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    sorairoskyblue

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    sorairoskyblue

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    🐡🍠エア新刊(間に合わなかった)用に作っていたお話です。
    DD宇くん、その後のお話。
    ハッピーにエンドなんてなくて、それから先の人生も、つまづいたり、挫けたりしながらそれでも誰かと一緒に生きることを決めた人たちのお話。

    ⚠️DK宇くん、DD宇くんシリーズを読んでないと設定がわかり辛いです。
    ⚠️モブの出番がめちゃくちゃ多いです。

    ##宇煉

    マリッジ・ブルー 大学四年生の秋。宇髄の就職先が決まった。第一希望が通って、煉獄が自分のことのように喜んでくれたのが嬉しかった。少し良いところで、食事でもしよう。そう誘われて、よくこんなところを煉獄が知ってたな、なんて思うようなレストランで食事をした。その帰りに、人気のない公園を手を繋ぎながらほろ酔い気分で歩いて。少し開けた場所で、煉獄が足を止めた。どうしたのと問うと、煉獄がぎゅうと宇髄の手を強く握る。煉獄の顔が、段々赤くなっていて、それを見てると何を言いたいのか、なんとなくわかる気がした。
     だから、心の中で宇髄は叫んだ。
     ——お願い、それは、言わないで。
     でも、腹を決めて然りと宇髄を見つめたその瞳に飲み込まれて、口には出せなかったのだ。
     
     ***
     
    「へぇ」
    「お前、俺と先生とのことになると途端に興味なくなるよな」
    「いや、興味はある。断られるワケないって思ってたプロポーズ、断られた時のあの人の顔は見たかった」
    「ハルカって、もしかして先生のこと嫌い?」
    「ううん、だーいすき」
    「——……嘘くさ」
    「嘘じゃねェよ。いつも大人ぶってるあの人が、お前に振り回されてわたわたしてんの見んのが好きなの」
    「性格わっる」
    「知ってる」
     
     ニコ、とハルカは笑って、スマートフォンをいじりはじめた。宇髄ははあ、と大きくため息をついて、カフェテリアのテーブルの上に突っ伏した。
     
    「それで、別れんの?」
    「別れねェよ」
    「プロポーズ断ったのに?」
    「……別に、結婚だけが全てじゃねェだろ。そもそも俺と先生は男同士だし、法的に婚姻関係を結ぶことは出来ない訳で。それなら別に今と何ら暮らしは変わらないっつうか」
    「俺だったら一世一代のプロポーズ断られた相手と、何事もなく一緒に暮らすのマジで無理だけど。精神的に」
     
     それを言われると、痛い。だが、あれから一月、特に煉獄の様子に変わりはなかった。普通に仕事に行って、一緒に食事をとって、夜は同じベッドで——、そこまで考えて、ふと、あることに気がついた。
     
    「……そういや、セックス、してないかも」
    「どんくらい?」
    「一月」
    「リアルめにやばいな、それ。つーか、そういうの今の今まで気づかなかったってどうなの。EDに戻ったの?天元くん死んだ?」
    「勝手に殺すな。戻ってねェよ、全然元気だわ。ただ、元々、そういう欲求が薄いっつーかさあ。セックスは先生が気持ちよくなりゃそれで良くて、それよりも抱き合ったりとか、手ェ繋いだりとかそういうことのほうが好きなの」
    「赤ちゃんか」
    「うるせェよ」
     
     子供の欲求だ。そんなことよく分かってる。だが、煉獄の側に居れば居るほど、いつの間にかそういう自分が姿を見せてしまう。最初はそれが嫌で嫌で堪らなかったのに、それでいいよと煉獄に甘やかされる度に、当たり前になってしまっていた。
     煉獄のことが好き。それは、初めて彼への恋心を自覚したあの日から、変わらない。だけど、煉獄と重ねていく日々の中で、どんどんと大きくなっていく感情は、時折酷く傲慢で、醜いような、気がする。
     
    「聞かねェの?」
    「何を」
    「どうして、プロポーズ断ったか」

     ハルカの飴色の瞳が、宇髄を捉えた。聞かない。ハルカはただ一言そう返して、宇髄の頭にぽん、と手を置いた。
     ——彼のこういうところが、宇髄は好きだった。
     何も問題は解決していないのに、何故だか救われたような気持ちになって宇髄は笑った。紙コップに入ったオレンジジュースを飲んで、そっちはどうなの、と問う。
     
