DomSubカピオロ 二話目DomSubカピオロ 二話目
『行為』は二日後。隊長とオロルンはそう取り決めた。
倒れた当日はシトラリストップがかかり、そもそも隊長もあの状態で『行為』を行う気はなかった。
オロルンも体調は悪くないと自己報告していたのもある。
次の日もシトラリから念のため身体検査をするとのことで断念。
だからその次の日。
オロルンは自分の家で、と隊長に伝えていた。
『黒曜石の老婆』がオロルンを施術したあの場所から、隊長が立とうとした時に。
本来ならばダイナミクスの調整を行う施設は各部族に小さいながらも存在している。加えて競技場にある宿泊施設にも併設されている。
隊長はそのどれかを、と考えていたようだしシトラリもそうしなさいと言っていた。
だがオロルンはぼんやりと思い出していた。過去に習った知識では、『行為』を行う場所はなるべくリラックス出来る場所でするのが好ましいと。
オロルンが一番リラックス出来るのはやはり自分の住んでいる家だ。謎煙の主も安心できるが、リラックス出来るかと言われると首を傾げる。皆優しいからこそ、『行為』を行うには優しすぎる気がする。
他の場所はそもそも行き慣れていない。
だからこそオロルンは、隊長にこっそり伝えていた。
夕方の後、月が天辺を超える少し前に来て欲しい、と。
シトラリが聞いたら怒るので、こっそり。
***
『隊長』にとってオロルンは予想外な存在だ。
謎煙の主とはこうも変わった人物揃いだったかと初対面に助けられた時は思ったものだが、実際のところ謎煙の主の中でも一際変わっているらしいと後から知らされた。
賢く、立ち回りが利き、幼く、未熟。蛮勇で、思慮深く、どっちつかずで、頑固。
そんな『献身』の古名を持つ英雄は、ナタへの献身を思う果てにファデュイとナタの利害一致まで結ぶ橋掛けにもなった。
あの時の計画は失敗に終わったとしても後へ続く道を彼は確実に紡いでみせた。
本来ならば交わるはずのない縁が繋がってしまった偶然。
故に、今回のことも予想外の範疇だったのだろう。
不死の呪いを浴びてからすっかり形を潜め、存在もほとんど忘れていた隊長のダイナミクスを掘り起こしてしまったのだから。
丸い月が天上へと昇る前。
やってきた隊長がオロルンの家で見たのは、畑にいるオロルンの姿だった。
暗い中でランプも持たずに家の周りをうろうろしているオロルンは一般的に見れば畑泥棒だ。しかしここは彼の畑であり、かつこんな時間にオロルン以外の人間が通ることはない。
加えて隊長はオロルンの一般から外れた行動にも慣れている。だから気にせず声をかけた。
「オロルン」
パッとオロルンが顔を上げ、曲げていた腰がシャキリと真っ直ぐになる。そのまま隊長のそばまで駆け寄った。
「ここへ来るまでに迷わなかったか? 前に来たことがあっても皆は遠いと言うから」
弾んだオロルンの声には嬉しさが混じっている。
「問題ない。雪も砂もなく、嵐に見舞われたわけでもないからな」
「それなら良かった。あ、家の前のベンチで待っててくれ。手を洗ってくる」
オロルンが翻って駆けていく。先には井戸があるようだ。
隊長はその背を少し眺めてからオロルンの家へ向かった。
隊長が家の前のベンチに座ってから少し経った頃、オロルンが戻ってきた。
急いだのか、少し息が荒れている。
ベンチに座る隊長を見て、オロルンは眉根を下げた。
「待たせたか?」
「急がずともまだ時間はある」
「君との時間は貴重だ。それに急いだ理由もある」
「理由?」
オロルンは夜空を見上げ、片手を斜め上へと伸ばし、その手のひらを月へ向ける。
「この時間、ここを照らす月は野菜たちが夜のうちに一番喜ぶ灯りなんだ」
隊長の視線は手のひらより先の月夜に向く。
どこの部族からも遠いここは、他の光源がない。
やわらかな月の光がここ一体に降り注いでいた。
畑に埋まる草々が淡く白い光に包まれる光景は、美しい風景だった。
「君にも見せたいと思った」
オロルンは柔らかな表情を隊長へ向ける。
フードの影に潜んだ色違いの瞳が、隊長側から何故かよく見えた。
「確かに美しいと言えるだろう」
隊長の言葉にオロルンの目が嬉しそうに細まる。
オロルンの腕が下ろされると同時、オロルンは隊長の隣へ腰掛けた。
「君がこれでリラックス出来たなら嬉しい」
「何故そんなことを」
「昔ばあちゃんからもらった教材を探して見つけたんだけど、そこには『行為』は二人がリラックスする必要があるって書いてあった。ここは僕の家だから僕はリラックス出来る。でも君は一度来ただけの場所だろうから。君はどこでも問題ないと言っていたけれど、少しは安心できたら良いだろ」
「……」
黙り込む隊長にオロルンは首を傾げる。
「隊長?」
