「爽やかには程遠い」/廻あざ 薄暗い室内で私は本棚の整理をするふりをしながら、そばで本を読むセンター長さんを眺めていた。照明が暗いせいかより一層青白く見える肌に、くまが濃い目元。文字通り全てを見透かす目は伏せがちで、あの鋭い瞳は本の文字を追っているからか微かに揺れている。さらに目線を下げれば、鼻筋の通った鼻と薄い唇が映った。そう、彼の唇。ごくりと生唾を飲み込んでから、私の視線はそこから動けなくなった。
「……そこまで凝視されると、流石に気になりますね。私になにか?」
「へぇ? あっ、なんで……!」
さりげなく見ていたはずが気づかれてしまった。とっさのことで頭が回らずあたふたする私に対して、センター長さんは少し呆れた様子で続ける。
「あそこまで露骨であれば、誰でも気づくかと」
「そんな。こっそり見ていたつもりなんですけど……」
そう返すと彼は驚いたのか、少し目を見開いた。え、そんなリアクションをされるほど、隠せてなかったのかな?
「ええ。それはもう穴が開くのではと思うほど見られていましたね」
「あ、穴が開くほど……」
そこまで言われてしまうと、ちょっと恥ずかしい。そんな気持ちからきゅっと口元を結んで黙っていると、見つめていた理由を教えるよう催促された。
「えっと、特に理由は……」
「あざみさんには意味もなく、人を舐め回すかのように見る癖があるのですね」
「ち、違います!」
「ではなぜですか?」
全く逃れられそうにない追跡に、私は諦めて白旗を振ることにした。
「ちょっと……気になることがあって……」
「ほう?」
興味深げに、センター長さんの片眉が上がる。それを見た私は咄嗟に頭を下げ胸の前で指を忙しなく絡ませながら、ゆっくりと話し始めた。
「昔聞いたんですけど、ファーストキスはレモンの味がするって言うじゃないですか。それって本当なのかなって……」
「…………」
意を決してセンター長さんを見つめていた理由を話したら、私達の間にはなんとも言えない空気が流れた。
こんなこと言うんじゃなかった! 恥ずかしさのあまりさっきのことは忘れてくださいと叫ぶより先に、センター長さんが静かに言った。
「では、試してみますか?」
「えっ?」
驚きのあまり顔を上げると、彼は口角を少し上げながら笑っていた。
「気になるようでしたら、試してみませんか? 幸いなことに私とあなたは恋人同士ですし、そろそろ次のステップへ進むべきかと考えておりましたので」
ふふっと笑うセンター長さんを前に、私は固まる。えっ、もうキスしちゃってもいいんですか? だって私達は、先々月からお付き合いが始まったばかりなのに。動揺する私をよそに、彼は笑みを深める。
「ちょうどよい頃合いだと思いますけどね。あざみさんは、私とするのは嫌ですか?」
「そ、そんなことはない、ですけど……」
「それはよかった。では、こちらへ」
すっと広げられた腕に動揺していると、センター長さんはこの体では顔まで届かないため膝の上に乗るよう指示してきた。まさかの展開に困惑しながらも、自分の体重で彼の太ももを潰してしまわないか不安に感じていると大丈夫だと言われたので、私は恐る恐る彼の膝の上へ横向きに座った。
その拍子にギッと車椅子から鈍い音が聞こえたけれど、センター長さんは特に気にした様子もなく私の体を抱きしめるかのように支える。すると今までにないくらいお互いの顔が近づき、私の心臓が壊れたんじゃないかと錯覚するほど大きく暴れ出した。
「センター長さん! やっぱり……!」
先日やっと手を繋いだ状態からのジャンプアップに怖気付いた私は、ストップをかけようとする。でも――
「ダメですよ、あざみさん」
そう呟いた後、柔らかい何かが重なった。これで終わりかと思いきや、もう一度二度と繰り返される。
「んっ」
あまりの衝撃に体は強張り、息すら止めてしまう。そしてどれくらいの時間が経過したのかわからなくなってきた頃、下唇を軽く噛まれた後にその熱が離れていった。
ようやく解放されたのかと思い恐る恐る瞼を上げれば、至近距離からセンター長さんに見つめられていた。間近で眺めても変わらず綺麗な顔立ちにさらに心拍が上がり、パニックになりかけたところで彼の唇が動く。
「レモンの味は感じられましたか?」
そんなこと聞かれたって私、私――
「わ、わかんないですよぉ」
涙目でそう訴えるとセンター長さんは目を細めながら、ではもう一度検証してみましょうかという言葉を残し、再度顔を近づけてきた。
あれから何度か頑張ってみたけれど、キスの味なんてものは最後までわからなかった。
〈終〉