きっとうまくやれるから「一度、試してみてよ」
「連絡してきたと思ったら」
すぐそばから、ため息混じりの声が降ってくる。
「ごめん、他にはちょっと頼みづらくって」
日光に遠慮がちに寄りかかりながら、重い体を引き摺るようにして前に進む。日光は僕の腰に手を回している、けれどそれは色っぽさなんてものは皆無で、完全に介助のそれで。
今日僕は、検査を受けるために大きな病院に行っていた。想像していたよりも体への負担は大きかったようで、まっすぐ進もうと思っているのに千鳥足になってしまう。
都会の喧騒の中、大の男二人が横並び、顔を顰めた人々に避けられながら駅の方へ進んでいく。
「まさか呼び出された先が病院とは思わなかった。 身内にも連絡したほうがいいんじゃないのか?」
「それじゃあ、わざわざこうして日光に声をかけた意味がなくなっちゃうでしょ。本当にごめん。大切なお休みをこんなことに使わせてしまって」
最低限の力で進められるよう、日光が僕の片腕を自分の反対側の肩に乗せ、ほとんど抱えるような体勢になってくれた。
「それは構わないが、どこが悪いんだ?痛いところがあるのか?」
「ただの検査だから。不調があるわけじゃないんだ。終わってからだいぶ時間も経ったし、だんだん薬切れてきたみたい。普通に歩けそう」
「まだ足元がおぼついてない。いい、このまま支えるから。この後はお前の家に帰るんでいいんよな」
久しぶりに日光の体温を感じて少しドキドキする。正直、こんなに心配してくれるとは思わなかった。日光は優しい。こんな風に呼び出して僕のいいように使っていいわけはないのに。
「こんなにフラフラになるなんて思わなかった。念の為、帰りは付き添いの人を呼んでくださいって、事前の診察で言われたんだけども」
「ほんっとうにただの検査なんだな?」
「うん」
家に着くと、日光はテキパキと布団を整えて僕を寝かしつけ、しばらく台所で何やら作業をしていた。寝室に入ってくると、サイドテーブルを寄せ、結露して濡れた水のペットボトルと保温タンブラー、テーブルの上に置きっぱなしになっていたパンを置いてくれた。
「こっち、お湯入ってるから」
「日光、僕、こんなにしてもらってから言うの申し訳ないんだけど、もうだいぶいつも通りに戻ってるんだよね。だから帰って大丈夫だよ。今度お礼するから」
「いいから甘えておけ。滅多にない機会だろ、お前が俺に面倒見てもらうなんてこと」
滅多にどころか、もう二度とないんじゃないかな。多分お互いそう思っているけれど、どっちも口には出さない。そんな関係じゃないから。そんな関係じゃないけれど。
「えっと、一緒に寝る?」
「……添い寝して欲しいなら叶えてやらないでもないけれど、襲って欲しいなら今日はお暇する。というか、そのうち誰か来るんじゃないのか? その前に出ていく」
沈黙。さらに沈黙。普段は絶対耳に入らない、時計の針の音が部屋に響いている。
「なんで俺だったんだ?」
控えめに日光の音が部屋を回る。まあ、当然疑問に思うよね。体の関係があった頃ならまだしも、いやその頃だってこんな込み入ったお願いはしなかったと思うけれど、今は仕事で会うだけの仲なんだから。
「えっと、えっと」
「うん、どうした?」
優しく頬を撫でてくれる。この人に奥さんがいたら、子供がいたら、たくさん愛情をもらって一生幸せに暮らすに違いない。僕が受け取る権利はない。欲しがるのも、お門違いだ。
「日光」
目を細めて、僕をみてくれる。嬉しい反面、家族や、日光の愛する彼のことはどんな表情で見るのだろうと、背中を薄寒い風が通り抜ける。今だけは、この暖かさを受け取っておけばいいのにね。
「日光になら、迷惑かけてもいいと、思ったから」
言ってすぐ、視線をシーツに落とした。そのままゆっくり目を閉じる。検査で使った薬がまだ抜けきっていないのか。半分起きていて、半分寝ているような、不思議と心地がいい感覚に包まれる。こういう場面では、起きていないといけないのに。日光の気配を感じていたかったけれど、しばらくすると完全に夢の世界に連れて行かれてしまった。夢の中で、コトンと何かが落ちる音が響いた。
