風の隣で少しだけ乱暴に吹いた風。
和毛の少女はふわりと舞い。
流れるまま、辺りを見渡した。
いつも隣にいるはずの、たいせつな人。
今日に限って、姿が見えないのはどうしてだろう。
途端に、胸がぎゅっと苦しくなった。
ごうごうと耳が鳴り、何も聞こえなくなった。
背筋が冷え、視界は闇に閉ざされた。
気がつけば、風の吹くまま空を漂っていたはずの身体は地面に落ちていて。
風のない世界に1人、取り残されていた。
(こわい……こわいよ、ナトロ)
和毛の少女は、己が身を掻き抱き震えていた。
───
……意識が浮上する。
早鐘を打つ心臓に、呼吸を乱される。どうすることもできないまま、少女は布団の中で身体を丸めていた。
窓の外はまだ薄暗い。
少しばかり散らかっている魔法使いの寝室に、少女はいた。
ベッドの上はかろうじて片付けられているが、部屋の主はそこに居ない。
居るのは、幼子のように身を縮める少女だけだ。
(ナトロ……どうして居ないの……?)
潤んだ瞳で少女は探す。そこにいるはずの、魔法使いを。
いつもなら隣で共に眠っている存在が、今日に限って見当たらない。夢が現実になったのでは、と少女は際限のない恐怖に囚われる。
いてもたってもいられず、少女は寝室を飛び出していった。
───
(……無駄に早く起きてしまったな)
ぼさぼさの髪をそのままに、魔法使いのナトロは洗面所で歯ブラシを咥えていた。
無防備に開かれた胸元を人差し指でかりかりと掻きながら、今日は何をしようかとぼんやり考える。
きっとまた、あの子に振り回される1日になるだろう。それが楽しくて仕方ない。日々成長する彼女は、見ていて本当に飽きないのだ。
口を濯ぎ、歯ブラシを置く。
……背後から、何やら騒々しい気配がしたので身構える。
「ナトローーーっっ……!」
「ぐぇ……っ」
全力で背中に突進してきた少女の一撃に、ナトロは内臓を握られたような声をあげる。魔法使いは防御力が低いのだ。
「……にこ……どうした、早起きだな」
「だって、だって……っ」
「……怖い夢でも見たか?」
「う……」
お見通しだった。にこと呼ばれた少女はナトロの背に抱きついたまま頷く。
ナトロは小さく息を吐き、己の腰に回されたにこの手をぽんぽんと優しく叩いて力を緩めさせる。
「どうせまた俺が居なくなる夢でも見たんだろう?」
「なんでわかるの?」
「声で分かるし顔に書いてある」
俯いたままのにこのほうへ向き直り、両手で頬を包んでやる。
濡れたまつ毛を親指で軽く拭い、コツンと額を合わせた。
「心配しなくても俺はずっとここにいる……和毛達を置いていくわけにはいかないからな」
「うん……」
「だからもう泣くな。美味しい朝ごはんでも食べて忘れること。いいな?」
「はぁい」
「よし」
そっと離れて軽く頭を撫でてやると、にこはようやく顔を上げた。
「歯を磨いたら台所までおいで。何かないか適当に探しとくから」
「ししょーは起こさないの?」
「お師匠は夜更かしの鬼だからまだ寝てるだろ……」
「えー、いっしょにごはん食べたい」
「はいはい……」
今日は皆で食べたい気分らしい。にこの頼みだと言えば渋々ながらも起きてくれるだろう。
師弟揃って和毛の少女には甘かった。
少しずつ、空が明るくなっていく。
鳥の囀りを運ぶ軽やかな風が、木々を揺らしていた。