雑誌撮影リターンズⅠ.
先日発売された雑誌の反響は凄まじかった。
“元広域指定暴力団”というレッテルは、“チョット怖くて顔のいい男たち”というビジュアルに負けたらしい。それをどう受け止めるべきかは微妙なところだったが、マァ世間に批判されるよりかはいいことだろう。
担当者からは五月雨式に感謝の言葉を送られ(いつの間にか西田が窓口の役回りになっていた)、西田もたくさんの好意的なネットコメントを読んだ。
正直かなり嬉しかった。
ずっと背中を追ってきた憧れの二人が世間から注目されている!
その事実は誇りと共に、西田の胸の中でカッカと燃える炎となっていた。
俺はその背中を一番近くで追いかけたんだ!
この人たちの生き方は格別カッコいいんだ!
そう自慢して回りたくなるような気持ちだった。
そして今日。
特大ニュースが舞い込んできたため、西田は喜んでもらえるだろう報告を携えて、息せききって二人の家へと車を飛ばした。
日当たりのいい庭に植えられた大きな木の下。
並べられた座り心地のよさそうなロッキングチェアで、目的の男たちは寝そべって本を読んでいた。
「こないだの雑誌、大人気でしたよ!」
「……へぇ」
「そうか」
二人は顔すら上げなかった。
桐生の長い指がページを捲る。
真島の影響で読書習慣がついたらしい。桐生が読んでいる本は流行りの娯楽小説で、西田も一度は読んだことのある作家の最新作だった。たしかロボットが犯罪を犯す話だ。帯にはデカデカと『意識は脳髄の産物にすぎない』と書かれていた。
西田はこの最悪なリスニング姿勢に慣れていたので、気にせず弾んだ声で続けた。
「すごい売上だったらしいです!電子媒体の売上は過去一、紙媒体でも久々の大口増刷を頼むことになったとかで、担当者の方がとても感謝していていましたよ!ネットでもいくつも記事が出てます、全部好意的なものばかりです!」
「……」
「……」
心地いい春の風が三人の間を通り抜けた。
「…えっと……」
「……」
「……はぁ、」
さらさらと揺れる木陰の下。
横たわる静寂をさすがに憐れと思ったのか、ようやく桐生が読んでいた本に栞を挟んだ。
ぱた、と閉じた本を腹の上に乗せる。
しかし身体を起こす気はないらしく、頭はヘッドレストに預けたままだった。
「別に俺らの影響じゃねぇだろ、それ。裏表紙だったんだし」
そういった桐生は、『だろう?』というかのように首を傾け、片眉を上げた。
……そう。西田が『表紙』だからと真島に頼み込んだ結果、桐生と春日まで巻き込んでようやく決行となった雑誌撮影は、正確には『裏表紙』の撮影だった。
スタジオ入りに同行した西田は、真島の『あ?なんや裏表紙かいな』という言葉に自分の致命的な伝達ミスを思い出し真っ青になったが、実際三人ともまったく気にしておらず、むしろずっと『ひっくり返したら元暴ってのは社会風刺的なヤツか?』と、編集部も意図していないだろう視点で首を捻っていた。全員少しばかり感性がズレていた。
西田は桐生の言葉に大きくかぶりを振った。
「いえいえ!雑誌刊行前にSNSで発信した皆さんのオフショットへの反響がものすごくて、今まで購入層でなかった層からの購入が爆発的に増えたんですよ!これは快く引き受けてくださった皆さんのお陰だと、未だ編集部はこの話で持ちきりらしいですから」
途中、桐生が不思議そうに呟いた「快く…?」という言葉は聞こえなかった振りをして最後まで言い切った。
あまり思い出したくない、なるべく早めに忘れ去ってしまいたい部類の記憶だったからだ。
ただ……一応気になる方のために何があったか軽く説明すると、以下の通りである。
――撮影当日。
西田は真島が撮影を渋るだろうと予想して、彼をスタジオに引っ張っていくために屈強な元組員六名を連れて来ていた。
「親父、あと20分で出ないと……あぁ…」