    「俺は向こうの院決まったし、年明けに花子の両親に挨拶にいって、うちの家族にも会ってもらうつもりだよ。あと二年は学生だし、すぐに籍は入れらんねェけど」
    「……めっちゃ具体的に動いてるじゃん。何、そんな結婚願望強いほうだった?」
    「相手が花子だからな」
    「何、あいつ束縛強めなタイプ?」
    「その逆。他に好きな人が出来ても、あたし応援するからねって面と向かって言われる。フッツーに傷つく」
    「あー…まあほら、子どものこともあるし、色々負い目っつうか、うん、悪気はねェと」
    「いやどんだけ信用ないんだ俺はって話だよ。だから、外堀を埋めに埋めて逃げられなくしてやろうかって思って」
    「考え方がサイコなんだけど、え?俺は会わせちゃいけない二人を巡り合わせて?」
    「お前みたいに、相手が良ければそれでいいなんて思えないからな、俺は。性格がねじ曲がってるモンで」
     
     必死なんだよ、と呟くハルカの顔が、笑っている筈なのにすぐにでも泣き出しそうな気がして、宇髄は心臓がざわりとした。なんて言葉をかけていいかわからなくなって、不自然な間だけが流れる。すると、そんな宇髄に気づいたハルカが、ふっと目を細めた。

    「んな真面目にとんなよ。本気で俺がヤバいヤツみたいじゃん」
    「——……いや、ヤバいだろ」
    「可愛くて綺麗なものは、出来るだけ手元に置いておきたいだろ」
    「だからそういうのが怖いんだっての」
     
     冗談か本気がわからないようなやり取りを交わしていると、三人組のグループが近づいてきた。ハルカはそれに気づいて、やば、と宇髄の影に隠れようとしたが、時既に遅し。一ノ瀬さん、と声をかけられて宇髄にだけ聞こえる声でげ、と呟いたが、すぐにいつもの人当たりの良さそうな笑顔を向けた。
     
    「お疲れさま」
    「お疲れさまです。宇髄さんも。
     丁度良かった、文化祭の件前向きに考えてくれました?」 
    「前向きも何も、アレは断ったつもりなんだけど…」
    「そこをなんとか」
    「グイグイ来るな…」
     
     見るからに体育会系の男が、遠慮なくハルカの隣に座ってぐいと身を乗り出した。後の二人は、どうしたものかと戸惑いながら後ろで様子を伺っている。
     
    「文化祭?」
    「あ、宇髄さんからも説得してくださいよ。俺たち、文化祭実行委員で、ミスコンと合わせて女装コンテストの企画を担当してて。その女装コンテストに、ぜったい一ノ瀬さん出てほしいんですよ。もう五十回くらいお願いしてるんですけど、全然首を縦に振ってくれなくて」
    「え、めっちゃしつこい」
    「天元」
    「俺、子供の頃から柔道やってて、粘り強さには自信あるんですよ」
    「聞いてないしすごくウザい」
    「天元。ごめん、気にしないでちょっとこの人口悪いだけだから」
    「全然気にしてないです!」
    「…………そお。なら良かった」
     
     いや、ちょっとは気にしろよ。馬鹿なのかコイツ。と、ハルカの顔に書いてある。だが、ハルカに嗜められたので宇髄は取り敢えず口を結ぶことにした。
     
    「えっと、山田くんだったよね。悪いんだけどさ、他のことなら協力するけど、女装コンテストはパスで」
    「何でですか!」
    「…………」
     
     あ、ハルカキレそう。だけど、目の前の山田ということは一切気にしてもいない様子で、ハルカに詰め寄っていく。ふー、とハルカはため息をつくと、至極真面目な顔を取り繕って、山田くん、と口にした。
     
    「君が俺に声をかけてきた理由はよくわかる。俺も正直女装には滅茶苦茶自信がある。だけど俺が懸念してるのはそこなんだよ。俺が女装して出場すると、100%ミスコンが霞む。俺の一人勝ちになってしまう。それは文化祭の企画としていかがなものだろう。面白くないだろ?そもそも女装コンテストってのは、明らかに女装と分かる人間がやるからエンターティメントとなる訳であって、残念ながら俺はその期待に応えられない」
    「つまり?」
    「代わりに、天元が出る」
     