「教材を読み直したと言うことは、『行為』に必要なことがなんなのかは分かったのだろう」
「『行為』自体は何もわからなかった。ただ、セーフワードが必要、と書かれていた」
「他には」
「コマンド、と言うのを使用する。でも僕がこれに反応できるかはわからない」
「他には?」
「教材にはそれ以上は詳しく書いてなかった。……ごめん、ウォーベンにもバース性のことは書かれていたものはいくつもあったけど、興味もなかったから読んでなくて、知識がほとんどないんだ」
オロルンがしょんぼりと顔を俯かせると、心なしか頭の上の耳もしなびている。
「いや。この二日間で見返すには十分だろう」
「本当か?」
オロルンの顔が喜びに明るくなる。
対して隊長はわずかな沈黙の後、小さく息継ぎをした。
「オロルン、俺の言葉を褒められていると認識しているのか」
「あ、違かったか?」
おろおろとするオロルンに、隊長は首を横へ軽くふる。
「いや……俺の言葉に、どう感じる?」
隊長はひどく言いにくいような、あるいは言葉にしづらい事柄を無理やり言葉にしているような曖昧な言い方をした。
オロルンは首を傾げたが、言われた通りの質問の答えを探し始める。考えながらひとつひとつ自分の思いを拾っていく。
「褒められると嬉しい。野菜が喜んでもらえた時みたいに、……なんというか、自分が野菜になったみたいだ。野菜は食べられて、美味しいと言われたくなる。その美味しい、と言われた気分だろうか」
普通ではわかりにくい独特なオロルンの言い回しに、けれど隊長は頷いた。
「そうか。ならば今夜はここまでにしよう」
オロルンの目が丸く見開かれる。
「『行為』は二人でリラックスすること、なのか?」
するりと立ち上がった隊長が、オロルンの肩を軽く叩いた。
「必要だが、それだけではない。だがお前の体調はこれだけでも不足は無さそうだ」
確かにオロルンの身体は二日より前と比べてだいぶ良い。快調に近かった。だがそれは、オロルンだけだ。
もし、あの体調不良が自分だけでないのなら。オロルンは肩に伸びていた隊長の手を咄嗟に掴んだ。
「足りない」
「どうした」
「僕はまだ君に食べてもらっていない」
「……」
「野菜は食べてもらいたがっている。君は野菜を食べるべきだ」
「美味しいと言われた気分だったのだろう」
「まだ言われたい。僕の心の奥では僕がそう言っている」
真剣な目のオロルンに見つめられ、隊長は深く息を吐いた。
掴まれた手はそのままに、オロルンは隊長を家へ招き入れた。
*
ぱたりと閉じられた扉を背に、隊長は部屋の中を軽く見渡した。
オロルンにとっては見慣れた我が家だが隊長にとっては入ったことのない家だ。軽く見渡される程度は問題ない。むしろじろじろ見られても気にしないだろう。
なんたってそんなに物がない。
オレンジ色のランプ、右側に本棚とテーブル、左側にベッド、窓が扉側と右側にある程度。あとは一人暮らしにともらった絨毯がテーブルからベット近くまで広がっている。絨毯はオロルンが寝ても十分な大きさだ。隊長が寝ても平気かもしれない。
装飾品の類いは、強いていうなら扉脇のコート掛けだろうか。オロルンのサイズに合わせた高さでイクトミ竜の絵が主柱の所々に彫られているからきっと装飾品だ。
「その、ここまで連れてきてなんだけど、僕はこの後どうしたら良いかわからない」
眉根を下げるオロルンに隊長は軽く首を横に振った。
「気にするほどではない」
「でも」
「ならば、セーフワードを決めてくれ。基本的にSubが決めるものだ」
「僕が?」
「咄嗟に口に出来るが、普段は呼ばないものが定石だな」
「普段は呼ばなくて、咄嗟に口にできるもの……『シトラリ』とか?」
僕だったら絶対に停止できる名前だから確実だとオロルンは内心で深く頷いた。
「わかった。俺の行動で絶対に嫌だと感じたら即座にそれを言え」
「わかった。他は?」
瞬間、まるで全ての音が彼の声以外消えたような気がした。
「ーー今から俺の『命令』に従え」
一層低く落とされた声音。
感じたことのない期待が胸に広がり何も言えなくなる。
オロルンは声なく頷いた。
Subに下される基本的な命令は『呼ばれ』『跪く』ことだ。
一通り読んだコマンドの始まりもその二つが最初にあった。
オロルンは最初はこの二つを言われるのだろうと考えていた。
けれど。
「ではオロルン。ベッドに座っていろ。ああ、マントはこちらに」
「その程度なら僕が、」
「座っていろ、と言った」
『命令』として告げられるわけでもない言葉にオロルンは戸惑いながらマントを脱ぎ隊長へ渡す。
そのままオロルンがベッドへ腰掛けると、その間に隊長はコート掛けにオロルンのマントと、隊長自身のコートを被せる。コート掛けは十分な高さがあるはずだが、隊長のコートを天辺に乗せると途端に小さく見えた。裾が少し床についてしまっている。