リビングに入ると、案の定。
どこにも出掛ける気がなさそうな格好でソファに座る真島の姿があった。グレーのスウェットに細フチの老眼鏡。完全にオフの日である。
新聞のお悔やみ欄を読み込んでいた真島は、ぞろぞろと現れた西田たちに視線を向けることなく邪魔な犬にするように手を払いながら、
「桐生ちゃんの魅力をどこぞの下らん奴らに知られとうない。ほんで桐生ちゃんが出んモンに俺も出とうない。撮影なんぞ却下や、却下。雑誌の奴らには隠居したじじいがへそ曲げたとでも言っとけ」
と言い放った。
こないだ丸く収まったはずの話が、当日ぺしゃんこになってしまった。
西田たちは助けを求めるように桐生を見たが、ダイニングチェアに腰掛けた桐生は真島の淹れたコーヒーを片手にクロスワードパズルの真っ最中で、手助けする気はゼロのようだった。
なるべく強硬手段は最後にとっておきたい。
なので元組員たちは口々に、
「親父そこをなんとか!」
「雑誌載ってるとこ見たいっす!」
「親父の写真、孫の代まで語り継ぎたいなー!」
「発売までワクワクして眠れないな~!」
と体育会系のヨイショ作戦に移行したのだが。
早々に「じゃかあしい!」と吼えた真島により、屈強な男たちはアッという間に叩き伏せられた。
さすが生涯現役を謳っているだけはある。
一切家具を傷つけることなく器用に男六人を這いつくばらせた真島は、コキ…と首を鳴らしてから、外行きの黒シャツとスラックス姿の桐生にも不機嫌な声を向けた。
「桐生ちゃんもそないな恰好せんでええ。あの話はナシや。俺は行かんからな」
決心の固い声だった。
西田は(あーあ…)とため息を吐き、床に伸びている男たちの服をぺろりと捲っては暴行の証拠である痣をひとつひとつ撮影した。
あーあ、やっぱこうなるんだ…と思いながら。
ヨイショも武力行使も一瞬でご破算となった今、西田に残された道は担当者へキャンセルのメールを送ることだった。真島の暴挙の詳細とこの写真を添付すれば先方は納得してくれるだろうか。
気まずいなぁ嫌だなぁ…これだから元暴は、とか言われちゃうんだろうなぁ……とぐじぐじ思いながら、なんとか考え直してくれないかと期待して真島を見上げる。
「お願いですから行きましょうよ、あと10分で出ないと間に合わないですよ…」
「うっさい。はよそいつら連れて帰れや」
「早く行ったら早く帰れますから、ね?」
「施設の送迎ごねてるジジイちゃうねん」
「この写真送って万が一先方に通報でもされたら親父、たぶん暴行罪でムショですよ?俺嫌ですよ、親父と鉄格子越しに会うの…」
「送らんかったらええやろドアホ」
「そんなぁ…」
ダメそうだった。
真島は頑なにウンと言わない。
西田の脳内ではドタキャンごめんねメールの証拠写真により真島に捜査当局の手が及び、なんやかんやの罪が被せられ数年間の服役……という最悪のシナリオが展開されていた。『送らんかったらええやろ』の声は悲劇一色の脳内を右から左へと通り過ぎていたので、西田はグズッと鼻を鳴らして滲んだ声を上げた。
「おれ悲しいっす……グス…」
「……?」
その今までの騒音とは違う湿度の高い声にチラリと壁の時計を見上げた桐生は、「もうこんな時間か…」と呟いた。それがこの日、西田が家に来てから初めて聞いた桐生の声だった。
桐生は床に落ちてる男たちを見て、鼻を赤くしている西田を見て、出発時刻になってもダルっとした部屋着姿の真島を見て、すべての出来事を察したらしい。
「はぁ…」
ため息ひとつ。
ボールペンを机に置いた桐生は――
「じゃあ俺と春日だけで撮ってくる」
――魔法の一言で、あっけなく事態を収拾した。