     ぽん、とハルカが宇髄の肩に手を置いた。
     
    「は??」
    「こいつ、顔面は繊細だけど首から下はもうゴリッゴリだから、めっちゃエンターティメント性高い逸材」
    「なるほど!確かに!」
    「いやなるほどじゃねェよ。何勝手に話を進めてんだ」
    「どうせ大学四年間、どこのサークルにも属さずプラプラしてきたんだから最後位協力させるので…」
    「ありがとうございます!」
    「いやありがとうございますじゃなくて」
     
     よろしくお願いします!じゃあこれで!と山田は高らかに宣言し、宇髄と一ノ瀬に深々と頭を下げると後の二人を連れ立ってカフェテリアを去っていった。ひらひらと手を振りながらそれを見送ったハルカが、はー、助かったと零した。
     
    「お前どうしてそんなに躊躇なく親友を売れるの?」
    「俺は俺の幸せと安寧のためならどんな犠牲も厭わない派だから…」
    「あん??」
    「まーまー、人助けだと思って。ほんっとしつっこいしウザいし困ってたんだよな」
    「なら素直にそう言えば良かっただろ。ハルカの悪い癖だぞ、誰に対してもヘラヘラ良い顔すんの」
    「別に誰に対してもはしてないだろ。お前と違って要らない波風を立たせたくないだけ。そっちを処理するほうが面倒臭いだろうが」
    「へーへー、そうですか。どーせ俺は人付き合いが下手だよ。それなら、女装コンテストだって勿体つけずに素直に受けてやりゃ良かっただろ。本当に似合うと思うぜ」
     
     その言葉と同時に、バンと机を叩く大きな音がした。それが、ハルカが机を叩いて立ち上がったのだと気づくのに少し時間がかかった。
     
    「——……そうだな、本当に、そう思うよ」
     
     宇髄とは目を合わせずに、ぽつりとハルカはそう呟いた。帰る、とだけ言い捨てて、ハルカは足早にその場を去っていった。宇髄はその背中を追うことも出来ず、ただ呆然とその場に取り残されたままだった。
     
     ***
     
     アレは、俺が悪いのか。風呂上がり、ソファーの上で寝転んだまま、宇髄はスマートフォンの画面を睨みつけた。いいや、どう考えてもあっちのトラブルに巻き込まれたのは宇髄のほうで、多少棘のある言い方をしてしまったかもしれないが、こちらから謝るのは違うのではないか。
     だけど、いつもの喧嘩とは違った。いつもなら、ハルカはあそこで引いたりしないし、宇髄が絶交だからと叫ぶまで徹底的にやる。話すらしないままに帰ってしまうのは初めてだった。——否、二度目か。宇髄が援交の噂を大学で流された時にもそうだった。しかし、あの時の彼は怒っていて、今日は、——傷ついた、顔をしていた。
     
     天元、と顔を覗き込まれて、思わずスマートフォンを取り落として顔にぶつけてしまう。痛い、と呻きながら身体を起こすと、煉獄がすまない、何度か声をかけたんだがと隣に座った。
     ドライヤーで乾かしたての髪の毛が、ふわふわとして心地良さそうだった。宇髄がそれに鼻を埋めると、くすぐったいと笑って煉獄がその頭を撫でる。
     
    「聞こうか、話」
    「——……何でもお見通し?」
    「ふふ、きみのことなら」

     すり、と煉獄の手のひらに自分のものを重ねた。すると、煉獄がそれを絡めて、ぎゅうと握る。
     煉獄の肩に顔を埋めながら、あのね、せんせいと宇髄が口を開いた。
     
     宇髄が一通り事の顛末を話終えると、煉獄が珍しく首を傾げて唸ったので、どうしたの、と問う。
     
    「どうしてそこまで一ノ瀬くんが嫌がったのか気になってな。天元の言うように、彼はあまりそういうのを断るタイプではないし、断るとしてももっと要領よくやるだろうから」
    「——……確かに」
    「すまん、職業病だな」
     
     煉獄が、宇髄の頭を優しく撫でる。その温かい掌が頬に降りてきて、その心地良さに目を瞑った。
     
    「——……俺、謝ったほうがいい?」
    「きみがそうしたいなら」
    「杏寿郎、いつもそればっかり」
    「ふふ、きみはちゃんと、自分で決められる子だと知っているからな」
     
