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    オーガストの幻覚を見る千景くんの至千

    うさぎを追う やられた。目の前がぐらついてテーブルについた左腕を支えに静かにうずくまる。視界がぐるぐると回り、吐き出さねばと考えながら耐えきれずに目を瞑った。冷たい床に横になり、震える腕を抱いてしっかりしろと喉を絞るが音にはならない。フェードアウトしていく意識の中で、ぽつりと丸まった背中が振り返った。はやく帰らなきゃ。そこがどこかもわからないまま意識を手放した。
     
     
     
     目が覚めたのは黒いソファーの上で、着ていたはずの仕事着が床で丸まっている。肌寒さに腕を摩り、上半身になにも身につけていないことに気がつく。ローテーブルで眼鏡を探れば、ペットボトルが倒れた。空のボトルには見慣れた炭酸飲料のロゴ。
    「この部屋もうちょっと掃除したほうがいいんじゃないかな」
     声がして、ぼやけた意識のままそちらへ顔を向ける。液晶画面の上を指で撫で、付いた埃を払った。振り返った彼は忘れることのない笑顔だった。
    「オーガスト」
     信じ難い光景で、口から漏れた名前に驚く。彼はシィー、と人差し指を口に当ててロフトベッドを指差した。彼、まだ眠っているみたい。小声で言ってくすくすと笑う。
     そんなはずはない。ここは103号室で、もっともありえない人物だ。積まれたゲームや漫画を眺め、フィギュアを覗いて楽しげな彼は、もう。
    「そっちの彼は物が多いね。エイプリルももっと増やしたらいいのに。あ、うさぎだ!」
    「……幻覚か」
    「そうだね。盛られるなんて君らしくない」
     油断するなと教えただろ。うさぎを抱き上げながら叱られた。朧げな記憶が少しずつ戻り始める。
     
     
     
     昨晩は組織の仕事で、寮ではない部屋で過ごすはずだった。いつものように早朝に戻ればいい。今回もまた情報収集ばかりだ。あの一件以来、ひとりで片付けられる簡単な任務しか与えられていなかった。失ったチームと信頼は戻らない。当然のことだ。他よりは幾らか優秀だという自負もあるが、目立つよりも役立たずと思われていた方が今は好都合だった。最低限与えられた任務を遂行するだけでいい。そうして数年を過ごし、昨晩は事情が異なった。
     "迎えを寄越す、内容は移動中に"。
     メッセージを受け取り、しばし考え込む。断れる任務などはない。立ち上がり、黒に身を包んだ。
     
     
     
     仕事は問題なく片付いたのだろうか。バクバクと心臓が騒がしい。いつのまにか隣に座る彼がゲームのコントローラーを手に口を開いた。
    「大丈夫。君は優秀だ。最後まで不調にも気づかれていなかった」
     えらいねと子どもを褒めるように微笑む。俺はその言い方が好きだった。大好きなのに、こども扱いが気に入らなくて、はやく彼より大きくなりたかった。
    「あとで確認しないと」
    「そうだね。エイプリル のそういうところ、ディセンバーは神経質だって言うけどさ。僕はとても大切だと思うよ」
    「……うん」
     彼がいれば優しく頭を撫でられただろう。目の前で微笑む彼は、やはり存在しないのだ。
     後ろでごそりと気配がして振り返る。ロフトベッドの上で顔を上げ、静かにこちらを見つめていた。あれは幻覚ではないはずだ。
    「ちかげさん……なんで全裸」
     目を細め、ゆったりと体を起こして伸びをした。全裸?下は履いているのに。寝惚けた後輩が愉快で、くっくと喉を鳴らした。
    「チカゲ!あの名前、使っているんだ」
    「ああ、当然だろ」
     他でもないお前がくれたんだもの。それに、今はもうそれだけではない。
    「なんか言いました?」
     ベッドを降りて隣に座った。不思議そうな顔で、もこもことした感触の足を俺の膝に乗せる。なんでもないとかぶりを振れば、ふうんと鼻を鳴らしてスマホを手にしたままこちらに寄りかかった。肩を抱いて、寝起きの体温を感じる。布団の中みたいだ。柔らかい髪を撫でれば、スマホを見たまま甘えるように擦り寄る。
    「なんだい、エイプリル!そういうことははやく言っておくれよ」
     大袈裟なほどの声が逆側から聞こえて横目で睨む。
    「ああ、ごめん。でも本当に、驚いた」
    「先輩寒くないんですか。てかまだ5時過ぎだし」
     同時に上がった声に迷い、曖昧に首を振る。その反応に小首を傾げ、覗き込むように顔を近づけた。至近距離で見つめられ、不意に前髪を払われる。額にカサついた感触を受けて、すぐに離れた。
    「おかえりなさい」
    「ただいま、茅ヶ崎」
     首に腕を回し、肩に顔を埋める。支えてやるように腰を抱いて、触れる柔らかな髪に頰を寄せた。
    「気づかないフリが上手だね、チガサキは」
     感心したような声にギュッと目を閉じる。こんな姿を見られたくはない。はち切れるほど恋しくて、もう一度、一言、一目……。それを幾度も願う日々は過ぎたのに。別れの挨拶すら叶わなかった彼を残したまま、しあわせな自分を許せなくなりそうだった。
     腰を支える手に力を込める。
    「茅ヶ崎」
    「うん、茅ヶ崎です。千景さん、もう一眠りしませんか。布団が俺たちを呼んでますよ」
     今日は土曜だし、稽古も午後から。二度寝するには最適で、もう一度眠ってしまえばどんな夢も覚めるから。どうですかと顔を上げて目を細める人は確かに存在している。
    「そうだよ、エイプリル。眠ったほうがいい。でもその前に水分を取るんだ。コップ3杯ほど。それからトイレに行って、ああ、その前に使ったコップを洗うこと。それで」
    「わかってるってば」
     相変わらず子ども扱いの彼は、ごめんごめんと悪びれもなく両手を上げて笑った。
    「誰かいるんですか」
    「茅ヶ崎がいる」
    「俺以外に」
    「そういえば俺もいるな」
     意地悪く口角を上げれば、もういいですといじけてスマホに視線を下げる。先ほどのお返しにと、結ったあとが残る前髪を上げて唇を当てて音を鳴らす。軽く頭を振って見上げたレンズ越しの瞳が不安げだった。
    「水飲んでくる。先に上がってて」
     くしゃりと髪を撫で、無遠慮に乗る足を退かす。おとなしく退がり、再びスマホを見ながらいってらっしゃいと呟いた。
     