もう少し高いコート掛けを作るべきだろうか。関係のないことを考えながら待つ。
「オロルン」
ふと気がつけば隊長がそばにいた。
を脱ぐと隠されていた身体が見える。コートの量がなくなったはずなのに引き締まった身体は変わらず大きい。
「座って待っていられたな。体調に問題は?」
「ない。少し、ふわふわする気持ちだ」
隊長は頷いた。
次いで隊長が上背を少し屈ませる。隊長の右手が伸び、オロルンの左頬へ触れる。そこで隊長の手袋がいつものものとは違う黒手袋に代わっていることに気がついた。でもそのことを指摘する余裕が、オロルンにはとっくのとうになかった。
「今触れているのは誰だ?」
「隊長、だ」
「今から『行為』を行うのは?」
「僕と、君」
「お前に触れるDomは?」
「た、いちょう」
一つ答えるたびに身体の奥底から熱がこぼれていくような、熱が回っていく。
わけのわからない感覚なのに心地よい。
頬に触れた手に擦りよると、隊長の右手の指が少し折り曲がり、オロルンの顎の横をくすぐった。
「よく答えられた」
良い子だ。
そう囁いた声に全身が発火した気がするようだった。
普段であれば絶対に言わないだろう言葉。
今から行われる『行為』は特別なのだと思わせられる。
ああ始まるのだ、と。思った瞬間に、視界が白く染まった。
「……ルン、オロルン、聞こえるか。そろそろ上がって来い」
は、とオロルンが気がつけば、先ほどまで上にあったはずの隊長の顔が横より少し下にある。
よく見ると隊長がベッドに座っていて、自分が隊長の膝の上へ横向きに乗っていることに気がついた。
「!!」
慌てて飛び退こうとしたが、背中と足に回っていた隊長の手ががっしりと掴んできたので動けなかった。
「危ないから動くな。まだスペースから戻ってきたばかりだろう」
「す、スペース、って……Subが心地良さを一定以上感じるとなるやつか?」
「そうだ。一つ一つ確認しながら『行為』を進めようと思っていたが、確認中にお前は入ってしまった」
「確かに、記憶が不明瞭だけど心地のいい炎の中にいたような幸福がある。……もしかして僕は、君が僕に誰と『行為』をするのかと問いかけていたところで、スペースに入ってしまった、のか?」
頷く隊長に、オロルンの耳がへにょりと伏せる。
「僕は『行為』をまともにやることも出来ないのか」
「Subがスペースに入るのはDomにとって光栄なことだ。スペースに入るかどうかはDomの手腕に問われるからな」
「だけど……僕は君が僕を褒めるだけでスペースに入ってしまった。君は野菜を一番美味しく食べられる技術でもあるのか?」
「ここまで早くスペースに入った者がいたか記憶には無い。だが相性が良いと早く入りやすい事実は存在する」
「じゃあ僕は、君においしく食べて欲しい野菜か」
そこで区切るように隊長は黙り込む。
「隊長、どうした」
「いや、なんでもない。今回はこれで終わりにしよう」
隊長は横へオロルンを降ろし、立ち上がった。
「え、でも」
君はまだ、とオロルンの手が伸びる。
隊長はその手を掴み、ゆっくりと下ろさせた。上掛けの柔らかさを感じると同時に下ろさせた手が離れていく。
「スペースに入った自分のSubを見て満たされないDomはいない。俺も十分満たされた」
その言葉を聞いてもオロルンは不安だった。嘘には聞こえないが、オロルンにはこの偏った性に関して碌な知識がない。
本当に隊長は無理をしていないのだろうか。
「本当か?」
仮面の向こう側をじっと見つめる。黒い色を隔てた先にある目はやはり見えない。
けれど隊長もこちらを見据えてくれている気がした。
「この件で嘘はつかないと約束しよう」
「わかった。信じる」
オロルンは自分の中の不安よりも隊長の「満たされた」という言葉を信じることにした。
***
「『隊長』、アナタ、自分のダイナミクスがどうなってるのか本当にわかっているの?」
「黒曜の老婆」の家で響く厳しい声に、隊長は頷きを返した。
「わかっている」
「本当に? 本来なら、貴方のダイナミクスの方が満たされないことに暴れているホドなのよ?」
「そうだとしても、不慣れなオロルンに押し付けられはしないだろう。お前もわかっているはずだ、『黒曜の老婆』」
うっ、とシトラリはたじろいだが、すぐに口を開いた。
「それなら、暴発だけはさせないように。他のSubがいるなら専門の医療機関をショーカイするから」
それじゃあ帰っていいわ、とくるりと背を向けるシトラリに、隊長もドアを開けて外へ出ていく。
広がる青空を見上げながら、誰もいないシトラリの家の前で一言呟いた。
「他のSubで満たされるのなら、こんな苦労はしていない」
掠れた小さな声は風の中へ消えていった。
おわり