ままごとの終わり環から告白されたのはつい一ヶ月前のことだった。
初めての恋は実らないものだと色々な媒体で言われていたから、きっと壮五の恋もそうだろうと思っていたし、それならばきっとこの恋は墓場まで持っていくのだろうとも思っていた。だって環は壮五の相方で、同じグループのメンバーで、同性で、何より年下だった。
壮五は恋をしたことなんてなかった。自分の生まれ育ちが少なからず関わっているとは思うが、そもそもな話、恋だの愛だのにうつつを抜かすよりも自分の環境に精一杯で、それらをぎゅうぎゅう押し込めてなんとか作った隙間は音楽に費やしていたのでそんなものが入り込む余地もなかった。
家を飛び出して、今まで圧迫していたものが全て無くなり、隙間を埋めていた音楽が壮五をいっぱいにした時、その中にするりと入り込んできたのが環だった。
もし壮五が家を飛び出さなかったら。
環が理を探すためにアイドルにならなければ。
もし、もし、なんて色々なことを考えても結局壮五は環が好きで、環も壮五が好きだと言った。
それが全てだ。
さて。環からの告白に何とか頷いて二人のお付き合いは始まった。
お互いに初めての恋で、初めての恋人。
何をするのかさえもわからなくてただ、リビングや部屋に二人で並んで意味もなく座ってみたり、近くのコンビニエンスストアに一緒に行ってみたりと、今時の学生よりも初々しい健全なお付き合いをしていた(とはいえ、環は高校生なので学生なのだが)。
でも。
ふと壮五は隣に座る環の横顔をチラリとみた。
ここ最近手入れがあまりきちんとされていない環の唇に不思議と目がいくのだ。
「なんかついてる?」
キョトンとした表情で聞いてくる環に首を横に振って環がまた違う方向を向いたら環の唇を見つめる。見つめるだけでは嫌だ。もっと言えば触れたい。指先とか、いや、それよりも唇で触れたい。
その言葉が脳内に浮かんだとき、まるで雷が落ちたみたいに身体中に衝撃が走った。
なんてことだ。
壮五は環とキスがしたかったのだ。
もう一度言うが、壮五は恋と縁がなかった。そのため、キスなんてもちろん縁がなかったし、そういうのはその場の雰囲気でするものだと思っていた。しかし今。
環とただ横に並んで二人で時折会話をしてキスをする雰囲気など微塵もないのに訳もなくドキドキしてどうしようもなく環とキスがしたい。
どくんどくんと心臓の音が環にも聞こえてしまうのではないだろうかと言うくらい鼓動が速いし、息だって上がっている。
「どしたん? 何か、顔真っ赤」
環が壮五の額にこつん、と自分の額を当てて壮五の熱をはかろうとして、「うわあああ!」と思わず突き飛ばしてしまった。
だって、顔が近い。
「え、何……」
「あ、ご、ごめ、その……」
どうしたらいいと言うのか。君とキスがしたくなったから緊張してるなんてそんなこと、恋愛初心者の壮五に言えるわけもなかった。それに環だってそんな風に言われたらきっと、いや、絶対戸惑ってしまうに決まっている。
「か、帰ります! 部屋に!」
「帰るってここそーちゃんの部屋じゃん……」
「あっ!? そう、そうだね!?」
どうしたらいいのかとうろうろと視線を彷徨わせても視界に入るのは環で壮五は蹲った。
「そーちゃん? どうした? 身体しんどい?」
「しんどくは……ないです……」
「え、でも顔真っ赤だし、熱あんじゃねーの?」
「熱も、ない、よ」
ぎぎぎ、と音がしそうな動きで壮五は環の顔を見つめた。そしてやっぱり唇を見つめてしまう。
「……」
環はじっと壮五を見つめて、「そーちゃん嘘ついてる」と言った。
「!」
「俺、頼りない? そーちゃんが困ってるの、俺に言えないこと?」
「そんなこと!」
そんなことあるはずない。
壮五の中で気づけば環は誰よりも頼りになる人だった。壮五の背中をいつでも押して見守ってくれる、大事な存在。
そんな人が自分の初めて好きになった人で、初めての恋人だなんてなんて幸せなんだろう。
環を怒らせたくなくて、「あの……」と環の服の裾をそっと握った。
「うん」
「僕は環くんが好きです」
「え、……うん」
「僕は君が横にいてくれればそれでいいって思ったんだ」
「うん」
「でも僕、それだけじゃ足りなくって」
環の顔を見つめると環の顔も心なしが赤くなっている気がした。
「環くんとキス、したい」
周りから見ればまるでおままごとのような恋だっただろう。でも、そこから一歩踏み出してもいいのかもしれない。
「っ……」
どちらからともなくごくんっと唾を飲み込む音がした。
そして、環がそっと壮五の腕を引き寄せて抱き締めると環の心臓がどくんどくんと音を立てているのが聞こえた。
「俺も、最近そう思ってたから」
「うん……」
「でも、そーちゃん嫌かなって、じゃあ俺が我慢すればいいのかなって思ってた」
「我慢しないでよ」
少しだけ拗ねるような声になってしまったかもしれない。
「だって俺、そーちゃんが嫌がることは絶対したくないから」
「嫌なんかじゃない……」
「うん」
環の返事を聞く前に、二人の顔がゆっくりと近づく。環がそっと壮五の頬に触れる指先はまるで宝物に触れるような、まるで大事にされているような、そんな触れ方だった。
まるでじゃない。きっと、本当に大事にされているのだ。
ゆっくりと目を閉じたら、環の指が壮五の唇をゆっくりとなぞった。そしてやがて暖かい温もりが壮五の唇に触れた。
こんな熱、環に教えてもらわなければきっと知らなかった。