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    ニシン

    @xeno_herring

    九割九分、真桐です。
    様子がおかしいのは仕様です。

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    ニシン

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    いつもは削っている意味不明な文章たちをそのまま使ったら完成品はどうなるかなっていう実験です。
    嘘だったらいいのにな~って感じの話になったので、エイプリルフールにはちょうど良いと思いました。頭は大丈夫です。

    #真桐
    Makiri

    簡単な話(作文の実験)西公園のドラム缶前。
    何でも放り込んでいいと言われている便利なかがり火を前に、秋山は一人立ち尽くしていた。寒くもないのに冷える末端神経に体温が巡るよう指先を丸め、歯の隙間から細く息を吐く。

    「っスゥー……」

    片方の瞼が痙攣していた。
    緊張と弛緩で神経がすり減っている。
    正午を回る前にも関わらず、秋山は早くも今日という日をやり直したかった。

    Q.なぜ彼は追い詰められているのか。

    答えは簡単で、
    A.とても怖いものを見たからである。

    それは夜のしじまで追ってくる静かな足音を聞いてしまった時のような、廊下の角に置いてある安楽椅子が揺れ続けているのを見てしまった時のような……冷たい手で心臓を掴まれた人間の、底冷えした恐怖の感覚だった。
    人生で初めて。言葉の通り初体験。
    まったく嬉しくなかった。

    Q.では、彼に一体何があったのか。

    この説明は少しだけ長くなる上に、もし秋山が今日の事情聴取を受けたとしたら、警官が質問をする前に睡眠薬のオーバードーズで意識を飛ばすことは確実だった。
    平穏は深い眠りの中にしか存在しないので。

    これはそういう出来事である。




    A.呆然自失に至るまで

    ほんの少し前。
    場面変わらず、西公園のドラム缶の傍。
    秋山は桐生の姿を見つけ、『こんにちは、下水道ぶりですね』と丁寧に挨拶してから隣に立ち、同じように煙草を取り出して他愛もない話をしていた。秋山は初対面の人間と話すのが得意だったし、桐生は初対面の人間の話を聞くのが得意だったので、お互いゆるゆるとした空気のまま煙をくゆらせていた。
    具体的には……

    『鯨とイルカ、どっちが好きですか?』
    『なんでその二択なんだ?』
    『鯨はロマンがあるし、イルカは地球上で一番賢い動物だからですよ』
    『イルカが?』
    『彼らはあらゆる人間の言語を理解するし考える力もありますから。宇宙の定義なんかもとっくに解き明かしてるんじゃないかな』
    『イルカが…?』
    『ええ。あ、集団自殺するってご存知ですか?』
    『船のモーター音が原因だとかいうやつか?』
    『他にも単純な水質汚染などと言われていますが、一番の理由は彼らが人類の愚かさに絶望したからですね。種を絶滅させられるスイッチがあったとしたら、きっとイルカは真っ先に自死を選ぶと思いますよ。人間が踏み荒らした地ではもう生きていきたくないとか言って』
    『へぇ。おまえちょっと怖いな』

    ……という感じで、二人は大して意味のない言葉のキャッチボールをしていた。秋山の持論を一通り聞き終えてすっかり洗脳された桐生が『イルカの保全協会に入るか…』と言い出して、秋山が『いいですね』と笑ったとき。
    穏やかな時間が、突如崩壊した。

    「誕生日おめでとう桐生ちゃん、今日もカッコええなぁ。このあとどこ行くん?お買い物?俺がなんでも買うたるよ。あ、そうやこないだ桐生ちゃんのよう行くスーパーとクリーニング店のポイントカード、俺も作ったで。どっちも紐づけしてもろたからこれからは俺のカード使うても桐生ちゃんのポイントに合算できるんやと。世の中便利になったなぁ」
    「人違いです」

    幼稚園児に『悪魔を描いてみて』と言ったら出来上がりそうな風体の男が現れたのだ。
    真っ黒なスーツに紅いシャツ。
    光の加減で模様の浮かび上がるネクタイ。
    すべてオーダーメイドなそれを、嫌味なほど長い脚で着こなしたヤクザだった。
    秋山は、桐生の死角からぬっと伸ばされた革手袋が彼の腕を掴み、甘ったるい声がベラベラと喋り出してようやく、真島が現れたことに気付いた。
    足音がしなかったのだ。
    どこから姿が出てきたのかまったく分からなかった。

