グッバイ恋心「来月この映画やるんやて」
「……」
「あ、コレこないだ桐生ちゃんに似てる思った猫。ソックリやろ」
「……」
「大麻って今グラム五千円なんやぁ」
「……」
「ここ今度行こな、オススメの店」
「…ん」
桐生は壁に寄りかかり、狭い空に昇っていく煙を見上げていた。
真島は桐生のすぐ横にしゃがみ、気だるそうに煙草を吸いながら器用に様々な画像をパッパッと表示させている。桐生は初めの頃こそ律儀に付き合っていたが、最近は右から左だ。
真島の生きる時間は桐生よりずっと早いのではないかと思うことが多々あるが、この時間もそのひとつだった。
真島がいつになく真剣な顔で付き合ってくれと言ってきたのは、もう三ヶ月前になる。
その時桐生は、神社の片隅で甘酒を飲みながら確定申告のことを考えていた。当然そんなことをした経験はないし今後する予定もないのだが、どうやら世間ではポピュラーな行事らしい……というのをラーメン屋のテレビで知った。
気圧のせいか頭がぼんやりして全身が気だるかったから、あれは面倒臭そうだったなぁ…きっと誰もが面倒だと思っているのだろうなぁ…と同じことをぐるぐる考えながら、ちびちびと紙コップを傾けていた。少し風邪気味でもあったと思う。
……とにかくその日はそんな調子だったから、初めは何を言われたのか分からなかった。
「俺と付き合ってくれ」
桐生は突然現れたかと思うとキュっと口を引き結んで真剣な顔をしている真島を見て、甘酒に口をつけ、答えを探すように辺りを見渡し、首をかしげ、それでも真島が真剣な顔をしていたからこれはきっと大事なことなのだろうと思って、「わかった」と頷いた。
そのときの真島の顔ったら!
信じられないという風に息を止め、やがてゆるゆると首を左右に振り、少し震える指先で桐生の腕に触れて「…嘘ちゃうよな」と言った。
嘘だと言ったら消えてしまいそうな声だった。
それから――それなりに変化はあった。
喧嘩の回数がほんの少しだけ減り、食事を共にする回数が増えた。今までなら気にしなかったような怪我を心配されるようになったし、真島が桐生に触れることも増えた。
あと、キスもするようになった。
大抵それはお互い血を流した後で、桐生は動かないコンクリートの壁と真島の硬い体にはさまれて、息も絶え絶えになるようなキスをされた。ガッチリと後頭部を掴まれ隙間なく密着し、少し乱暴に壁に縫い付けられるだけで、桐生は背筋が震えるほど気持ちが良いことを知った。
そして桐生の口内を思う存分貪ったあと、真島は決まって壁に背を預ける桐生の横にしゃがんで、あれやこれやと中身の薄い話をし始めるのだった。
ちょうど今みたいに。
「バショウカジキって魚類最速でギネス載っとるらしいで。知っとった?」
「……」
桐生は、これは一体どういうことかとずっと考えていた。
確かに告白のシチュエーションとしては夢だったのかな…?と思う程度には突発的で、控えめに言って情緒もなかったし、それに対する自分の返事は嘘かと思われても仕方がないほどアッサリしたものだった。
しかし桐生は大人しくキスを受け入れているのだ。それは真島がキスをするからであり、桐生もそれを望んでいるからに他ならない。
舌を入れられても噛み付かず、ぞくぞくと煽られる熱を相手に伝えるように首に腕を回してさえいるのだ。
自分の返事はきちんと態度で示している。
これ以上に必要なことなんてあるのか?と桐生は思っていた。
それに――これは桐生の中で言うまでもなく当たり前のことだったが――桐生はきちんと真島のことが好きだった。言葉にしたことはないが、ずっと前から想いを寄せていた。
