りんごのトロンプルイユ ハルカンドラの静かな夜更けのこと。ふと目が覚めたぼくは、キッチンに夜食を取りに行った。
ポップスターに散らばったパーツとスフィアを集め終え、宇宙船ローアはついに完璧な姿を取り戻した。マホロアはパーツを集めてくれたお礼にと、ぼくたちをローアに乗せて、彼の故郷であるハルカンドラに招待してくれた。その際、ローアに好きな間食を持ち込んでいいと言われたので、ウィスピーウッズにおすそ分けしてもらったりんごを持っていったのだ。
キッチンの棚からりんごを取り出して、寝室に帰る。その道中、ロビーに続く廊下が、ほのかに明るく照らされていることに気が付いた。
「……?」
何となく気になって、ドアの端っこからそうっと覗いた。すると、そこにはマホロアがいた。
マホロアは昼間と同じようにロビーのモニターの前に立って、ローアの整備をしていた。電力を節約するためなのか照明は消されており、モニターの光だけが彼を青白く照らしている。独り黙々とコンソールを叩く彼の背中を見ていると、なぜだか胸がぎゅうっと苦しくなって、いてもたっても居られなくなって、ぼくはたまらず彼のもとに走り寄った。
「マホロア!」
きみの名を呼ぶ。そうすれば、きみはすぐに振り向いて、ぼくに笑顔を向けてくれるんだ。
「ヤァ、カービィ。どうかシタカィ?」
ぼくの声に答えたきみが、いつものようににっこりと笑う。その笑顔があんまり嬉しそうなものだから、ぼくもつられてえへへと小さく笑った。
こんな夜更けまで作業してるなんて、マホロアは本当にがんばりやさんだなあ。そうだ! いいことを思いついて、ぼくはマホロアの手のひらを掴んだ。
「こんな夜遅くまでローアの整備してるの、大変だなぁって思って。だから差し入れ!」
夜食として持ってきていた真っ赤なりんご。それを、彼のふかふかの手のひらに包みこませるようにして持たせる。甘くて美味しいウィスピーウッズのりんご。ぼくはこのりんごが大好きなんだ。
マホロアはりんごを受け取ると、手の中でゆっくり回しながら、観察するようにじっと見つめていた。
その振る舞いに、ぼくは違和感を覚えた。りんごを受け取ったマホロアは、喜んでいるようには全然見えなかった。ぼくだったら、こんなに美味しそうなりんごをもらったら、とっても嬉しいのに。
ふと、そういえばぼくはマホロアが何か食べているところを今まで一度も見た覚えがないことに気が付いた。今日だってそう。マホロアはハルカンドラでの探索を終えたぼくたちに夕食を用意してくれたが、マホロアは同席していなかった。ひょっとしたら、マホロアは食事をするところを人に見られたくないのかもしれない。マホロアは遥か彼方からやってきた旅人なのだ。ぼくの知らない文化や習慣を持っていてもおかしくはないだろう。
何にせよ、ぼくだけで頭をひねっていても答えは出ない。本人に聞かなくては始まらないことだ。そう思って、ぼくがその反応の理由を尋ねようとした、その時。
「……なんダロ、コレ」
そんな言葉が、きみの口から、ぽつりとこぼれ落ちた。
思わずはっと息を呑む。りんごを食べたことがない――いや、見たことがないかのような言葉。
マホロア。
ローアという、遠い星と星をひとっ飛びできちゃうくらい、すごい宇宙船を直せちゃうきみ。
冒険の助けになる薬も、たのしいゲームやアトラクションも作れちゃうくらい、頭が良くて、物知りで、いろんなことができるきみ。
そんなきみを育んだきみの故郷ならば、とってもすてきな星なんだろうと思ったのに、ローアの窓から見えた星は、想像していたのと全然違っていた。散らばったエナジースフィアを探しに向かったどの場所も、熱くて、埃っぽくて、煙ったくて、鉄と油の冷たい匂いしかしなかった。
そんな場所が、ここが故郷だと言うきみ。だから、みずみずしいりんごを見ることも、味わうこともなく育ったのだろうか。
そう思うと、ぼくはどうしたらいいのか、何を言ったらいいのか、分からなくなってしまった。
「……出発する前、ウィスピーウッズにおすそ分けしてもらったんだ!」
とりあえず、りんごのことを伝えた。ウィスピーウッズのことはマホロアも知っているはず。ウィスピーウッズがローアのオールを気に入ってしまって、取り返すためにその時は戦ったけど、普段のウィスピーウッズは温厚で、豊かな自然の恵みでみんなを笑顔にしてくれるんだ。ローアのオールを持ち帰った時、マホロアにそう話した覚えがある。
「ワァッ、そうなンダ! アリガトウ、カービィ!」
マホロアはすんとした無表情から一転して、朗らかな笑みを浮かべた。その笑顔に安心して、それと同時に無性に嬉しくなって、ぼくも笑い返した。
「皮をむいて切り分けるのもいいけど、ぼくはがぶっとまるかじりするほうが好きだなあ」
りんごをかじった時の、甘酸っぱい果汁が口に広がる感覚。りんごにつまった美味しさをいっぺんに味わえる、幸せなひととき。想像するだけで思わず口からじゅるりとよだれが垂れてしまう。もっとりんごの魅力について話そうとしたけれど、彼の様子を見て、つい言葉が出なくなった。