桐生は『×〇※△□◇~!』と悲鳴を上げる真島を腰に背中にくっつけたまま颯爽と玄関へ向かい、固まる西田に『さっさと車出せ』と指示を出し、車内で『ほら着替えろ』といつの間にか用意していた真島の一張羅を渡し、イヤイヤ期の男を宥めながら無事スタジオへと引きずって行ったのだ。
その手際の良さたるや。
西田たちには決して真似できない芸当。自分に惚れ込んでいる男を上手に扱う、目を瞠るような鮮やかな手腕だった。
……というわけで。
決して“快く”引き受けた話ではなかった。
裏でとんでもない労力がかかっていたのだ。
しかしこれは身内の恥でしかないので当然担当者の知る由もない出来事であり、このような誤解が生まれている…という訳だった。
閑話休題。
「まぁ、物珍しかったんだろ」
桐生は人から見られることも褒められることにも慣れていたから、編集部の反応を聞いても実にアッサリした反応だった。
木漏れ日の下で小さくあくびをしている。
穏やかな風に目を細め、今にもうたた寝しそうな様子だった。
西田は(この人ネット見ないからなぁ)という困り顔で、今の追い風に乗った人気具合をどう伝えたものかと唇を噛んだ。バズっている投稿を見せたところで『へぇ』と何も分かっていない顔で頷かれて終わるに決まっているので。
ネット情報に強い真島ならばこの凄さを上手に説明してくれるかもしれないと思ったのだが……当の真島は西田が来た時から変わらぬ姿勢で本を読み続けており、まったくの“我関せず”状態。
ちょうどページを捲るタイミングで、紙の擦れる音がさり…と宙に漂っただけだった。
「で、今日はわざわざそれを言いに来たのか?」
緩い声に視線を戻せば、自分の腕を枕にして片目だけ開けた桐生がこちらを見ていた。『もう終わりなら俺は寝る』という姿勢だった。
この二人には傾聴の心得がないのだ。
西田は雑誌の大成功を共有して明るい空気の中で本題に入るつもりだったのだが、まったく思うように進まない。
諦めてタブレットの液晶画面をスライドし、今日来た最大の要件であるメールを呼び出した。
「いえ、実は今度お二人に『表紙を飾ってほしい』という依頼が来てまして…」
「はぁ?なんでや」
不機嫌そうな声とともにずっと真島の顔を隠していた『超マクロ展望 世界経済の真実』が閉じられ、胡乱な表情を浮かべた顔が現れた。
ようやく会話をする気になったらしい。
「ですから、大人気なんですよ!読者からもっと見たいという要望が殺到していて…」
「待て。二人って、俺と兄さんだけってことか?」
「そうです」
先方は真島と桐生を指名だった。
なんでも裏表紙で二人が触れ合っていた写真が話題になり、読者から『ぜひあの二人の関係をもっと知りたいです』『なんであの二人だけ距離近かったんですか?今後特集ありますか?』という問い合わせが殺到したらしい。
「しかも今回は正真正銘表紙です!さらに16ページ分の枠も用意したそうで、お二人の特集が目玉となる構成です!」
“こんな絶好の商機を逃す手はない”。
そう判断した編集部は読者の声を反映した企画を組み立て、異例の速さで再度オファーを出してきたのだ。
西田としても、二人が表紙を飾るところは是非見たかった。裏表紙であんなにカッコよかったのだ。表紙+特集ともなれば様々な衣装を身に纏うことになるだろう。
きっと彼らは何を着ても似合う。
それに今度は桐生と二人きりの撮影依頼だ。真島のテンションも上がるに違いないと踏んでいたのだが――
「やるワケないやろ。なんでわざわざ見世物にならなアカンねん」
真島は平坦な声で言い、鼻を鳴らした。
「えっ……桐生の叔父貴と二人の撮影ですよ…?」
「それがなんや。一緒に暮らしとるんや。写真が欲しけりゃいつでも撮れるわ」
「で、でも今度は表紙ですよ…?」
「あんなん一度で十分や」
「そんなぁ…親父ぃ……」
ぺしょ…と情けない声を上げても真島の意志は変わらないようだった。
