あなただけを見つめる・中編/グルアオある日を境に、綺麗な花が教卓の上に飾られていることに気がついた。
望んでもいないのに四六時中変な注目を浴び続け、いろいろと疲れていたぼくとしては、ふとした瞬間にそれを見るだけで心が安らぐ。
毎日違う花を担任のタイム先生が自分のクラスにだけ置いているのかと思っていたけれど、他の学年やクラスでも同じ様に添えられているのを見て、違うことに気づく。
この学校には園芸部も美化委員もないはずだから、一体誰がこんな大変なことをひっそりとやり続けているんだと少し興味が湧いてきた。
知ったところでどうこうするつもりは全くないんだけど、電車内や通学路でもただそこにいたり歩いたりするだけで女の子達から騒がれたり、じっとりと見られたりすることが嫌になったぼくは、思い切って明日から大分早い時間帯に登校することにしてみた。
そうすれば変な視線に晒される回数も減り、少しでも一人っきりの穏やかな時間を過ごすことができるんじゃないかと思って。
そのついでに誰が花を飾っているのか知ることができたら、何気ない日常の疑問が解消されて面白いかなって。
まあ、ただの暇つぶしだよ。特に意味なんてない。
いろんな理由をつけてでも、ぼくは学校で誰からも見られることなく静かに過ごしたいだけだった。
そして今日、その思いつきを実行に移して若干眠気を感じながらも廊下を歩いてると、教室に入るドアの小さな窓からサイドにみつあみを垂らした女の子が室内にいることに気づいて驚いた。
目を凝らすとブレザーについている学校のエンブレムカラーから、少し前に入学してきたばかりの一年生だとわかる。
え、まさか ぼくのクラスを特定して何かやろうとしてるわけ?
以前、放課後の誰もいない教室で 忘れ物を取りにきたぼくは 自分が使用する机と椅子に頬擦りをしていた子とばったり出会してしまったことを思い出して、寒気がした。
さっきまで眠いとか言っていた脳なんて一発で目が覚める。
よく起こる迷惑行為を事前に防ぐため、そして勝手に他学年の教室に入るなと注意するためにも教室のドアを開けた。
「…あんた、何してんの。ここ二年の教室だけど」
ドアを開けた瞬間、彼女の目の前置かれている花瓶の周りをハンカチで拭いていたことに気づいて驚く。
そしてぼくの声にびっくりしたのか、彼女は教壇横にある机に足をぶつけてうずくまっていた。
「あだっ!!」
「えっ、ちょっと大丈夫…?」
「だ、大丈夫 なので…!し、失礼しました…」
あまりにも派手にぶつけ 痛そうな音に思わず声をかけてしまったけれど、女の子は涙目になりながらも懸命に自分で歩いて教室から出ていった。
随分慌ててはいたけれど、彼女の茶色の瞳からはぼくに話しかけられて嬉しいといった狂気は見えなくて、もしかしてあの子が毎朝花を置いてくれていたんじゃないかという考えに辿り着いた。
教卓まで近づくと床に白色のハンカチが落ちていた。
職員室に持っていって先生経由で渡してもらおうか?
いや…うん。
付き纏われるきっかけを自分で作ってしまうことになるけれど、なんとなく放っておけなかった。
仕方ない。届けるか。
何か持ち主の手がかりがないかハンカチを広げてみると、猫とワニとアヒルの刺繍が入っていて、一体どんな組み合わせなのかと首を傾げた。
「ねぇ、一年生でアオイって子がいると思うんだけど、どこのクラスか知ってる?」
たまたまタグにあの子の名前が書かれていたから、休み時間の度に三階の廊下まで出ては朝見かけた子を探したり、そこらへんにいた一年生達にも聞いていく。
話しかけた瞬間、男女問わず全員顔を赤らめていたような気がするけれど、ぼくは見なかったことにした。
最近、男相手でもそんな反応を取られるようになってきて辟易する。
そうやって聞き回っていたら、なんとかどこのクラスに所属しているのか知ることができた。
これから渡しに行こうかとも考えたけれど、次の授業が始まる時間帯になってしまい、午後からも移動教室だとかがあって忙しいから 放課後返しにいくことにした。
「あの…どうしましたか…?」
予定より少し遅れて彼女のクラスに行けば、まだあの子はクラスに残っていて安堵した。
クラスメイトの子に呼んでもらったけれど、彼女は口を一文字に絞めながらやってきて 緊張した声で要件を聞いてくる。
膝のところに湿布が貼られているけど、朝ぶつけた拍子に怪我をしたのか?