     
     かすむ朝焼けの冷たい空気を吸い込み、裸足のままぺたぺたと中庭を歩く。肌寒さを感じて、上になにも着ていなかったと気がつく。流石にまずいかと思うが、戻るのも面倒だった。少し前を歩く彼はあちらこちらを見渡して楽しそうだ。
    「なんてステキな場所だろう!ああ、見てよエイプリル。花が咲いている」
    「ああ。紬が管理しているから」
     まだつぼみも多い色とりどりを近くで見ようとしゃがみ込む。隣に立ち、膝を折る彼を見れば、ふわりと白いうさぎを抱えていた。
    「うさぎだ」
    「うん。迷子かな」
     彼の胸の中でおとなしいうさぎに、秋の始まりを思い出す。神社から逃げ出したうさぎでひと騒動だった。山の中で整えられた花壇とは異なる黄金のススキもまた見事だった。あの時、三角は満月になにを願ったのだろう。
    「あっ」
     彼の腕をすり抜け、うさぎは中庭を抜けていく。突然で、俺たちは置いてけぼりだった。
    「行っちゃったね」
    「ああ。っ……!」
     寒気にふるりと体を震わせてくしゃみをする。すん、と鼻をすすれば、あははと笑う声が上がる。やはりなにか羽織ってくればよかった。気恥ずかしさに笑うなよと口を尖らす。
    「エイプリルのくしゃみなんて久しぶりだ」
    「お前が寄り道するからだろ」
     わざとらしく拗ねて言えば、俺が悪かったよとおかしそうに口もとを覆った。ずっと変わらない仕草に目を細める。ここにもうひとりいれば、俺たちはまるで。
    「卯木か?」
     呼ばれて振り返れば、年長でまとめ役の男がきっちり着込んだまま立っていた。
    「左京さん、おはようございます」
    「なんで半裸なんだ」
     尤もらしい疑問に、俺はなんだかおかしくて頬が緩むのを抑えきれなかった。どうしてなにか着てこなかったんだろう。耐えきれずに喉を鳴らして、隣の彼と同じように右手で口を隠した。
    「お前……変なモンに手出してんじゃねえだろうな」
     鋭くなる目つきと雰囲気に、流石だなあなどとのんびり思う。あながち間違いではないのだ。
    「ちょっと喉が渇いて、ああ、いや違う。そういうわけではなく。ただ喉が渇いただけです」
     ますます眉間のシワを深くする彼がこわくて誤魔化すように手を振る。
    「目が覚めてしまって」
    「そうか」
    「左京さんは今帰りですか」
     いまだ疑いの目でこちらを見つめながら小さく頷いた。夜の仕事があって不思議ではないひとだ。お疲れさまですと告げて、にこりと微笑む。さぞ胡散臭く見えるだろう。再びこみ上げそうな笑いを堪えるように視線を下げれば、黒ずくめの足元で白いうさぎが1羽。
    「あ」
    「今度はなんだ」
    「さっきの子かな。サキョウさんを気に入ったみたいだね」
     隣で黙ったままだった彼が口を開いた。しゃがんで、おいでと手招きをする。うさぎは見向きもしない。
    「いえ、おかえりなさい」
    「……ただいま。監督さんもいるんだ、服くらいきちんと着ろ」
     そうですねと頷けば、再び目を細めてしばしこちらを見つめてから息を吐いた。風邪引くんじゃねえぞと言い残し、部屋の方へと向かう。白いうさぎがあとを追うのを見届けてから、中庭をあとにした。
     