前回ゴネていた時と同様、桐生と紙面を飾れる嬉しさよりも、世間に桐生の良さが広まることの方が嫌らしい。独占欲の強さが滲み出ていた。
真島は本の背を指先でゆっくりと叩きながら、馬鹿な相手に言い聞かせるときの、不気味なほど優しい声で続けた。
「よう考えてみぃ、そもそも俺らみたいなモンが表舞台でもてはやされること自体がオカシイねん。その話に乗って過去の仄暗いしがらみが出てきたらどないする気ぃや?ウン?少なくとも陪審の受けはよくないやろうな。それに俺はまだ組の頭やっただけやからええけどな、桐生ちゃんは一時やったとしても組織のトップやったんや。瓦解した組織の破片が飛ぶ先はいつだって一等上に立った人間や。こんなどでかいリスクがある話を世間の興味を満たすためだけに引き受けるアホなんておら――」
「え、出ないのか…?」
滔々と語られていた言葉は、桐生の残念そうな声でピタリと止まった。
10割桐生のことを想っての拒絶理由を述べていた真島は、『ら』の口の形のまま、信じられないという顔で桐生を見た。
「……なに?桐生ちゃんああいうの好きやったん?」
そこまで乗せられやすい男だったろうか。
いや、そうではあるのだが。自ら派手に目立つことを好む質ではなかった筈だ。
この心境の変化には西田も驚き、目をぱちくりさせた。てっきり桐生は『騒がせておけばいいだろ。俺は御免だ』というスタンスのままとっくに眠りについたと思っていたので。
驚きに満ちた3つの目玉を向けられた桐生は、「…悪いかよ」と唇を尖らせた。
「あんたの写真がぜんぶカッコよかったから、また見てぇなと思っただけだ」
「え」
西田は真島の呼吸が止まる音を聞いた。
しばらくしてアップルウォッチが『異常な心拍を検出しました』と鳴り始め……そのアラーム音でようやく呼吸の方法を思い出したらしい真島は、酸欠で掠れた声をしていた。
「カッコよかった…?」
「ああ」
「ぜんぶ?」
「ああ」
「ま、また見たいん……?」
「すげぇ見たい」
「ッ……」
とんでもない威力だった。
桐生は自分の言動がどれほど真島を動かすか知っていたから、とろりと目を細めて、口角をチョットだけ上げて、『すげぇ見たい』と無邪気に甘えた声を出したのだ。
結果は明白で。
「さ、さよか……ウン………ほな一緒に出よか……」
口元を片手で覆った真島は視線をさ迷わせながら、ちいさく呟いた。
耳まで真っ赤に染まっていた。
と、いうわけで。
真島と桐生の撮影オファーは、またしても“快く”受理されたのであった。
◇
Ⅱ.
「へぇ…?はぁ、そんなことが…」
大吾はふんわりとした相槌を打った。
言われたことがよく分からなかったからだ。
対する桐生は曖昧な返事に気付いていないのか……そもそも気にしていないのか。喉の奥で「ン…」と短い音を出したきり、ぼんやりと窓の外を眺めたままだった。
空のうつし絵のように澄みわる池で、山吹黄金が宙を泳ぐ筆の軌跡のように舞っている。
揺れる水面が光を放ち、記憶よりも白い桐生の横顔に美しい水紋を描いていた。
「……」
大吾はカップの縁に口付けながら桐生の顔色を盗み見た。
普段なら真っ先に手を付けるはずのチョコレートケーキが、少しも損なわれることなく桐生の前に鎮座していた。
・ ・ ・
街でバッタリ会った桐生は様子がおかしかった。
目が虚ろで覇気もない。
大吾はこのあと用事があったのだが、午後の予定をすべてキャンセルして『ちょっとお茶しましょう』と桐生の腕を引いた。
ホテルのラウンジは心療内科の診察室には遠く及ばなかったが、大吾は代わりに桐生の好きそうな甘いケーキとコーヒーを与え、リラックスできる雰囲気を作った。
とうとう真島との生活に嫌気が差して刺殺してしまったとか、腹に据えかねて朝食にヒ素を盛ってしまったとか……そういう類の話だと思ったからだ。重めの告白はせめて明るい空気の中でした方がいいだろう。大吾なりの気遣いだった。
