共に在るために「あーそうだ。園田、もうここから出ていけ」
「え」
突如、雇用主である獅子神からそう告げられ、キッチンで洗い物をしていた園田は手に持っていた皿を落としそうになった。
この家には、家主である獅子神と、住み込みで働く元奴隷・現雑用係の二人が暮らしている。
以前、獅子神が4リンクで傷を受けて帰ってきた際に奴隷全員が追い出されるはずであったが、あの有名な湯屋のアニメ映画さながら「ここで働かせてください!」なんて二人して頼み込んでその後も置いてもらっていた。
それぞれに事情があったが、『金に溺れたことが理由で、頼る当ても繋がりも全てを失っていた』という点で、彼らは共通していた。ここを追い出されたら、行く場所がない。過去の知り合いとの繋がりもない。それならば、住む場所も食べるものも享受できるこの環境に身を置き続けたい、と願うのは、普通のことではないだろうか。むしろ、園田自身は二人しか残らなかったことに驚いていた。
ただ正直、『雑用係』と言っても雇い主自身が身の回りのことはある程度やってしまうし、生活費は天引きされたうえでも十分な給料を振り込んでもらっている時点で、獅子神にとって自分たちの存在を持て余すようになってきたのかとは、近頃感じる場面があった。
「俺たち、獅子神さんにとってもう使えない存在になっちゃいました……?」
おずおずと獅子神の様子を伺いながら、言葉を返す。それを聞いた獅子神が、はぁーっと長い溜息を付き、園田の目を見て話しかける。
「いいか、オレが言うのもおかしいが、この環境はテメーらにとって不健全すぎんだよ」
「ふけんぜん……」
「そりゃそうだろ。ギャンブルの勝者が敗者を奴隷として好きに扱う、これもまあ世の中一般の常識で考えればおかしな話だが、その奴隷契約を白紙にしてからも、なんでテメーはそのままここにいることを選んだんだ?」
「い、居心地が良くて」
「それが不健全だって言ってんだ。オレは、テメーをオークションに落とした張本人だぞ。恨みこそすれ、居心地を感じる環境になっちまうわけがおかしいんだよ」
それは獅子神さんが聖人すぎるからではと思ったが、声に出すのはぐっとこらえた。
「……ご友人の皆さんに何か言われたんですか」
「そういう話じゃねぇよ、別に」
「じゃあなんで急に」
そうやって会話をしながらも、園田が今回のことに『嫌だ』と直接的に言えないのは、今の環境は百%獅子神の好意で成立しているからであった。
「この家にいることが、テメーらにとって幸せなわけがねぇんだ」
目線を少し逸らして、獅子神が言う。
ああ、そうか。この人は家主である自分ではなく、二人のことを考えてこう言っているのだ。奴隷時代に園田が聞かれた「幸せだろ?」という質問に対する獅子神の中の回答は、彼らが奴隷じゃなくなった今でも変わっていないのだ。
「奴隷時代から今に至るまで、オレの寝首をかいてやろうと思ったことはあるかよ。ここでの暮らしで身に着けたものは?成長したことは?停滞して澱んでんだよ、テメーらにとってこの家は」
はっきり言いきられてしまって、園田は口を噤み、考える。最初にオークションからここに来た時は、二度と見たくない顔と毎日会って媚び諂うことに抵抗感はもちろんあったが、何より倉庫での地獄のような生活から比べれば天国と言っても差し支えない環境で、すっかり環境に適応してしまっていた。雇用関係になったあとも、住み込みで安定した生活の味を占め、何かの努力や向上心のある行動をしてこなかったなと、その時に気づいてしまった。
「……獅子神さんのお役に立ちたいって思うのも、ダメなんですか」
「ああ、駄目だ」
もう、取り付く島もない。
「……わかりました。今まで、お世話になりました……」
「何も今日明日で出てけとは言ってねぇからな。家と職が見つかったら、声かけてくれ」
それじゃ、と獅子神は用事があるようで外に出て行った。
帰ってくると、園田は姿を消していた。
◆◇◆
園田の私物は多少の衣類程度だったため、ボストンバッグ一つで事足りていた。
先ほど獅子神は『家と職が見つかったらでいい』なんて言っていたが、そうして甘えているときっといつまでも動けていなかっただろう。
あの後、もう一人の雑用係には、家主が今晩家を空けている隙にもう出ていくことを伝えた。先に彼のほうに獅子神は伝えていたようで、次の家が決まるまでは一旦実家に戻ると決めたようだった。親との縁は切れかけていたが、真っ当に働くという姿勢を示したことで一応の許しを得たらしい。
獅子神にはお世話になった礼と急に辞める非礼を詫びた書き置きを一枚残して家を出る。夜道を歩きながら、まるで幼いころにした家出のようだと思い、はは、と一人笑った。
とりあえず繫華街まで出てネットカフェで夜を過ごそうと、駅前をうろつく。そういえばこの時間に外を出歩くのも久しぶりだな、なんて思いながら歩いていると、スマートフォンのバイブが鳴り出した。見ると獅子神から電話がかかっていた。
「もしもし」
『園田!今どこだよ!今日出てけなんて言ってねぇだろ!』
帰宅して書き置きを見たのか話を聞いたかは知らないが、電話口の獅子神は焦った声だった。
「自分なりのケジメみたいなもんです。家のこととか、逆に急すぎてご迷惑をおかけしてすみません」
『んなこといいから……今日はどこに泊まるんだ』
「はは、俺の母さんみたいなこと言いますね。どこだっていいじゃないですか」
『ーーーッ、けど……』
「ああ、充電が切れそうなのですみません、失礼します」
