あなただけを見つめる・前編/グルアオそれはもう、一瞬の出来事だった。
水色の長い髪をポニーテールで一つにまとめた状態で、グラウンドのトラックに沿って駆け抜けていく人を見て、思わずプログラムの競技名を再確認した。
今行われているのは、二年生男子による四×百メートルリレー。
あんなに綺麗な顔立ちの男性って、この世に存在するの?
同じクラスのシュウメイくんも麗しいけど、彼とはまた違った系統の美しさで、隣で一緒に見ていたネモやボタンそしてペパーにすごい顔面を持った人がいるんだねと話しかけた。
「ああ、なんかあの人ここの名物モテ男らしいよ。
絶対零度のグルーシャ様。ほら、あっちでキャーキャーすごいのが、ファンクラブの人達」
ボタンが指差した先には、うちわや横断幕をそれぞれ持った大勢の女生徒達が黄色い歓声を上げながら一生懸命応援していた。
ジャージの色からして、三年生と二年生の人達だろうな。
「へー、そんな人がいるんだ。すごいねー」
「あんだけ顔が良くて足も早けりゃな。人気も出んだろ」
「二個上のビワ姉から聞いたけど、去年のバレンタインとか凄かったらしいし。
休み時間の度に女の子が押しかけてきたせいで、授業開始が遅れて今年からチョコとかの持ち込み禁止になったって」
「一回でもいいから、オレもそんな経験してみてー」
「モテ過ぎるのも大変だね」
だなんて呑気に言っていた私だけど、その噂のグルーシャ先輩が一位の順位を保ったまま次の走者へバトンタッチしてゴール横の待機場所座り込んだ後、同じチームで走り終えたクラスメイトから労われた際、一瞬見えた笑顔に心を奪われた。
ずっと無表情というかクールで大人な雰囲気だったのに、笑うとあどけなく見えて年下なのに可愛いと思ってしまった。
と同時にさらなる悲鳴が上がったのを聞いて、もしかするとファンクラブの皆さんもこの笑顔にやられてしまったのかもしれないと察した。
まあでも、私は先月入学したばかりの一年生だし向こうは二年生と学年が違うから、今後は接点なんてないだろうな。
あれくらい綺麗な人は近くで見るより、遠くで拝ませてもらうくらいが丁度いいや。
まだ胸の鼓動がドキドキと忙しないけれど、いいもの見れたと思いつつ 大盛り上がりしているリレー競技の最後を見届けた。
「サワロ先生、肥料はこんな感じで撒いたらいいですか?」
「うむ。それくらいでよろしく頼む。…朝早くからすまないな」
あの体育祭から三週間が過ぎた頃、私は朝の七時には登校してサワロ先生と学校の裏庭にある花壇でお花の世話をしていた。
特に係というわけではないけれど、入学早々迷子になった私がここに辿り着いて、家庭科のサワロ先生がお花達を愛でている現場に出くわしてしまったのだ。
慌てて何か弁明をしようとしていたけれど、それより先生がお世話しているお花達が本当に綺麗で、時々見にきてもいいかお話ししたのがきっかけだった。
今では見るだけじゃなくて、こうして早朝と放課後にお手伝いを買って出ている。
気になる部活もなくアルバイトもしていないからどうせ暇だし、こうしていい匂いに囲まれるのなら悪くないかなって。
余った時間は勉強すればいいし。
「好きでやってることなので、気にしないでください!」
「ううむ、しかし…我輩の秘密を守ってくれるだけでなく、趣味にも付き合ってもらえるとなると心苦しいからな。
後ほど調理実習の試作品を受け取ってもらえないだろうか。放課後に食べるといい」
「え、いいんですか?なら遠慮なくいただきますねー」
