春に唄う花たちよ「隊長は、桜に似てますよね」
陽の当たる時間が延び、まだ白々としている4月の夕刻。
一日の仕事を終え、隊舎を出た通りを馴染みの飯屋へと歩く六車は、左隣を歩く人物が溢した言葉に目を丸くした。
「あァ?」
見れば、その男――檜佐木修兵は、何処か遠くを見ている。視線を追い、六車も通りの先へと目を向けた。
通りの右脇には九番隊隊舎の広い敷地を囲う背の高い白壁の塀が延びている。それが途切れると、商店や住居やらの列が始まる。
その更に先。幾つもの屋根が重なる更に向こう。
こんもりと、薄い桃色が覗いていた。
「お……あそこのも、満開になったのか」
「みたいっす。やっぱここらでは、あれがいちばん見応えがありますよね」
「だな。で、俺とあれがなんだって?」
視線を戻して改めて問いかければ、檜佐木も六車へと顔を向けた。
「隊長と桜、似てるなって思いまして」
聞き間違いではなかったらしいその内容に、六車が顔をしかめる。
桜と言えば。
可愛らしい色合いの花をつけ、万人に愛でられ。花見と言う賑々しい場でその開花を祝われつつ、誰しもにその儚さを惜しまれる。
温かくも短い春の代名詞とも言える花だ。
六車が自分で列挙しただけでも、己と近いところなど無いように思えた。
「だって――」
徐々に近づく桜へと再び目を向けた檜佐木は、六車の様子に気がつくこともなく語り出す。
淡い色合いの花と、淡い銀色の柔らかな髪。
薄く滑らかな花弁と、さらりとした締まった頬。
空を覆わんばかりに伸ばされる枝と、まっすぐ見据える意思の強い瞳。
ゴツゴツとした太い幹と、ずっしりとした逞しい肉体。
枝いっぱいに花をつける豪快さと、男気溢れる気質。
「隊長と桜は、似てるっす」
「口説いてんのか?」
「はあっ!?!?」
誇らしげに語り終えた檜佐木が、六車の感想に物凄い勢いで振り向き、声を裏返らせて悲鳴をあげた。
「お……俺は、ただ、桜の堂々として、清々しくて、綺麗なところが似てるなって……」
「口説いてんじゃねぇか」
「ち、違っ……いやっ、そう思われても問題はないっすけど。吝かではないっすけど!」
何故か否定しきれない様子に、六車は思わずふっと笑みを溢した。
「だいたい、俺相手にキレイって何だ。お前だけだぞ、ンなこと言うの」
からかい半分、あきれ半分に六車が言う。
その目の前で檜佐木が、きょとんと呆けた表情をした。
「隊長は、綺麗っすよ」
六車を見つめるつり目が、ぱち、ぱち、とゆっくり瞬いて、不意に眩しそうに細められる。
「美しいっす」
ぱか。
六車の口が開く。
何か言いたげなそれは、けれども何も言うことなく閉じ。はあ、と重たく息を吐いた。
隣の副官は真顔で、自分の言動におかしなところなど存在する可能性すら考えていない様子だ。
――なんでこいつは、こういうことは言えちまうのか。
頭を抱えだしたくなるのを堪え、六車は歩を進める。
隣に置くようになって久しい檜佐木の気質について、知ってはいても理解ができないことは多かった。
六車が聞きたい言葉を檜佐木から引き出すのに、毎回どれだけ苦労しているか。かと思えばこうして、六車が望むものとは異なるものを当然の顔をしてぽろりと溢す。
それを深追いすれば、短気な六車と、頑固な、と言うかは本当に何もわかっていない鈍感な檜佐木のせいで、泥沼に嵌る。
既に経験済みのその事態を避けるため、六車は考えることをやめた。
ただ、ひとつだけ、心に決めた。
「おし。飯屋はやめだ。ツマミと酒買って帰るぞ」
「はっ、え? 帰っちゃうんですか?」
「ばか。おめーも来るんだよ」
にやり、六車が笑む。
「お前を可愛がりてえ気分だ」
檜佐木がこの日いちばんの驚きの表情で六車を見る。
ややあって、さっと顔を反らした。
「そ、すか……」
「ン」
真っ赤に染まった檜佐木の首筋に満足げな笑みを浮かべ、六車は前を向く。
黙々と歩みを進める二人の横で、白壁が途切れ、建物の列が途切れ。
やがてぽかりと空いた広場が現れる。その中心に立つのが、件の桜の木だ。
歩みは止めぬまま、檜佐木は六車越しに広場を眺める。
自分たちと同様に仕事終わりの死神たちが、酒や食べ物を持ち寄っていくつかの集団を作っている。
「俺たちも、桜見ながら呑みますか?」
「俺が居んなら、いらねぇだろ」
広場の方を見もせずに、六車はきっぱりと言った。
「……それじゃ、隊長が桜を見れないじゃないすか」
「庭の花が良いんだよ、俺は」
六車の私邸の庭に、花壇などあっただろうか。
疑問に思った檜佐木だったが、その思考がふっと途切れる。
檜佐木の視界で、通りからでも見上げるほどに大きな桜と、己が桜と称した男とが重なる。
――贅沢な、景色だ。
淡い色合いの花と、淡い銀色の柔らかな髪。
薄く滑らかな花弁と、さらりとした締まった頬。
空を覆わんばかりに伸ばされる枝と、まっすぐ見据える意思の強い瞳。
ゴツゴツとした太い幹と、ずっしりとした逞しい肉体。
枝いっぱいに花をつける豪快さと、男気溢れる気質。
そして、荘厳たる立ち姿。
この季節が訪れる度、空を背景に大きく枝を広げて花で満ちる木に、幼い頃に見上げた英雄の姿を重ねた。
憧れを胸に刻むように。道に、迷わぬように。
その英雄が、今、己の隣を歩き――その目を己に向けている。
「どうした?」
「……俺は、桜が、好きだなあって」
ふ、と六車が吐息を溢す。
「そうかよ」
眼を細めて微笑む姿に、くらり、目眩がする。
柔らかな声に、どく、どく、痛い程に胸が高鳴る。
「……可愛がるってんなら、旨い酒、飲ませてくださいね」
「おう」
当たり前のように返される返事さえも、夢のようで。
――嗚呼、俺の心は、ずっと昔に桜に拐われてしまっている。
――強くて美しい、俺のとくべつな桜。
《桜に恋する春の従者》