薔薇の軌跡『今年も開催!「ダズンローズデー」のお知らせ』
「ダズンローズデー?」
ある昼下がり、生徒手帳に届いたメールを見てスレッタは首を傾げた。作業中だったトマトの剪定を中断し、温室の奥にいるミオリネに尋ねる。
「なんですか、これ」
「毎年、この時期になったらやるのよ。学園だけじゃなくてフロント全域でね」
ミオリネはモニターを眺めながら質問にこたえる。
「学園では決闘委員会が用意した薔薇をもらうの。そして気になる相手に薔薇を渡す。相手が受け取れば告白成功ってわけ」
「本来は男性から女性に渡すものだけど、このイベントはどっちからでもいいってルールよ」
「へえ~素敵ですね……!」
スレッタは目を輝かせる一方でミオリネは溜息をついた。
「どこが。イベントの熱に当てられて交際を始める生徒も居るようだけど、半年も経たないうちに別れるって話も聞くわよ」
「でも、ちゃんと続いている人たちだって居るんですよね」
「ほんの一握りだけどね。卒業してから結婚したっていう話もあったはずよ」
その言葉にスレッタはある人物を思い浮かべた。イベントの主催を担う決闘委員会のひとり——。
「エランに期待したって無駄だと思うけど」
「なっ、何も言ってないじゃないですか……」
裡を見透かされてしまい、スレッタは口を尖らせる。
「なら聞くけど、あれから進展してるの?」
「うぐ……」
多少の浮気は許す、ということでエランと会っていたスレッタだがミオリネの核心を突くような質問にうなだれる。
「でっ、でもインキュベーションで……」
「インキュベーション?」
怪訝そうに聞き返すミオリネにスレッタは慌てて言葉を飲み込んだ。
「なんでもないです‼」
(いけない。インキュベーションのことは内緒だったんだ……)
エランに会いたい一心で訪れたインキュベーション。再会したスレッタは彼に誘われるまま共にダンスを踊った。その時に「花嫁には内緒にしておいてね」と約束したのだ。
「まあ、渡したいなら渡せば」
「えっ、いいんですか?」
てっきり「ロミジュリったら許さない」と身構えていたのに厳しい追求もなく、拍子抜けするほどの軽い言葉に驚きを隠せなかった。
「当日になればわかるわよ」
「?」
ミオリネの言葉にスレッタは目を丸くするだけだった。
◇◇◇
「ひっ、ひぇえ~……」
ダズンローズデー開催日の朝。指定された場所を訪ねてみると、会場が埋め尽くされるほどに生徒が集まっていた。
「すごい人ですねぇ」
スレッタと一緒にやってきたリリッケは意気揚々と張り切っていた。恋バナに目がない彼女にとっては、好機のイベントに違いない。
「そうですね。びっくりしました――」
「って、あれ」
隣に居たはずのリリッケが忽然と姿を消した。周辺を見渡すといつの間か見知らぬ男性に薔薇を渡されている。
「さすがはリリッケさん。始まったばっかりなのに」
その恋の行方を見届けたい気持ちはあったものの無粋だと思い視線を別の方向へ移す。すると、机の上に並べられた三つの大きな箱がありその周囲に長い列ができていた。
「なんだろう、あれ——」
「あれは御三家専用の箱だよ」
「はひっ⁉」
振り返ると顔が見えない程に両手で薔薇を抱えた人物が立っていた。
「ああ、すまない。驚かせて」
「やあ、君も来ていたんだね」
横から顔を出して挨拶をしてきたのはシャディクだった。
