まだ認めてないからな「私がこの位置でいいのでしょうか……」
「普段ならこの位置だろう」
「それはそうですが」
「私のことなら気にしないでくれ。今日はただの観客だ」
カーンルイアグループに所属した頃に記憶を受け継いでから早うん十年。長官と再会してからは自分がやるべきことは芝居ではないとマネージャーに転向し、こうして専属になれたのは喜ばしい。だが本日初回公演の焔國戦記に連れて来られるとは思っていなかった。端とはいえ前方の席、通路側の左隣に長官、右隣にマーヴィカが座っていることで、恐らく長年の焔國戦記ファンだろう、視線が後頭部に突き刺さって仕方がない。悪辣な週刊誌共から長官を守るためには当然この配置になるのだが、俺を超えて交わされる会話は果たして聞いていて良いものか判断しかねる。
それに正直天柱騎士は長官以外いない。この方以上に深く演じられる者は早々いるわけがない。一世代前の焔國戦記も一応見たが、鼻で笑えてしまう程だった。この場の空気が耐えられないので早く始まらないかと思うが、長時間価値観の違うものを見ると思うとげんなりする。それに、今回の天柱騎士はあの小僧だという。余計に見るに値しない。
「不服か?」
「いえ、そんなことは」
思わず小さくついた溜め息が聞こえてしまったらしい。やつを気に入っている長官の気を悪くしてはならないと姿勢を正した。
「あいつは俺達が思う以上のものを見せてくれるはずだ。なるべく公平な目で見てやって欲しい」
「……承知しました」
幕が上がった。長官が何と言おうとも、この最初の殺陣で実力は計れてしまう。弓で戦う小僧の剣筋など知れたもの。そう侮る心を切り裂くように、美しい一閃が弧を描いた。俺が見間違えるはずがない。あれは、長官の太刀筋。剣の振り方だけではない。足捌き、身のこなし、全てがあの頃を彷彿とさせる。
「英雄には帰る場所が与えられるべきだ」
発せられる言葉もただの上っ面だけではない。五百年我々を受け入れてくれた長官の強さ。そして長官は表には出さなかったが、僅かに滲む悲しみ、憂い、それが心を打つ。序盤だというのに静かに啜り泣く声も客席から聞こえてきた。
そこは何とか耐えたのだが、五百年後の戦いでは呆気なく涙腺が崩壊した。あの方が魂を抱えているせいで眠れなかったのは痛い程わかっている。膨れ上がっていた魂の数と無常に過ぎる年月がその身を苦しめて尚、魂を手放すことも諦めることもしなかった。何故あの場で手助けできないのかと後悔が湧き出て来る程に、強さの中についていきたいと思わせる説得力がある。そんな彼の悲願が達成する頃には客席からは嗚咽がそこかしこで漏れていた。
「いいぜ!『さぁ行こう、パイモン。新しい冒険が待ってる──!』」
そして閉幕を迎えた瞬間、堪らず俺は立ち上がって惜しみない拍手を送った。同じ想いの者が多かったらしく歓声はあっという間に波及していき、全観客によるスタンディングオベーションが巻き起こった。何度演者が挨拶に来ても拍手は収まることはなく、これで最後だとチャスカが宣言することによってようやく波が引いていった。明るくなった場内で口々に感想を述べながら観客が退場していく。あまりの舞台の凄さに存在をすっかり忘れたのか、長官もマーヴィカも人が捌けるのを席で待っていても、場が混乱することはなかった。
「よかっただろう」
「そうですね、去年よりはよいかと」
取り繕ってすまして答えれば、隣のマーヴィカがぷっと吹き出した。
「あれだけ号泣していたくせに素直に認めないのか?」
「うるさい」
「一緒に会いに行くか?」
「結構です。差し入れを運び入れる手伝いを終えたら私は帰ります」
劇団員やスタッフ全員に行き渡るような数を用意していた長官の厚意を無下にされることがないよう、渡し終えたことを確認して帰路に着いた。廊下を駆け抜けていく長官ともう一人の背中が見えたから、恐らくあちらの方が先に家に着いているはずだ。
「ふん、認めたわけではないからな」
誰に言うでもなく呟いた言葉は、車内の空気に吸い込まれていった。
「ごめん。君の仕事を邪魔して」
「おまえが無事辿り着けなければ長官の気が散るから手助けしている、それだけだ」
「ありがとう」
邪険に扱ったというのに礼を返す後部座席の男に聞こえるように、ふんと鼻を鳴らした。長官と一緒の現場から移動する予定であったのだが、ナタ側の迎えが渋滞に捕まったそうだ。長官も移動があるものの例の如くご自身で運転して来られているので、急遽俺がまだ完全に認めていない相手、オロルンを送ることになった。この時間帯はどこも交通量が多く、タクシーを呼んだとしても来る確証がないから、これが最も長官の気を煩わせない方法として選択したにすぎない。
「おい、しばらく頭を下げていろ」
「え?こう?」
「いいと言うまで上げるな」
渋谷のスクランブル交差点に差し掛かり、あの信号では渡り切れないと判断しての指示だ。ビルを見上げるとでかでかと後ろの男の顔が載っていて、止まろうものなら人が寄ってくる可能性がある。
「もういい。顔を上げろ」
「ふぅ、なんだったんだ?」
「……そんなことも知らないでよくこの業界にいられるな」
「うるさいな、勉強中なんだ。教えてくれてもいいだろ」
「なんでもかんでも教えてもらえると思うな」
「いいよ。スラーインに聞くから」
「おまえの広告があるスクランブル交差点など人に捕まるからに決まっているだろう!」
そんな些細なことで長官の時間を奪わせてたまるかと早口で捲し立てる。大抵の人間は俺の剣幕に怯むことが多いのだが、全く響いてないのかルームミラー越しに笑っている顔が映る。
「君みたいなのをツンデレっていうんだな」
「言葉は正しく使え。デレはどこにもない」
目的地に着くと律儀に礼を言って降り、建物に入っていこうとする背中を引き止める。
「これを持っていけ」
未開封の飴の筒と、喉スプレーを無理矢理手に持たせる。
「よく気付いたな」
「調子が悪いくせに執拗に話しかけるバカがいるのでな」
「君とこうして話せる時間は貴重だから」
「長官に迷惑をかけることがないよう、体調管理はきっちりしろ。じゃあな」
「ありがとう!気を付けて戻ってくれ」
振り向かずにひらひらと手だけ振って、車に乗り込んだ。走り出すまで見送る気のやつがとっとと中に入るようにすぐに出発する。
「人がやったことも忘れて、お人好しだな」
そう言えば魂でぶつかり合った仲だな、なんてふざけたことを言いそうなので、これは一生言わないことに決めた。