砂の古城が消えるまで「……ユリウス」
夕暮れの葉陰で、消え入るような声で名前を呼んでからアルベールはずっとその首に腕を回したまま強く強く抱き締めている。顔を伏せたシャツの肩口がじわりと熱く濡れるのを感じてユリウスは等閑にしていた手で背中を撫ぜた。
「急にこんな所で甘えるなんて君らしくないじゃないか、親友殿」
理由が有るとわかっていても、ユリウスは下手に宥めることはせず此方から口を開くのを待っている。漏れそうになる嗚咽を喉で止め、アルベールは漸く顔を上げた。未だ眦からはらはらと涙が落ちているがそれを思い切り瞑って落とし切ると、まだ太陽の残る海岸線を指差す。誰そ彼とは言ったもので、波打ち際で遊ぶ少女と青年のシルエットが見えた。
「あれに当てられたのかい?」
ユリウスが冗談めかして問うと、少し困ったように眉尻を下げ、ふいと視線を逸らす。肯定半分否定半分と言ったところか。朝露に濡れた木苺のように睫毛に雫を乗せたまま、ぽつり、呟く。
「……お前は、俺と一緒に生きてくれるのか?」
夜を先取りした草木の黒の中で、茜空を取り込んだ瞳が尋ねる。耳に届く轟々とした音は波か葉擦れかはたまた己の心音か。唐突な質問にユリウスが動けずにいると、アルベールは再び彼の肩口に顔を伏せた。
「あのお嬢ちゃんが少女の器を借りた真龍だという話は聞いたか?」
「そうらしいね」
「あぁやって睦まじく戯れてはいるが、ヒトと真龍では"流れる時間が違う"と目付け役が言っていた」
手持無沙汰な手を相槌代わりにその背中に置いてやると、頷いて「だから」と続ける。
「星晶獣に寄生された親友殿が星晶獣と同じ質を得ていたとしたら?ヒトより永い時間を過ごす体になっていたら?そうしたら俺はいつまで"親友殿"と呼べるんだ?」
矢継ぎ早に繰り出される言葉と共に力が籠った。途方もない杞憂にユリウスの喉から微かに声が漏れる。
「ふふ、親友殿は余程私を殺したいらしい」
「何を、俺は真剣に…………っ」
反論に上げられた顔は直ぐ目前。顎に手を添えれば簡単に口は塞がれた。押し戻そうとする舌の抵抗も難なく掻い潜り、上顎を撫ぜると悩ましげな吐息が漏れた。
「……ふ……ンッ、む………」
会話を止め、誤魔化す時はいつもこうだ。アルベールはふわりと浮いて散りそうになる意識を保とうと必死になりながら飽くまでのそれを享受する。重なる角度が変わる度に視界の端で瞑色の中から放たれる緋色が何度も煌めいた。
そうして幾ばくかの唾液交換の後、互いの間に引く糸を拭い、構える彼の前でユリウスは額を合わせる。
「まるで、君が先に逝くからと宣言してるようなものじゃないか」
「――……っ」
祖国の為にと手を取り合って、二人でやっていくと天雷剣に誓ったのに。それなのに片割れを喪ったらそこで終わってしまう。そうしたら遺された方はどうすればいい?自ら命を断つことなんて許されないのに。
「生真面目に思い詰めて一人きりで突き走るのは親友殿の悪い癖だ」
頑なにはなさないその瞳を見据えて諭すように囁く。光の乗った眦の縁からまたほろりと雫が落ちた。頬に伝ったそれを拭って続ける。
「……死ぬつもりでいた私を生かしたのは誰だったかな?直ぐ先の事ですらこうやって綻びるのに、幾星霜のことなんて保証できやしない」
群青に染まりゆく薄明にすら飲み込まれず、残った明りを取り込んで揺れる紅蓮にふっと影が差す。まだ不安は拭えない。そう言いたげに眉を寄せたアルベールの身体を両腕で包んだ。
「私らしくないとは思うがね。その時になったら考えよう。折角こうやって共に居られる時間が出来たのだから」
二人の間に落ちる懸念など、それこそこの宵闇の陰に紛れて失われればいい。