…まあ、いいや。
さっさと終わらせようと目の前にハンカチを差し出し、朝落としていったことを伝えたら驚いた顔でお礼を言ってくれたけれど、すぐに急ぎの用事があるからとさっさとどこかへ行ってしまった。
今まであったように この繋がりを逃さないと言わんばかりにハイテンションで一方的に話しかてきそうな雰囲気も一切なく、なんとまああっさりとした反応だった。
素っ気なさ過ぎて拍子抜けしたほどで。
幼い頃からこの顔のせいで誘拐未遂など様々なトラブルに巻き込まれる回数が圧倒的に多かったために、自分に興味のない人間ってちゃんといるんだと感心してしまった。
…いや、やっぱ今のはなし。
ドラマとかに出てくる自意識過剰な男みたいでサム過ぎ。
とりあえず用事は済んだとばかりにぼくも自宅に帰ることにしたけれど、話している間どこを見ているのか聞きたくなるくらい全く合わない視線がどうしても気になった。
見た感じ活発そうなのに、案外人見知りをするタイプなのか?
次の日の朝、ぼくはまた昨日と同じ早い時間に目覚ましをセットして、ラッシュ時に比べて人も少ない電車に乗って登校していた。
そしてアオイという女の子が来るのを教室内で待ち構える。
ぼく自身、なんでこんな行動をしているのかが全くわからない。
でも、なんとなく本当に彼女があの花達を飾ってくれているのかどうか確かめて、なんの理由があってあんなことをしているのか、聞いてみたいと思った。
そこから朝の七時を少し過ぎたあたりにやってきた彼女に出合頭に悲鳴をあげられ、ぶちまけた花瓶の片付けを二人でしている間に、気になっていたことを尋ねる。
「とある先生が世話されているんですけれど、それがすごく綺麗なのに学校の裏庭でひっそり咲いているだけはもったいないな…って思ったんです。
だから、その先生にお願いして各教室に置かせてもらってます」
あくまで自主的に始めたことだと知って、驚いた。
「…あんたにメリットがあるわけでもないのに?
毎日こんなに早く来て準備しても、誰もあんたのやってることに気づいたり感謝されたりもしないのに…大変なだけでしょ」
「えっと、別にそれはどうでも良いかなって思います。
私は部活も何もしていないし、時間もたっぷり余っているので、それを有効活用できたらなって…。
早起きは三文の徳と言いますし、それにお花が近くにあると心がほっこりしませんか?」
…要はいい暇つぶしってわけ?
思ったより大した理由じゃなったけど、結構物好きだなと思った。
いくら暇でもこんな大変なことをたった一人でやるなんて。
まあでも、朝早く学校に来れば変に絡まれる機会が減って気持ち的にも楽だったから、ぼくもその暇つぶしに便乗させてもらおうかな。
そんな打算的なことを昨日と今日驚かせたことへのお詫びと称して隠し、彼女の手伝いをすることを申し出た。
若干嫌そうな顔をされて驚いたけれど、渋々行動を共にすることを許してくれた。
…ぼくがしたいと言ったことに対して、あんな顔されたのは初めてだ。
その後と放課後に花の世話を実際にしてみると、人がいない静かな環境に身を置けるというのは案外いいものだった。
うるさい歓声や噂話も聞こえないし、日々感じていたストレスも抑えられて いい匂いを嗅ぎながらする作業はリフレッシュにもなったから、次の日以降も勝手に手伝いを継続している。
一応、裏庭の管理者らしいサワロ先生からも許可も取ってるし、あくまで生徒が自主的に行なっていることなんだから別にいいだろ。
それに花の世話だけじゃなくて、あのアオイって子が非常に無口であることもよかった。
作業している間は、決してぼくのことを詮索してこない。
あの子から話しかけてくるとしたら、この三つだけ。
「先輩、おはようございます」
「先輩、こんにちは」
「先輩、さようなら」
挨拶を済ませば黙々と土いじりに励んで、時間になれば帰っていった。
ただ気になることと言えば、ぼくと話をしていても絶対に視線が合わないこと。
ここまで逸らされることなんてあるのってくらいどこ見ているのかわからないし、あとは近づいたらその分だけ距離を取られて、謎に警戒されている気がする。
ぼくは別に取って喰うつもりもないし、女の子にこんなあからさまな態度を取られたことも今まで一度だってなかったから非常に新鮮だった。
…でも、ここまでぼくに興味ないのは逆にありがたいのかもしれない。
何か欲しいものがないかとしつこく聞いてきてプレゼント攻撃を仕掛けようとしてきたり、帰り道にぼくのあとをつけて住んでいる場所を特定しようともしてこないし、心理的にも物理的にも距離を取ってくれる。
朝と放課後の学校では基本的に彼女と一緒に過ごしているから、ベルトループに繋いでポケットの中に常に忍ばせている防犯ブザーを使用する頻度がガクッと下がったし、朝早くに移動するから道中会う人も少なく、痴漢の被害やいきなり告白されて電車に乗り遅れて遅刻しかけるなんてこともない。
目を合わせてくれないことに釈然しない気持ちはあるけれど、無口なあの子と一緒にいるのは気が楽でいいな…と最初は思っていた。
でも、こんな日々をある程度経過した段階で、とあることに気づいてしまう。
たまたま選択の音楽の授業を受けるため、三階の別棟に行こうと階段を登っている時だった。
「で、スッゲー大変だったんだぜー。
それから母ちゃんが大激怒してさ、父ちゃんの顔に向かってあっつあっつのフライパンぶん投げてた」
「ペパーのお母さんて、結構思い切ったことするよね」
「父ちゃんもそれわかってんだから、余計なこと言わなきゃいいのによ。
まあ喧嘩は毎回激しいけど、二人ともその日のうちにちゃーんと仲直りするんだよな。
ただその後のイチャイチャタイムはマジ勘弁!