惚れた切っ掛けはなんだったか。桃源郷にトラックで突っ込んできた時か、はたまた国会議事堂にダンプカーで突っ込んできた時か……。
とにかく、『どんっ!』という大きな音と衝撃と共に恋に落ちたことは覚えている。真島の周りはいつだって破壊音に満ちていたから、もしかしたら何度も落ちたのかもしれない。
恋をしたからといってとくべつ世界は煌めかないし、この歳になればドキドキもあまりしない。恋に落ちてから長い桐生はポーカーフェイスが得意になっていたが、真島に求められた時は、いつだって彼の事しか考えられなくなるくらいの歓喜が身を包んだ。だからこそ太ももに硬い熱を押し付けて欲を孕んだ目をするくせに、アッサリと日常に戻る真島が、桐生には理解できなかった。
大の大人二人が付き合って未だキスのみ。最近の中学生のほうがよっぽど進んでいるだろう。告白されたあの日から、喧嘩をして酒を酌み交わし、時折人目につかない場所でキスをするだけの、とてもプラトニックな関係が続いていた。
そんな日々が過ぎ。
桐生の行き着いた答えはシンプルに最悪なもので、「遊ばれている」という結論だった。
「はぁ……」
狭い空を見上げながら、ため息のついでに煙を吐く。きっとそうだ、と思った。
何かしらの罰ゲームとかでこうなっているのだ。だから真島は桐生の答えにああも驚いたのだろう。キスは悪趣味なゲームのオプションといったところか。嫌がらせでやってみたらなぜか弟分が乗り気で、それが気まずくて必死に平静を装っていると考えれば、大体の辻褄が合う。
男相手に発情してるのは……まぁ真島ならできそうではある。奇想天外とか前代未聞とか支離滅裂とか、そういった四文字が似合う男だから。
短くなった煙草を落とし、かかとですり潰す。
この数ヶ月の自分が哀れで、滑稽だ。
けれど冷静に考えれば、そもそもこんな美味い話はある訳がなかった。ひっそりと好意を抱いていた相手から都合よく告白されるなんてことはそう起こることではないのだから。
それに……仮に真島が自分に好意を持っていたとしても、彼の好意はしょせんキスまでの範疇で収まるものなのだろう。そうなればやはり、この関係を続けたところで真島と桐生の線が交わることはない。
もともと似て非なる感情だった。それだけだ。
そして桐生は心臓の柔らかい部分をくり抜かれた。
変わったのは、それだけ。
そろそろ潮時だろう。束の間の幸せは得られた。
この思い出で満足するべきだ。
そう決心したものの気持ちは重く沈み、それに伴って知らず知らずのうちに下がった視線を真島に向け――
「…………は?」
「んあ?……、」
――スマホに視線が引き寄せられた。
ホーム画面を凝視する。
ぱっと見上げてきた真島の顔が「しまった!」という表情になり、口角が中途半端に上がったまま凍りついた。
「おい、それ…」
真島のスマホ壁紙は、桐生の横顔だった。
写真の桐生はどこかのバーにいた。自分の行きつけではない。真島に連れられて行ったところだろう。
まったく撮られた記憶のない写真だった。
「あー……その、これはやな…」
真島は素早く左右に視線を走らせ、あー…だの えー…だのもごもごと呟いた。普段の饒舌な姿はナリを潜め、ひたすらかっかっと顔を赤くしている。
「えーと……これは……」
見たことないほど赤くなった真島は、可哀想なほど動揺していた。なんとか間を取り繕うとしているのが痛いほど伝わってくる。
桐生は真島の見たことのない顔に目を瞬かせながら、どのような言葉が出てくるのか待った。
しかし。
「ぁー……、」
凍りついた口元はやがて黒い手袋に覆われ。
「ぇー…………」
