「はじめて」「ふっざけるな赤井秀一!」
降谷は赤井の胸倉をつかんで怒鳴りつけた。返事はない。反応も。
「フルヤ! 揺すっちゃ駄目!」
ジョディが何か叫んでいるが、降谷の耳には入らなかった。ただひたすら赤井の名を叫ぶ。自分の声が聞こえてくれ、と切に願いながら。
「赤井っ! お前を殺すのは俺なんだ、俺以外に殺されてる場合か!」
組織壊滅作戦の真っ最中、獅子奮迅の活躍を見せていた赤井からの連絡が途絶えた。深夜になっても連絡の取れない彼を心配したFBIの仲間たちが捜索に奔走。そして遂に港の隅で発見された時、赤井は息をしていなかった。慌てて救急車を呼び、AED探しに走りだしたFBIたちをかき分けて駆けつけた降谷は、怒りのあまり怒鳴りつけずにいられなかった。
「赤井秀一! 二回も死ぬなんて許さないからな!」
殴りつけようと振り上げた腕を、既に泣き顔のジョディに止められる。さすがに少しだけ冷静さを取り戻した降谷は、何の反応もない赤井を可能なかぎり静かに横たえた。手で彼の顎の先を上げて気道を確保し、自分の頬をその鼻と口に近づける。呼吸音は聞こえない。
「くそっ」
降谷は赤井の高い鼻をつまみ、躊躇なく自分の口で彼の口を覆った。ゆっくり一秒、息を吹きこむ。二回繰り返して、すぐに心臓マッサージ。赤井の分厚い胸の真ん中に右手のひらを置き、左手を重ねて指を組む。肘を伸ばし、胸を圧迫。三十回続けたが変化はなかった。
「降谷さん、交代します」
風見が声をかけたが、降谷には聞こえなかった。誰にも譲る気などない。一度目は自分が甦らせた。二度目だって、自分が生き返らせてみせる。
再び人工呼吸を二回。そしてまた三十回の胸骨圧迫。
「勝手に死ぬなど許さない」
鬼気迫る勢いでなりふり構わず心肺蘇生に没頭する降谷に、もう誰も声をかけてはこなかった。
「戻ってこい! 赤井!」
幾度呼んでも返事はない。その目蓋が開いて深緑の瞳を覗かせることも。
「死んだら殺す!」
降谷の額から滴り落ちた汗が赤井の胸に落ちる。もう何度目かもわからない人工呼吸。また胸骨を圧迫しようと手を置いたところで、背後の空気が変わった。明らかに、……悪い方に。
「降谷さん、……もう」
見守っていた風見の絞り出すような声に、我に返る。嫌だ。あの赤井秀一が、こんな簡単に、……
いや、あり得ない。一度目だって復活したじゃないか。一度できて、二度目ができないわけがない。降谷はめちゃくちゃになった感情のままに叫んだ。
「馬鹿にするな赤井秀一! 何回死んだら気が済むんだ!」
力任せに赤井の胸を殴りつける。もう一度心臓マッサージを、と手を置いて、ふと赤井の顔を見た。苦しんだようには見えない、うっすらと微笑んでいるかのような穏やかな寝顔に、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「冗談じゃない! お前がいなくて誰が組織を壊滅するんだ! 解決にはお前が必要なんだ!」
胸倉をつかんで怒声を浴びせ続けたが、赤井の反応は見られなかった。
「お前が……必要なんだ」
最後はもう、言葉にならなかった。
「……あか、……い」
悔しい。悔しくて、悔しくて、悲しかった。
もう一度、思いきりぶん殴る。すべてを、過去の感情すべてを載せて全身全霊で殴りつけた。そのまま赤井の胸元に倒れ込む。力いっぱい、いつもの黒いライダーズジャケットを握りしめると、大嫌いな煙草の匂いがした。大嫌いなのに……今はその香りに包まれたくて仕方ない。降谷は血が出そうなほど唇を噛みしめる。
……と、ジョディの叫び声がその場を切り裂いた。
「シュウ!」
何が起こったのかわからなかった。ただずっと、聞き慣れた優しい罵声が脳を揺らしていた。でもさすがに安眠妨害だぞ、と目を覚まさざるを得なかった赤井は、視界に広がるシャンパンゴールドに感嘆する。なんて美しい。目の前でゆらゆらと揺れる降谷の髪は、夜明けの薄明かりの中でさえ輝いていた。
「……降谷くん、……痛いぞ」
は、と顔を上げた降谷は大きな目を更に大きく見開いた。次いで顔を酷く歪ませると殴りかかってくる。
「痛いに決まってる!」
ああ、ここまでの激情をぶつけられるのは久しぶりだな、と赤井はのんきに考えた。振り上げた手を風見に止められた降谷は、疲れきった様子でそのまま固まり、呆然と赤井の顔を見つめている。すんでのところで殴られずに済んだ赤井は、そこでようやく降谷以外の人間も集まっていることに気づいた。
「どうしたんだ?」
「ど、どうしたもこうしたも……!」
絞り出すように泣きだしたジョディの悲鳴を合図に、仲間たちが歓声を上げる。
「赤井しゃん!」
「シュウ!」
口々に自分の名前を呼んで歓喜に沸く仲間の姿に、自らが陥っていた状況を察する。
「死ぬところだったのか」
「そうよ、本当に心配させて……もう」
泣きじゃくるジョディの隣で、目を潤ませたキャメルが説明してくれる。
「フルヤさんが心肺蘇生してくれたんです。人工呼吸と心臓マッサージ。かなりの時間をかけて、諦めずにずっと」
「……そうか」
世話をかけたのか、と目をやると、固まったまま微動だにしなかった降谷がようやく大きなため息をついたところだった。いつもより更に幼く見えるその顔は疲労の色が濃い。
「降谷くん、疲れてそうだな。大丈夫か」
ねぎらいの言葉をかけたというのに、何が癇に触ったというのか。
「とっとと死ね!」
降谷はその美しい形の眉をつりあげると罵倒を投げつけてきた。解せぬ。
「さっさと病院に行ってください。退院したら改めて僕が殺してやるから」
「病院? 別に行かなくても、」
「つべこべ言わずに行け!」
「わかったよ、君が言うなら」
素直に従うと、降谷は眉間にしわを寄せた。赤井の、めったに見せない従順さに驚いたのだろう。降谷は疲労困憊という様子で、もう一度ため息を吐いて立ち上がった。
「冥土の土産に教えてあげます。僕は、誰かと唇を重ねたのは初めてです。医療行為という意味でも、……それ以外でも」
早口で言い捨てて、そのままさっさと歩きだしていく。一瞬見えたその表情に、赤井は心臓をつかまれたような衝撃を受けた。彼の口から出る言葉とは裏腹の、安堵と喜びの色。
このまま離してはいけない。
唐突に、そして強烈に、赤井はそう悟った。何年もの時を経て、やっと気づいたのだ。彼は自分にとって唯一無二のひと。
降谷の高潔な背中を目がけて赤井は叫ぶ。
「降谷くん!」
遠ざかりつつあった影が歩みを止めた。
「待ってくれ、伝えなきゃいけないことがある」
振り返った降谷の頬が濡れている。その背後で、ようやく昇ってきた朝日がまばゆく輝いていた。
了