     そう言って誇らしげに笑われてしまえば、宇髄は何も言葉を返すことが出来なくなって、その胸元に飛び込んだ。その勢いで、煉獄がソファーに倒れ込む。とくん、とくんと煉獄の心臓の音がする。顔をあげると、ばちりと目が合って、引き寄せられるようにキスをした。それが心地良くて、何度も触れては離すを繰り返す。そうして何分過ぎただろうか。腕の下から、煉獄がてんげん、と甘い声を漏らす。煉獄の手が、宇髄の肌に触れる。
     ——だけど、今の自分にはそれに応えてやる権利がないような気がして、もう一度触れるだけのキスで誤魔化した。
     ごめん、と。そう宇髄が呟くと、煉獄はその身体を引き寄せて、大丈夫だから、とその頭を抱いた。その声が優しくて、それに安心してしまう自分が情けなくて、じわりと目尻に涙が浮かんだ。
     
     ***
     
    「なんか、デジャヴだなこの光景。また人ん家の前で自己嫌悪ですか」
    「他に行くところがなくて」
    「だから連絡しろっての」
     
     ぺち、と宇髄の頭を叩くと、ハルカが自室の部屋の扉に鍵を差し込んだ。入れよ、と促されて宇髄がそれに倣った。ハルカは鞄をベッドの上に放り投げると、冷蔵庫の扉を開ける。ビール飲む?と聞かれて、うんと頷いて宇髄はテーブルの前に座った。
     
    「——……あのさ、ハルカ。この前のこと、」
    「ごめん」
    「え、」
    「この前のことは全部俺が悪い。——って、何その顔」
    「いや、ハルカも謝ることがあるんだなって」
    「まるで俺に人の心がないみたいに」
    「割とない時ありません?」
     
     宇髄の前に冷えた缶ビールを置いて、ハルカがその隣に座った。プシュ、とプルタブを開けてごくごくとそれを飲む。
     いつも通りの、ハルカだ。それに、安心したけれど。
     
    「あのさ」
    「ん?」
    「話、してほしい」
     
     ハルカの目が、きゅうと丸くなった。宇髄はまとまらない言葉を、何とか頭で紡ぐ。
     
    「俺、先生と違って話を聞くのも、待つのも得意じゃなくて。どんなに仲良くたって、話せないことがあるって、それはわかる。ハルカが言わないなら、聞かないほうがいいことなんだってのもわかる。でも、それでも話してほしい。ハルカが何に傷ついたのか、教えてほしい。こんな、下手クソな聞き方しかできねェけど、また傷つけるかもしれないし、何も出来ないかもしれなくて、だけどもしかした、何か助けになれるかもしれないけど、いや助けなんて求めてないかもしれない、けど、」
     
     ついには言葉が出なくなってしまって、宇髄は唾を飲み込んだ。ハルカはまたぐびりとビールを飲むと、立ち上がってリビングを後にして、そのまま外に出てしまった。また怒らせたか、追いかけるか、否、鍵を持っていないしここで待っているべきか。そんなことを思いながら、二十分程して、ハルカがコンビニのビニール袋を下げて戻ってきた。
     
    「なにそれ」
    「化粧道具。ちょっと顔貸せよ」 
     
     ***
     
     最後に、宇髄の唇に口紅が引かれた。ぽんぽん、とティッシュで形を整えて、ハルカのできた、という声で目を開く。用意された手鏡を見ると、自分でいうのも何だが、綺麗に整えられた顔がそこにあった。
     
    「——……上手いな、お前」
    「そらそうだな。昔やってたから」
    「昔?」
    「俺の母親もさあ、お前んトコに負けない位パンチが効いた人間だったんだよ。
     俺、姉貴がいてさ。つっても、俺が生まれる前に死んだから、会ったことはないんだけど。俺の母親はその姉貴を溺愛してて、でも死んじゃったもんだから頭がおかしくなったんだよな。それで、たまたま姉貴そっくりに生まれた俺を、姉貴の代わりの『お人形さん』にした訳。『ハルカ』も姉貴の名前そのまんま。な、大分パンチが効いてんだろ。
     でも、結局俺は男だからさ。どんなに着飾っても、段々隠せなくなってくる。それが、耐えられなかったんだろうな。自分の思い通りにならなくなって、——そんで、ある日、家に帰ったら手首切って死んでた」
     
