All take and No give どの管理人も、コレを忌避していた。そんなぼんやりとした記憶だけ。
そういや、『植物関連は大抵ロクなものがない』とか、誰かが言ってたな。じゃあきっとコレもロクなことにならないんだろう。この際それだけわかりゃ充分だ。ツール型だしな、すぐ終わる。
生き延びるために、管理人を支えるために、ALEPHクラスとWAWのヤバい奴らの特徴を優先的に覚えておいた。ツール型は――特にどう使いこなせばいいのかわからないものは――、観測だけ済ませて即記憶貯蔵庫に戻っていたから、恐らくは何度も観測を重ねてきたはずなのに、まるで思い出せない。
そこまでのものなのだから、きっと余程使い道がなかったんだろう。じゃぁコイツもさっさと観測を済ませて記憶貯蔵庫戻りか。途中で多少新たな装備が増えたし、悪くはない回だったな。……俺の記憶が予想以上に磨り減っていたのは流石に凹んだ。こんな記憶を頼りにするより、とっとと動いたほうがいい気がしてきた。
使ってりゃ、思い出すだろ……多分。
枝と果実を模した器のようなものに、なみなみと溢れるワインにも似たやや黒ずんだ紅い色の、恐らくは樹液のようなもの。手にとってみる。液体は若干の粘り気を持って溢れるのを耐えた。これは……飲め、ってことだろうな。躊躇わずに一口含み、一気に喉の奥へ流す。味はほとんど感じられなかった。特段美味いとも不味いとも言えない。手に取ったときの粘り気を帯びた見た目とは裏腹に、飲み込むときは思いの外さらりとしていた。口の中に残るようなこともない。何が起こるにしろ、飲みやすいのだけは助かる。これで喉の奥にねっとりと貼り付かれでもしたら飲み込むのにも一苦労だ。
一口飲んでからおよそ5秒もしない内に、身体の内側から仄かな温かさを感じるようになった。どことなく体の動きも軽く、疲労もない。体力に影響しているだろう旨を報告する。
飲み物だと解った途端、パウシーが自分も飲んでみたいと言い出した。味が気になるんだろう。まぁそう急ぎなさんなって。あんたがたどり着くまでに俺が出来るだけ情報開示しといてやるからよ。いいだろ、管理人。
微かに震えるその声は、明らかな躊躇いが浮き彫りになっていた。
「……お願いします。何かあったら、すぐ戻りますから」
流石にあんたも懸念するか。そらそうだよな。でもあんたがそんな態度じゃ、聞いてるこっちが不安になってくるぞ。もっと堂々としといてくれ。俺が使用を続けることを許可してくれたことへの安堵と、感謝と、ほんの少しの謝罪と。それらをまとめて、殆ど見えないであろう笑顔に乗せる。
「よし、任された」
不安を煽りたくないから。できる限り、平常心に近い声で応える。それが今の俺に出来る精一杯の礼。
一口飲んで元の場所に戻した器の中には、再びなみなみと樹液のようなものが湛えられていた。補充の原理なんぞわからんし、考えたところで意味はない。そういうのは他の奴の仕事だ。俺はコイツを使って、情報を開示する。それさえできりゃいい。いや、極力管理人に負担をかけないように情報を開示、だな。
さっきより若干多めに口に含み、一気に飲み込む。相変わらず味はよくわからない。味が無い状態をより濃くした味とでも言えばいいのだろうか。この味を言語化できたら大したもんだ。パウシーならば果たしてそれが可能だったりするのだろうか。
――鼓動を感じた。さっきよりもより一層身体が温かく……いや、火照っている?どことなく、熱望する心臓を持ったときに近い。身体の中で何かが滾る、漲る。無尽蔵に活力が湧くような感覚を覚える。熱望する心臓と違うのは、これが興奮に因るものではないということだろう。湧き上がってくる感覚を、冷静に脳が受け止める。この湧き上がる何かが体力に影響しているんだろうな。まぁ理屈なんてどうでもいい。その正体は俺の知るところじゃぁない。