さまよってた視線はどんどん低迷し。
「……」
ついには、完全に俯いてしまった。
桐生はあまりに予想外の反応にび…っくりして、真島が完全に沈黙するまでの間、ぽかん…と棒立ちのまま見ていた。
真島なら桐生が納得できるような理由をでっち上げ信じ込ませることなど造作もないだろう。必要ならば天動説でも宇宙膨張の減速でも信じ込ませられるだろうに。なぜこの男は黙って撃沈しているのだろうか。
気まずい沈黙が横たわる。
桐生はつい先ほどまで真島に「遊ばれている」と思っていて、ほんの少し前には「この関係を終わりにしよう」と思っていたが、衝撃ですべてが吹っ飛んだ。
すっかり大人しくなってしまった真島のつむじを見下ろし、真島の前に同じ様にしゃがみこむ。まさか…と思いながら、恐る恐る口を開いた。
「…兄さん」
「……おう」
「兄さんはもしかして……俺のことが好きなのか?」
「は!?おまっ…、ぇ…言っ…」
がばっと顔を上げた真島は思っていたよりもずっと近くにあった桐生の顔に驚いて、つぎに桐生の言ったことに驚いて。
小さな声で「言ったやん…」と呟いたあとに、もっと小さな声で、「あたりまえやろ…」と言った。
「そうか」
「おう…」
「好きだから俺の写真を撮ったのか」
「……おう…」
「そしてスマホの壁紙にしたんだな」
「なんこれ、事情聴取……?」
片手で顔を覆った真島は、「最寄りの警察署ならここ出た道を左や…」と死にそうな声で言った。
すでに真島の頭の中では盗撮犯として捕まる未来が鮮明に描かれていた。極道の組長として一番情けない罪状だったが、こうなっては仕方ない。盗撮って何年やったっけ?三年?と頭の中の刑期データベースを捲っていた真島は、次第にサァー…っと血の気が引いていくのを感じた。
服役は別にいい。よかないが、どうにでもなる。きっと大吾は罪状を聞いて死ぬほど笑うだろし、嫌味な幹部連中は満面の笑みでシャンパンを傾け合うだろうが、そんなことはどうだっていい。
問題は、桐生にどう思われたかだ。
きっと気持ち悪いと思われただろう。隠し撮りな時点でキモイと言われても仕方がないのに、それを壁紙に設定していたのだ。桐生は今きっと混乱しているからこうして話しかけてくれているが、事実関係がハッキリしたら(ハッキリも何もすべて桐生が見たままなのだが)曖昧な笑顔で距離を置かれるに違いなかった。
(……アカン、終わった。)
バレたことへの羞恥心でいっぱいだった脳内が、一気に負へと傾いた。
「…………その」
「うん」
「……ほんまに………や、すまん…」
「それは盗撮したことに対してか?」
「…あー……ウン、ぜんぶ…?」
真島は桐生の顔が見れなかったから、コンクリートと一体化したガムの成れの果てを見ながら喋っていた。
「俺の写真を撮るくらい俺に惚れてるのか?」
「……おぅ」
「撮って壁紙にするくらい?」
「…………おう…」
なぜ彼はさっきから供述調書作成のような質問をしてくるのだろう。頭の端でそう思ったが、もはや聞く気力もない。
蚊の鳴くような声で「あなたのおっしゃる通りです」という旨の返事をし続けることしかできない。こんなことになるなら一度でいいから無茶苦茶にすりゃよかったな、と思った。もう半ば自暴自棄である。
真島は桐生を一等大事にしていた。
今まで手を出さなかった理由はシンプルだ。
桐生に嫌われたくなかったのだ。
キスをするたびに鼻にかかった甘い声を上げ、何も誘導していないのに自分の首に両腕を絡め、もっととすり寄ってくる恋人を思う存分抱きたくて仕方がなかったが、いつもギリギリ千切れかける理性を寄せ集めてどうにかこうにか取り繕っていた。