    そして桐生はというと。
    さきほどまでのイルカ談義で浮かんでいた穏やかな雰囲気は跡形もなく拭い去られていた。
    表情は神室町アーケード前の横断歩道や新宿駅構内でよく見かける『話の通じないナンパ男にしつこく絡まれて辟易しているOL』と同じものになり、口調は『他人です』ということを強調するよそよそしさに変化していた。

    「はな…離してください……」

    誰もが憐れを感じるような小さい拒絶だった。
    快楽殺人鬼だって、こんな儚く震える声を聞いたら振り上げた手を止めるだろう。
    しかし真島はそれをまったく気にすることなく、桐生の左肘をガッチリ掴みながら「なにが欲しいん?靴?車?」と顔を覗き込んでいる。

    「…何もいらないです」
    「なんでもええんやで?もしかして兄さんの本気疑っとる?桐生ちゃんのためなら家だって買うけど……マンションがええ?一軒家?俺は広い一軒家の広い庭で桐生ちゃんと一緒に庭弄りしたいなぁ。お日さんがよう入るリビングにしよか。家具はモルテーニで揃えたいんやけど、桐生ちゃんは好きなブランドある?」
    「近っ……いや…結構です…」
    「ひひ、照れた顔もかわええなぁ」

    桐生はやや俯き気味で、キュッと唇を引き結んでいた。
    か弱い女性が身を守る時の暗く固い表情と同じで、決して照れた顔ではなかった。

    「……、…」

    秋山は呆然としたまま、桐生と真島の顔を交互に見た。急に開催されたホラー展開に脳がついていかなかったのだ。
    真島の言葉すべてが怖かった。

    ポイントカードって勝手に紐づけられるんだ、とか。
    買い物リストに気軽に車が入るんだ、とか。
    この人には桐生さんと一緒に暮らすビジョンが明確にあるんだ、とか。
    なにより『(見た目が怖くて中身も怖いことってあるんだ…)』と思い、とても嫌な気持ちになった。ホラー映画の序盤に出てきたチョット悪者っぽい男が本当に極悪非道の悪者だった時の、(やっぱりそうなんだ…)というあの感覚である。

    この間にも、
    『俺の稼業が心配なんも分かる。確かにお天道様の下で道のど真ん中を歩ける職やない。でもな、誰もが背後の気になる夜は俺の独壇場や。どんな夜もお前のためにあつらえたるから…』
    というロマンチック:0.5% 恐怖:99.5% くらいの台詞が流れ続けていたが、秋山は一旦それを意識の外に締め出して、下唇を噛んでいる桐生にそっと尋ねた。

    「桐生さん今日誕生日なんですか…?」
    「…ちがう」

    違うらしい。
    桐生の視線は数メートル先の地面に固定されていて、声はいままで秋山が聞いたことないほど固く小さかった。
    じゃあこのやり取りは一体……?
    秋山は一層怖くなった。
    この真島が桐生の誕生日を把握していない訳がない。なのに誕生日などとのたまって高価なものを買い与えようとしている。
    意味が分からなかった。

    「兄さんの日課だ、これは」
    「えっ……?な、なんでですか…?」

    秋山の純粋な疑問は、真島の悲しみを装おうとして失敗した声に引き継がれた。

    「桐生ちゃんが誕生日教えてくれへんからなァ」

    見事に喜色に上擦った声だった。
    この男は桐生を構う理由がひとつでも多ければそれで満足なのだろう。
    まさか真島から返事がくるとは思っていなかった秋山は、『悪魔に十字架が効かないことに気付いた時のヒロインの気持ち』が手に取るように分かった。
    完全に想定外。パニックである。
    なので一生口を利くことはないと思っていた悪魔相手に、ついビックリしたまま尋ねてしまった。

    「えっ、知らないんですか?」
    「は?お前知っとんのか」

    とんでもない圧だった。
    真島の視線が初めて秋山を捉えた。
    カラーコード#0d0015(漆黒)の目玉だった。
    秋山は慌てて首を振り、一歩下がった。

    「い、いや、俺も知らないです、ホントに。真島さんと一緒で…」
    「は?俺が知らんとでも思っとんのか」

    ……とんでもない理不尽だった。
    知ってるのか知らないのかどちらかにしてほしい。
    まるで何を言っても話の通じない最強昭和パワハラ上司のようで、秋山は銀行員時代を思い出して「はは…」とギリギリの愛想笑いを浮かべた。あの時もつらく苦しい思いをしてきたが、決して今ほどではない。
    絶望の最大瞬間風速は今が最高だった。