大吾は安心させるように微笑んだ。
死体の処理程度、造作もない。
今まで築いてきたパイプは健在だ。
真島に恩がない訳でもなかったが、大吾はシンプルに桐生の方が好きだっため、たとえどんな凶悪な手口の殺人だったとしても味方でいようと思った。
しかし頼ってもらわなければ手が出せない。
昔真島との対話のために読み込んだ<こころの治療方法大辞典>を思い出しながら、手始めに『我慢してきたんですよね』とやさしく寄り添ってみたところ、ほろり…と桐生の表情が変わった。
効果はバツグン。
相当追い詰められていたらしい。
大吾は胸が詰まる思いがした。
野火のような魂を持つ気まぐれの化身によって、当時どれほど苦労をしたことか…。
桐生は知らないだろうが、真島を大人しくさせるために留置所へ放り込んだ回数は両手の指では足りなかった。迎え(逮捕)のパトカーも慣れたもので、
『うちはデイサービスじゃないんだから』
と言いながらも、数日間の拘留と威嚇のためにサイレンを鳴らして走った。
ちなみに大吾が国家機関に初めて親愛を抱いたのは、真島を乗せて颯爽と走り去るパトカーを見送った時である。その姿はとてもカッコよく見えて、純粋な心で『大きくなったら警察官になりたい』と思った。
そういえば最近真島を見ないな…と呑気に茶を飲んでいた矢先、テレビで真島の死亡速報が流れた。その日の夜には馴染みの警官たちと賭けをした。
大吾はストンと死亡の情報を受け止めたから“真島吾朗は死んだ”側に賭けるつもりだったのだが、警官たちが全員そちらに賭けたものだから、泣く泣く“真島吾朗は生きている”側に賭けざるを得なかった。
結果、一人勝ち。
賭博罪を免れるために報酬はすべて警官に返したので大吾はただ単に“美しい極道愛”を見せつけただけの男となり、
『やっぱ極道ってのは家族想いなんだな』
『あんたの愛情深さには恐れ入った』
と口々に褒められて、警察官のことが大嫌いになった。
……と、このように。
大吾は真島の起こしてきたアレコレで大変な苦労をしてきたし、警察官アレルギーを発症する羽目になった。そんな悪影響ばかりのウイルス元のような男と寝食を共にする生活を送るのは、一体どれほどのストレスか。
桐生がウッカリ手を滑らせるのも仕方のない事だった。
そう思っていたのだが。
何度か口ごもった後ようやく伝えられた内容は、
『雑誌の表紙に載るんだ、今度』
という、大吾のまったく予想していないどころか――サッパリ訳の分からない話だったのだ。
・ ・ ・
「ええと…それでは、誰も殺してないんですね?」
「……?なんでそうなったんだ?」
黄金色の尾ひれを眺めていた桐生の視線が不思議そうに大吾に戻された。
曖昧な笑顔で「なんでもないです」と返事をしながら、まだあたたかいコーヒーを啜る。
殺人の話でも殺人未遂の話でもなかった。
これは、一般的にはいい話なのだろう。
大吾は世間からの承認欲求なんてものはないためよく分からないが、名の知れた雑誌の表紙を飾るというのはきっと“大成功”の部類に入るはずだ。
しかしそれならば、なぜ桐生はこんなにもやつれたような――そう、疲労のさ中にいるような表情をしているのだろうか。まるで三食+生活習慣を完璧に制限されてストレスが溜まっている人間のような顔をしていた。
「そもそもなんで表紙に?」
「少し前、兄さんにオファーが来たんだ。そのときは春日と俺も裏表紙に載ったんだが…」
「え!そうだったんですか」
初耳だった。
聞けば「たしか三ヶ月くらい前」とのこと。
「な、なんで言ってくれなかったんですか…」
「別にいいだろ」
桐生の返事はそっ気なかった。
興味がないというよりも心ここにあらずといった様子で、紙ナプキンの端を弄っている。
