無題「よぉ」
一日が終わり帰路に着いた途端、かけられた声を無視して進む。左之助は返事が無くともその後ろをついて行った。
「何の用だ」
「これじいさんが持ってけってよ」
ちゃぷんと徳利の中身が泳いだ。真意を見出せない斎藤に左之助は続ける。
「昼間の、あやめのじいさんだよ。孫がお世話になりました、だとさ」
昼食を終えて署に戻ろうとした矢先、呼び止められた。周りの大人たちが優しく声をかけてもただ泣きじゃくる幼児が輪の中にいた。これでは埒が開かない。警官さんお願いしますよ、と押しつけらる形で保護した、までは良かった。
「〜やぁ!かえるっ!ぅえっひっぐ・・・」
自分の顔を見上げるなり、火をつけたように泣き叫び始めたのだ。小さな身体のどこにその声量があるのか、努めて穏やかに接したがその場凌ぎの取り繕いは通じず八方塞がり。
「困りましたね・・・名前もわからないんじゃ調べようが無いですよ」
警察官が、幼児を、それも泣き叫ぶ女の子を腕に抱いて署まで向かう光景は晒し者のようで、自分以外が相手になったところで状況は変わらない。
「藤田警部補!その子を知っていると今、申し出があったようです!」
機嫌取りの菓子も無駄に終わっていたところに助け船が来た。
「さのにぃ!!」
現れた迎えに泣いたカラスは一瞬で消える。
「やっぱりお前か!ったく、何やってんだよ・・・」
駆け寄る小さな身体を抱き上げて泣いた頬の跡を拭ってやる。包帯が巻かれた指はくすぐったいのか鈴の声で笑う子供に署内は安堵した。
「・・・さっさと連れて帰れ」
子供は診療所の孫娘だった、と後から聞かされた気がする。その後、仕事をこなす中で忘れかけていた部下からの報告を朧げに浮かべる中、左之助は乱雑に沓を脱ぎ捨て部屋へと上がり込んだ。
「じぃさんがよ、急患入っちまって礼に来れねぇの申し訳無いって伝言」
いつの間にか厨から持ってきた杯を2つ、並べて座る。懐からつまみだと、竹包も出して早速酒を注いでいる。
「なんでお前が俺宛の酒を飲む」
「あ?だって俺が来なきゃあやめはずっと警察署で泣きっぱなしだったんだぜ?」
俺のおかげで解決したんだ、と豪語し一杯目を煽る。叩き出してやりたいが、一理はある。
上着を脱ぎ捨て、斎藤も前に座った。
酒を呑みながら話は昼間の件に遡る。
長屋から道場へ向かう途中、迷子だの狼のような警官だの、連れ去りだの様々に聞こえてくる言葉が引っかかった。
案の定、道場へ行けばすずめの姿がないと騒ぎの最中。ならばと脚を向ける先は1つでこれが大当たり。
朝早く、自分を置いて出掛けて行った姉を追いかけて家を出たら帰り道が分からない。気づいたら街中で知らない大人に囲まれていた。
お顔の怖い警官さんが抱っこしてくれたの、お菓子もね、くれたんだと帰り道に教えられて数時間程度だが斎藤が奮闘していた様が可笑しく思える。
「あやめのこと、ずっと見ててくれたんだろ?」
火をつけようと燐寸を取り出したのを見て左之助は注いでいく。
息をするように煙を吸い、吐き出す。煙管から紙煙草を嗜むようになってそれは習慣などではなく染み付いた生き方となった。
「珍しくてめぇから煙草の匂いがしなかったならな。ガキの前で吸わねぇの、驚きだぁなと思った。でも、そりゃそうだよなぁ」
ぐにっと竹包にあった蛸の脚を白い歯が挟む。噛みきれず何度も咀嚼しながら一口を含んだ。
「ガキ、いるんだもんな」
酒を息と共に呑み込む。血の巡りが早く感じた。
「お優しいこって」
にししと揶揄うように空にぬった杯に酒を注がれた。そのまま飲み干す。
「いくつ?」
子がいるとなれば聞かれる常套句だ。答え方は決まっている。それこそ息をするように。
「7つと5つ、一番下が3つ」
形のいい瞳が丸くなる。口は間抜けに開いたまま。
「3人もいんのかよ!そりゃすげぇな。」
また酒を注がれる。味がするようでしない。身体の内側は熱く、手足は氷に浸かったように冷たい。ちぐはぐな噛み合わない息をしている。それを悟られぬように杯を空けた。味は、しない。
「ガキ相手なんざ似合わねぇけど、3人もいりゃ立派な父ちゃんだな。扱いには慣れてらぁ」
「・・・うちは3人とも男だ。女相手は、わからん」
「そうかぁ?変わんねぇだろ」
「知った口を叩くな、1人もんだろうが」
「ひひっ、そりゃそうだ」
手酌を取り上げて今度はこっちから溢れる寸前まで注いでやった。とと、口を窄めて呑む左之助は笑っている。
「女の、4人目がそうだったらえらい可愛がるだろうな」
「・・・・・・・・・」
「きっと、目はてめぇと同じ色だ。顔は・・・似ないことを祈ってやるよ」
似ちまったら可哀想だ、と続けて笑う。最後の一杯を自分の杯に注いだ。溢れて畳に沁みていく。
「似やしねぇさ」
味がしない酒だ。どうでもいい。
「茶と黒が混じった目に栗色の、そうだな、硬い癖毛で・・・。煩いぐらいよく笑うだろうな」
酔える気がまるでしないから、口は戯言を吐く
しかない。
「太眉あたりは、そっくりだ」
長い指が赤い鉢巻の額を指す。左之助はぼんやりとそれを見つめた。
「誰の、子だよ・・・そいつぁ・・・」
下らねぇ、吐き捨てるまでもない想像をしてしまう。夢にも、欠片にすらなりはしない。
「・・・・・・」
とうとう飲み干してしまった。杯に残った雫を酒に染まった赤い舌が舐め取ろうとしている。
「癖毛、なんて可哀想だろ、優しいおとうちゃんは櫛でも買ってくれんのかい」
「ああ、いくらでも買ってやるさ」
きっと金に糸目はつけない。簪も流行りの柄をした着物でもなんでも、買い与える。
「頭の悪さだけは、似てくれるなよ」
「・・・うるせぇ」
影も形も、産声もある訳がない。
左之助は背を向けて横たわった。
晒しの上をそっと、撫でた。