目の前で見せつけられるオレが居た堪れねーって」
「あはは、確かに。でも喧嘩するほど仲が良いって言うじゃん!
親が仲良しなのはいいことだよ」
明るい笑い声が聞こえてその方向を向けば、アオイが大きく口を開けて笑いながら男と一緒に階段を降りてきた。
いつものどこか緊張した雰囲気は一切なくて、心底楽しそうだと言わんばかりの表情を初めて見て、雷に打たれたレベルでの衝撃を受けた。
向こうからは気づかれないよう立ち止まってじっとその様子を眺めていたら、彼女とその男は喋りながら そのまま別の教室の中に入っていった。
また別の日、体育の授業を受けるために体育館へ移動している間 グラウンド横を通っていると、アオイがクラスメイトと一緒にキックベースで遊んでいるところを見かけた。
上は制服、下は短パンジャージ姿で思いっきりサッカーボールを遠くに蹴り上げると、砂埃を上げながら豪快にホームベースに見立てたところに向かって駆け抜けていく。
「イエーイ、三点目!!このままだとクラスのホームラン王狙っちゃうよ〜」
「アオイ殿の蹴りはいつ見ても素晴らしいでござるな」
「もー、取りに行くこっちの身になれしー」
あの静かさはどこに行ったんだというレベルで、活発にはしゃぎ回っていた。
一方、その日の放課後になって裏庭に足を運べば彼女は既に作業を始めていて、ぼくが来たことに気づいたかと思えば顔を微かに強張らせながら小さくこんにちはと挨拶する。
それからずっと黙っている。
あの元気さはどこにいったんだ?
もしかして、顔がそっくりで名前も一緒な双子がいたりする?
そんなあり得ないことまで考えたところで、ようやくアオイという女の子の本来の姿は物静かなこっちの方じゃなくて、授業の合間に見かけた あの元気という言葉を擬人化したような底抜けに明るい性格なんじゃないかということに ようやく気づいた。
は?何これ。
ぼくと一緒にいるときと全然違うじゃないか。
なんでぼくにはあんなお葬式に参加しているレベルで静かなわけ?
しかも目を合わして話そうともしないし、ああやって明るい声を聞かせてくれることもない。
そんな自分だけ明らかに違う態度に…シンプルにムカついた。
「ねえ、あんたいつまでそんな態度取るわけ」
「えっと…なんのことでしょうか」
話しかけるとこうやって繊細な小動物のように軽く震えたかと思えば、相変わらずどこ見てんのかわからないところに視線を固定する。
ほんと気に入らない。
一歩、彼女に近づくと同じ分だけ距離を離される。
もう二歩前に進むと、また後ろに逃げていく。
何度か繰り返していけば、彼女の体は校舎の壁側まで追い込まれていってその瞬間をぼくは逃さなかった。
「なんでぼくと話をするときは、目を合わせてくれないの。
普通に失礼じゃない?」
「いやちょっと、慣れなくて…。あの、グルーシャ先輩 ちょっと離れてもらえませんか?
…近いです」
後ろに行けなくなると、今度は左右から体を抜けようとしたから両手でアオイの頬を挟んで動きを止めた。
そして一気に顔の距離を縮める。
「じゃあ慣れてよ。今日から練習。ちゃんとぼくの目を見て話せるようになるまで、毎日続けるから」
そしてぼくにもあの笑顔を見せて。
なんでそんな望みが生まれているのかはわからない。
でも、ぼくだけがあの弾けるような輝きを見せてくれないのは、どうにも我慢できなかった。
手に力を込め過ぎたせいか、頬が中央に寄って彼女の唇がとんがった面白い状態になっている。
ここまで距離を縮めてもなお目を泳がせるアオイに、どうしようもなく腹が立った。
こうなれば、なんとしてでもぼくの願いを叶えさせてもらおうか。
続く