「おい!!」
「ほんとに、ほんとにごめん」
あれから数週間後。
僕はベッドの上で崩れた土下座みたいな格好になって平謝りをしている。いいから! と声だけは乱暴に、それでいて優しく、日光は僕を仰向けに寝かし布団をかけてくれた。
「こないだは試すようなことしちゃったけど、今回は割とちゃんと困ってたから、助かったよ」
腕を組んで仁王立ちで僕を見下ろす日光。
怒るのも当然だ。僕はまた性懲りも無く日光を病院に呼び出し、介護させてしまっているのだから。
「ほぅ、俺は前回何を試されたんだろうな」
この件の言い出しっぺは僕ではないけれど、と思ったけれど黙っておく。
「こないだの検査では努力義務だったけれど、今回は必ず付き添いを呼んでおいてくださいねって言われたんだ。でも大丈夫でしょって甘くみってて。困っちゃった。日光が来てくれてよかった」
「……」
イケメンの凄みは迫力が違う。
「日光?」
「……」
「怒ってるよね」
そりゃそうだ。今回はこないだの検査の時よりも込み入ったことをされていて、一晩泊まる(入院ともいう)を勧められていたんだ。でも次の日仕事があるから、どうしても当日中に帰りたくて。結果、想定以上に具合が悪くなってしまった僕は、また迎えにきてくれた日光をひどく驚かせた。挙句、家に帰りたくないこんな姿を見られたくないという僕のうわごとを叶えてくれて、今こうして二人でビジネスホテルにいる。
「聞きたいことが二つある」
「はい、どうぞ」
おでこを撫でられた。多分熱がないか確かめてくれているんだと思う。顔、赤いのかな。
「体調悪いんだろ? どこが悪いんだ? 治療は長くかかるのか?」
ホテルのタオルで顔や首を拭いてくれる。汗かいてるのか、僕。焦っているせいかもしれない。
「実はこないだ検査で、ちょっと引っかかっちゃったところがあって、昨日まで薬飲んでたんだよ。今日はもう異常がないことを確認するために体の中あれこれ見てもらったんだ。だから、今、この瞬間は体のどこも悪くない」
「……」
「そんな目で見ないでよ。信じて。その、少しだけ、胃をやっただけだから」
「医者がそう言ったんだな? 大丈夫なんだな? それが嘘だったら承知しないからな」
「ふふ」
「笑い事じゃないんだよ。元気になったら犯す」
「また、僕に手を出してくれるの?」
あ、間違えた。真顔になった日光を見て、すぐ自分の失言を悟る。
「ごめん、余計なこと言っちゃった」
「いや俺が、こんな時に言う冗談じゃなかった」
「……二つ目は?」
気まずそうに額をかく日光を見て、早く家に帰してあげるべきだなって考え始めている。
「どうして俺の休みを把握してるんだ」
「へ?」
脇に立っていた日光がベッドに乗り上げ、両肩を押さえつけてきた。髪が垂れ、逆光になった日光の表情が一ミリもわからなくなる。
「誰に聞いたんだ?一回目はたまたま俺の予定が空いていて、よかったと思った。俺がいて、お前が弱ったまま街に放り出されるようなことにならなくて。でも二回目にお願いされた時は違和感があった。俺の休みを知っていて、そこに病院の予定を当てただろ」
「偶然だよ、誰か、誰かには頼めるだろうって。日光だけを頼りにしているわけでは」
「伊勢崎か?」
全身の血が抜けていくような感覚。だめだ、そこはばれちゃいけないだろう。
「なんで、伊勢崎が出てくるの」
「コソコソと、何か企んでただろ。最近伊勢崎から日比谷の名前が出てくるからおかしいと思っていたんだ」
「違うよ、違う、関係ない」
「正直に言え」
「違うってば」
「本当に?」
伊勢崎が、自分でかけた布団を捲る。ただでさえ寒気を感じ始めていた体に、空調の冷気が降りかかる。
「日光、寒いんだけど」
日光が少し顎を上げて、半分だけ照明に照らされる。すごい、悪い顔だ。
「今、あたためてやるよ」
日光の手が、僕のシャツの裾から入ってくる。
