鬼に成る男 こないだの任務で、街の外れの村を占拠した賊を討つってのがあった。
結構な規模だったから一番隊と三番隊との合同任務だったんだが、俺らは他の任務があったから先に三番隊が乗り込んだ。沖田隊長が張り切って斬りまくったお陰で、さほど遅れずに村へと着いた。
村の入口には百姓たちが集まっていて、女子供は固まって震えていた。誰も大きな怪我はなく無事な様子だったが聞けば逃げ遅れた女がいるらしく、小隊で手分けして捜索するために村の中へ入った。奥へ行く道には既にかなりの数の賊の死体が転がっていたが、まだ奥から怒声や悲鳴が聞こえてきていた。
賊を斬り伏せながら奥へと進めば、後ろでドンッと音がした。刀を構えていた敵の上へ三番隊の西谷さんが降って来た音だった。
「後ろが甘いなぁ兄ちゃん」
「にしたにさん!?」
「じゃ、わしはサボりに行くからあと頼んだで~」
「え!?ちょっと、」
西谷さんはブンッと刀を振って血を落として、あっという間に村の奥へと消えて行ってしまった。俺も後を追うように奥へと足を進めると、ひらけた場所で20人以上の賊が浅葱色を纏った1人の男を取り囲んでいた。男は納屋を背にして刀に右手を添え、身を低くして構えている。周りで打ち合いの音は聞こえてきていたが、賊に足止めされているのか他の隊士の姿は見えなかった。
物陰に隠れながら近付けば、1人で刀を構えていたのは三番隊の斎藤隊長だった。
いくら斎藤隊長といえども、あまりにも人数差がありすぎる状況。俺なんかが助けになるかは分からなかったが、奇襲をすれば2、3人なら仕留められるだろう。息を殺して足を忍ばせ、敵の死角へと近付く。距離が縮まるにつれ、ヒリつくような緊張感が肌を焼く。
カラカラに乾いた口内で無理矢理唾を飲み込んで、ぐ、と足に力を込めた瞬間。
「まぁ待てや」
「っ、沖田隊長…!」
村に着いた途端、真っ先に奥へと駆けていってから姿を見ていなかった沖田隊長が、少し離れた場所であぐらをかいて座っていた。その横にはさっき会ったばかりの西谷さんもいて、どこの家から持ってきたのか草餅を食べながら、チョイチョイと手招きしている。
完全に非番の日の姿。
屯所の縁側で団子を食べている時と何ら変わらぬ空気感。
後ろを見れば、斎藤隊長は変わらず敵に囲まれている。意味が分からなくて固まっていると、「死にとうなかったらはよ来い」と重ねて言われてしまい、沖田隊長の傍へと行けば「これ案外美味いで」と草餅を渡された。
「え、あの…俺には斎藤隊長が孤軍奮闘しているように見えるのですが…」
「んふふ、せやなぁ」
「その、助太刀はされないのですか?」
「そんな事したらはじめちゃんに怒られるで」
「ウチの隊長さん、最近欲求不満やから許したってな」
「欲求不満って…」
「お前ははじめちゃんの戦い見た事なかったか?」
「ええ、任務被ったことなかったので」
「ほんならええ機会や、よう見とけ。――ほれ、そろそろ始まるで」
ウチのはじめくんは強いでぇ、と言う嬉しそうな西谷さんの声と同時に、ついに賊の1人が怒声を上げて斬りかかった。
大振りな最初の一撃をあっさりと躱して、抜刀と共に斬り伏せる。と同時にストンと膝から力を抜くことで敵の視界から消え、四方から迫っていた刃を避ける。身を低くしたままとんでもない体幹でくるりと回りながら足を斬りつけてパッと飛びのけば、足の腱を深く斬られた敵が4人、バタリと倒れた。
俺はこの時点で、下手に助太刀しなくてよかったと心底思った。あっという間に5人を斬った斎藤隊長は息一つ乱しておらず、足元で呻く敵の1人に深く刀を突き立てて「この程度か?」という顔をしていたからだ。
その無言の煽りに、敵が一斉に斬りかかって来た。予想外だったのは、敵が意外にも冷静な上に、複数人での連携に慣れていたということだった。
真っ直ぐ振りかぶってきた賊の刀を受け止めた瞬間、左右からも刃を振り下ろされる。刀を押して後ろへ退がり寸でのところで避けたが、背後からの突きには対応しきれず左肩が赤く染まる。すぐさま後ろへ蹴りを入れ、無理矢理肩から刀を抜かせる。そして目の前の敵から目を逸らさないまま、懐から出した銃を背後の敵へと撃ち込んだ。左肩の浅葱色がどんどん赤く染まっていくが、斎藤隊長はそれを一切気に留めずにゆっくりと息を吐く。
刀と銃を水平に交差させ、構える。
「――いくぞ」
その声は、どうしようもないほど喜色に濡れていた。誤魔化せないほど上がった口角が、興奮を隠しきれていなかった。
そこからは、圧倒的だった。
両手の獲物を狂いなく扱い、死角から迫る敵の刃でどんどん羽織を赤く染めながらも、一向に攻め手を緩めることなく斬り続ける。痛みに鈍ることなく、くるりくるりと舞うように飛び回り、撫でるように急所を斬って正確に銃を撃つ。全身を余すところなく使い、動き続ける。
ひらひらと動く羽織が、まるで蝶のようだった。
敵の怒号が響く。