     宇髄のほうからは、ハルカの表情は見えなかった。ただ、その声色はいつもよりもずっと穏やかだった。それが余計に、感情を押し込めているように聞こえる。
     
    「それから、父親に引き取られて。単純に驚いたな、あん時は。そういや、俺にも父親はいたんだって。
     そっからはまあまあ普通の人生歩んでるんだけど。
     悪夢に魘されて眠れないとか、何かのきっかけでパニックになるとか、全然ないんだよね。まあ強いていえば、血を見るのは苦手って位で。——普通に、生きてけちゃうもんなんだなって」
     
     にこ、とハルカが宇髄に笑顔を向けた。俺が女装を嫌がった理由は、それだけ。軽い調子で口にして、また缶ビールに口をつけた。
     
    「別にお前が気に病むことでもないし、傷ついたんでもねェよ。ま、単純に思い出すといい気持ちはしないからさ。大丈夫。お前も、嫌だったら適当に理由つけて断っておくから、」
     
     気がついたら、身体が動いていた。ハルカをぎゅうと抱きしめて、それだけ。何にも言葉は出てこなかった。ちょっと、天元、なに。少し戸惑ったような、ハルカの声が腕の中からした。
     
    「…………いいんだよ」
    「え?」
    「大丈夫じゃ、なくて、いいの!」
     
     途切れ途切れに言葉を発するのが精一杯だった。一言口にする度に、涙が溢れる。その顔を見て、ハルカが眉を下げて笑いながら、だから言いたくなかったのに、と口にした。
     
    「お前すぐ泣くから」
    「それの何が悪いんだよ。俺は、俺の大事な、大好きな人が、そんなにぐちゃぐちゃにされた話を聞いて、笑ってたくねェよ」
     
     煉獄の言葉が、脳裏を過ぎる。きみのために、泣いているんだと。彼が涙を流してくれたあの日。その理由を、あの時の宇髄はわからなかった。悔しさと、己の無力さがない混ぜになって、涙が止まらなかった。ハルカはぽん、と宇髄の背中を叩いて、ありがと、と呟いた。
     
     ***
     
     何となく寝付けずにベッドから身体を起こした。カーペットでは宇髄が、布団を被ってごろりと寝返りを打った。ベッドに倒れ込むと、スマートフォンに手を伸ばす。時間は二時を少し過ぎたところだった。
     ロック画面を開くと、いつか花子と宇髄と三人で撮った写真が待ち受けに設定されている。宇髄にせがまれてお揃いにしたのだ。その中で、馬鹿みたいに楽しそうに笑ってる自分の顔を、何故だか初めてまじまじと見た気がした。そのまま、写真アプリを開く。宇髄と二人で撮った写真、花子と撮った写真、花子と天満と出かけた時の写真——、自分と誰かが、楽しそうに映ってる写真がこんなにたくさんあったのか。
     写真は好きじゃなかった。皆、ハルカの顔を綺麗だと言うけれど、どうしてもそう思えなかった。でも皆が言うのだから、そうなんだと思うようにしていた。写真の中で、笑ってる自分の顔も嫌いだった。まるでそうプログラムされたロボットみたいな気がして。
     誰かを、ちゃんと好きでいたかった。誰かを大事にしたかった。
     同情なんか、されたくない。可哀想だなんて、そんな言葉で理解されたくない。
     ——そんなものに、負けてたまるか。
     
     ベッドから起き上がって、洗面所に向かった。自分の顔を、じい、と見つめる。鏡の中の自分に、手を伸ばした。
     
     ***
     
     大きな門が、大学祭の文字に飾られている。それなりの規模の大学の学祭は、学生だけでなく次年度受験希望の高校生や、外部の学生、地域の住民も参加していて活気がある。子供がわいわい通りすぎていくのを見て、天満もやっぱり連れてくれば良かったな、と花子は思う。だが当の本人はと言えば、ばあばとじいじと出かけるから!の一点張り。母親としては、少しショックだ。だが、母からは天満もこう言ってるんだし、久しぶりに春くんと会えるんだからゆっくりしておいで、なんて送り出されてしまった。確かに、彼とは暫く電話やメッセージのやりとりしか出来ていない。彼は大学院に進学する予定で、その試験勉強もあった。デートらしいデートなんて、したのは本当に数ヶ月前。だからやっぱり、会えるのは嬉しい。入り口前に着いたよ、とメッセージを送ると、すぐに迎えに行く、と返事が来た。花子は見通しの良い場所でハルカが来るのを待つ。
     
