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    Enuuu

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    Enuuu

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    黒野玄武の誕生日に向かって書き始め、途中で尻切れトンボになった何かです。

    注意
     ※ 雨玄(ヒューゴ・レイン×人魚んぶ)
     ※ いろいろあって玄武が年上の体で話が進む。
     ※ なんだかちっとも幸せじゃなさそう。

    無題 冬の海はひどく寂しい。
     閑寂でありながら、どおどおと波音が鳴り止まない。風音も次々と押し寄せるように響く。潮騒、潮騒、潮騒。黒い畝が続々と船体へ迫っては崩れていった。囂々と風が吹き、半壊を留めていない帆を揺らす。
     じきに嵐が来るのだろう。
    「ねー、キャプテン聞いてるー?」
     サーベルの手入れをしながら、チャールズが不満げに口を尖らせた。
     ヒューゴが船長を務めるレジェンド号の甲板だ。
     床板が薄黒く変色している。木々の表面は荒れきり、剥がれて穴が空いている部分さえもある。海藻や塩がこびり着いており、見るに耐えない。誰も掃除を必要としないからだろう。帆を張るロープはたわみ、役割をなしていない。ぶらりと風に煽られ、耳障りな音を立てる。
    「久しぶりに腕の立つ船員に出会っちゃったなー」
     ジーン・ブラックって言ったけと、チャールズはケラケラと笑った。
    「僕、久しぶりに刺されたんですよー? いつぶりだろ。ざっと五百年くらいかなー」
    「確かに綺麗な魂の形をしていましたね」
      海を眺めながらフリオが相槌を打つ。
    「あの船長にしてこの船員ありと言ったところです。本当に綺麗な……まるで海のようで」
    「フリオが興味を持つのは珍しいな」
     マストに背を預けていたヒューゴが声をかけると、フリオは溶けた表情で彼を振り返る。チャールズには頬を赤らめているようにすら見えた。
    「キャプテンもご興味が?」
    「僕が話してた時は見向きもしなかったくせにー」
    「お前のはいつだって血と臓物の話だろう」
     ヒューゴはむくれるチャールズを無視して、フリオに話をするように促した。
    「ぎらぎらと互いが光あって、本当に見事でした。あれこそ真に呪い甲斐があると言えます。我々と海を彷徨うにふさわしい」
    「俺は青二才しか見ちゃいないが、他にもいたとはな」
    「ええ!」
     フリオは胸の前で祈るように手を合わせた。
    「長い黒髪の、隻眼で長身の男です。剣の腕も立ち、魂の振る舞いは美しいものでした」
     チャールズはつまらなさそうに息を吐く。
    「フリオはそればっかりだよねー。魂なんて見えても何も面白くないのに。やっぱり僕はいくらでも強い奴らと戦い続けていたいなー」
     と言い、サーベルを振りながら甲板を走る。数度、刃が風を咲く音を響かせ、彼はふわりと姿を消した。
    「チャールズにはあの輝きの素晴らしさがわからないのですね……」
     フリオは大袈裟な様子で肩を落とす。だがすぐに、きっと分かってもらえるでしょう。ええ! と拳を握りしめた。
     ヒューゴはその様子を見つめ、密かに興奮から体を震わせた。
     震わせる体など無いというのに、まるで熱源があるかのようだった。生前の感覚が鮮明に蘇る。否、それ以上の感情の昂りだった。
    「その船員、足は二本あったのか」
     フリオは考え込むように瞼を伏せ、首を横にふる。
    「ええ、ありましたが……。それがどうかしましたか?」
    「いや。見るまでは分からんな」
     ヒューゴは呟いた。
     彼は立ち上がり、甲板を滑るように歩く。
     いつになく、または気の遠くなるような時間ぶりに、彼は上機嫌だった。
     空を黒い雲が覆っている。
     がらがらと空が軋む音がする。雲の合間が白く光り、轟々と雷の音が響く。
     腹の奥底が震える感覚に、彼は笑い声を漏らした。
     ヒューゴの体をすり抜け、雨粒が甲板へ叩きつけられていく。潮騒、潮騒。一際大きな波が船首へもたれ掛かるように崩れ落ちる。黒い海水が船を飲み込むように巨体を揺らした。
     嵐が来る。
    「すぐに一緒になれるさ」
     ヒューゴは声を詰まらせて笑った。
    「俺は永遠の命を手に入れたのだから」
     レジェンド号は嵐の中を進む。
     雨に打たれる甲板で肩を震わせる船長に、フリオは珍しいものを見た顔でいた。