桐生に負担がかかるだろうな、とか。
そこまで望んでいないかもしれないな、とか。
そもそも真島の告白もよく理解していないかもしれないな、とか――正直これが一番の理由だったのだが――そんなことを考えると、万が一にも嫌われる可能性のある選択肢は選べなかったのだ。
あの告白の日。あまりにもアッサリ頷かれたせいで、真島はずっと疑心暗鬼に陥っていた。
少し補足をすると、この件に関しては真島もある意味被害者だった。
確かに告白のタイミングは良いとは言えなかったしお世辞にもロマンチックと言える状況ではなかったが、桐生の態度にも問題があった。
あの日、真島はとてもドキドキしていて長く話すと口から心臓が出そうだったから、とても端的に想いを伝えた。自分でもシンプルすぎるかな…?と不安になったが、シンプルな思考回路の桐生が相手だから問題ないだろうと思ったのだ。
桐生は時折、真島の想像を遥かに超えることをしでかすのだが、この時もそうだった。
一世一代の簡潔な告白に桐生は少し考えてから「分かった」と頷いたあと、外交儀礼を果たす大臣のように「これからもよろしく」と固い握手を求めてきたのだ。真島は「ウン…?」と首をかしげて何かおかしいなと思いながらも空気に流され、恋人になったと思わしき男と信頼に満ちた握手を交わすこととなった。
…なんで?と思いながら。
この日から真島はずっと、静かに混乱していた。
ちなみに。
たとえば後日にでも真島が「あのさ、俺のこと好き…?」なんて聞ける性格であれば少しは違ったかもと思われるだろうが、仮に聞けたところで桐生が素直に「うん、大好き…♡」なんて言う確率は絶望的に低いので、どちらにせよ拗れるのは必然だった。
閑話休題。
そんな始まりだったから、真島は桐生の気持ちがよく分からなかった。好意を言葉にされたことはなかったし、キスしている時以外の桐生は今までと何も変わらなかったから。
だから真島は自分の歯止めが効くうちにとろんとした顔の桐生を引きはがし(正確には自分と壁の間に桐生を閉じ込めるのをやめて)、昂る熱を誤魔化すようにしゃがみ、意味のない情報で脳みそをいっぱいにすることに務めていたのだ。
「なんで俺に言わなかったんだ」
「――ぇ?……なにを?」
質問の意図が分からずに顔を上げると、桐生はとても真剣な顔をしていた。絶対嫌われたやろし今すぐその手で殺してくれへんかな…と思いながら、そんなことはおくびにも出さずに真島も真剣な顔を作る。
桐生は何を汲み取ったのか一度頷き、とても綺麗な発音で言った。
「『お前の写真を待ち受けにしたいから撮らせてくれ』って、なんで俺に言わなかったんだ」
「……はあ?」
立ち眩みがした。しゃがんでいるのに。
なんで?「なんで」だと……?言っていたら大人しくカメラに収まり、その写真が真島のスマホの壁紙になるところまで機嫌よくとなりで見守ってくれたとでも言うのだろうか?自分の知らない内に、お伺いを立てれば何でもまかり通る世の中になったのか?
もしそうなのであれば真島は、
『お前の全身に噛み付きたいから服を脱がさせてくれ。無理矢理して負担かけたくないし三時間は前戯にあてるつもりやけど、たぶん途中で俺のチンコ爆発するからそん時は背中の龍にかけてもええよな。ちゃんとケツで気持ちよくなれるようになったらいっぱいえっちしよな。あ、俺に抱かれとる顔撮ってもええ?』
と、自分の性癖をひけらかしながら要望をゴリ押しただろう。
しかし真島にだってなけなしの良識はある。
「あんなぁ桐生ちゃん…」真島は疲れの滲んだ声で言った。精神は正しく疲労困憊で、視線はまたアスファルトのガムに固定さていれた。