    「なあ、さっきすっごい美人がいたんだけど、うちの学校のコかな?」
    「俺もみた!でも学内で見かけたことないから外部じゃねェ?」
    「男連れだった?ワンチャン見かけたら声かけてみようぜ」
     
     隣の男子学生グループの、そんな会話が耳に入った。花子がメッセージアプリを起動すると、お待たせ、と声をかけられる。ぱ、と顔を上げると、そこに居たのは目を見張るような——美女だった。その美女は、セミロングの髪の毛をゆっくりとした動作で耳にかけて、久しぶり、と柔らかい表情で笑う。口元に綺麗な色で彩られたリップが、弧を描く。
     
    「…………ハルカ?」
    「そだよ〜」
    「待って、頭が混乱してんだけど、」
    「驚いた?」
    「驚いたも何も」
    「ちなみに後で天元も見てやって、最高の出来だから」
    「天元もやってんの?あんた達二人して一体何してんのさ」
    「ま、色々事情がありまして」

     ハルカが腕時計をちらりと見て、あ、そろそろ行かなきゃと花子の手を握った。ざわざわ、と視線が痛いくらいに突き刺さる。
     そうして辿り着いたのは、特設屋外ステージ。これから女装コンテストが開催される、と題打たれている。わらわらと集まる有象無象に、頭ひとつぴょこんと顔を出した宇髄が、花子に気がついて手を振る。その隣には煉獄も居て、同じように花子に手を振った。だが、挨拶より先に、化粧で整えられた顔と、パツパツのワンピース姿に花子は思わず吹き出して蹲ってしまった。
     
    「な、最高だろ」
    「ひ、はは、無理、妖怪じゃん。顔がカンペキなだけでにヤバい、ウケる、無理、ひひ」
    「…せんせ、そんな俺酷い?」
    「ん、そうだな。うん、……とても、個性的で良いと思う」
    「でも凄いですよ煉獄先生。この天元を初見で見て笑わなかったの煉獄先生だけですからね。さすが愛が深い。見て、花子もう息出来てない」
    「おい、しっかりしろ花子」
    「ば、ばかその顔で近づくんじゃねェ、死ぬ」
     
     一頻り笑い終えて、花子がお腹を抑えながらゆっくり立ち上がる。
     
    「こんな面白いことしてんなら先に言ってくれればいいのに」
    「驚かせようと思ってさ。あ、そろそろ俺らステージに行かなきゃだから、客席のほうで見てて」
    「うん」

     ハルカが、花子の手をぐいと引く。頬に、一度だけキスをして、それから耳元で「応援してて」と囁いた。突然のことに耳まで真っ赤になって、ひゃい、なんて変な声を出している花子をよそに、ハルカは手を振って宇髄と一緒にステージの裏方へと消えていった。
     
    「……なんか、変な扉開きそう」
    「む、否定できんな…」
     
     ***
     
     蓋を開ければ女装コンテストは圧倒的なクォリティを見せたハルカが優勝、むしろミスコンの優勝者さえ参加者には印象が残ってなかったんじゃないだろうか。当の本人は、ベンチに座ってああ疲れた、とため息をついた。懐かしいな、ここ。花子はそう思いながら、ぐるりと辺りを見渡した。初めてこの大学に来た時に、一緒に過ごした場所。彼の名前を、初めて口にした場所。
     
     ハルカの横顔を覗き見る。長く彩られた睫毛がゆっくりと持ち上がった。
     彼の家の事情は、知っている。彼がどんなことをされていたのかも、全部。その時のことを思うと、まだ胸の奥がぎゅうと痛んで、涙が出そうになる。だけど、ハルカは涙なんてひとつも流さなくて、いつも笑ってるのだ。
     事情を知っているからこそ、今日のハルカの姿には驚いた。触れてはいけない、トラウマのようなものだとずっと思っていたから。だが、隣に居る彼の表情からは、今どんなことを考えているかなんて読めなくて、花子も彼に何を伝えていいかわからずに、ただ無言の時間が続いている。
     