2回飲んだ事により、コレの名前が判明した。『巨木の樹液』。脳のどこかからちりっ、と火花の飛び散る音。判明した名前を聞いて、確かに記憶のどこかにその名が存在するのを確信した。そして、その火花が警告であることも。
共有された情報を確認する。全開示には13回の使用、か。2回目で既に記憶の彼方から警告が届いてるんだがなぁ。確かにこりゃ、十中八九ロクなもんじゃない。どころか、……十中十、だろうな。
だが、これが俺に出来る最大限の仕事だ。どこまでやれるかわからんが、行けるところまで行ってやる。行くしか無いんだ。
3回目の使用。
癪なので今度は出来るだけ味を確かめてみた。相変わらずよくわからない。『味が無いという味』がある?これが俺の語彙の限界だな。それに目的はそもそも味じゃない。効果だ。
鼓動が増す。心臓が脈打つたびに頭の中に直接響く。身体の中がどんどん熱を持っていくのが解る。立っているだけで汗ばむ。……まだいける。
4回目。
情報の2段階目が開示された。もう内容は見ずとも聞かずとも、解っている。知っている。使ってる内に確かに思い出せた。だが思い出せたところで。
汗が顎から落ちる。鼓動が頭に、耳に、鼓膜に響く。周囲の音が遠ざかる。垂れ始めた汗を監視カメラに映さないように角度を調整して、いつも通りの、平静で塗り固めた声色で伝える。
「今んとこ身体に異常無しだ」
思い出せたところで、やることは変わらない。
――『巨木の樹液を摂取した複数の対象から副作用が確認された。副作用が発生した対象は、巨木の樹液を摂取後20~30秒後に区域全体にWHITEダメージを与え爆発し、死亡した。』――
ギリギリ、いや出来るところまでやってやる。まだたった4回じゃないか。こんなに鼓動が響くのに、身体が、血管の1本1本が、こんなに熱を持っているのに。思考は澱まない。その落差が……怖い。
5回目。
樹液を飲み下す際、喉を通り過ぎる樹液に沿って焼けるような熱を感じた。文字通り、喉元過ぎればなんとやらだ。大したことはない。
汗が止まらない。心臓から毛細血管の先に至るまで、全身を巡る血液が熱い。軽いと思っていた身体が、筋肉が、軋む。湧き上がり続ける何かが逃げ場のない体内でもがく。聞こえるのは全身から発している鼓動だけ。耳も頭も異常な速さの鼓動が大音響で埋め尽くす。心臓だか胃の辺りだか、小さく熱を持った塊がある。感覚とは違う、『ただそれがそこにある』という確信。それが何かはわからない。それを調べるのは俺の仕事じゃない。
こんなにも自分の鼓動が煩いのに、別の場所から自分自身を見下ろすような、鮮明な思考。この鮮明な思考は何回か経験した覚えがある。何回?何十回?もしかしたら何百回かもしれないが、もうとっくに数えていない。
そろそろ近いかもしれない。それだけ解れば充分だから。脳が防衛本能で思考する機能だけ隔離でもしているのだろうか。
ふっ、と自虐めいて嗤った。声が漏れたかはわからない。鼓動しか聞こえない。
開示された情報を管理人が読み上げ、慌てて使用中止の指示を出す声がかろうじて聞こえる。いつもワンテンポ遅いんだよ、あんたは。半ば呆れとも茶化しともつかない曖昧な笑みが口枷の下で薄く浮かんだ。必死に止めようとする管理人をよそに、ガンガン響く頭で、努めて平静を装った声で応える。変に危機感を煽っても何の意味もない。とっくに腹ァ括ってるんだ。
「多分遅い。もう嫌な気配がしてる」
気配どころじゃない。むしろ確信に近い。軋む身体は限界を訴え続けている。湧き上がる力が体内でうねり、出口を求めて暴れる。明らかに異常な心拍数。拍動とともに全身の血管が熱を帯び、頭の中に鼓動の音を叩きつけてくる。鼓動の音で塞がれる耳を必死にこじ開け、自らが紡ぐ言葉を聞き取る。ちゃんと伝えられているのか。
そして恐らく胸の辺りに潜む、ひときわ熱い塊。どっちみちもう遅いのは間違いない。
6回目。
