マロングラッセ入りカップケーキこの世界にバレンタインはないと気付いたのはウィンターホリデーの話が出てからだった。
お祭り騒ぎのできる、イベント好きな生粋の日本人のユウからしたらクリスマスは当たり前だったが、クリスマスの飾り付けに似た装飾はあってもあくまでもイルミネーションのようなものであり、もしかして…と聞いたところバレンタインもわからないと言われたのはつい最近の話だ。
この世界は元の世界で言う海外文化とほぼ同じだとは思っていたが、異世界なのだからそれもそうか…と腑に落ちたものだ。
そのわりにハロウィーンがあるのが謎ではあるのだが…まぁ野暮であるためそれは口にするつもりはない。
「でもあの時の木の扉のハートってそうじゃなかったのかな…」
「ハーツラビュル寮のお話でしょうか?」
ひとりごちた言葉を丁寧に拾われてしまい意識が戻る。声の主は件の…この世に“ハロウィン”を1人で広めたその人…色々な偶然と奇跡によりこの世に復活しオンボロ寮生としてある意味第二の人生を謳歌している“スカリー・J・グレイブス”
ユウが仄かに他の人とは違う感情を持っている相手である。
今では味方も増えたもののユウは未だに悪い意味で絡まれてしまうことも少なくない。…というか、元の世界でも日本人離れした澄み切った泉のような神秘的な青い色の目を持っていることで、そういった扱いをされていた経歴を持つ。
しかしあの不思議な本によって訪れた世界で出会ったスカリーのユウに対する言動は、悪意の的になっていたユウにとって衝撃だった。
スカリーとしては「紳士として当然」の一点張りだが 冷たい土の上ではなくそっとその長い腕に抱き、 マシュマロを溶かしたココアのように甘く優しく起こしてくれて…自分だって急に知らない世界へ来たというのにユウやユウの仲間の身の心配をしてくれた…
虚勢を張って弱みを見せないように泣くことを封印していた小娘の心を奪うには充分すぎた。
スカリーの身の上や置かれた状況やふと見せる影を知る都度、痛いほど理解できてしまったし
手にキスをされる度に少女の心は段々と赤く実り続け、3回目に至ってはまさかグリムが耳にされたとは言え 自分も髪越しではあるものの額にされるとは思わなかった。
それはもう動揺した。と同時に苦しくなるほどの喜びが身体中の血を沸騰させる熱源となり、赤い実はいつ弾けても可笑しくなかった。
狂気に身を任せた時も 今までの窮地の事態と比べてあまりにも稚拙で愛らしいものであり、そしてどこまでも優しかったから恐怖はなかった。
だからこそ最後の時の告白にも似た遊びの誘いを断られた時はショックを受けた。赤い実は弾ける前に本人により潰されてしまったのだから。
奇跡的に今こうして思い出すことができてそしてスカリーと再会できたが、また断られてしまったらと思うと、まるで自分のことをお姫様のように扱ってくれては何かあるごとに頼ってくれる…
たとえそれがスカリーにとっては“誰にでもする普通”のことだとしても、100人が100人勘違いしそうなこの距離をどうしても手放したくなくて告白もできないままでいる。
それが今の現状。
「ハーツの扉の話じゃないよ」
「はぁ…」
「バレンタインの話だよ、ほらハロウィンタウンに行った時ってカボチャの扉だったでしょ?たしかハートの扉もあったなって」
「その節は…本当に…うぅ…お恥ずかしい限りでございます…そのうえユウさんを巻き添えにするなど紳士以前の話ですぅ…」
ぺしょり、と もしもスカリーが獣人であれば耳が下がって尻尾も元気がなくなってしまっているのではないか?というほどに 今にも泣きそうな顔を両手で押さえだす。
「それはもういいの!はい!おわり!」
「は、はい……して、あの時の扉とバレンタインがなにか…?」
バレンタインについては日頃の感謝として主に女子が男子にチョコをあげる日であるとフワッと教えている。
(余談だが、それを知ったサムが嬉々としてバレンタインフェアを開催しだしたり、ラギーやセベクが目的理由は違えど「感謝して我が長に貢げ!」と騒いだり、トレイがチョコ尽くしのティーパーティだと腕を振るっているからありがとうとマブ達に言われたりと、なかなかな広がりなったそうだ)