    ***



     ヒューゴ・レインはゲンブのことが好きだった。
     水槽を漂いさらさらと光る黒髪や、太く長い立派な腕、ヒューゴの名を呼ぶ時の柔らかいテノールを気に入っていた。
     特にヒューゴが気に入っていたのは尾鰭だった。
    水槽の中でてらてらと光る魚の足は海を思わせる藍色で、長く淡い色の尾鰭はクラゲの様だった。陸に上がった際は陽光を受けて細かく輝いていた。ヒューゴが手に怪我をしてはいけないと、彼は頑なに触らせてくれなかった。ヒューゴは一枚で良いから彼の鱗をもらって、いっとう気に入っている紐に通して常に肌身離さず持ち歩きたかった。
     ゲンブは間違えて地球に産み落とされた。
     ヒューゴはそう思っている。
     ゲンブはどんなものより美しく、何と比べても気高かった。ヒューゴの父が王侯貴族から断られた宝と共にゲンブを持ち帰った夜、ヒューゴは彼の凄艶さに腰を抜かした。濡れた髪の間から色素の薄い瞳がギラギラと光っているのが見えて、いっそう恐ろしかった。
     ヒューゴは人魚を見るのが初めてだったが、ゲンブより美しい人魚はいないだろうと思った。
     だからゲンブがヒューゴの名前を初めて呼んだ日、彼は真っ赤になって返事ができなかった。
    「何も怖いことはしないから、この文字をなんと読むのか教えてくれないか」
     ゲンブは悲しそうに笑って、そう言った。
     柔らかな声に誘われて、ヒューゴは夢心地だった。
     彼の父が人魚の歌声は船を難破させると言っていたのを、頭の片隅で思い出した。
     すでに手遅れだったのだと、ヒューゴは思う。
     ヒューゴは学校に通う様になったが、いつだって家の水槽に独りでいるゲンブのことを思った。
     父は航海で家を空け、母はゲンブのことを気味が悪いと言って近づこうとしなかった。級友からの遊びの誘いを断り、真っ先に家へ帰ろうとするヒューゴを彼らはどう思っていただろうか。
     だが、ゲンブにはヒューゴしかいなかった。
     ヒューゴはそう思っていた。

     ヒューゴはゲンブに教科書を見せ、学校での出来事を話して聞かせた。知識欲の強いゲンブは興味津々だった。ヒューゴの話をよく聞き、いくつも質問をした。その度にヒューゴは翌日に教師へ答えを乞い、ゲンブへ教えた。
    「ゲンブ、見てくれ。お前のおかげで試験で一番だったんだ」
    「そりゃ凄いな」
     ヒューゴが持つ解答用紙を濡らさぬ様、ゲンブはおもむろに水槽の中で体を起こす。
    「だが、試験が一番だったのはヒューゴの持つ力の賜物だろう。頑張ったな」
    「ああ。ゲンブと勉強するのは楽しい」
    「また俺か?」
     ゲンブは苦笑した。
    「ヒューゴは優秀だから、きっと良い航海士になれる。親父さんが船長になった時、頼りにされるだろうな」
    「俺が立派な航海士になったら、ゲンブは嬉しいかい?」
    「もちろんだ」
     ヒューゴは嬉しくなって、彼のためにも立派な一等航海士になると心に誓った。
    「もし俺が船長になって船を持ったら、ゲンブも一緒に乗ってくれ」
    「俺が、か?」
    「ああ。水槽を船長室に用意するから一緒に航海をしよう。ゲンブが住んでいた北の海に行きたい。ゲンブもこんな狭い水槽じゃなくて、広い海がいいだろ?」
     ゲンブは目を細め、水槽から片腕を出す。数度、手の平を振って水気を飛ばし、愛おしげにヒューゴの頭を撫でた。ヒューゴは恥ずかしそうに両目をつむり、体を縮こませる。ゲンブは笑んだ声で囁いた。
    「北の海は暗くて寒いぞ」
    「暑いのは苦手だが、寒いのなら我慢できる」
    「そうか」
     ゲンブはくすくすと笑う。
     ヒューゴは彼の心地よい声に耳を澄ませた。