「シャディクさん。はい、どんなものか気になって」
「あの、御三家専用の箱というのは?」
「御三家はひとりひとりを相手にできる余裕はないからね。こうやってまとめて受け取るんだ」
スレッタの視線はシャディクの手に抱えられた薔薇に移る。それぞれの薔薇には小さなタグがついており、おそらく渡した相手の名前が書かれているのだろう。
「その中でもエランは多くてね。去年は箱から溢れ出しそうだったな」
「エランさんがですか?」
スレッタは劇団の出来事を思い出した。エランが登場すると周りから女性だけではなく男性からも黄色い声が飛んでいた光景を。列を見れば一つの箱だけが特に長い行列を作っており、それがエランの箱だと直感的にわかった。改めて彼の人気を実感し、同時にミオリネが言っていたことがこのことだと悟った。
「もっとも当の本人は興味がないって一蹴して終わったんだけど。今年も同じだろうね」
「そういえば、エランさんの姿が見当たりませんね」
エラン以外の決闘委員会のメンバーは見かけるも、エランだけの姿はなかった。
「今日はたまたま会社に呼ばれて不在でね」
「そうなんですか」
委員会が主催というなら、エランに会えるかもしれないと思っていたスレッタは肩を落とした。
「イベントに参加するかはともかくとして、君にも渡しておくよ」
シャディクは抱えていた薔薇の中から、タグがついていない薔薇を一本取り出した。
「いいんですか?」
「気に入ってくれたなら、観賞用として持ち帰ってくれてもいいから」
「わかりました。ありがとうございます」
スレッタは深く一礼し、薔薇を手に会場を後にした。
「——キレイだなぁ」
人気のないベンチに座りひとりで薔薇を眺めていた。初めて見る薔薇は艶があり鮮やかな赤色。ほんの少し光を透かして輝く花びらは宝石のようにも見えた。
「でも……」
「この薔薇もたくさんの薔薇のひとつにしかすぎないんだよね」
エラン宛の箱の中に入っていた薔薇を思い返す。あの中からひとつだけ選ばれるとしても、いったい自分にどれだけの可能性があるのだろうか。
「そもそも薔薇って柄じゃないし……どちらかと言うと雑草だよね」
「雑草って何の話?」
ふいに割り込んできた別の声にスレッタはこたえる。
「えっと、植物に例えるなら『あんたは雑草みたいね』って前にミオリネさんが」
「随分と酷い物言いだね、君の花嫁は」
「あ、でもそれは褒め言葉として言ってくれたもので」
「素直じゃないですけど――いいところもあるんですよ」
そう言って声のする方へ振り返るとエランが立っていた。
「ひょわっ‼ ええ、エランさん⁉」
スレッタは思わずベンチから飛び退く。
「えっ、あのっ、会社に居たんじゃ……?」
「予定より早く終わって、ちょうど戻ってきたところ」
「そしたら君がひとりで座っていたから」
エランはスレッタの持つ薔薇に視線をやった。
「その薔薇、ダズンローズデーの薔薇だよね」
「誰かに渡すの?」
「あ……いえ。キレイなので寮で飾ろうかと」
ぎこちない笑顔で返事をした。あと数歩進めばエランに渡せる。しかしながら、前に進むことができなかった。
「そう。さっきの君が雑草っていう話だけど」
「? はい、何でしょうか」
「君の髪色は遠くからでもよく見えるよね」
「へ?」
スレッタは自分の髪に視線を移した。
(ほめてくれてる――のかな?)