    「……兄さん、」

    見かねた桐生が静かに声を上げた。
    カラーコード#0d0015は秋山から逸れ、桐生へとたどり着くまでの僅かな時間で砂糖菓子の甘さを詰め込んだ。

    「どないしたん、きりゅーちゃん」

    言葉のフォントまでもが吐き気のする丸さだった。
    ウワッ…と秋山が見守る中。
    桐生は普段より若干白い顔のまま、

    「今日は俺の誕生日じゃない」

    とハッキリ言った。
    真島はその言葉にぐるんっと目を回し……ヒ、ヒ、ヒ…と声だけで笑いながら空を向き……『これで91日目や』と言って裂けそうなほど口角を上げた。
    反った白い喉が太陽で輝く。
    燦々と照る光の中で真島の服は切り取ったように真っ暗で、顔と首、袖口から覗く白い肌と、シャツの色だけが鮮明だった。彼を構成するすべてが、自然の理から外れているように見えた。

    「こ、こわぃ……」

    思わず漏れた女児のような呟きに重々しく頷かれる。桐生も同じ気持ちだったのだろう。
    秋山たちが三歩引いて見守る中。
    パッと向き直った真島は、まるで舞台袖から出てきた役者のように、いつもの“チョット怖いけどカッコイイ極道のお兄さん”へと完璧に切り替わっていた。さきほどまでの不気味な雰囲気は霧散し、親切そうに笑う顔にはホラーのホの字もない。

    「なんやぁ今日ちゃうんか、勘違いしてもうたわ。でも誕生日やのうても俺に甘えてくれてええからな。財布やと思うてくれてええし」
    「い、いや、大丈夫だ…」
    「水臭いこと言わんでええ。俺と桐生ちゃんの仲やろ?俺には顔と金と権力しかないからな、せめて桐生ちゃんに喜んでもらえるように努力しとるだけや。いつかお前に釣り合う男になるから、それまで待っとってくれるか?」
    「ハイ……」

    真島は拗ねた彼女を宥めるときのような顔で。
    桐生は恐怖に睫毛を震わせて。
    秋山は記憶に残る告白(※嫌な方)を目の当たりにして呆然としたまま。
    桐生の発した『ハイ…』が空気に溶けて消えるまで、誰も身じろぎひとつしなかった。



    静寂を裂いたのは真島の携帯で、彼は短くいくつかの指示をした後に「もう行かなアカン」と残念そうに言った。

    「大吾が喧しくてな。今日はあんまし構ってあげられんですまんなぁ」
    「十分だ、はやく行ってくれ…」
    「また明日な、桐生ちゃん」

    真島はそう言うと『また明日…?』と呟く桐生の手を取り、英国紳士のように口付けた。
    とてもスマートな所作だった。
    そしてピシッと固まる桐生にとびきりカッコよく笑いかけて、秋山には一切視線を向けることなく、颯爽と細い路地の闇へと消えた。


    秋山はその背が完全に消えてからもしばらく真っ暗な路地から視線が離せなかったが、何度も空振るライターの音でハッと正気に戻った。
    横を見れば、蒼白な顔をした桐生がぎこちない手つきで火を付けていた。
    一瞬の炎が顔を照らし、消える。

    「……チッ…」

    カチッカチッと何度も失敗してから舌打ちと共にやっと付いた火は、多少なりとも桐生の心を落ち着かせたらしい。ふっ…と吐かれた煙が空に昇る。
    秋山は聞きたいことが山ほどあった。
    そしてそれ以上に、聞きたくないことが星の数ほどあった。
    なので口を開けたり閉じたりして――最終的に閉じることにして、最後の一本だった煙草を取り出した。ソフトケースの中でよれた煙草が自分のメンタルのようだった。
    歯の先でフィルターを噛み、いらなくなったケースをドラム缶に放り込む。
    炎は一瞬でプラスチックのフィルムと紙を呑み込み、少し黒い煙を吐いて、生き物のように揺れた。

    「秋山」

    桐生の声に横を向けば、彼は吸い終わった煙草をドラム缶に入れるところだった。
    指先が赤く染まっている。
    表情に先ほどまでの動揺と恐怖はなく、代わりに不思議な色が見え隠れしていた。

    「……はい」

    足の裏の感覚が鋭敏になっていた。
    地面の凹凸がリアルに感じられる。
    桐生の指先が煙草を手離す一瞬が、やけにスローモーションに映った。
    秋山は真島に会ってからずっと具合の悪いままだった。過度の緊張に晒されたせいだろう。

