被害者:堂島大吾「ゴロ美ぃ…お酒弱くってぇ……ふえぇーん…」
「すごい、清々しいほどの嘘泣きだ…」
大吾は呆然と呟いた。
今日は久々に桐生と飲みに来ていた。
最初の店は俺が決めていいか?と言われ、指定されたのはキャバクラ。
大吾としてはあまり歓迎できないチョイスだったが、なんでもゴロ美とかいうキャバ嬢の約束が断れなかったらしく、重ねて桐生に「すまん、最初だけだから…」と謝られてしまっては頷く以外の選択肢がなかった。
そして入店と同時に顔見知りの女装姿を目の当たりにして気を失っていた大吾は、奈落へ落ちる感覚でハ…っ!と目を覚ました。
何か悪夢のようなものを見た気がする。
全身に冷や汗をかきながら身を起こせば、向かいの席には桐生とゴロ美の姿。
「……???」
再び気絶しようとしたが、出来なかった。
大吾は面倒事に――とりわけ真島が絡む面倒事には極力関わりたくなかったから、「真島さん何してるんですか」とも「桐生さんそれ真島さんですよ」とも言わずに黒服を呼んで店で一番高い酒を持ってこさせ、迷惑料としてその酒の倍のチップを渡した。
今の東城会の評判がどうだか知らないが、少なくともこの店では最底辺だろうから。
まともな人間もいるのだと知ってほしかった。
「もうゴロ美飲めなぁい……桐生ちゃんこれ飲んでぇ…?」
ぐずぐず鼻を鳴らすゴロ美の発言が耳に入る。
ゴロ美は上目遣いで桐生を見つめながら肩に寄りかかっていて、酒がなみなみと注がれたグラスを押し付けている最中だった。
桐生がいくら鈍くてお人好しで騙されやすいといえど、流石にこれに引っ掛かりはしないだろう。
真島はザルを通り越してワクだ。たとえ10L飲んだところでケロっとしていることは当然桐生も知っているだろうし、さてどう断るのやら……
そう思っていたのだが。
「なんだ、もう飲めねぇのか?」
桐生は柔らかく微笑んで、ゴロ美の凶器のように爪を伸ばした手からグラスをそっと取り上げた。
「うそだろ……?」
大吾は怖くなった。
自分がおかしいのだろうか。
もしかしたら真島によって引き起こされる日々のストレスのせいで、自分の認知機能か視神経に重篤な障害が出ているのかもしれない。本当は桐生の横には普通の成人女性が座っていて、キャバクラらしい接客をしているだけなのだろうか…。
しかしいくら目を擦っても目の前にいるのはピンクのボディコンを着た身内の大幹部だし、隠す気のない白蛇の刺青はこちらを睨んでいるし、「もぅゴロ美…身体が熱くてぇ…」と頬を染めている顔に髭が生えているのも変わらなかった。
「酔いやすいんだな、ゴロ美は」
「ぅん。。。でもウチ、カシオレとかカルアは大好き♡色もかわええし、美味しいし♡」
「女の子らしいのが好きなんだな。…どっちも意外と度数があるのは知ってたか?」
「えぇ~!そうなん?甘いお酒は平気やと思ってたのにぃ…」
「気をつけねぇと、悪い男にあっという間に酔わされちまうぜ」
「やだぁ桐生ちゃんったら!ウチのこと酔わそうなんていう人おらんってばぁ!」
笑いながら軽く桐生の肩を叩いたゴロ美の手首を、桐生の手が優しく掴んだ。そしてクイ、と自分の方に引き寄せてとびっきりセクシーに視線を絡ませ……
「俺は、ゴロ美を酔わせてみたいと思ってるよ」
「えっ……や、やだぁ…もう…桐生ちゃんったら…」
……地獄かな?ここは。
大吾はオンナの顔になりながら恥じらうゴロ美と、カッコよく目を細める桐生の姿を見ながら思った。
なんならゴロ美の顔はなるべく見たくなかったから桐生の顔ばかり見ていて、「へー桐生さんって女口説くときああいう顔するんだ…」と現実逃避していた。
マァ今口説いている相手はゴロ美だし、ゴロ美は女じゃなくて広域指定暴力団の大幹部なのだが。
大吾は指を鳴らして黒服を呼んだ。
「はい、如何されましたでしょうか」
「あのゴロ美…?とやらは、この店で長いのか」
「ええ。ゴロ美ちゃんはもう二年くらいになりますね」
「にねん……」
大吾は絶句し、「ここのオーナーに...渡しておいてくれ……」と先ほどのチップの10倍の額を小切手に書き、黒服に渡して下がらせた。ささやかだが慰謝料代わりだ。二年も前からゴロ美なるものが存在していたことも、桐生が至って普通に接していることも、受け入れがたかった。
何より、自分が何か恐ろしい計画の一部に巻き込まれているんじゃないかという焦燥感が拭えない。
だってあの真島だ。
いつも無茶苦茶でどうしようもなく態度が悪い上に大体のストレス源となる男だが、無意味なことはしない。真島がそういった無駄を嫌う質なのは長年の付き合いで知っていた。
ならば、これは必然的に意味のあることとなる。
東城会の今後において、布石となる何かだ。
「ウチのこと酔わせてどうする気なん?もうっ!えっち!」
「ふっ、ゴロ美は何を想像したんだ?」
きっと桐生もそれを承知の上でこの戯れに付き合っていて、今日は密に計画の進行を伝えるために大吾を呼んだのだろう。