「やだ、日光、ごめん、今ほんとに、ちょっと、すごい具合悪くて」
「ちょっと? すごい? どっちだ?」
「やだ、ごめんってば日光」
「正直に言えたら止めてやるよ」
さわさわ上に登ってきた手のひらが、いよいよ胸に到達する。
「やだ! やめてってば! 伊勢崎が!」
「伊勢崎が、どうした?」
日光の手が止まる。
「伊勢崎が、休み、の日に、声かけてみるといいって、何かお願いでもしたら、きっと喜ぶって」
しゃっくりを我慢してるみたいな喋り方になってしまって恥ずかしい。
「伊勢崎が?」
「伊勢崎は、僕のこと、よく見てて、心配してくれたんだ」
「うん」
「仲良くしなよって、今度、日光の休み、何日だよって」
「そうか」
「教えてくれる、けど、会うとか、誘ったりできないから、びょういん、ちょうどいいなって」
「うん、ありがとうな」
目や頬にタオルを押し付けられる。僕、泣いてるのか。
「ありがとう?」
「俺を頼ってくれて」
日光の言っている意味がわからなくて、首を傾げる。
「伊勢崎にもお礼言わなきゃだな、本当に俺たちをよく見ている」
「もう二度としないから」
「違うだろ」
日光がにっこり笑っている。いつか、伊勢崎に向けていた笑顔に似ていて、僕は伊勢崎と成り代わってしまったのか? と混乱する。
「日光?」
「これからは、俺にはしていいから、俺だけにしろ」
日光は布団に覆い被さるようにしてギュウと僕を抱きしめてくれた。
「日比谷!」
駅のコンコースで名前を呼ばれ、僕は辺りを見回した。確かに聞き覚えはあるけれども、それが誰かはわからず、見知った顔を探す。
「日比谷、うしろ、うしろ」
振り返ると、そこには満面の笑顔をした伊勢崎がいた。
「どうしたの、そんなに慌てて」
伊勢崎は汗だくで、僕に話しかけるため急いで駆けてきたのだということがわかった。
「日比谷に話したいことあったんだけど、なかなか二人きりになるタイミングないから、ずっとチャンス窺っててさ。今日会えてよかった」
「珍しいね、僕に用事があるなんて」
ちょっとたんま、と言い息を整えるとまっすぐ姿勢を直し、話し合いの姿勢になった。僕も背筋を伸ばして向き合う。
「最近、ウチの日光と遊んでないだろう?」
ビクッと肩を揺らしてしまった。伊勢崎から日光の名前が出るといつも身構えてしまう。だって何を隠そう、日光の思い人は伊勢崎この人なのだから。
「遊んで、まあ、最近は仕事以外で話してないかな。でも以前だって、そんなに頻繁に会っていたわけでは、」
「誘ってやってよ! 日光のこと」
この人はどこまでわかっていてこんなことを言っているのだろう。最近、やっと銀座の疑いの目が薄れてきてやりやすくなってきたというのに、今更蒸し返すわけがない。それに日光だってそんなこと望んでいやしないだろう。
「日光、別に僕と会いたくないんじゃないかな。事実、最近連絡くれないし、僕もしていないし」
日光が伊勢崎のこと好きだと知ってから、なんとなく、付き合わせるのは悪い気なってしまって。最初のきっかけを作ったのは僕だし。僕は伊勢崎の代わりにはなれないし、日光だって彼の代わりには決してならないのだから。
「でも、日光、声かけられたら喜ぶと思うんだよな。日比谷に」
「そんなこと」
「日比谷と遊んでた時期、表情明るかったもん」
絶対気のせいだ。と思いつつ、口には出さず、曖昧に笑っておく。
「その顔! 信じてないだろ。本当だって。日比谷だって楽しそうにしてたじゃん、うちの日光と遊んでるとき」
「待って、いつの話してる? 何か勘違いしてるでしょ」
話を止めたくて、伊勢崎の肩を押、そうとしたら逆に掴まれた。
「勘違いじゃない」
力が強くてちょっと痛いし、意図が分からなくて困惑する。
「伊勢崎、もう」
「勘違いじゃないんだ。一回、試しに連絡入れてやってくれよ」
「……日光のこと、よくわかっているんだね」
伊勢崎は一瞬キョトンとした後、満点の笑顔で口を開いた。
「家族だからな!」