    桐生はそれを分かっているのか、薄っすら口角を上げて言った。

    「会っちまったな、おまえ」






    そうして誰もいなくなったドラム缶の前で、秋山は一人ぽつんと立っていた。
    イルカの気持ちが痛いほど分かった。
    こんな人間たちと共に生きるなんて御免だ。
    同じ空間にいることすら恐ろしい。
    頭の後ろが痛かった。
    脳の血管が恐怖で収縮しているのだ。

    「……ぅ…」

    半ばまで吸った煙草が急に不味く感じられ、口から離す。
    もう一度吸う気にもなれずドラム缶の中に放り込む。

    ぱちっと弾けた火花の音の向こうで、赤と黒のスーツが見えた気がした。










    【別解】

    A.彼が眠りに至るまで


    桐生は、ほっと息を吐いた。
    毛先からぽたぽたと垂れる雫をそのままに、シャワーから冷蔵庫へ直行して缶ビールを開ける。
    つづがなく一日が終わってゆくことに奇跡を感じた。
    昨日の夕方、『あーあーあー、102日目やなぁ…』と嗤った男がいつものように暗い道へ消えて行くのを見たせいか、昨夜はうまく眠れなかったのだ。
    ところが今日は桐生がどこを歩いてもどこで喧嘩をしても、真島の影はちらりとも現れなかった。

    「はぁ……」

    まだ時刻は22時前だったが、ストレスの蓄積が疲労となって重くのしかかっていた。
    昨日真島は『102日目』と言っていた。それは真島が桐生に『誕生日おめでとう』と言い続けて、102日目ということだ。
    今まで欠かさず現れていた男が来なかったということは、彼もさすがに飽きたのだろう。

    実際、桐生も飽き飽きしていた。
    玄関を開けた瞬間目の前に現れたこともあったし、入った定食屋で『お連れ様はあちらでお待ちです』と通された席でニコニコと手を振られたこともあった。駅のトイレで手を洗いふっと顔を上げると鏡越しに目が合ったこともあったし、コンビニレジで清算をした店員が真島だったこともあった。
    そのたびに桐生は『ひっ……』と露出狂と出遭ってしまったOLのような悲鳴を上げて、後退ることしかできなかった。
    桐生にとって真島との遭遇はほぼホラー体験だったので。
    目的が分からない行為はとても怖かった。

    一昨日バッタリ会った秋山は桐生の疲れた顔を見て、『誕生日を教えれば鎮まるんじゃないですか…?』と低く抑えた声で言ってきた。そう言いながら、しきりに周囲を警戒していた。
    この男も真島がトラウマになっていたのだ。

    しかし当然ながら、桐生はとっくに伝えていた。
    たしかに初めこそ個人情報の漏洩が怖かったので無視を貫いていたが、一週間後には『6月17日だ』と伝えていた。個人情報と日々の平穏を天秤に掛けた結果だった。
    ……のだが。
    あの怪異は引き下がることなく、毎日現れては『これ、お前に似合うと思って…』と百合の花束を渡してきたり、『別にいらんかったら捨てたらええわ。でもなんでやろな、お前に似合う気ぃしてな…』と緑から赤に色が変わる不思議な石の嵌った指輪を渡してきたりした。
    後にキャバ嬢から教えてもらったが、百合は六月の誕生花で、不思議な石――アレキサンドライトは、六月の誕生石…というやつだった。

    いや、知ってるじゃねぇか。

    何度言いかけたか分からない。
    しかし桐生は、理解の範疇を優に超える真島の言動にすっかり頭がやられていた。もし『知ってるだろ』という言葉がトリガーとなり真島のストーカー行為が悪化したらと思うと、何も言えなかった。
    なのでいつもキュッと唇を噛んで、なるべく真島の顔を見ないように自分の靴先だけを見て、災害のような男が『ほなまたな』と去って行くのをジっと耐えるしかなかった。



    そして今日。
    ようやくストレスフルな日々にピリオドが打たれた。真島の姿を見ずに一日を終えることがこんなにも素晴らしいことだったとは!
    桐生は残り僅かになったビールを一息で飲み干して、ぐしゃり缶を潰した。
    100日以上も耐えていたのだ。
    自分でもよくやったと思う。
    もし今日という平穏が得られていなかったら、桐生は最寄りの警察署にストーカー被害届を出しに行き、危うく所轄の笑い者になるところだった。