マホロアはりんごを手にしたまま、ぼくとりんごに視線をいったり来たりさせている。その様子は、食べるかどうか迷っているように見えた。
そこで気が付いた。もしかしたらマホロアは少食なのかもしれない。それで、受け取るかどうか迷っているのかな。
「お夜食にはちょっと大きすぎたかな?」
ぼくがそう言うとマホロアは顔を上げてぼくの顔を見た。
「ごめんごめん! ぼくはいつもたくさん食べるものだから、つい……。食べきれなくても大丈夫、ぼくが食べるから!」
無理に食べる必要なんてない。ぼくはただ、きみにもこのりんごの美味しさを知ってほしかっただけだから。
マホロアはぼくの言葉を黙って聞いていたが、やがてゆっくりとりんごを口元に近づけた。
――しゃり。
爽やかな音が、ロビーに小さく、ちいさく響く。マホロアがりんごをかじったのだ。まるで口づけをするみたいに、そうっと、そうっと、静かに。
「ン、ムゥ……ッ!?」
マホロアはびっくりした様子で丸い目を大きく見開いて、口元に手を当てた。しばらく訝しげな表情でもぐもぐと咀嚼していたが、彼の瞳が少しずつきらきらと輝いていき、柔らかそうな頬がどんどん赤く色付いていくのが分かった。
ぼくはほっと安堵の息を吐いた。よかった。口にあったみたいだ。
嬉しいな。ぼくの好きなものを、きみにも知ってもらえることが。きみと分かち合えることが。
「……なにコレ?」
きみの唇からこぼれた声に普段の朗らかさはなく、無愛想なくらい平坦だった。でもそれは嫌悪によるものではなく、美味しさから生まれた驚きによるものであることは、かれの表情を見ればすぐに分かった。
嬉しいな。ぼくは、きみの瞳のきらめきが好きだから。そのきらきらを、ぼくの好きなものがもたらしたことが、本当に嬉しい。
「おいしい?」
ぼくはにっこり笑ってそう尋ねた。
お月さまとはちみつの瞳が、ぼくを見つめた。すると、マホロアの驚きの顔が、じわじわと異なる色に変わっていった。戸惑い、動揺、そして――。
「マホロア?」
脳裏に浮かんだ疑念を振り払いたくて、きみの名前が口をついて出た。
「コレ、おいしいネ! ボク、ビックリしちゃったヨォ」
マホロアは頭を掻く仕草と共に照れ笑いをしてそう言った。
よかった。いつものマホロアだ。どうしてだろう。一瞬、きみの顔に嫌悪の色が滲んだように見えたんだ。りんごに対してではなく、ぼく自身に対する拒絶だった。
目の前のマホロアを見る。彼はいつもと変わらない笑顔を浮かべていた。うん、大丈夫。きっと、気のせいだよね。だってきみは、おいしいねって、言ってくれたんだもん。
「そっかあ」
見上げると、ローアのモニターがちかちかと光っていた。モニターにはポップスターからハルカンドラまでの航路を示す地図のようなものが表示されていた。
「ねえ、マホロア。ローアならポップスターに戻るのもひとっ飛びなんでしょ?」
ポップスターを発つ前、マホロアはぼくたちにそう説明した。異空間ロードを操る力を持つローアであれば、遠く離れた場所も容易く行き来できる、と。
「ウン。ソウダヨ」
マホロアが肯定すると、ぼくは彼の手を取った。
「なら、ランディアとの戦いが終わったら一度ポップスターに戻ろうよ。それで、打ち上げパーティやるの! 一緒においしいもの、いっぱい食べよう! ポップスターにはおいしいものがたくさんあるんだよ!」
きみの手を握ったまま、ピョンピョンとボールのように跳ねる。すると、マホロアは嬉しそうにくすくすと笑った。
「ウン、分かったヨォ! とっても楽しみダナァ!」
彼の返答に、心がぽかぽかっと温かくなった。きみはどんな食べ物が好みかな。どんな味が好きだろう? いろんなものを用意しよう。きみのこと、もっともっと知りたいから。
「わぁい、やったー! 今のうちに食べたいもの考えとかなきゃ! なに食べようかなぁ? ピザも食べたいし、ケーキも食べたいしぃ、それに……、あ」
ふっときみの手を見る。きみの手には、かじりかけのりんごがあった。
「これね。りんごっていうんだよ」
「……リンゴ」
マホロアはぼくの言葉に対し、その名を復唱した。
ぼくはこのりんごが大好きだ。おひさまの光と大地の力をたくさんもらったこのりんごは、おだやかなぬくもりでみんなをやさしく包む、あの星のようだから。
「ぼくね、りんごが好きなんだ。このりんごが育つ、ポップスターが好きなんだ」
りんごを持つマホロアの手に、ぼくの手を添える。
「いっぱいあるんだよ。おいしいものも、きれいなばしょも、おもしろいことも、たっくさん! ぼくね、ぼくの好きなものを、きみに知ってほしい。きみに教えたいんだ」
たくさんあるんだ。きみに知ってほしいことが、きみと分かち合いたいことが、たくさん! ああ、きみとの「これから」が、待ち遠しくてたまらない。きみとの未来が待ち切れないよ。
でも今は、それどころじゃないから。まずは、ハルカンドラのドラゴン退治を済まさなきゃね。
「だから、さっさと終わらせて、みんなでゴハン食べよう!」
ぼくはそう言って、とびきりの笑顔を彼に向けた。
マホロアは何も言わず、ぼくの手に大きな手のひらを重ねると、にこり、と笑みを返した。