「ハートは心を意味するマークでしょ?バレンタインにはよく使われるマークだからあそこはバレンタインかなと思ったのね?だからスカリーくんの言うところのハロウィンと同じでまだ浸透してないだけなのかな〜って…」
そう言いながらガシャガシャと溶かしたチョコと温めた生クリームを乳化させる。
昔は溶かして固めればいいと思っていたが水分が飛んで硬いチョコになることを知ったのは最近のことだなぁ、と元の世界で初めて作った所謂女児チョコを思い出す。
実際いま作っているのも、たまたまマジカメショートで流れてきた女児チョコなのだが、溶かしただけのビターチョコをアルミカップの三分の一ほど入れてから生チョコにしあげたスイート、ホワイト、ストロベリーのチョコを入れた 外はパリッと中は柔らかい言わばネオ女児チョコだ。
懐事情と大量に作ることへの効率の結果の残念チョイスとはいえ、敵の多いユウにとっては女子に飢えているであろうNRC生徒を懐柔したり、素直に感謝を伝えたい友人先輩先生たちへのまさに必殺アイテムにほかならない。
そんなマジックアイテムをせっせと作っているわけだ。
「なるほど…もしかするとユウさんがそのバレンタインなる行事をツイステッドワンダーランドに広めた偉人になる可能性もあるのではないでしょうか?実際学園に広めた実績もございます」
「あはは、スカリーくんにそう言われると説得力がすごいなあ…でも私には人生かけて布教なんて」
「もしユウさんがお望みならば、僭越ながら我輩が何日でも何年でもご教授いたしますよ?我輩“布教”に関してはうんと先輩ですから、ね?」
悪戯っ子のような顔でウインクをしつつ、冗談半分本気半分といったスカリーの返しは あの時の正真正銘16歳のスカリーではなくどこかハロウィーンの王たる大人の男性が垣間見えて
ああ、恋心とは本当にままならない。
痘痕も笑窪に見えてしまえば、子供っぽい彼も大人な彼も素敵だなと思ってしまうのだから…必死に冷静を努め、
「頼もしすぎるなぁ…ふふ、いつも頼りにしてますよー先輩♪」
そうやって笑顔で愛嬌を振りまくのだ
「ええ、何より誰より我輩を頼ってくださいませ、愛しき一等星」
❆❆❆❆❆
バレンタイン当日
レオナ、ヴィル、イデア、ジャミルあたりは複雑な顔や、余計な一言をしつつもしっかりと受け取ってくれたのは、ユウが彼らのお気に入りなり、そういったことを許される立場に入り込めたからにほかならない。
いつも突っかかってくるモブたちもどこかよそよそしい反応が多く、紅一点を存分に武器にできているなと確信したユウはそれはもう無敵無双状態だったと、マブたちがのちに語る。
その後は少しだけ差別化としてエースデュースグリムにチョコフォンデュパーティーを決行してあげて、ユウはほぼ仕事をやりきった気持ちになっていた。
────問題を一つ残して
先にも言ったがユウはスカリーのことを男性として好きである
明確に、恋をしている。
ただ、不可抗力とはいえ一度は拒絶された乙女心の柔らかい部分は随分と臆病になっていた。
しかしそれでもユウのスカリーに対する気持ちは存外重い。それこそ、元の世界に戻れると言われたらスカリーも付いてきてくれるにはどうしたらいいかと考えるくらいには本気なのだ。
そんな複雑な乙女心故に、バレンタインにかこつけて“あなたのことを心から愛しています”の意味のチョコを本心も意味も隠して身勝手に渡そうと思っていた。
…いたのだが、いざ当日になるとオーバーブロットにすら食い下がる娘が怖がってしまった。
勿論みんなと同じチョコもあげたしマブたちとのフォンデュパーティーもした…だからさらに渡すことをしなくてもいいのだ。
「…思い返せばお菓子好きではなさそうだよね…」
スカリーは…最初期はお菓子に否定的だったことを今になり思い出して、珍しく思考が悪い方に引き寄せられてしまう。
「……渡せないなら自分で食べちゃおうかな」
「では、我輩がいただいても?」