    「ふぅ…」

    色んな種類の安堵が胸を編み、一気に眠気が襲ってくる。
    時計を見れば22時ちょうど。
    こんなに早く眠ったことは久しくなかったが身体と精神は一刻も早い睡眠を求めていたので、桐生はいそいそと布団に入り、ひんやりした布地に身体を丸めて目を閉じた。








    ――あたたかい。
    何かに包まれている。
    とても安心する温度だ。
    少し身じろげば、低く優しい声がした。
    なんと言ったのかを知りたくて、自分を包み込むものを逃さないように腕を回す。ト…ト…と聞こえる心臓の音が、より深い眠りに誘うメトロノームのようだった。

    「……ん…」

    息を吸えば、紫色の宝石のような香りがした。
    自分を抱き締める長い腕が背中を撫で、あたたかくて固い胸元に額を寄せて――

    ――……?


    「……?…な……!?なっ、」
    「おはよう、桐生ちゃん」


    とろりと笑う真島がいた。
    部屋は真っ暗で、月明かりが薄く差している。
    白銀のベールの中で、隻眼の美しい男が自分を抱き締めていた。

    「え、な、は……?」

    抱き合うような体勢はそのままに、呆けた声を上げる。
    落ち着かせるようにぽん…ぽん…と背中を叩く手は優しく、ともすれば再び眠ってしまえるほどだった。
    もちろん桐生は眠れないが。

    「今日会えへんかったから来ちゃった♡」

    きゅぅっと切れ長の目が嬉し気に細まる。

    「なっ……ど、…え……?」
    「あ、混乱しとる(笑)かわえ~」

    ちゅっと頬にキスされた。
    桐生は硬直したままだった。
    同じ布団で抱き合っていた衝撃の方が強かったのだ。真島は『ビックリした時の猫みたいやな』と思いながら額にも口付けた。

    「ど、どうやって…家……カギ……」

    桐生は目を白黒させながらカラカラに乾いた喉を鳴らした。
    平和を噛み締めながら眠りについたと思ったら、過去一怖い状況に陥っていたのだ。ちゅっちゅっと額や頭に落とされるキスよりも、この異常事態を順序立てて理解する方が優先度は高かった。
    真島は「ン~?」と緩い声を上げながら桐生の背骨をなぞり、反射で反ったことにより一層密着した身体を抱き締め、「ちゃんと鍵開けて入って来たで?」と甘い声で言った。

    「な、なん…で、あんたが鍵を……」
    「前に作っといたから。なくてもこの程度の鍵開けられるけどな、合鍵の方が同棲感あってワクワクするやろ」
    「ひっ……」

    とても怖かった。
    心臓がキュゥっと締まり、末端の体温がザッと下がり、チカチカと眩暈がした。誰でもいいから傍にいてほしかった。たとえば拳銃を携帯した警察官とか。
    ……そんなささやかな願いは当然叶えられることもなく、真島の腕の中で好きにあやされるまま、低く歌うような声を吹き込まれる。

    「俺はなぁ、桐生ちゃんのためなら何でもしたるって決めたんや。やから大吾のお守りも、東城会の未来も、一等近くで見ることにした。でもなぁ、桐生ちゃんはこーんな健気な俺のことなんか、チョット時間が経てばすぐ忘れてまうやろ?なぁ?…やから桐生ちゃんにもずっと俺のこと考えてほしくて、構いに行ってたんやで?」
    「わ、忘れるわけないだろ…」

    正しくは『こんな怖い男を忘れられるワケがないだろ』だったのだが、長い言葉を発せれるほど精神が回復していなかった。
    真島は「ほんまに?」と口角を上げ、「うれしい」と言って桐生の瞼に口付けた。

    「ぅ、やめろ…」
    「そんでな?」
    「聞けよ……っ、うわっ」

    喉の奥で笑った真島は桐生の言葉を全部無視して、もぞもぞと体勢を変えた。真島の片足が動きを封じるように桐生の脚に絡められ、腕は桐生の関節を抑える位置で抱き締め直された。まるで抱き枕扱いだ。
    ぎゅぅ、と全身が囚えられる。
    真島は何度か手足の位置を微調整してから桐生の頭に顎を乗せ、続けた。

    「桐生ちゃん俺のことなーんも知らへんやろ?俺の誕生日も血液型も好きな色も、ぜんぶ知らへんもんな。俺が一方的に教えたって桐生ちゃんすぐ忘れてまうし……やから、自発的に聞いてくるようにならんかなーってアピールしとったんやで?『兄さんの誕生日も知りたいな』って聞いてくれりゃ俺のミッションもいっこクリアやったのに、桐生ちゃんいつまで経ってもストーカーされとるOLみたいな顔しかせぇへんし…」

