君色に願う帰り道初夏、少しづつ日照りが強くなる日々。街を歩いていた春草は鏡花に出会った。
「菱田、ちょうど良かった。」
春草は鏡花から赤い組紐を貰った。自分の願うものの所へ導いてくれるというものらしい。
「僕にはうさぎがいるし、その紐、森さんの髪の色に似てたからせっかくだしアンタにあげるよ。
森さんとお幸せにね」
そう言って鏡花は去って行った。
「ただいま帰りました」
家に着けば、仕事から戻った鴎外がいた。いきなり恋人に抱きしめられ、改めて鴎外との特別な関係を思い出す。
彼に赤い組紐の話をすると、春草に似合う着物を買ってきたから明日それと一緒に身につけて欲しいと言われた。
翌日。今日は二人でデェトの約束をしていた。昨日鴎外に貰った着物は紫を基調としていて、いつも鴎外が着ているものに似ていた。あの赤い組紐で普段通り髪を束ねて蝶々結びにした。
久しぶりに二人で出かけられて少し浮き足立っていた。楽しい時間がすぎていく。しかし鴎外が少し春草の傍から離れた時だった。
「んっ・・・」
何者かに口を覆われ、春草は一瞬で意識を手放してしまった。
次に見た景色は、薄暗い見知らぬ一室だった。
牢屋のようにコンクリートで覆われている訳でもない。まるでどこかの家の部屋のようで質素な敷布団に春草は寝かされていた。特に拘束されている様子は無い。が、ふと息苦しさを覚え 、着物の帯を触った。いつの間にか、帯が女物の幅が広いものに変えられていた。
「はぁ?」
思わず声が出た。何を考えて誘拐犯はこんなことをしたのか。理解する気も起きなかった。
ともかく状況を探る。近くに人の気配はない。壁の高くにある窓からは何とか外を見ることができそうだった。扉はビクともせず、あらゆる限りの施錠が施してあるようだ。
「参ったな・・・鴎外さん、は流石に事態には気づいてるか。なにかできること、あ」
そっと髪につけた赤い組紐に触れる。これを使えば報せを届けられるかも知れない。紐を髪から外し、絵を描くために持っていた紙に文字を書く。それを紐にくくりつけ、両手で包み込む。
"どうかこの紙を俺の代わりに鴎外さんの所まで導いて''
そう願って手を窓の近くに持っていく。ふわりと浮いた紐はすっと飛んで行った。自分以外のものを導いてくれるのか賭けだったが、上手くいってほっとした。
がちゃんと音がして、見知らぬ男が扉を開けた。春草は慌てて距離をとった。
「起きていたか。ハハ、予想通りの美しさ。夜が楽しみだ」
そう言って男は去って行った。
"夜''という言葉が無性に怖かった。なぜ怖いかもわからず、ざらついた男の声に身を震わせた。
・・・・・・・・・・・・・・・
赤髪の男が辺りを見回す。髪が乱れても気にせず、恋人の姿を探していた。
「春草」
歩き出した時、鴎外の手にすっと何かが触れた。
「これは、春草がつけていた組紐・・・」
括りつけてある紙を急いで広げる。春草の筆跡で、''俺に会いたいと願ってください''と書かれていた。すぐさま、その通りにした。組紐を握ってひたすらに会いたいと願う。組紐がふわりと浮き、人目を盗んで進んでいく。慌ててそれを追った。しばらく走り、たどり着いた先はほど近い掘っ建て小屋だった。
突撃しようと思ったが、犯人の目的がわからず迂闊なことはできない。小屋の周囲を探る。小高い窓から中を覗いた。するとちょうど寝転んでいる春草を見つけた。
「春草」
「鴎外さん・・・ぁ」
春草はそっと人差し指を唇に当てた。そして部屋の戸口を指さす。誘拐犯が来るという合図だった。鴎外は無言で頷いて入口に向かう。男が春草に気を取られているうちに忍び込む作戦だ。鴎外がそっと入口を開ける。ちょうど男が話しかける声が聞こえた。足音を消し、素早く声の方へ進んでいく。赤い組紐は既に春草の手元に戻っていた。あとは自分があの部屋の戸が開いているうちに助けに入ればいい。犯人が凶器を持っている可能性はまだあった。しかし、男に女物の帯をつけさせるところを見ると猟奇的な犯人ではないだろう。
「っ近寄らないで!」
突然響いた春草の叫び声にいてもたってもいられず勢いよく部屋に飛び込んだ。ちょうど男が春草に触れようとしているところだった。
言葉よりも先に足が出た。男の土手っ腹に蹴りこむ。男は壁に頭をぶつけ気絶した。そんなことには目もくれず、慌てて駆け寄り春草の体に傷がないか確認した。
「春草!遅くなって済まなかった。何もされてないかい?」
「大丈夫ですよ、鴎外さん。ありがとうございます」
そっと鴎外に身を預ける。優しく抱きしめられ、やっと肩の力が抜けた。
男が気絶してる間に隠されていた春草の帯を見つけ出し、元の格好に戻った。そして警察を呼んだ。男はすぐに連行され、春草も事情聴取に呼ばれた。しかし、
「事の詳細については僕が聞き取りをして後日書面にして知らせよう」
職権乱用だった。
後日警察から知らされたが、あの誘拐犯はかなりクセのある男色家で、良い相手を探していたらしい。
ともかく警察に引き渡してから真っ直ぐに家に帰った。ふみさんが暖かい茶を入れてくれ、鴎外の部屋でゆっくりしていた。
「春草、おいで」
言われるがままに抱きしめられる。鴎外の香りに落ち着いて息を吐く。
「守ってやれなくてすまなかった」
「鴎外さんのせいじゃありません。俺はまたこうしていられるだけで幸せです」
「可愛いことを言うね」
「ん・・・」
顎を持ち上げられ、唇を奪われる。よく知った体温が心地よい。
優しくて甘い、暖かなキスだった。
「ねぇ鴎外さん。今度、泉にお礼を言いに行きたいんですけど」
「ああ、ぜひそうしよう。今度デェトする時にでも寄ろうか」
愛しい人に抱きしめられ、心の芯から温かさが広がって行く。
「鴎外さん、」
「ん?」
「・・・大好き、ですよ」
今度は春草からキスをした。照れ隠しに鴎外の目を手で覆って。