     月が大きく出た日には、ヒューゴはゲンブが入っている水槽を外へ押し出して二人で月見をした。ゲンブは何度かヒューゴに寝るように声をかけたが、ヒューゴは聞こえないふりをしてゲンブと夜を明かした。

     ヒューゴはすっかりゲンブに惚れ込んでいた。
     ヒューゴの祖父は国に認められた海賊だった。貴族への土産に、物珍しいものを探して航海へ出ていた。それは彼の父も同じで、地域で少し大きな屋敷は常に人々の話題に登っていた。ヒューゴもたびたび噂の的になったし、若い女に言い寄られることもあった。だが、その度にヒューゴはゲンブを独りにはできないと言って断っていた。
     地域の人間はヒューゴを人魚に誑し込まれた哀れな男だと言って、よく噂した。
     ヒューゴは構わなかった。
     ゲンブが長く伸びた黒髪を撫でながら思いに耽る様は絵画のようで、水槽のなかでキラキラと光る広い尾鰭は宝石のようだ。読書が好きなゲンブの言葉には含蓄があり、いつだってヒューゴを思いやる瞳には慈愛がこもっていた。魅了されない方がどうかしている。だが、ヒューゴは面白おかしく言われるたびに、そのことを知っているのは自分だけでいいと密かに考えていた。

     ヒューゴは学校を卒業し、父のあとを継いで航海士になった。ゲンブはヒューゴの屋敷へ来たままの姿で水槽の中にいた。
     初めての航海へ出る前の夜、ヒューゴはゲンブと共に月見をしていた。
    ゲンブの肌が月明かりに照らされ白く光っている。黒々とした髪を鬱陶しそうに持ち上げ、彼はヒューゴを見た。ヒューゴは小首を傾げ、たまらなく幸せだという風に声を漏らして笑う。ゲンブは嘆息した。
    「明日は早いんだろう? 早く寝たらどうだ」
    「心配には及ばんさ。……それに、眠れそうにない」
     ヒューゴの頬は月明かりの下でも分かるほどに色づいていた。
    「父さんの下で勉強して、きっと立派な船長になる。そしてゲンブを迎えに来る」
    「またそれか?」
    「ああ」
     ヒューゴは笑みを浮かべる。
     ゲンブは思わず目を見開いた。ヒューゴの紫色の瞳に夜空が映って、きらきらと光っている。昔と違い前髪をすっかり持ち上げ、体も大きくなっていた。だが、ゲンブの目には幼い頃と変わらない面影に見える。
     随分と大きくなった。
     ゲンブはヒューゴと会った日のことを昨日のように思い出す。ヒューゴにとっては、きっとそうではないのだろう。
    「船長になったら、北の海の上に家を建てる。そうすれば一緒に暮らせるだろう?」
     いつかのそれより欲を滲ませた声で、ヒューゴはゲンブに請うた。
    「一緒に航海するんじゃ無かったのか?」
    「海にいるのにゲンブが泳げないのはかわいそうだし、俺はお前と一緒に暮らしたい」
    「俺は何も言っちゃいないが」
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