サワロ先生が作るお菓子は美味しいから楽しみだなー。
試作品だからと先生の趣味全開のデコレーションが凝っていて食べるのがもったいないくらい。
作業をしながら実は可愛いものが大好きだという先生は、このガーデニング趣味が自分のイメージに合わないと悩んでいるみたいで、最初見てしまった際 ものすごい勢いで他言しないよう求められた。
別に隠すことじゃない 素敵な趣味なのに…。
いろいろ不思議だと思いながらも、前に教わったように花壇に肥料を撒いていった。
そして水やりやある程度の草刈りを済ませると、あらかじめ摘んでいたお花達を抱えて先生にここを離れることを伝えた。
「では、今日の授業でまた会おう」
「はい。また午後からお願いします」
頭を下げると、校舎の一階外にある手洗い場に向かった。
たくさんある花瓶の花を取っては中の水も入れ替えて、裏庭から持ってきた新しいお花と交換する。
全ての作業が終われば、上級生も含めた教室の教壇に花瓶を置きに向かった。
あんまりにも綺麗で可愛いお花が多いので、この前サワロ先生に提案してみたのだ。
裏庭でひっそり咲くのはあまりにも勿体無いから、各教室に飾ってみないかと。
もちろん花瓶や花の管理は自分で行うことを伝えて。
最初はそこまでする必要は…と困惑していたけれど、先生が丹精込めて育てたお花達をいろんな人達にみてほしいと力説していたら、最終的に折れてくれた。
本当はトラブル防止のため他学年の教室に入るのはよくないんだけれど、サワロ先生が職員会議で他の先生達にも話を通してくれたみたいで、こうして毎日朝早くに作業をしている。
部活の朝練がある人達は教室じゃなくてグラウンド近くにあるクラブハウスの方へ基本的に入っていくし、テスト期間じゃなければ七時台に登校してくる人なんていないから、ちゃちゃっと済ませてしまえば案外バレないものだ。
一回生徒会長のピーニャ先輩と出会したけど、事情を話せば笑顔でありがとうと言ってくれた。
裏庭に来る前にはすでに各教室から花瓶を回収しているから、時間がかかったとしても八時になる前には全て終わる。
一階は三年生が使用する教室だから手洗い場から近く、すぐに終わった。
そして次は二階の二年生のところ。
上手いこと脇で抱えたら最大四つまで持つことはできるから、八クラスあっても二往復で済んでしまう。
二年生最後のクラスに行き、鼻歌を混じりで教壇の上に花瓶を置いてハンカチで花瓶周りについていた水分を拭き取っていると いきなり教室の扉が開いた。
テスト期間でもない時期で、しかもまだ七時半という時間帯に登校してくるなんて。
二年生にもピーニャ先輩みたいな物好きがいるんだな…と音が聞こえた後ろのドアに目を向けると、水色とところどころ黄色が混じった長い髪をハーフアップにした男性が驚いた顔でこっちを見ていた。
「…あんた、何してんの。ここ二年の教室だけど」
絶対零度のグルーシャ先輩!?
え、なんでこんな朝早くに?
嘘どうしよう早く出なきゃ!!
春の体育祭以降密かに憧れの存在として認識していた先輩がいることに驚いた私は、事情を話すという選択肢を完全に抜けた状態で大いに慌てた。
慌て過ぎて、教壇の隣に置かれている机に思いっきり足をぶつけてしまう。
「あだっ!!」
「えっ、ちょっと大丈夫…?」
「だ、大丈夫 なので…!し、失礼しました…」
痛みを我慢し足を抑えながらふらふらと前の扉から教室を出た。
は、恥ずかし過ぎる…!
絶対不審者って思われたじゃん!
