良いバレンタインを過ごしてね⭐️よいバレンタインを過ごしてね
「五条さん、これ、補助監督からです」
伊地知が紙袋を差し出す。職員室にいた五条は一瞬、今年も伊地知からかあ……と思った。思って、いや別に女の子じゃないからってがっかりなんかしてねえし、と思い直した。
「わーい、義理チョコだ〜、ありがと〜。僕チョコレートだーい好きぃ♡」
「いつもお世話になっております」
「ホワイトデーは期待しててねん」
五条は甘い物が好きだし、体質、というか術式上必要だから、こういうプレゼントはいくらあっても嬉しい。さっそく包装を破り、12個入りのうちの1個を口に入れた。
「食う?」
「結構です」
「七海にもやった?」
「まだです。近いうちに高専に寄られるとのことで、その時にお渡しするつもりです」
「ふーん」
バレンタインデーは補助監督から術師へ。ホワイトデーは術師から補助監督へ。世間では義理チョコ文化が廃れつつあるものの、少なくとも今年の東京校ではこうして継続している。
五条へチョコを渡す相手に選ばれたのは伊地知だった。伊地知は他の補助監督と比べればプライベートでも五条と親しいし、他の補助監督ではどうしても五条特級術師に気後れしてしまうため毎年白羽の矢が立っている。
伊地知は、こう見えて案外多忙である。人手不足な業界だから、いつものことと言えばいつものことだ。辞去しようとしたタイミングで、職員室に夏油が戻って来た。
「傑おかえ──ゲッ」
「夏油さんお疲れ様です」
「ただいま戻りました。やあ伊地知、お疲れ様。悟と休憩してたのかい」
一年生の任務実習に行っていたはずの夏油もまた、紙袋を下げている。五条と全く同じ、補助監督から12個入りで1,000円ちょっとの義理チョコの袋。それからもう一つ、いや二つ、いや三つ?
袋のサイズこそ小ぶりだが、もうその紙袋からして雰囲気が違う。赤や金の箔押しで、なんだかピカピカしたシールが貼ってあって、持ち手の紐には小さなリボンが結ばれている。
「傑、それ、何?」
「これ? 新田さんから貰ったんだ、さっきまで一緒だったから。毎年ありがとうね伊地知。今年は誰が手配してくれたの?」
「違う、そっちじゃなくて、その小っちぇー袋のこと」
夏油はその、メーカーのロゴマークが入った白い紙袋とは一線を画す『小っちぇー袋』を一瞥して、「なんだろうね」と微笑んだ。
「バレンタインだからね。多分チョコレートだと思うけど」
「誰に貰ったの」
「色々だよ。ありがたいね」
「……いろいろぉ?」
職員室を出るタイミングを逸した伊地知は、直立したまま、恐る恐る五条を見下ろした。五条が座るキャスター付きの椅子がギィと軋む。学長の夜蛾でもいれば、不機嫌な五条を嗜めたかもしれない。だが、ここには我関せずとばかりにパソコンと睨めっこする日下部一級術師しかいない。日下部のデスクにも、補助監督一同からの紙袋が置いてあった。
色々、と言うからには、色々なのだろう。個人的にチョコを贈った補助監督か。同じ術師仲間か。今日の実習の依頼人か。いつも高専に出入りしている業者か。行きつけの店の店員か。
「伊地知、コーヒー飲んでかない? 忙しい?」
「あ、はい、すみません、次の任務がありますので」
「そっか。悟は?」
「……いる」
「じゃあこれもあげる」
夏油が『小っちぇー袋』のうちの一つ、濃い藍色をしたそれを五条に手渡した。
「え」
「それ、悟が好きそうかなーと思って買っちゃった。ね、開けてみてよ」
「いいの!?」
「いいよ」
「ハートだ!」
「見た目も色も可愛いよね、カラフルで。これ抹茶なのかピスタチオなのか分かんないけど。どっち?」
夏油はあろうことか無造作に緑のハートを摘むと、そのまま五条の口元に押し当てた。
「美味い! ……抹茶!」
「気に入った?」
「うん!」
良かった、と夏油が目を細める。先程までピリピリしていた五条の雰囲気は今や牙を抜かれた獣。ゴロニャンと鳴いて夏油の足元に纏わり付かんばかりだった。伊地知は人知れず肩の力を抜き、顔を上げた。目が合った先で、日下部がやってらんねーとばかりに肩をすくめるのが見えた。