    「花」
    「ん、え、あ、なに?」
    「ごめんね」
     
     ハルカが、花子の手をぎゅうと握った。何で謝るの、と花子が口にすると、色々全部、と返された。
     
    「俺、花のことが好きだよ」
    「……うん」
    「俺は、俺以外の何者にもなれないし、過去も無かったことには出来ないから、その中で、少しでも良いものになろうと足掻いてた。あんなクソみたいな過去でも、その先で花や、天元に会えたならちゃんと意味があって、俺はそれを受け入れて、前を向いて生きてやるってずっと思ってた。可哀想なんて思われてたまるか、あんな自分勝手な人間たちのせいで、人生壊されてたまるかって」
     
     だけどさ、とぽつりと言葉が溢れてくる。
     
    「普通に、生まれたかったなあ」
     
     愛されて、生まれたかった。俺は俺のままで、母親からも父親からも愛されて。あんな、胸を潰されるような想いなんて、経験することもなく、普通に生きて、普通に出会って、恋をして、結ばれたかった。たとえ平々凡々の人生であっても、それさえあれば、上々だ。
     
    「それでも、あたしはハルカが好きだよ」

     こんな言葉しか、言ってあげられなくて、ごめん。それでも、伝えられるのは、伝えたいのはそれだけだった。ハルカにぎゅうと抱きついて、涙が溢れてくるのも止められずに、好き、大好きと何度も繰り返した。ハルカがその背中に手を伸ばして、ぎゅうと抱き締めた。
     
    「……じゃあ、ずっと一緒にいて、俺から、離れていかないで」
    「いくわけないだろ」
    「——これからの人生、ずっと」
     
     ゆっくりと、ハルカが身体を離す。花子の左手をとったハルカの手が震えていた。その言葉の意味が、数秒遅れて頭の中に届いて、一気に身体中が熱くなる。
     
    「俺と、結婚して」
    「…………うん、オッケー」
     
     花子の言葉に、今度はハルカが目を丸くして、数テンポ遅れてえ?と返した。
     
    「オッケー?本当に?」
    「なに、そっちから言い出して来たんだろ」
    「いや、自分で言うのも何だけどこんな場所で、しかもこんな格好で口説く男に一生を左右する提案されて、オッケーって軽くない?」
    「だって、断る理由がないし」
    「んなワケ、」
    「ハルカはあたしのことがメチャクチャ好きで、あたしもハルカのことがメチャクチャ好き。そんで、ハルカはあたしに一生側にいてほしいし、あたしもそう。
     あたしも、時々思うよ。あんな男に出会う前にハルカに出会って、結ばれたかったなって。その度に、自分のことが嫌んなって消えたくなる。だけど、そんなあたしを、ハルカが好きだって言ってくれるから、あたしは今日も笑ってここにいられる。
     これからもたぶん、懲りずに同じこと考えて、自分のことを嫌いになったり、消えたくなる時はいくらでも来て、もしかしたら後悔する時もくるかもしれない。でもそうやって、ぐちゃぐちゃになった時に、一緒に泣いてくれるならあたしはそれがいい」
    「……俺、そんな簡単に泣かないよ」
    「……嘘ばっか、泣いてるよ、いつも」
    「泣いてないってば」
     
     誤魔化すように、ハルカがぎゅうと花子を抱き締めた。胸元に顔を埋められると、その表情は見えなかったけれど。ぽつりと温かい雫が頭に触れた。
     
    「……それで、いつまでその格好でいるの」
    「面白いから、男の二、三人でもひっかけてから」
    「ハルカ〜?」
    「はいはい、すぐ着替えます」
    「よろしい」
     
     ***
     
    「杏寿郎、お待たせ」
    「ありがとう」
     
     手にもったフランクフルトを、煉獄に手渡した。小腹空いたよな、と宇髄は自分の分をぱくりと食んだ。
     
    「一ノ瀬くんと花子ちゃんは一緒じゃないのか」
    「ん、向こうは向こうで楽しんでるでしょ」
    「む、そうだな。せっかくのデートだし」 
    「俺たちもね」
     