    桐生は真島に抱き締められたまま、彼の首にかかるネックレスの鈍い金色を見つめて、(へぇ…)と思っていた。
    それならそう言えよ、と。
    真島の求めていることなんか分かる訳がない。
    まさか、
    『桐生ちゃん誕生日いつ?』
    『俺は6月だ。兄さんはいつなんだ?』
    なんて会話を望まれていたとは、これっぽっちも思わなかった。そのためだけに……桐生から真島の個人情報に関するQ.(キュー)を引き出すためだけに、102日間もストーカーされていたなんて。
    いや、もう103日目か。

    桐生はどっ…と疲れて、くたりと力を抜いた。
    真島の固い腕枕で首が痛い。
    「ぅ……」と様々な種類のストレスで唸れば、こういう所だけは察しのいい真島が、腕と頭の隙間に枕を差し込んだ。

    「痛ない?」
    「ん……」

    桐生はもう、『どにでもなれ』という気持ちだった。
    この状態から真島の拘束を抜け出してこの男を叩き出す元気は残っていなかったし、真島にはどんなネゴシエーションも通用しないだろうから。

    「桐生ちゃん、眠いん?」

    真島の誕生日を聞くのは明日でもいいだろう。
    この男の“ミッション”とやらを達成させてしまったら、更なる難題が降りかかってくるに違いなかったので。

    「桐生ちゃ―ん…」

    それに、今聞いてしまったら、このあたたかな体温が消えてしまうかもしれなかった。夜明けまでまだ時間がある。
    寒い夜を過ごすより、今の方がずっといい。
    桐生は眉間の皺をふ…っと緩めた。

    「…俺の腕の中で寝るんか、おまえ」

    意識が落ちていく感覚の狭間でぽつりと何かを呟かれたが、その言葉が部屋に響いたときには、桐生の意識はストンと落ちていた。






    真島は「スゥ……スゥ…」と規則正しく聞こえる寝息にしばらく息を詰めていたが、大きなため息と共に、強張っていた全身の力を抜いた。
    腕の中では桐生が目を閉じている。

    「……」

    その顔をジ…っと凝視して、穴が開くほど見つめてから……真島は薄く笑った。
    桐生に伝えたことは半分嘘だった。
    仮に桐生が自主的に真島の誕生日を聞いてきたとしても、この男はすぐに忘れるだろうから。そもそも祝ってほしい歳でもない。そんなことは端からどうでもよかった。

    一番の目的は、桐生を“慣らす”ことだった。
    自分の存在を常に意識させ、近くにいることに違和感を感じなくさせることが、真島の目的だった。
    なので最初は二人分の距離を開けて。
    10日後には手を伸ばせば届く距離に。
    近付いても逃げず、腕に触れても咄嗟に振り払われず、撫で回しても動かなくなるまでに、約100日かかった。これは予定していた日数より大幅に短かった。
    途中で何度か焦れったくなりチョット怖い顔してしまった時もあったが、そのお陰もあってか桐生はトントン拍子で真島に慣れてくれたのだが…

    ――しかしまぁ、まさかここまでとは。

    抱き締めた手の先で頸動脈に触れる。
    生命の流れる音がする。
    いくら眠かったとはいえ、本気で嫌がっているならば桐生はどんな状態であろうと全力で抵抗してきたはずだ。
    それがマァこんな、すやすやと。

    「……くっ…」

    漏れる笑いを噛み殺し、自分の胸元に顔をうずめる桐生を一層強く抱き締める。
    シャンプーの香りがした。
    白い花の香りだ。
    深々と吸い込み、肺を満たす。

    「ははっ…アー……あとちょっとやなぁ…」

    桐生の穏やかな呼吸音が響く部屋の中で、その声はあまりにも喜色に濡れていた。
    月明かりでひとつだけ輝いていた瞳が、ゆっくりと閉じていく。
    もう眠る時間だ。

    「たのしみやね、桐生ちゃん」

    隻眼が消え、片目の蛇だけが残った。



    -------------------------



    こわくなっちゃった😥
    本当に実験のためだけの文章でした。
    加害者一名、被害者二名、か……。
    大体いつも通りですね。


    今年は未完フォルダの文字数を減らす予定が、44万字→52万字へと早くも大成長しました。さっきこの謎を解明すべく見直したら、書いて満足して放置してる文章が大量にありました。今更この量をどこにどう載せればいいのか分からないです。
    参ったね、こりゃ。
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