『あ!?待て、オイ!そのー』
と、まくし立てる獅子神を振り切るために、嘘をついて園田は電話を切った。
今の自分は、少なくとも獅子神敬一の元で働くに見合う人間ではない。
過去、自分と戦ったころと比べたら、彼は数段飛ばしで凄いギャンブラーに成長しているのを間近で見ていた。4リンクと比較したら、ハーフライフはより死に近いところで戦っている。園田にはその世界が想像もつかない。
最初、園田が獅子神に抱いていた感情は、確かに憎しみと恨みだった。だが、やはりあの倉庫での地獄の日々のことを考えるとその感情は即座に消え失せ、尊敬と敬愛にすぐさま変わっていった。敵であれど、命の恩人であることは事実なのだから。
なら、敬愛する彼が言うことを受け取るしかない。強引な去り方だったが、仕方ないだろう。
そんなことを考えながら、駅のホームに向けて階段を上がっているところで、走って下ってきたサラリーマン然とした男性に殴られ、園田は階段を転げ落ちていった。
その日の中央駅の暴動では、死者8名・重軽傷者46名にも及ぶ被害者が報じられた。
◆◇◆
気が付くと、目に入ってきたのは白い天井だった。昨晩の記憶を取り戻そうとして、起き上がろうとすると、全身がひどく痛んで顔を歪めた。首も固定されているようで、よほど重症だったらしい。
(殴ってきたサラリーマン、ひどい顔して焦ってたな……)
なんて、朧げに思い出していると、部屋のドアが開いた。現れたのは、今園田ができれば会いたくなかった獅子神その人だった。
獅子神は部屋に入るなり園田の目が開いていることに気がつき、ベッドに駆け寄った。
「園田!目が覚めたんだな…!!わかるか?」
「い……いいが、い、あ」
「話すな!今医者呼んでくるから待ってろ!」
そう言って獅子神は部屋を後にした。
園田は、自分の声が声になっていないことにショックを受ける。これは、自分が思っているよりも重症なのではないか……?喉が引っ付いて言葉にならず、口も回らなかった。
医者がやってきて診察を受けた後、獅子神と何かを話しているがうまく聞き取れない。むず痒い思いをしていると、医者が園田の傍に寄ってこう言った。
「園田さん、落ち着いて聞いてください。あなたは中央駅で起こった暴動に巻き込まれ、階段から落ちて頭を含む全身を打ちました……その日から、約3か月経過しています」
衝撃の事実を耳にして、思わず獅子神を見た。苦い顔で頷いたのを見て、それが事実であることを知る。
記憶は問題はないようだったが、どうやら脳の発話と体を動かす部分に損傷があるようで、しばらく寝たきりの状態が続くようだった。
3か月も植物状態で目を覚まさなかった自分を、獅子神とあいつはよく見舞ってくれていたらしい。治療費も入院代も獅子神がおそらく出してくれているのであろう。
自分にとってはまだ昨日の、自立しようとした矢先にこうして結局頼ってしまっている事実に打ちのめされながらも、覚束ない声で礼を伝えた。
後で聞いた話だが、獅子神は「自分が出ていけと言ってしまったばっかりに」と3か月間自分を責めてしまっていたらしい。きっかけは獅子神の言葉だったが、あの日に出て行ったのは完全に自己判断なので、獅子神や気に病む必要はないのに。申し訳なさでいっぱいになった。
数日後、獅子神が見舞いに来た際に園田は口を開いた。ゆっくりで、伝わりづらい言葉しか話せないが、頷きながら獅子神は聞いてくれていた。
「い、いが、い あん」
「ん、どーした」
話せた内容は、「すみません」「あなたのせいじゃない」というフレーズだけだったが、獅子神も「いいよ」「わかった、ありがとな」と丁寧に言葉を返す。うまく話せない情けなさと、この人に迷惑をかけつづけていることに、口を動かすたびに涙がこぼれた。そんなみっともない姿でも、獅子神は微笑みながら手を握って「大丈夫」「わかってるから」と相槌を打ってくれて、余計に泣けてしまうのであった。
また数日後、獅子神が見舞いに来てくれた。身寄りもない園田にとって、本当にありがたいことだった。体はまだ動かないが、話すリハビリは少しずつ進めており、以前よりは明瞭に口が回るようになっていた。
「し しがみ、さん」
「ああ」
「あ なたに、にかいも いの ちをす くってもらってしまい ま した」
「大層なことはしてねぇよ」
「あの ひ 、いわれ た こと、おぼえ ています」
「うん」
「ぼく は、あなた の た すけ になり たい」
「そっか」
「だ から いま のじ ぶんに でき る こと を や ります」
「へえ」
「ぼく は あな たに また みと めて も らええる よに」
「ああ」
「いちにちでも はや く りはび り して もとに もどり ま す」
「……ああ」
「そうな れた ら、ぼ くをまた あ のいえに、おい て もら えますか」
「…………ああ」
「はは や った」
動かない口角を精一杯動かし、笑顔を作ろうとする園田を見て、獅子神は頬に雫を伝わせながら返事を交わす。
「……自分で言ったからには、負けんじゃねぇぞ、園田。ちゃんと待ってるから」
「こ れでも も と ぎゃんぶ ら ですよ 。 もちかけ た しょうぶ は か ちにいき ます」
もし、世の中の全てを天秤で測れるのだとしたら、人生が変わってしまったきっかけのあの日の敗北で受けたマイナスよりも、この人からもらったプラスが圧倒的に多いだろう。
一日でも早く彼の元へ、居心地のいいあの家へ帰るチケットを掴むために、園田は自分の成長をBETした。