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……今、何時だろう。
薄ぼんやりとした頭で枕元の時計を掴み、同じくぼんやりとした視界で確認する。
硝子蓋の奥は丁度大小の針が真上で重なるところ。つまりあれから家に帰って、冷蔵庫のビールを浴びるように飲んで、ベッドに倒れ込んでから半日以上が経っている。
多分、リビングは空のビール缶が散らばったままのはず。思いたくない現実に気づいて陰鬱と枕に伏せた。
とにかくあの光景を思い出したく無くて、最悪な夜を何も考えないようにと煽りまくった。おかげで途中から記憶が曖昧だ。
「…………うー……」
「おはよダーリン」
「ぅわあ」
完全に思いもしなかった声がして全身で飛び跳ねた。
反動でベッドから脱落し、背中を床に打ち付ける。
「大丈夫?」
「だいじょ——っ、来ないで!」
背中をさすりつつ、すぐに警戒の姿勢を取る。
どうして部屋に。そうだ、以前多忙に飛び回る彼のセーフハウスにと合鍵を渡していたのだった。
だとしても、あんなのを見た後で訪問を歓迎できるはずが無い。
例え——まだ好きだったとしても。
「ぐ、グレッグ?」
「よく平気な顔でいられるな? お目当ての指輪は見つかったかよ」
「ゆび、指輪 ちょっとまって、何のこと」
「とぼけなさんな。それとも何か? お得意の演技で私くらい簡単に騙せると思ってんのか?」
嗚呼なんて酷い言葉だ。彼を侮辱する暴言だ。
けれど、強気にならないと、せっかく抑えたものが全部溢れ出しそうだった。
「……他所にアテがあるなら出て行ってくれ。こんなおばさん構ってないで、もっとお似合いの可愛い子に時間を使ってあげな」
俯いて、彼から顔を隠す。
彼を見られない。
私を見られたくない。
「グレッグが何を勘違いしてるのかわからない。グレッグが本当に望むなら従うけど……その前に、そう言う根拠を教えてほしいな」
「……見たんだよ。昨日の晩、待ち合わせ近くの宝石店にいたろ。可愛い子と一緒、に」
「宝石店…………あー」
やっと思い出す様子の声に乾いた笑いが漏れた。
なんだ、やっぱりそうじゃないか。
「その近くの、カフェ、で時間潰してたら、見えた。ずいぶんと、仲がよさそう、だったな」
鼻の奥がつんと痛い。絶対泣くまいと力むせいで言葉が途切れ途切れになっていく。
「ほら、おもい、出した、なら……っ早く行けって。ここにいたら、もったい……ない…………」
早く行って。お願い。
弱いところを見せたくないの。
「グレッグ、顔上げて」
いつの間にかすぐ近くにいたロージャに驚いて顔を上げる。
膝をついても差のある視線が私を優しく刺した。
「私は、グレッグのことが好きだよ。それは変わらない。もし浮気を疑ってるなら無駄な心配だよ。信じて」
「っでも!」
本当は、ロージャの浮気なんて疑いたくなかった。けれど確かに見てしまったのだ。
「それね……あー、んー……」
急に歯切れが悪くなり目を泳がせる。
やがて、ちょっと待っててと一旦寝室から抜けて小さく上品な紙袋を片手に戻って来た。
「本当は、もうちょっとカッコよく渡したかったんだけど……」
そう言って照れ臭そうにはにかみながら私の手に乗せたのはひとつの髪飾りだった。
いくつかのパールと、光の角度によってブルーにもグリーンにもなる石が丁寧にあしらわれた一品。
「これ……」
「プレゼント。大好きなグレゴールに」
ロージャは眉尻を下げる。
「実はさ……ちょっと前にオーダーしてて、完成の連絡が入ったから取りに行ってたんだ。そうしたら事務所の子が自分も恋人への指輪選びたいって言うから、行先一緒だったしついでに手伝っただけ」
「で、でも腕組んでた」
「人懐っこい子だからね。同期や後輩に良くああやってくっついてるんだ。……ごめんね、私も当たり前に思ってたけど一応注意しとく」
「い、いや、そこまでは」
「んーん。グレッグの言葉聞いてわかったから。自分の恋人が誰彼構わず抱き付いてたらどう思うって」
「あ、う」
晒してしまった醜態に、やっと羞恥が追いかけて来た。
要は、勘違い。
浮気っぽく見えたからと、追及もせずその場から逃げて、思い込んで独りで勝手に自棄になっていたのだ。
「消えたい……」
「あはっ、消えないで」
「ロージャ、ごめん。浮気なんか疑って、デートも——あ、そうだデート!」
そうだった。ロージャに連絡も入れず帰宅したから完全に私がすっぽかした状態だ。
「うん。二時間待ったよ」
にっこりにこにこ。
笑顔のロージャに土下座する。
「ごめんなさいぃ許してくれ!」
「うーん、どうしよっかな?」
「ロージャぁ」
「……ふふ、いいよ。心配はしたけどそんなに怒ってないし。グレッグのやきもちも見られたし」
でもせっかくだし、と続ける。
「デートのやり直し、しよっか。私が選んだものを付けてるところ見たい」
顔を上げるように促され、大きな手がぐちゃぐちゃの髪を撫でつける。
そういえば、寝起きも寝起きで楽なシャツとパンツだけだったことを思い出し、一度治まった羞恥がぶわりと噴き上がった。
「わっ見苦しい恰好でごめんすぐ着替えるから」
「大丈夫ー。むしろ誘われてるのかと思ってたよ?」
「さそっ」
ロージャの言葉に一層熱くなる顔を隠すことも出来ないままベッドに戻され閉じ込められる。
「夜まで時間あるから……ね?」
昼の光に欲望が混じる。
散々いろんなものを晒しきってしまった私に、拒否権などなかった。