     
     栓をひねり、コップから溢れるほどに水道水を注ぐ。一気に煽って2杯目を注いだ。
    「大きな冷蔵庫だ」
     おもむろに扉を開けて、グラデーションの柔らかな髪がライトに照らされる。なるほどねなどとわかったように頷き、更に下の段を開けた。電気の無駄遣いだと先ほどの人が叱る姿を想像してやめさせる。
    「サキョウさんがボス?」
    「そうじゃないがそんな感じだ」
     2杯目を飲み干し、3杯目を注ぐ。思いのほか喉が渇いていた。自分のことを他人事のように感じる。盛られた薬物がなんだったか思い出せなかった。命の危険はなさそうで、彼のいう通りもう一眠りすればきっと効果は切れる程度のものだろう。
    「ボスは誰なんだい」
    「それは、監督さんだろうな」
    「カントクさんか。サキョウさんも気にしていたね」
    「男ばかりの中で女性ひとりだからな」
     3杯目を一口だけ飲み込む。渇きもだいぶ落ち着いてきた。俺の言葉に彼は驚いたように瞬きをしている。
    「君は大丈夫なのか」
     途端に心配そうな顔をして気遣うように言った。彼だけが女性嫌いの理由をよく知っていて、俺を守りたいだけなのだ。首を小さく振って答える。
    「平気だ、今はな。俺はむしろ彼女に償わなければならないことばかりだ」
     入団当初のこと。この劇団を守るという約束と共に、彼女はまた特別だった。ここには誰よりも先に彼女へ手を差し伸べる人間ばかりだろう。
    「君が良いならいいんだ」
     よく知る笑顔が頷く。彼が笑うと胸の奥があたたかくなる。
     そうだよ。彼女とは上手くやれている。誰かさんと違ってスパイスの魅力をよくわかっているんだ。
     彼から視線を外す。中庭へとつながる大きな窓が開いたままだ。白いうさぎが横切った。
    「きっと素敵なひとだろうね」
     ああ。彼女はさ、とんでもなくお人好しで。まるで。
    「エイプリルがそういうんだもの」
     だから、お前にも。
     目が離せなくてうさぎを追う。
     ぴょんぴょんと跳ねて、まるで躍っているようだった。白いからだを朝陽がキラキラと照らす。あとを追ったら不思議の国へ連れていかれるだろうか。
     紅茶の代わりに水道水を飲み込む。
     ふと現れた黒い影が跳ねるうさぎを捕らえた。
    「千景」
     抱えたまま名前を呼ばれる。
    「密」
    「ディセンバー!」
     驚いて次の瞬間、黒い影と白いうさぎは跡形もなかった。突然のことに隣の彼と顔を見合わせれば、ずっと変わらないひとが笑っている。唾を飲み込み、コップの中の4杯目を流し込んだ。紅茶を飲んだつもりはない。
     
     
     すっかり明るくなった中庭を足早に抜けて、103号室のドアを開ける。出て行ったときと同じような体勢で、ルームメイトは静かに寝息を立てていた。
     確かめるようにそっと触れる。
    「チガサキは本物だよ」
    「黙れ」
    「エイプリル」
    「うるさい!」
     触れた手を握る。白いうさぎを抱えた彼は、撫でる手を離してシィーと人差し指を立てた。
    「チガサキったら。ずっとソファーで待ってたんだ。先に上がっててって言ったのに」
     小声で言って、かわいいねと薄く笑う。ソファーの横で膝をついて、祈るように手を握ったままギュッと目を瞑る。無駄なことだとはわかっている。祈ったところで、願ったところで、彼は。
    「エイプリル」
     お前はもう。
    「君の幸せが嬉しい。愛しているよ」
     
     
    「ちかげさん」
     膝を抱えたままの俺の手を、温かく包み込んだ。筋張った俺のものとはすこし違う、柔らかくて変なところにクセのある手だ。
    「誰がいたんですか」
    「……わからない」
    「そっか」
     ソファーから降りて、正面から抱き締められる。顔を上げれば誤魔化せないだろう。すんと鼻をすすれば、背中に回った手が冷えた肌を撫でる。
    「茅ヶ崎」
    「なんですか」
    「冷蔵庫開けっ放しで来たかも」
    「え、マジか。それはやばいな」
    「嘘だよ、ちゃんと閉まってる」
     ふふと笑えば、深いため息を吐いた。次いで、ゴツゴツとかわいらしい頭突きをくらう。愉快な気分で、喉を鳴らした。うさぎの気配はない。
    「茅ヶ崎」
    「もう知らない」
    「知らないままでいいから」
    「……なんですか」
    「好きだよ」
     ようやく顔を上げて言う。目の前で、眠気を帯びた瞳が瞬いた。
    「それは知ってます」
     呆れたように言ってから、ふあと大きな欠伸を隠さない。
     
     狭いロフトベッドで重なるように横になり、人肌と素肌を覆う布団が温かい。絡め合う指を握り、ちかげさん、と息を吐くような囁き声で呼ばれる。触れる体温は心地がいい。フェードアウトしていく意識の中で、懐かしい顔が笑っていた。
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