     ふふ、そうだなと煉獄が笑う。外階段の踊り場から下を覗き込むと、がやがやと人混みが移動していくのが見えた。宇髄はもう一口、フランクフルトを口に含む。
     
    「やはり、大学の学祭は活気があるな」
    「そォね。ま、高校の学祭の思い出はまるでないけど俺は」
    「確かに、きみは見かけなかったな。何をしてたんだ?
    「えー?何してたっけな。覚えてねぇや」
     
     そんな会話をしている内に、煉獄のフランクフルトはいつの間にか残り少なくなっていた。小さい口で、相変わらず良く食べる。口の端にケチャップがついているのに気がついて、宇髄が指で拭った。その指をぺろ、と舐めると煉獄が頬を染めて、乱雑に口元を拭った。何年付き合っても、こういうところは変わらない。もう、キスどころかもっとすごいことしてるのに、俺たち。煉獄のそばに近付いて、すりっと首筋に額をくっつけた。
     
    「どうした?」
    「あのさ、こないだのこと」
    「こないだ?」
    「プロポーズ、断ったでしょ」
    「……そうだな」
    「ショックだった?」
    「まあ、それはな。傲慢なことを言えば、断られるとは思わなかったから。しかし、きみの意志に反して話を進める気もない」
    「でも、俺と一緒に居てくれんの」
    「勿論。関係性よりも、きみの隣にいられることのほうが大事だから」
    「……なら、どうして結婚しようなんて言ったの」
    「さあ、何でだろうな」
     
     煉獄の手が、宇髄の頬に伸びた。
     きっと、きみとのこの瞬間を、独り占めしたいんだ、俺は。
     
    「俺は嫉妬深くて、執念深い男だからな。きみと目に見える絆が欲しくて、見苦しくジタバタしてしまった」
    「でも、その割には冷静だったじゃん」
    「そうでなければ、きみが気にするだろう。カッコつけたいんだ、俺は。きみの前では特に」
     
     それだけだから、気に病むな。そう言って、煉獄が宇髄の背中をポンと叩いた。するり、と宇髄が煉獄の手を握る。
     
    「俺は、目に見える絆を作るのが怖いんだ。だって、そうしたら杏寿郎は俺から逃げられなくなるだろ?」
    「天元、俺は、」
    「わかってる。違うんだ、どんだけ杏寿郎が俺のことを愛してくれてるって、実感しても、言葉にして伝えてくれても、どうしようもなく不安になる。俺なんかに、そんな価値があるのかって、まだ、思っちゃうんだよ。
     でも、ハルカの話を聞いてさ。俺、何にも気の効いたこと言ってやれなくて。気づいたんだ。どんなに大事だって、大好きだって伝えても、過去に勝てなくて、伝わらなくて、悔しい気持ち。杏寿郎が、それでもずっと、俺のために伝え続けてきてくれたこと。
     そういうの、俺ぜんっぜんわかってなかったなーって」

     いつまでも、ガキのまんまで嫌になる。煉獄が、宇髄の手を握り返した。本当に、わかってないなきみは。そう口にして、その唇にキスをする。
     
    「俺は、そのままのきみが好きなんだ」
    「……またすぐそうやって甘やかす」
    「それが生き甲斐なんだ。……だから、待つよ。俺はいつまでも」
    「あと百年位かかるかもよ」
    「はは、なら長生きしなくてはな」
     
     この左手に指輪を嵌めてもらえる日まで。宇髄の左手の薬指を、煉獄がそっとなぞった。それから二人でふふ、と笑い合ってキスをする。
     
    「——……ね、杏寿郎」
    「ん、」
    「もう、帰ろ」
    「まだ始まったばかりだろう」
    「そうだけど」
     
     宇髄が煉獄の腰をそっと撫でる。それから、耳元に、唇を寄せる。
     
    「えっち、したい」

     宇髄が煉獄の頬を包んで、その唇に触れる。ちゅう、ちゅう、と吸われて、舌を絡めた。段々と煉獄の息が上がってきて、その瞳がぽうっとなって、余計に腰の辺りがゾワゾワした。
     
    「杏寿郎は、したくない?」
    「……ばか」
     
     煉獄が、宇髄の首に腕を回す。
     俺が、どれだけ我慢してたと思ってるんだ、と。そう囁かれると、ドクンと跳ねる心臓と共に耳が熱くなった。
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