足の痛みとは別の感情が渦巻いて涙目になったけれど、なんとか一階の手洗い場まで辿り着くと、痛みが治まってから残りの一年生のクラスに花瓶を置きに回った。
「うわーその膝どうしたの?青あざになってる」
全ての作業が終わって自分の教室に戻って授業の予習をしていたら、登校してきたネモから心配そうに声をかけられた。
自分の膝を見てみれば、さっきぶつけたところが内出血していたようで青紫色に変色していた。
濡らしたハンカチで冷やそうかと思ってブレザーのポケットを探ったけれど見つからなくて、ゲンナリした。
…多分さっきのゴタゴタで落としちゃったのかも。
あれ、お気に入りだったのにー…。
「…ミモザ先生のところ、行ってくるね」
「わたしもついてくよ」
「ううん。大丈夫だから、ありがとう」
そこまで痛いわけじゃないからとネモの気遣いを断って、二階の別棟にある保健室に向かった。
ああー朝から踏んだり蹴ったり過ぎる。
これ以上残念なことは起こらないことを祈りながら、今日も学校での一日が無事終わると思っていたんだけど…。
「アオイって子、まだいる?」
掃除とホームルームも終わった後、ネモは生徒会の集まりへ ボタンはアニメ研究会に、そしてペパーがクッキング・クラフト部と友達がそれぞれ放課後の居場所へ向かったのを見届けると、私もまた裏庭でお花の世話をしに行こうと鞄を背負った時だった。
教室のスライド式ドアが開いたかと思えば、美形が顔を出した。
見覚えのある顔に、ビシッと固まる。
「あ、アオイちゃーん!ぐぐぐグルーシャ先輩が呼んでるよ!!」
たまたま教室に残っていた数少ないクラスメイトの一人が、慌てた様子で私を大声で呼びかける。
な、なんなんだ…。
朝のことでまだ何かお話が?あとなんで私の名前とクラスを知ってるんです!?
一年生のクラスに来た先輩の目的がわからなくて、緊張する。
ドキドキする胸を抑えながら、決して悟られないようにきゅっと真面目そうな顔を作って、先輩のところに向かった。
だって相手からしたら私は勝手に他学年の教室に入っていた不審な子なんだから、デレデレしてたら普通に怖くない?
「あの…どうしましたか…?」
顔が良過ぎて直視できないから、目線は彼の肩あたりに固定する。
多分目を合わせたら、私はきっと爆発する自信がある。
と、そんな訳のわからないことを考えながら先輩の前に立つと、ずいっと目の前にハンカチを出された。
白の無地だけど、猫とワニとアヒルの刺繍が小さく入った お気に入りのハンカチ。
「えっ、私の!」
「あんた、朝にぼくの教室で落としていったでしょ。
…タグに名前が書いていたからそれを返しに来た」
「ありがとうございます!お気に入りだったので、助かり…ました」
受け取ってお礼を言うために顔を上げれば、黄色混じりの不思議なアイスブルーの瞳とかち合ってしまい、すぐに逸らした。
…どう考えても落とし物を届けてくれた相手にする態度じゃないけど、やっぱり無理!
昔映画で見たメデューサみたいに動けなくなる!!
やっぱり綺麗な顔の破壊力は違うなぁ!
「ほ、本当にありがとうございました…。あの、ちょっと急いでいるので すみません。
失礼します…」
改めて頭を下げると、先輩が立っているところとは別のドアから出ていった。
急ぎの用事なんてもちろんない。
でも、憧れの先輩の前にいつまでもいると口から心臓が出てしまいそうだったから、一刻も早く逃げ出したかった。
多分これで直接会うのはこれっきりだし、うん 大丈夫!
ほんのちょっとだけでも喋れたし、高校時代の良い思い出になったよ!ありがとうございました!
そう心の中でお礼を言いながら、小走りに近いスピードで廊下を歩いていった。
「あんた、いつもこんな早くから学校に来てるの?」
次の日の朝、裏庭に行く前に各部屋の花瓶を回収しに回っている間、昨日先輩と鉢合わせた教室のドアを開けたら、中になぜか彼がいた。
机の上に座ってスマホを触りながらこっちを見ていて、思わず私は勢いよくドアを閉めてしまう。
え、なんでここにいるんですか!?
まだ朝の七時ですよ。早過ぎません?
「ちょっと昨日から失礼なんじゃない?」
「ぎえぇぇぇ!」
考えている間にまたドアが開いてグルーシャ先輩に話しかけられると、それに驚いた私は持っていた花瓶をぶちまけてしまった。
「あああああ!!」
花瓶はステンレス製だから割れることはないけど、廊下が水とお花でびっしゃびっしゃ。
慌てて廊下側にある窓の手すりにかけられていた雑巾を手に取ると、水分を拭っていく。
ちゃんと拭かないと、教室入る時に転んじゃうし…。
「…ごめん。別に驚かせたかったわけじゃないんだけど」
ポツリと落とされた言葉に目を向けると、先輩も同じように雑巾を持って一緒に床を拭いていてくれた。
下を見ているせいか若干目を伏せていて、髪の毛より少し濃い色のまつ毛が目元に少し影を作っていた。
多分私よりずっと長いな。羨ましい。
いや、そうじゃなくて…!
