無題 何の連絡もなく京極の家を訪ねてきた武智に対し、彼は呆れながらも普段通りに居場所として提供してあげるつもりだった。だが武智は家へ入ろうとしなかった。彼が必死な表情で聞いて欲しいことがあるというので、京極はサンダルを履いたまま庭先へ出た。
しばらく黙っていた武智は深呼吸をすると、口を開いた。
「耀司さん、好きだ」
武智はみっともなく顔を赤くして言った。
京極は一瞬でも武智を愛おしいと思ったことを恥じ、自身が働く学園の生徒を相手にするように彼へ憐れみの視線を向ける。
「……ああ。ありがとうな」
「そうじゃない」
分かるだろうと睨まれ、京極は思わず足をすくませた。
「生真面目なエイタらしくないな。俺はあんたより一回り以上も年上だ。それに俺もあんたも男だ。障害が多い……ククッ、馬鹿げていると思わなかったのかい?」
「それでも心に嘘はつけない。正直に生きた方がラクだって言ったのは耀司さんだ」
「そりゃ悪いことを教えちまったな。だが、学校の先生方が教えてくれることは真実とは限らないんだよ。エイタ、あんたはよく解ってるだろ」
「……耀司さんは違うだろ」
武智は傷ついた顔をした。
京極は見なかったフリをして、息を吐く。
「さぁ、どうだかな」
「否定も肯定もしないのか」
確かに大人は狡いなと、武智は溜息を吐いて項垂れた。うまく言語化できない感情が体内を巡り、血液が滾っているような感覚がする。武智は言い返そうと口を開き、そうして何も言葉が浮かばず口を閉じた。
黙り込んだ武智の頭を軽く撫で、京極は優しい声を出す。
「分かったら帰りなよ。月曜には学校があるし、姉さんに黙ってきたんだろう?」
武智は京極の手を振り払う。
「俺を帰らせたいならば、きちんと断ってくれ」
彼の手首を掴むと、自らの方へ引き寄せた。バランスを崩した京極は武智へ倒れ込みそうになり、慌てて武智の両肩を押して体を離す。京極はよろめきつつ、自宅のガラス戸に背をぶつけた。武智が小さく呻き声を上げるのが聞こえ、京極が目を凝らすと彼は庭先に座り込むように転がっていた。
京極は武智の側へ寄ろうとした足を止め、差し出そうとした腕をもう片方の手で押さえつける。
「姉さんに連絡してくる」
「っ待ってくれ!」
弾かれたように顔を上げ、武智が吠えた。
「もう夜遅い。近所迷惑だから騒ぐなよ」
「だから! ちゃんと断ってくれっ。そしたら諦めるから、耀司さんのとこへも来ないから!」
フって欲しいと言わんばかりの物言いに京極は唇を噛んだ。
だから断れない。受け入れるのは武智のためにはならないと中途半端に年長者ヅラしている自分が悪いと知っているが、彼を突き放して生きていけるとは思えなかった。望みがない願望だと分かっていたから心に蓋をして付き合っていくつもりが、武智の方から踏み込まれるとは思っても見なかった。
相変わらず吠えている武智の頬を軽く打つと、京極は自宅へ入った。サンダルを脱ぎ、家へ上がる。玄関先、そばの部屋に置いてある電話の受話器を持ち上げ、慣れた手つきで武智の家の電話番号を打ち込む。
「もしもし、耀司だ」
電話口に出たのは武智の父親だった。京極への挨拶もそこそこに受話器は武智の母親へ奪われ、武智の安否を心配する言葉と京極への恨み言が続く。
「……ああ、すまん。わかった」
武智の母親はすぐに父親を迎えに行かせるから待っていてくれと言い、電話が切れた。
京極は受話器を電話へ戻し、部屋を出る。サンダルを履いて玄関のガラス戸を開けた。庭先へ座り込んでいた武智の姿が見えず慌てて辺りを見渡すと、武智はガラス戸に背を預けるようにして体育座りをしていた。
「エイタ」
武智はわずかに顔を上げ、それから深く下げた。京極は訝しげに武智のそばへ顔を寄せる。くぅくぅと寝息が聞こえてきたので、京極は思わず吹き出した。泣いて喚いて疲れたら眠るというのは健康的で良い。その原因が自分への恋慕でなければ、夏のようにあたたかく迎え入れることができたのにと、自分のことを棚に上げて考えた。京極はそっと武智の頬に触れる。頬は冷え切っていた。