかよくわからないカラフルな何かだった。何を描いてるのか全くわからないそれはきっと抽象画と呼ばれるものだろう。透き通った色がたくさん広がっていて、花園くんを見てキレイだなって思うのと同じような感覚で、この絵もキレイだと思う。
「ここ触ったら死ぬの?」
指を伸ばさずに問いかける。たくさんの色の中に、パールを溶かした紫色が紛れている。
「触っただけじゃ死なないよ。でも、指を舐めたら死ぬかも」
「ふーん」
そっと手を伸ばす。スケッチブックに触れる寸前で止める。
「洗ったら毒って落ちるかな」
「え? 下水に毒を流すの……?」
「あー、それはマズイね。うん」
それはなんというか、極悪非道ってやつだ。でもこの絵を描くために毒を水で溶いたり混ぜたりしたんじゃないかって思ったけど、周りに絵具は見当たらなかった。
「……帰る。ありがとね」
私がそう言っても花園くんはニコニコするだけだ。私はもう言いたいことはないし、彼が私に何かをしてくれるとも思えない。
美術室を後にするとき、一度だけ振り返った。彼はずっと微笑んでいた。
帰宅して真っ先にSNSで花園百々人を探した。どうやら315プロダクションという事務所にいるようだ。
事務所のSNSをフォローして、ホームを遡る。すると、気になる投稿があった。
「……変なの」
彼は私と会っていた時間に彼は生放送でテレビに出演していたらしい。不思議なこともあるもんだ。次の七不思議は花園くんなのかもしれない、だなんて思いながらLINKを開く。無機質な画面を眺めながら、きらきらとした髪と春を奪って咲く紫陽花のような瞳を思い出す。私にだけ向けられていた、甘くざらざらとした声を思い出す。
「キレイだったな……」
キレイな人と、キレイな絵。なんだか夢みたいな時間だった。それでも私がなんの理由もなく死のうとしたことは事実で、それを知ってる友達は一人もいない。
「……カラオケ行きたいなー」
それなりにいる友達を誘ってみよう。誘いがてら、誰か花園百々人のCDを持っていないか聞いてみよう。
彼の歌声を聴いてみたい。別にCDを買うほどじゃないけどさ。