「い、いえ…。私が勝手に驚いちゃっただけなんで。
昨日から本当にごめんなさい」
まあまあ近い距離感にそわそわしながらも、先輩のさっき言われた指摘自体は間違っていなかったから謝罪した。
この人を見たらずっとお化けか妖怪と出会った時みたいなリアクションしちゃってたし。
そんな態度取られて嬉しい人なんていない。
はあ…挙動不審過ぎてほんとやだ。
「最近、綺麗な花が飾られてるから先生がしてるのかと思ってたけど、あんただったんだ」
突然話かけられて えっと顔を上げれば、綺麗なアイスブルーの瞳と視線がぶつかる。
「昨日あんたが教卓に置いてるの見たから、そうかもしれないって思って確かめたかったんだ。
本当は昨日ハンカチ返した時に一緒に聞きたかったけど、あんたはさっさとどっかいくし、だから今日は早めに来たらわかるかなって」
射抜かれるように見つめられながら、こんなに早く来ていた理由を話されてそうだったんだ…と納得したと同時に、真っ直ぐな目線に耐えきれずにまた逸らしてしまう。
「とある先生が世話されているんですけれど、それがすごく綺麗なのに学校の裏庭でひっそり咲いているだけはもったいないな…って思ったんです。
だから、その先生にお願いして各教室に置かせてもらってます」
「…あんたにメリットがあるわけでもないのに?
毎日こんなに早く来て準備しても、誰もあんたのやってることに気づいたり感謝されたりもしないのに…大変なだけでしょ」
「えっと、別にそれはどうでも良いかなって思います。
私は部活も何もしていないし、時間もたっぷり余っているので、それを有効活用できたらなって…。
早起きは三文の徳と言いますし、それにお花が近くにあると心がほっこりしませんか?」
しどろもどろになりながらもそう答えたら、ふーんと素っ気ない返事が返ってきた。
大した理由じゃなくてごめんなさい。
嫌な言い方をすれば、どうしても朝早く目が覚めちゃうので単なる暇つぶしでやってしまってるだけなんですよ。
そう心の中で付け加えている間に、水浸しになっていた部分の床拭きが完了した。
倒れていた三つの花瓶を持って、ぐちゃぐちゃになったお花達も手にしようとすれば、先輩によって奪われてしまった。
「ぼくも手伝うよ。全学年での管理なんて、一人じゃ大変でしょ」
「え、いやいいですよ。私が勝手にしているだけなんで」
「昨日、ぼくが声をかけたせいで怪我したんだろ。湿布貼ってるし、さっきの分と一緒にお詫びでやらせて」
そう言って立ち上がると、未回収だった分の花瓶を持って廊下に出た。
「で、あとはどうしたらいいわけ?」
こてんと首を傾げる姿は可愛らしくて、んぐぅと変な音が喉からこぼれ出た。
これ以上遠慮しても聞いてくれそうにもなかったから、一年生のクラスに置いていた分まで回収して一階外にある手洗い場に花瓶を置くと、お花の世話と今日の分を摘みに裏庭へ向かった。
幸い今日はサワロ先生はいなかったから秘密がバレる心配もなく、安心しながら作業に取り組む。
そして先輩と一緒にやったから、一人でするよりずっと早く終わらせることができた。
昨日と今日のお詫びだって言ってたし、こんな二人っきりでいられる奇跡の時間はこれで最初で最後だろなと思っていたのに、この日以降朝と放課後にグルーシャ先輩が裏庭に出現するようになり、お花の世話や毎朝の花瓶の交換を一緒にするようになった。
サワロ先生も何も言わないから、どこかのタイミングで許可されたんだと思うけれど、先輩もお花が好きだったなんて、意外だ。
でも美形だと綺麗なお花達と並んでも全然負けてないのは、本当にすごいな。
そんなことを考えながらも、未だに先輩がどっか向いている時しかまともに姿を見れない私は、暴れ回る心臓を抑えながら毎日の土いじりにせっせと取り組んでいた。
続く