「そないなこと言えるわけないやろ…」
「なんでだ?」
「なんでて……」
真島は段々と苛々してきた。
今までどれだけ我慢してきたと思っているのだ。
真島の欲望なんて知らないくせに、まるで願えば叶うかのように話す桐生に腹が立った。
この怒りはお門違いだというのは百も承知だったが、もうどうせ嫌われてるだろう。今後見向きもされなくなるなら、いっそ全部吐き出してしまった方がいい。そして浴びるほど酒を飲んでから出頭しよう。
「っ、」
真島は掴んだ胸倉を地面に押し付けながら、倒れた桐生の太腿の上に腰を下ろした。なぜ抵抗しなかったのか分からないが、あっさりと自分の下に収まった姿をまじまじと眺める。
やはりいつ見ても、どこから見ても、綺麗な男だった。
「重い…」
「俺はなぁ桐生ちゃん」
真島は桐生の苦情をサッパリ無視した。
「手に入れたかったんや」
「……」
「俺はお前に惚れとる。桐生ちゃんが口下手で態度で示すタイプの男やってことは百も承知やし、それに関してお前に何か言う気もない。……でもな、俺は、俺だけが勘違いしとるんちゃうかってずっと思っとった」
「兄さん……」
桐生は何か言いかけたが、発言を制するような真島の視線に口を閉ざした。真島の手からはとっくに力が抜けていて、桐生の胸倉をかろうじで掴んでいるだけとなっていた。
静かに語る声が続く。
「告白の答えを自分に都合ええように受け取って、お前の気持ちを考えとらんかった。確かめて、もしあの日と違う答えが返ってきたらと思うと……。せやから、ずっと先延ばしにしてきた」
「……」
「キスした時に殴られんかっただけ有難いと思っとけばよかったんやろな。俺はしょーもない欲が抑えきれんかった。もっと触れたい、お前を抱きたい、俺だけにしてほしい……でも何よりも大事にしとるから、何も知られとうなかった。ほんま……ハハ、とことん恰好付かん男やろ。らしくない保身に走った挙句、何ひとつ手に入らんのやから」
真島の低い声は、もう二度と手に入らぬ過去を懐かしんでいた。こんなことを聞かされたって桐生は迷惑だろうが、どんな形であれ少しでも長く記憶に留まればいい。
そんな女々しい己を自嘲気味に笑う。
これで終わりだ。
真島の束の間の幸福は、この薄暗い路地裏で息絶えるのだ。
まったくお似合いな最後だった。
「…なんや?」
視線の先で、桐生が小さく左手を上げていた。虫歯の治療中に「チョット痛いんですけど…」と伝える時のような、遠慮がちな挙手だった。
片眉を上げて促す。
桐生は少し考える素振りを見せ、口を開いた。
「兄さんの話だと、まるで俺に片想いをしているみたいに聞こえたんだが…」
「そうやな」
「それはおかしくないか?」
「あ…?何がや」
「俺もアンタのことが好きだよ」
まるで「太陽は東から昇りますよ」というかのように、まったく何の気負いもなく桐生は言った。
「……え?」
真島はカラッカラの喉を震わせてもう一度「え?」と言い、試しに桐生の頬をつねった。即座に「痛ぇ!」とつねった倍の力で叩き落された。
じんじん痛む手を抱えて、「夢ちゃう…」と呟く。この痛みは現実だった。
「なにするんだ」
「ゆ、夢見とるんかと思って…」
「なんでそうなる」
「だってそれやと…桐生ちゃんがその……俺のこと好きみたいに聞こえたから…」
「そう言ったぞ」
「ええ?」
真島はプチパニックを起こしていた。
数秒前までは懺悔室での告解のように粛々と己の愚行を悔いていたのに、唐突に降ってきたブルドーザーが懺悔室をぶち壊していった。
なんて言った、この男は。両想いということか?
両想い……?