浅葱色が舞う度に赤が飛ぶ。
ひらり、ひらり。
気付けば敵は1人。相手の大将首だけとなった。
銃を仕舞い、正面に刀を構える。
互いに間合いを図り、円を描くように動く。
先に踏み出したのは賊の方だった。ドンッと地を蹴って迫る刃を寸前まで見つめ、太刀筋に合わせて刀を交わす。ガッチリと刃が組み合ったままギリギリと鍔迫り合いが続いていたが、斎藤隊長が思い切り賊の腹を蹴ったことでそれも終わった。よろけた賊の元へ踏み込み、綺麗な袈裟切りで斬り伏せた。
ドサリと倒れた敵を最後に、辺りは静まり返った。斎藤隊長はどこかぼう、とした表情で辺りを見渡していたが、ガシリと足首を掴まれて不思議そうに下を見た。
まだ息のあった賊が怨嗟の表情で睨みつけ、ごふごふと血を吐きながら何かを繰り返していた。声にならない言葉だったが、何度も何度も繰り返される口の動きは「ころしてやる」と紡いでいた。
それを見てぱちりと大きく目を瞬かせた斎藤隊長は、とても満足そうに…艶っぽく笑い、自分を呪い殺さんと呪詛を吐く男の首へ刃をそっと押し当て、一切の躊躇なく、引いた。
ぼたぼたと血の滴る刀を大きく振って地面に赤い半円の弧を描き、キン…と刀を納める。
今までに見た事がないほど美しい戦いだった。
そして、とても恐ろしかった。
「流石はじめちゃん!えらい色っぽかったで、妬いてまうわぁ」
「はじめくんお疲れ~、ほらこっちおいで」
「兄さん、西谷…」
パチパチパチ、と隣で手を叩く音が2つ。
ふっと夢から覚めたような顔でこちらを振り返った斎藤隊長は、先ほどの表情が嘘だったかのような、いつも通りの涼しい顔をしていた。手招きする西谷さんを見て、鮮やかな赤でまだらに染まった羽織を揺らしてこちらへ歩いてきた。
斎藤隊長は少しふてくされた表情で「見てたのかよ」と言い、西谷さんがあーんと言いながら差し出した草餅をぱくりと咥えた。もぐもぐと草餅を頬張る姿は、ついさっきまで賊を斬り舞っていた男と同一人物とは思えなかった。西谷さんが草餅で釣って自分たちの間に座らせ、沖田隊長がぐっしょりと血を吸っている左腕の羽織を脱がし、キツく布で縛って止血する。普段は犬猿の仲の二人だが、見事な連携だった。
もう少し避けて戦え、と意外にも真っ当なことを懇々と説教する沖田隊長の言葉に曖昧に頷きながら草餅を食べていた斎藤隊長が、ふと思い出したようにあ、と声を出した。
「そういえば納屋に逃げ遅れた村人がいるんだ」
「だから守っとったんか」
「お、俺が見てきます!」
立ち回りにそんな意図があったなんて全く気付かなかったが、どうやら逃げそびれた村人を納屋に隠し、それを守るように戦っていたらしい。
ふぅん、という返事だけで全く動く気のない西谷さんと、立ち回りの理由に納得した後はもう興味なさそうな沖田隊長。このままだと怪我をしている斎藤隊長が見に行きそうだったため、急いで名乗り出て納屋へと向かった。
納屋の前に転がる賊の屍を避けながら扉を開けると、物陰の隅に女が蹲り震えていた。相当怖かったようで、静かに泣いている。
「新選組です。もう大丈夫ですよ、賊は全て倒しました」
「ほ、本当ですか…?」
「村の方々は皆避難しています。皆あなたのことを心配していましたよ。さ、合流しましょう」
「ええ、ええ…!ありがとうございます…!」
村の入口へ向かうために納屋から連れ出す。夥しい数の死体に腰を抜かさないのは有り難かった。これならスムーズに合流出来そうだなと安心し、全身の傷を確認していた沖田隊長に「ほかの方のところへ連れて行きます」と声を掛けたことで、女も3人の存在に気付いた。
応、と答えた沖田隊長の言葉をかき消すように、女の悲鳴が上がる。
「あ…あ……!」
「ど、どうされました?」
3人の方を見てはくはくと唇を慄かせている。
まさか過去に沖田隊長の血祭り姿を見た事があり、トラウマになっていたのだろうか。それとも西谷さんか。2人もそう思ったようで、お互いを胡乱な目で見ている。
しかし、女の叫ぶような声がそれを打ち消した。
「あ、あの人…あぁ……まるで鬼のような…恐ろしい戦い方を…!っ鬼だわ、鬼!あれは鬼よ…っ!」
「……お、落ち着いて!ね、行きましょう!」
女の目は斎藤隊長だけを映していた。真っ直ぐに指さして半狂乱で取り乱す女の肩を抱き、無理矢理歩かせる。斎藤隊長の左右に座っている2人が、鋭い目で女を見ていたからだ。もしこの時斎藤隊長が少しでも傷付いたり悲し気な顔をしていたら、きっと女は俺が止める間もなく骸になっていただろう。
正直、俺は女の言ったことが理解できた。憎しみが籠った目をした賊を見下ろして一等の好物を前にしたようにとろりと笑った顔はたしかに、魂を喰らう鬼かのように思えた。
ちなみに助けた女に鬼だと泣き叫ばれた斎藤隊長は「俺が…鬼……?」という、目の前で柏手を打たれた猫みたいなキョトンとした顔をしていただけだった。