いつの間にか後ろにいたスカリーに驚き、手に持っていた包みが床に落ちる……ことはなく、手から離れた包みはスカリーの体躯同様に細く長くそれでいて大きい手により空中でキャッチされた。
「ユウさん…バレンタインとは感謝を伝える日のほかに、好いた相手に気持ちを伝える日でもありますよね?」
「!?」
図星でしょうか?すいません、カマをかけさせていただきました、どうかお許しを…と謝罪の言葉を口にしつつもその顔には感情の色が見えない。
「皆様へ配るもの、ご友人方とのパーティーのもの、…その他に作っていましたよね?深夜1人で…俗世に疎い我輩でも流石に分かりましたよ、それが、貴女にとってなにか特別な意味であると」
スカリーはハロウィーンへの向上心の結果なのか定かではないが、たいそう気配を隠すのが上手い。あの長身痩躯で足音すら聞こえないとは、少々化け物じみている。
今ここで“実は見られていた”という事実を突きつけられて、あまつさえバレンタインのもう一つの意味まで気付いてしまったことにユウはパニックを起こし何も話せなくなってしまう。
「グリムさんや我輩を起こさないようにと月明かりと静寂の中作業をする、あの…見たことのない…美しい顔(かんばせ)は…一体誰を思って…」
「…あの、スカリー…くん?」
ガッ
急にユウの肩を強めの力で掴まれ、痛みはないが驚きで目を見開き困惑する。
「…っ!どうして、どうしてなんだ!エースさんデュースさんは仕方ないと無理矢理割り切った!貴女のことをこんにちまで守るトランプ兵だと理解してるつもりだ!あの二人にそのつもりはないと何度も何度も何回も何十回何百回と聞いた…だから!」
「う、うん、二人は親友だから…それ以上でも以下でも…」
「………いつ、誰に心奪われたのですか?」
口調が崩れていつも被っている大きな猫が消えたと思えば、途端に表情が抜け落ち静かに、まるで冷たい刃を首に添えられたかのような恐ろしい声に瞬時に変わる。
「ずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと側にいたつもりだったのに、他の人なんか見えないようにっ!貴女が根腐れして我輩無しではいられなくなってしまうほどに愛でて愛でて愛でて愛でて愛でて何をしてても何より誰より真っ先に我輩を選んでくれるよう、我輩しか選ばないようにじっくり準備してたのに……ああ、ゆっくりすぎたのか?もう少し性急に…いや放任させすぎたかな?もっと制限して…あのトランプ兵に任せるのもやめて…いっそ外に出ずにいればいい、我輩勉学をお教えするのも苦ではない、そうだ、誰かと会わないようにすれば…」
狂気に身を任せはじめているスカリーに本能が警鐘を鳴り響かすも、ユウはその本能より自身の心を選んだ。
「…スカリーくんは、…私のことジャックさんと同じくらいに思ってくれてるの?狂ってしまうほどに…」
ドロリとしたタールのような黒い感情に支配されかけているスカリーにもユウの予想外の一言は届いたようだ。
「…ん?」と一拍置いて今度は「へあ!?」と情けない声を出して、けして血色のよくない頬を朱に染め狼狽えだす。その様子にこちらのペースに出来ると確信しユウは畳み掛ける。
「どうして私のこれ欲しいって言ってくれたの…?いつも優しくお姫様みたいにしてくれるのも、今の言葉も……私、勘違いしちゃうよ?スカリーくんも私のこと」
「ちょ!?ちょっとまってユウさん…っ!えっ、と、あの、ンンッ!まず、もう一つのバレンタインの意味は合ってる?」
コクンと頷きひとつ
「好きな方が居るのも…じじ、つ…?」
コクンコクンと今度は二度首を動かす
「……我輩に、勘違いしちゃうって…………」
徐々にお互いに顔が可哀想なくらい真っ赤になってゆき、言葉に詰まりだしたが、動いたのはユウのほうだった。
今までスカリーの手に収まっていた包みにそっと手を乗せ、これはもとよりあなたのものなんだと伝えるかのようにそっと、しかし確実にぎゅっとその長い指を曲げさせて愛らしい包みを握らせた。
そのままユウの口からゆっくりと言葉が紡がれた。
「…花言葉とかと同じように、お菓子にもそういう意味を付けて相手に渡すこともあって……クッキーは友達で居ようとか…マドレーヌは仲良くしたいとか…」
