君を憂う 聞き覚えのある着メロが聞こえてきた。
夕暮れの河川敷、土手の茂みの中に転がっているスクールバッグ。ファスナーが開いて中から教科書やノートが乱雑にこぼれ出ている。見覚えのある携帯電話もそこに紛れて、チープなメロディを奏で続けていた。
場地は耳に当てていた自分の携帯電話をそっと下ろすと、発信を終了する。目の前の携帯電話がプツリと音を止めた。
これは千冬のスクールバッグだ。つい一時間ほど前まで学校で顔を合わせて、自分は補習があってすぐには帰れそうもないことを告げると「じゃあオレ一旦帰りますんで、終わったら落ち合いましょう」と千冬は言った。今日の夜は集会があるから。補習が終わったら電話すると言ってあったのに、かけても出ないなんて、おかしいと思っていた。
どうして千冬の鞄だけがここにあって、当の千冬はいないのか、考えても分からないのでとりあえず散らばった教科書達を鞄の中へ仕舞っていく。夜の気配を孕んだ風が、ざあ、と土手の緑を撫でると、穏やかな景色のはずなのに奇妙な胸騒ぎがした。
(千冬、今、……何処だ?)
その胸中の問いかけは、思ったよりも早く答えが出た。
「……あ」
全て拾い終えて立ち上がった時、少し先の高架下の影にぼんやりと白い塊が落ちているのが目に入る。場地は導かれるようにその白い塊に歩み寄った。
「……千冬」
予感は的中。白く浮かび上がっていたのは制服のYシャツで、千冬は体をくの字に丸めて眠るように倒れていた。川にでも入ったのか全身はずぶ濡れで、シャツが肌に貼りついている。顔に殴られたばかりのような赤い傷が見えた。
場地は口の中が急に乾いたような感覚に襲われて、千冬の顔を食い入るように見つめる。千冬、とすぐにでも声をかけて起こしたいのに、体のどこもかしこも凍り付いたみたいに固まって動けない。
「……ちふ、ゆ」
ようやく絞り出せた声も、蚊の鳴くように、か細く途切れる。そんな自分に腹が立った。
「千冬」
「ひゃあ はいっっ」
場地の怒声に条件反射の様に千冬が飛び起きる。状況を理解できていない丸い瞳が、見下ろす場地の姿を捕らえた。
「え? あ……あれ? 場地さん……補習は?」
「終わった」
「ええっ。今何時スか やべーオレ、寝ちゃってた」
「……千冬ぅ。ンなトコでなにしてたん」
「いえ、あの……」
喧嘩をしていたであろう事は明白だったが、どこかバツが悪そうな様子が気になる。
「なにしてたって聞いてんだよ」
「う……その、集団で喧嘩しかけてきたんで……ちょっと疲れて寝ちまってたみたいなんスけど……もう全然元気ッス!」
ムキ、と場地よりも華奢な右腕で力こぶを作って見せる。
「すげー濡れてっけど。何? 川で乱闘でもしてたんか?」
「あーこれは……」
自分の服がしっとりと肌に貼りついていることに今更気づいた千冬は、観念したように説明した。
「実は”子猫が川で溺れてる”って他校の知らない奴が声かけてきて……。いや俺もおかしいな、とは思ったんスよ? でも早くしないと子猫が流れて行っちゃうと思って……」
「……で?」
「子猫の姿探してたら後ろから蹴り入れられて川に落ちたんスよ。マジブチギレてその後全員バチボコのタコ殴りでしたけどね」
「……」
「ハハハ……」
場地の目からサッと感情が消えた気配を察知して、千冬の笑いが引き攣る。
「……場地さん?」
怒っているのか、呆れているのか、伺い知れない場地の様子に千冬が戸惑っていると、場地は大きなため息をついてしゃがみこんだ。
「お前ってほんとよく群れに絡まれてんな。次絡まれたらちゃんと俺も混ぜろよ」
「へ、あ、はい。ありがてぇッス!」
とは言っても大体一人の時を狙って囲まれて、応援など呼ぶ暇もなく殴り合いになるので、できるだけ目を離さないようにする他ない。
「千冬。お前はいい奴だよ。溺れた子猫を助けようなんてさ……。でもその優しさがお前の隙になっちまってるんだ」
どんなに強い奴でも、隙を見せたら付け込まれる。それがいつか、千冬の命すら脅かしてしまうような気がしてならない。
「お前が信じていいのは仲間だけだ。東卍の奴らだけだ」
千冬が東卍の一員であり続ける限り、どんな危険に巻き込まれても仲間達は必ず駆けつけて力になってくれるだろう。もちろん、一番に駆け付けるのは自分だが、と場地は思った。
「隙を見せるな。仲間以外信用するな。分かったな」
「は……はい! 肝に銘じます!」
千冬が拳でドン、と己の心臓を叩く。仰々しい返答に場地は苦笑した。
「おう。忘れんなよ」
返事の代わりに、クチッと千冬が小動物のようなくしゃみを漏らす。
「大丈夫かよ。もしかして風邪ひいたんじゃねぇか?」
「いや、そんな、だいじょうぶっすよ。へ……へ……」
へくちっっ!
どうやら大丈夫ではない様子だ。そりゃあずぶ濡れで寝っ転がってたら風邪もひくワ……。呆れながら場地が呟くと、千冬はグズグズの鼻をすすりながらズビバゼン……と謝った。
とりあえず今日の所は、この隙だらけの副隊長は集会を欠席させることにしよう。
終