「き、桐生ちゃんが俺を……?」
「うん」
「お前は俺のことが好きなん?」
「そうだ」
「だからあんなかぁいらしい顔でキスしとったん…?」
真島は「そんな顔してねぇ!」と殴り飛ばされて意識を失い、目が覚めたら独房の中にいるものだと思っていた。盗撮罪に強姦罪あたりも追加され、10年ほど刑務所暮らしになるのだと。……あまりにも都合のいい現実すぎて、とことん不幸に傾いてくれないと到底信じられそうになかったからだ。
桐生の腕が伸びてくる。利き手だ。
引き寄せられて頭突きか、もっと怒っていたら喉を掴んでくるか。真島は何も避ける気はなかったから、その手の行く先をじっと待った。
桐生の手がうなじに掛かる。
やはり急所を押さえてきた。
真島はやわらかい力に抗わず、誘導されるがままにゆっくりと頭を下げ――
「っ、~~!??゜」
ちぅ、とキスをされた。
満悦した猫のように目を細める桐生を呆然と見る。
人生で一番かぁいらしいキスだった。
「俺も好きだよ、兄さん」
「~~~っ!」
言ってほしいと願い続けていた言葉をいざ言われるとあまりの威力に返事が出来ないのだと、生まれて初めて知った。
真島はこの短時間での感情の起伏が激しすぎて、そろそろ不整脈が出そうな体調になっていた。心臓が凍り付いたり動いたり、止まったり加速したり、ハチャメチャな動きをし続けている。大忙しの心臓が胸骨を突き破らんばかりにドンドコ動いていて、数メートル先にまで聞こえそうなくらいの大きさで鼓動が鳴っていた。
どうにか呼吸の仕方を思い出す。
「夢でも、嘘でもないんか……?」
「ああ」
「ほんまに…?」
「なんでずっと手ぇ出して来なかったのか分からなかったんだが、俺のことを大事にしてくれてたんだな」
「ぁー……ウン…」
真島は自分の体温がおかしいくらい上がっていて、どこもかしこも情けないくらい赤くなっているのが分かった。「耳まで真っ赤だ」と笑いながら頬に添えられた桐生の手を掴み、血管の浮く手首にうやうやしくキスをしながら、真島はようやく理解した。
告白をした日から、真島は桐生に何かを拒絶されたことは一度もなかった。
キスはもちろん、ふとした時に腕を引いたり、雑に頭を撫でたり、そういったスキンシップはすべて大人しく受け入れられていた。軽口で「ほんま桐生ちゃんは甘々やから俺がずっと見ててやらんとなぁ~」と言った時も、桐生はほんの少し口角を上げて「ん、」と頷いていたではないか。
あの時のことは白昼夢か何かだと思っていたのだが、そうではなかった。
桐生は真島だから、すべて許していたのだ。
ちゅ、ちゅ、と音を立てながら開かせた手のひらにもキスを落とし、それを大人しく受け入れている桐生を見下ろす。
胸の内が多幸感でいっぱいだった。
もう一度、きちんと告白しようと思った。
この想いを桐生に伝えたくて仕方なかった。
「きりゅうちゃん…」
真島は桐生の目にも同じ炎が灯っているのを見て、素晴らしい関係への第一歩を仕切り直そうと口を開き――……はっとあることに気が付いた。
「待て、お前……や、まさかとは思うけど…」
「ん?」
「お前、あの日握手してきたやろ。あれまさか、告白の返事やったんか…?」
「あぁ…それ以外にあるか?」
あるだろ。と真島は思った。
むしろそれ以外の理由なら大抵のことがあるだろ、と。
あんな外交官による国交改善のような握手に「俺も好きですよろしくお願いします」なんて意味が込められているなんて、一体誰が分かるというのか。
真島はなんだかどっと疲れてヒヒヒ…と笑い、やはりこの数ヶ月の自分はらしくなかったな、と思った。自分らしくしていれば、きっとこんな生殺しの三ヵ月を過ごさずに済んだだろうに。
真島は桐生の顎を掴み、その唇に噛みついた。
口内をまさぐり舌を引きずり出し、吸う。いつも通り首に腕を回してきた桐生の手に後頭部を撫でられ、ぞくぞくとした高揚感に脳が犯されてゆく。
執拗なキスに熱い息を吐く桐生の肩を押さえつけ、額をこつんと合わせる。何度も見なかった振りをしていた温度の高い目を見つめ、真島は喉の奥で唸るように言った。
「もう、我慢せんからな」