「それで……まぁ、なぜか兄さんと俺に今度は表紙のオファーが来てな。ちょうど先週話が纏まって、来週には撮影なんだが――」
「…はい……」
大吾も心ここにあらずだった。
ファッション誌に縁がないせいでまったく知らなかった。普通に見たかったのに。いまから三ヶ月前の週刊誌なんて買えるのだろうか。
そんなことばかりぐるぐる考えていたが、桐生のひと言でサァッと脳が冷えた。
「――制限してるんだ、良くするために」
『制限』、『良くする』…
桐生の病を思い出した。
ガンの治療を受けると決意した桐生の容態は目覚ましく回復し、今や二ヶ月に一度の検診で医者に褒められるほどになっていると聞いていたのだが。
もしかして、悪化したのだろうか。
心臓が嫌な軋み方をする。
桐生を病気で失うなんて絶対に嫌だった。
無理をしないように傍できちんと見張ると真島に誓わせたというのに、何かを制限しないといけない段階まで悪化しているというのだろうか。
「それは…ご病気の関係で…?」
喉に貼り付いた言葉を、咳き込んだような掠れ声で押し出す。さっき飲んだコーヒーの潤いは一瞬で消え、視界の中心では桐生の顔色が一層悪く映った。
桐生がふっと笑って軽く目を伏せた。
…大吾の好きな笑い方だった。
桐生は手をつけていないチョコレートケーキのフォークを指先で撫でながら、なんでもないかのような声で言った。
「糖化は肌によくないらしいからな」
「……はだ…………?」
そう言いながらもチョコレートの魅力に抗えなかったのか、角をひと掬いして口に運び、「うまいな」と目元を和らげる男を、大吾は呆然と見つめた。
「スタッフがうるさいんだ。ヘアメイク担当とか言ってたが、二週間は徹底しろってアレコレ細かく指示してきてな」
未だ心臓はドッ…トト…と変な動きをしていて、背中にはじんわりと冷や汗の感覚がある。
大吾はとても緊張していたのだ。
もし桐生の口から余命を告げられたらどうすればいいのだろう、と。
それなのに。この男は。
「はぁぁぁぁぁ~……」
肺の底から息を吐きながらずるりと椅子の背に凭れる。
「なんなんだよ…」と少し滲んだ声でぼやけば、すかさず「何がだよ」と返された。桐生は元来喧嘩っ早いのだ。あの真島が傍にいるから霞むことが多いが、昔からメンチの切り返しは誰よりも早かった。
先走って誤解したのは大吾だ。
桐生の言葉足らずも原因だが……そこはもう仕方ない。もう一度深く息を吐いて、テーブルに頬杖をつく。腕を伸ばして桐生の手からフォークを奪い、ケーキを一口食べた。
慣れない甘さが口に広がる。
顔を顰めれば、目をぱちくりしていた桐生が「…なんだよ」と小さく笑いながら言った。普段の大吾らしくない行動が面白かったらしい。
彼の好物をもう一口食べてやりながら、フォークの先をゆらゆら揺らして桐生を指す。
「あんたが、制限してるって言うから」
「ウン」
「俺はてっきりガンが進行して、余命僅かなんだと思ったんですよ。……食事制限しないと生きられねぇくらいなんじゃないかって」
「ふ、はは、なんでそうなるんだ」
桐生はふはっと声を上げ、おかしそうに笑った。
とんでもない誤解の理由にくしゃりと目尻を細める。
「そんな弱ってねぇよ、俺は」
大吾はその言葉に片眉を上げ、三口目のケーキを掬った。
「だってアンタ、顔色悪いから」
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これで想定している完成品の20%くらいです。
起承転結の「承」の冒頭くらい。
長いなぁ、ウェブオン間に合うかのなぁ……?
でもこの話、書いててとっても楽しいです!
久々にちゃんと展開を考えながら書いてるつもりですが、書きたいものを100%書けるほどの力がないので長編だとボロがたくさん出そう;;
あーん、力が欲しいよ…;;