「……これは?」
「マロングラッセの入った…チョコのカップケーキ………」
「意味を聞いても…いや、それはずるいですね」
パチンと指を鳴らすと虚空からピンクと青色の12本のバラのブーケが姿を表しユウの腕の中にスッポリと収まった。ポカンの花束を見つめていると左手に触れられる感触に目を戻せば、ユウの前に優雅に跪き左手薬指に唇を落とし、眉を下げ心から申し訳無さそうな顔をしていた
「本当は999本が好ましかったのですが…流石に邪魔なので…
貴女の隠すもう一つのこの日の意味がそうだとしたら、我輩からも気持ちをお渡したいと思っていたのです。きっと貴女は我輩を選んでくれるのかと自惚れていて…でも貴女が渡せなかったと言うから…それは他の誰かなのだと思って………怖い思いを再びさせてしまい…ごめんなさい…」
…邪魔でなければ999本のバラを贈ろうとしていた事実に恐怖を感じるところだ。それに再び狂気をぶつけた重い男に恐怖しないほうが可笑しいだろう。
しかし、ユウにはこれ以上ない愛の言葉にしか聞こえない。
「私、お花の意味も少しなら分かるよ…?そういう意味で取っちゃうよ?」
「トレイン先生の授業をしっかり聞いておられる博学な貴女なら納得です、意味も勿論そのつもりでお渡ししておりますよ。
…ねえ貴女?これの意味…教えてくれると嬉しいのですが…」
恥ずかしそうに睫毛をふるりと震わせながら目を伏せ、それでも思いを言の葉に乗せようとしているユウを急かすことなくスカリーはその調べが奏でられるのをただただ辛抱強く待った
「あのね、…カップケーキの意味は“あなたは私の特別な存在”で、マロングラッセは“永遠の愛を誓う”……デス……あなただけに渡したくて、でも怖くなっちゃって」
「なぜ…?」
「また、断られちゃうかもって」
静かに呟いた言葉に、ハッとして少しバツの悪い顔をしながらも、ああそんなときから自分のことを思っていてくれたのか…と仄暗い喜びを感じたがそれは見せないように努め多少大げさな声を出した。
「ああ…っ、あの時の我輩はまだまだ青二才でああ言うほか無かったのです…許して欲しいな…」
「…ちゃんと告白してくれたら許す」
「へ?…はは……イヒャヒャッ!ええ、ええ!何度でも何百回でもユウさんにだけお伝えいたしますとも!そのかわり、ユウさんも我輩にだけ何度でも言ってね」
かわいらしすぎるわがままに破顔しないほうが無理な話だと、だらしのない顔はユウのせいにしつつも流石にこの顔では彼女の可愛いわがままを叶えられないなと、今一度引き締める。
「ユウさん、何百年も前から貴女は我輩にとってのランタンの灯火、宵闇に寄り添う一等星、心のよすが…ずっと悠久の時の中で貴女に思い焦がれていました
指先足先爪先眼球産毛髪の毛一本に至るまで…五臓六腑に血液骨魂…すべてが愛おしいのです…我輩は貴女を憎らしく狂おしいほど愛しておりますユウさん、たとえ死が二人を分かとうとしても、貴女が元の世界への帰り道を見つけてしまったとしても何処へでも付いて貴女のお側にいます、絶対に離れないと約束します…
我輩の手を取ってくれるよね、ユウさん」
パンプキンオレンジがドロリと濁ったことは他の誰もが見ても明白だろう
しかし…
「うん、勿論!絶対に離さないから私のことも絶対に離さないでね、ずっと、ずぅっと…私もスカリーくんのこと
この世でもあの世でもどこの世界、時代であっても、私はあなたのことだけが大好き!
ふふ、幸せすぎて死んじゃいそう……ねぇ?スカリーくん、私のこと何度でも殺してね」
「ああ!なんと愛くるしい殺し文句だ!ええ、ええ何度でも何度でも殺して差し上げましょうMyDear」
ユウの澄み切った青の深さもまた、どこまでもどこまでも底無しであることを知る人物はさほど多くはない。
しかし狂気を妊むそれは、詩的な感性を持つスカリーには極上の愛の詩である。その結果がこの物騒なやりとりとなった。
とはいえ一先ずはバレンタインに晴れて恋人と相成った二人を祝福しようではないか。
ここからは恋人となって初めてのバレンタインなのだから。