それとも単に目立つことを言いたいのだろうか。言葉の真意を測りかねて戸惑っているスレッタに対してエランは穏やかな口調で続けた。
「雑草なんて言うけど、僕にはそうは思えない」
「君はどこにいても目を引くし、周りの景色を明るくする力がある」
「その薔薇みたいに」
「あ……」
少し驚いたように瞳を揺らし、手の中の薔薇をぎゅっと握りしめた。エランの口調は淡々としながらもその言葉には温かさがあった。視線から目を逸らし、ぽそぽそとお礼を言う。
「あの、ありがとうございます……うれしいです」
「うん。じゃあ、僕は委員会の仕事に行くから」
イベントがある会場へとエランの足は向かっていく。その背中を見つめていたスレッタは、さきほど飲み込んでしまった言葉を押し出した。
「エランさん……! あのっ」
スレッタの掛け声にエランは足を止めて振り向いた。
「この薔薇、もらって——くれますか?」
おそるおそる両手に持っていた薔薇を差し出す。前を見ることはできず、ギュッと目を瞑っているとコツコツと足音がする。ほんの数秒間だけ待ってからゆっくりと瞼をあけるとエランが薔薇を持っていた。
「いいの? 飾るって言ってたのに」
「えっと、はい……」
「——えっ、いいんですか?」
スレッタは呆然と立ち尽くした。シャディクの話ではエランは薔薇を一切受け取らないと聞いていたはずなのに、今目の前にいる彼は自分の差し出した薔薇を持っている。それがどうにも信じられなかった。
「僕が受け取らないことを聞いたんだね」
「その話は本当だけど、恋人からの贈り物は別だよ」
「こっ、ここコイビト⁉」
首を左右に振り周辺を見渡すも誰も居ない。スレッタは自分に指差してエランに尋ねた。
「私が……ですか?」
「ちがうの?」
スレッタの質問にエランも疑問で返す。その様子にスレッタは困惑を隠せない。
「えっ、ええと――私たち、いつから付き合っていたんでしょうか?」
記憶を巡らせるもスレッタには交際のきっかけになる出来事が思い当たらなかった。少なくとも告白をされた記憶がない。
「インキュベーションで踊ったこと、覚えてる?」
「はい、もちろんです」
ゆっくりとスレッタの動きにあわせて踊るエラン。その表情は無重力の中で漂っていたときに見せてくれたものと同じ笑みだった。エランは手に持つ薔薇に目を落としながら話を続ける。
「ダズンローズデーと似たようなものだけど、ダンスの誘いに相手が了承してくれた場合は交際を受け入れるという意味があるんだ」
「えっ、あの時にですか?」
スレッタは驚いた。そんな深い意味が込められていたなんて想像すらせず、ただ楽しく踊った記憶しかなかった。
「あ——だからミオリネさんには内緒だと」
「君が怒られるのは不本意だからね。折を見て説明するつもりだった」
「お気遣いはうれしいんですけど、大丈夫でしょうか……」
スレッタは少し目を伏せる。多少の浮気はどこまで許されるのか線引がわからない。そして別の疑問が浮かんだ。
「それに……エランさんは私のどこがいいと思ってくれたんですか?」
ダンスの誘いが告白だというのならエランの中に好意があるということ。しかし、一度は拒まれたスレッタにとってそれを素直に受け止めるにはまだ不安が残っていた。その問いにエランは僅かばかり間をおいて、真剣な声でこたえた。
「――君が僕のことを知りたいって言ってくれたから」
「僕のことを知ろうと何度も誘ってくれたよね。その一つ一つの行動が僕にとってどれほど特別だったか、わかる?」
「時間が経つにつれて君を知りたいという気持ちが大きくなっていったんだ」
そうして芽生えたのはスレッタの特別でありたいという気持ち。
「だから、君をダンスに誘った」
その言葉にスレッタははたと気づく。
「もしかして、今まで何度かお会いしてくれたのもデートだったんですか?」
「僕はそのつもりだったけど」
思い返せば、確かに二人きりで過ごした時間がいくつもあった。それがデートだと気づいた瞬間、思い出のひとつひとつが特別なものとして心に浮かび上がりうれしさがこみ上げる。
「僕の思い違いだった?」
「あっ、いえ‼」
「それはすごくうれしいですっ」
大きな声を出して気持ちを前面に押し出した。自分がエランの恋人になれるというのならこの上なくうれしいことはない。
「でも、その……」
「どうかした?」
両手をあわせもじもじと口籠るスレッタの様子にエランは首を傾げた。
「私もですけど、エランさんから『好き』……って言われたことがなかった――ので」