軋む身体に鞭打って器から樹液をあおる。喉をつんざく熱と激痛。ぐ、と思わず呻いた……と思う。早鐘のように鳴り響く自らの鼓動に耳を塞がれて聞こえなかったが、声帯の辺りから伝わる振動がそれを示していた。視界に黄色とも黒ともつかないノイズが泳ぐ。一瞬天地の無くなる浮遊感を覚え、一歩後ずさる。そうだ、踏み留まれ。耐えろ。
いつからだ?呼吸が浅くなっている。あれだけ噴き出していた汗はいつの間にか脂汗へと変わっていた。こんなに身体が熱いくせに、冷や汗って出るんだな。息を吸う度に、吐く度に、全身に走る激痛。血液に乗って全身を巡るのは、酸素ではなく灼熱。指一本動かすにも痛みが走る。浅くなった呼吸はせめてもの抵抗か。
これだけの異変が身体の中で起きているにもかかわらず、それでもまだ動けるのは、胸の辺りにある熱の塊のようなもののせいか。ここからだ。ここから湧き出す何かのせいだ。この痛みも、熱さも、鼓動も、活力も。
さっきより大きくなっている。急ぐか。
「爆発まで、まだ猶予はあるんだろ?なら、それまで飲み続けてやるよ」
気を張ってはいるが、浅い呼吸の中、もうまともな声は出せていないかもしれない。それでもせめて僅かでも音を拾えるように、マイク部分へ向かって告げる。俺の仕事。俺の役目。もうちょっとくらいいけるだろ?
ほとんど見えないだろう表情に、できるだけ見えるように作った笑顔を上書きして、監視カメラに向き直る。額に、こめかみに、乱れた髪が貼り付いていても。もしかしたら異常な熱を持って真っ赤になっているかもしれない顔を、真っ赤に充血しているかもしれない目を、監視カメラにはっきりと写る角度で、笑顔として見せた。
悲壮な顔するよか、笑顔のほうがいいに決まってる。
見上げたあいつの顔を見てからは、ずっとこうやってきた。たとえ死が隣にあったとしても、笑えるようになろう。少しでも見た者の負担が減るように。少しでも見る者の命を永らえさせるように。無駄ではない。少なくとも、絶望と後悔に満ちた顔よりは。
「そんな……」憔悴しきった管理人の声が遠い。ああもう、あんただって薄々解ってたんだろ?俺が飲み続けることに許可出した時点でさ。見えてないのに、あんたがどんな顔してるか丸見えだぞ。
「ダフネん……」アーニャ、前に言ったろ?悪影響があるとしたら、一人に集中させたほうがいいって。お前さんがチーフに就任した日だよ。覚えてるだろ?
「心配すんな。ちゃんと戻ってこれるからさ」
これは間違いない。管理人は必ずTT2プロトコルを発動する。そうしたら元通り、今日の始めに『戻れる』。このまま無事に戻れるかどうかで言ったら、まぁ無理だろうな。それについちゃ、このクソ樹液に文句垂れてくれ。
さぁ、頼むぞ、管理人。
「……必ず、戻ります」
その通りだ、必ず戻れる。
「だから……、最後まで情報の開示を、お願いします」
当たり前だ、やれるだけやってやるよ。それが俺の仕事だ。ハナっからそのつもりだ。どれだけ開示できるかはわからないけどな。その情けない声の期待に。若干鼻声で、今にも泣きそうな声の管理人の、その期待に。出来る限り笑って応えようじゃないか。
最期まで。
7回目。
「おう、任さ、れ」
頭に響く煩い鼓動は鳴りを潜め、代わりに鼓膜と脳を貫くような耳鳴り。
身体中が、血液が、沸騰する。筋肉が、関節が、軋んで悲鳴を上げる。
今まで滾ってきた、漲ってきた、湧き上がってきたすべてのものが一点に集まる。
逃げ場を見つけた力の奔流が目指すところ。
胸の辺りでずっと熱を帯びていた全ての元凶が、一気に大きくなって、
「――ガっ」
胸と背中が内から裂ける。頸動脈を切るよりも勢いよく血が噴き出す。
まだ足りないと言わんばかりに、腹部が、腿が、手首が、頬が、内側から裂ける。
喉が裂ける。その衝撃で、首から何かがズレる。
目の前で撒き散らされた俺の血は、あの樹液と同じ色をしていた。