絶対に逃がさないように押さえつけたままそう言う男に、桐生は「今更逃げたりしねぇよ」と笑い、とびっきりのいい声で応えた。
「ずっとこの日を待ってたんだ」
◇後日談◇
あれから、二人は何かに急き立てられるようにホテルへ向かった。
ひとつ桐生の想定外だったことは、真島の前戯が信じられないくらい長かったことだった。もいいい、もうやめろといくら言っても、まだやろ、もう少しと全く聞く耳を持たず、真島がそろそろ己のブツを挿れてもいいだろうと判断した頃には桐生はへろへろになっていた。その頃には枕を噛んで声を我慢する気力もなく、押し出されるように甘ったるい声を上げて好きなように揺さぶられて、まてなにかおかしい…!と思った瞬間に、ブツンと意識が途絶えた。
翌朝桐生が真っ先に見たのは真島の土下座姿だったが、自分の全身が清められている上に思ったよりも尻のダメージが少ないことに気付き、次はもっと前戯を短くしろと言うに留めた。真島なりの気遣いなのは明らかだったからだ。
ちなみに、桐生がこの言葉をサッパリ無視されていたと気付くのは一週間後の話である。
真島は盗撮の件を追求される前に自ら「桐生ちゃんが好きすぎて…いつも顔見てたくて…」と反省した姿勢を見せて告訴を免れた。真島は開き直ったら何でもできるタイプなので、かわゆくほんのり顔を赤くして桐生の庇護欲を誘い、他に150枚を超える盗撮写真の存在すべてを完璧に隠蔽した。ずりネタにしていたなんてバレた日にはきっと鉄格子の向こう側に行くことになるからだ。
これにより東城会上層部による『祝・真島逮捕記念パーティー~司法に乾杯~』は開催されることなく、大吾が人生で一番笑うことになったであろうネタの提供もなくなった。
かくして、二人のまどろっこしい恋事情はこれにて一旦収束となる。
この一年後、誰にも迷惑をかけないはずの同棲でほぼすべての知り合いに迷惑をかけることになるのだが、それはまた別の話である。
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読んでくださってありがとうございました。
普段はこんなあとがきは書かないのですが、自分が書いたものを読み返してあまり理解が出来なかったため、ざっくりした初期構想をお伝えできればと思い蛇足ですが記させていただきます。
設定は以下の通りで、
桐生・・・手を出してこない真島に焦れる。本人に言うのも癪だし自分の片想いだったのかも。
真島・・・大事すぎて手が出せない。本当に桐生が自分の事を好きかわからない。
こんな二人が何かしらの切っ掛けで想いが通じ合う、両想いウルトラハッピー物語(になる予定)でした。頭の中では「この設定なら間違いない」と勝利を確信した私が満面の笑みでGOサインを出し、私の両手はそれを形にするだけで良かった筈でした。
問題は、「なんかしらの切っ掛け」がまったく思い浮かばなかったことです。
桐生さんがキュン…とときめき、真島の兄貴が格好良く笑いながら愛を囁けるような、そんな切っ掛けが一ミリも浮かびませんでした。なので試しに盗撮という罪を被せて進めてみたところ、半ば強引に想いが通じ合い、そのお陰で兄貴の罪もいい感じにうやむやに出来ました。僥倖。
そしてもうこれでいいかな…と保存ボタンを押し、今に至るという訳です。
何が言いたいかというと、文字を書くにあたっていい感じの参考書というか…マニュアル本というか、そういったおすすめの本はありますか?出来れば綺麗で儚くたおやかな、幸せに満ちた文章が書けるようになりたいです。よろしくお願いします。
それとこれは本当にわたくし事ですが、本日指の動脈を抉る怪我をして、ちょうど関節辺りを縫いました。よりにもよって一番動かしづらくなる部分を負傷したため…その……えー……まぁ、なんていうんでしょう。クリスマスの話?うん、なんか前に言ってましたよね、書きます~みたいな…ね。えへへ。全然まだ日数ありますけどね、いやぁ~この数日のロスが響いちゃうんじゃないかな~?みたいな。これが本題だろうって?いやまさかそんな、一か月後の保身のためにこんな毛ほども面白くない文章をわざわざ読ませるなんてそんな……ハハ、まさかね。