「それは……っもぉ、桐生ちゃんのイジワル…!」
「意地悪かどうか、確かめてみるか?」
「えっ……」
真島は長期計画が練れる男だし、桐生はこれでいて演技派なところがある。「懐かしいな。俺も声を当てたことがあるんだ」と言いながらBLCDを眺めていたことがあったし、腹を括れば何だって出来る男だから……
「もぉ。そうやって他の子ぉにも言ってるんやろ…?」
「まさか…俺が酔わせたいのはゴロ美だけだよ」
「~~っ!!////」
……これが東城会の未来に役立つだろうか。
大吾の冷静な頭が一瞬そう思ったが、何らかの計画でないのなら、この耐えがたい茶番劇は二人のプライベートということになる。
それが一番恐ろしい。
まさか家がどこにあるのかも分からない真島の第一発見プライベートが女装だなんて、普通に知りたくなかった。
「顔、赤くなってるな」
「やっ、み、見んといてぇ…っ」
大吾はアルマンドを一息に煽り、慌てて注ごうと寄ってきた黒服に手を振って「あと五本持ってきてくれ」と言った。
ひたすら手酌でアルコールを体内に入れ続ける。
「ウチ、桐生ちゃんの前で恥ずかしい思いしてばっかりやぁ…」
「俺は色んなゴロ美の顔が見れて嬉しいよ」
「きりゅうちゃん……」
――恐らくこれは東城会に何の関係もない。
飲めば飲むほど逆にクリアになっていく頭で、大吾はそう確信した。
今の東城会が抱えている軋轢と、真島周囲の確執と、組織のシノギをすべて思い返して、そう結論付けた。一瞬フィリピンの売春シンジケート絡みかとも思ったが、やはり真島が女装して桐生に迫る現状とは何の結びつきも得られなかったからだ。最悪だ。
本気で、仕事であってほしかった。
「あの、」
「桐生ちゃんはほんま女の子をドキドキさせるんが上手いんやから~!」
帰っていいですか、という声はゴロ美の黄色い声にかき消された。
もう一度尋ねる気力は残っておらず、大吾は再びどぼどぼと酒を注いで飲み干した。一刻も早く酔いたかった。
「ほんま……ウチを煽るのがじょーず♡」
ふっと空気が変わる。
今まできゃあきゃあと恥じらう顔を見せていたゴロ美は一転、行儀よく揃えていた脚を組み(机によって隠れていた網タイツを目にした大吾はごふっと噎せた)、胸の前でキュッ♡と揃えていた両手を桐生の首に回して強引に引き寄せた。
「っおい、ゴロ美…?」
ゴロ美の男らしい低い声と桐生の焦った声をBGMに、大吾は黒服からタオルをもらって服を拭いていた。なるべく丁寧に、時間を掛けて水分を拭きとり、目の前の現実に意識を向けないよう努めていたが……
「ウチずぅっと我慢してたんやで?桐生ちゃんがカッコイイ顔して笑うたびに、両手縛って思う存分泣かせたいなぁって思ってたん、知ってた?♡」
「え、いや、知らねぇ…」
「やんなぁ?♡知っとったらウチのことあーんな煽るような顔せんもんな♡」
「ご、ゴロ美、顔が近い……」
「あん♡逃げんといて♡」
「うわ…っ!」
桐生の驚いた声とドサッという音に視線を上げれば、頬と首にキスマークを付けた桐生が押し倒されていた。
ゴロ美の毒々しい爪がボタンを外していく。
先ほどまで乙女のようにはしゃいでいたゴロ美の姿はどこにもなく、ギラついた隻眼が桐生の表情をつぶさに観察していた。
「ゴロ美、二年も我慢したんやで…?ほんまはもーっとお行儀よくしていーっぱいご褒美貰う気ぃやったけど……もう、ええよな♡」
「な、なに言って……」
「ウチが天国見せたげる…♡」
「ッ!?む、ん~~っ!」
「……???」
女装をした真島が桐生にキスしている。
大吾はもう完全に状況についていけず、ただただ目の前の奇怪な光景を見守ることしかできなかった。
一話見逃したかな?と思うほどの超展開。
ゴロ美の剥き出しの腕が、血管を浮き出させながら桐生を押さえつけている。大吾は、まぁ普段から金属バット振り回してればああもなるか…とゴロ美の筋肉を見て、机の上の酒瓶に案外桐生も飲まされてたんだな…と思い、やっぱり勃ってるよなぁ…とゴロ美のボディコンを押し上げている膨らみから目を逸らした。
このままこの店で何が起こるのか。
どうしてこうなってしまったのか。
全くもって理解できなかった。
「っはぁ、カワイ♡」
だが、少なくとも確かなのは――この夜確実に、桐生の貞操的な何かが、破滅的な方向に転がった……ということだった。
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このあと桐生ちゃんはゴロ美にとこかへ連れて行かれ、大吾は目の前からピンクの女装男が消えたことで気が抜けて再び気絶。翌々日の幹部会で、何事もなかったのような顔をしている真島を見て脳の奥が痛みます。
なにか…恐ろしい事実を忘れている気がする……。
このあと記憶を取り戻した大吾がゴロ桐の真相を知る…みたいな感じにしようとしましたが、あまりにも大吾がストレス過多なのでやめました。