スレッタが交際していると認識できなかった理由はそこにあった。最後まで言い切る頃には声は消えかかり、不安からエランの顔を見ることができず両手で顔を覆う。何度か会って話した中でそのような言葉を聞いたことも言った記憶もない。他愛のない会話をしていただけ、そう認識していた。
「――これを見てくれるかな」
指の合間からエランの方を見ると、渡した薔薇とはまた別の薔薇を持っていた。その薔薇が持つ色にスレッタは前のめりになった。
「わあ、すごい……!」
「これって青い薔薇ですか?」
「会社の帰りに見つけたんだ。君に渡そうと思って」
手渡された薔薇をまじまじと見つめる。その青は漆黒を纏う夜空を閉じ込めたように深くいて鮮やかな色、そしてどこか神秘的な美しさを感じさせた。
「青い薔薇の花言葉を知ってる?」
スレッタはエランの問いに首を横に振った。
「夢かなう――君のやりたいことリストが叶えられたらいいなと思って」
『――たくさん叶うといいね』
それはリストの十二番である連絡先の交換をエランが叶えてくれた時に言ってくれたもの。この青い薔薇も自分のために用意してくれたことがうれしくて、スレッタは胸が一杯になった。
「君の言う通り――ちゃんと言葉で伝えていなかったね」
エランはスレッタの片手を取り、その指先に優しく触れた。
「スレッタ・マーキュリー」
柔らかく優しい声に名前を呼ばれて顔を見上げる。その瞳は慈しむようにまっすぐとスレッタを捉えていた。
「僕は君のことが好き」
「君のことがもっと知りたい」
エランは初めてスレッタと出会った時に言った言葉を口にした。しかし、あの時とは意味が違う。今はただひとりの少女としてスレッタを知りたい――そんな想いを込めてエランは静かに気持ちを伝える。
「――私もです」
「エランさんことをもっとよく知りたいです」
スレッタも応えるように手を握り返し、エランに体を預けた。一定のリズムを刻む鼓動が心地よく感じる。
(好きな人にプレゼントをする――やりたいことリスト、ひとつ埋められた)
「どうして笑っているの?」
頬を綻ばせ喜んでいるとその振動が伝わったのか、エランが顔を覗き込んできた。
「さっきエランさんは私が赤い薔薇みたいって言ってくれましたけど」
「だったら、エランさんはこの青い薔薇みたいだなと思ったんです」
スレッタは手の中におさまる青い薔薇をエランに見せる。
「私のやりたいことリストを叶えてくれるので」
まさしく夢かなう、青い薔薇の花言葉にぴったりだった。エランは微笑んでスレッタに尋ねる。
「僕が出来ることで、他にやりたいことはあるの?」
「えっ、まあ……あります、けど」
その言葉にスレッタの脳裏に浮かんだのはたったひとつ。順番は変わってしまったけれどもデートはした。それを実行に移してもいい関係になった今なら問題ないだろう。
「何がしたい?」
「――言っていいんですか?」
「僕に叶えられるなら」
「じゃあ……」
スレッタは背伸びをしてエランの耳に囁いた。願いを言い終えると頬は赤い薔薇のように色づいている。
「――いいよ、よろこんで」
エランは静かに微笑んで、ピンク色の蕾のように愛らしい唇にそっと自分の唇を重ねる。その一瞬は互いの想いを確かめ合うように深く溶け合い、二人の心を新たな色で染め上げていった。
◇◇◇
「はっ? インキュベーションで誘われて踊ったら、交際してることになってたぁ?」
「そうみたいです」
後日、イベントはどうだったのかと尋ねられたスレッタは事の顛末を説明した。
「なにそれ……」
ミオリネは呆れ返し、考えることすら億劫になっていた。
「はぁ、もう面倒だから付き合うぐらいなら好きにしたらいいわよ」
「本当ですか……ん?」
お互いの生徒手帳が同時に鳴り確認をしてみると、新聞部からの号外が届いていた。
「速報! ホルダーがエラン・ケレスと密会――」
ミオリネは内容を読んでいき添えられている写真に目を見開いて肩を震わせる。一方のスレッタは顔面蒼白だった。そこにはキスをしている二人の姿があったのだ。
「スレッタァ‼‼」
「ひぃいっっっ⁉」
二人の交際は瞬く間に広がり、翌年のダズンローズデーには赤と青の薔薇をお互いに交換すると幸せになれるというジンクスが学園で語り継がれていた。
それから三年後——青い薔薇を胸に携えた新郎にエスコートされながら、バージンロードを歩く新婦の姿があった。純白のドレスをまとった新婦の唇は鮮やかな赤に染まり、その微笑みはまるで輝く宝石のようだった。