恋に落ちても君と友達でいたい ベッドに置いていた携帯がピロンと鳴る。さっきまで風呂に入っていた俺は濡れた髪をタオルで拭いていた手を止めて携帯を手に取った。
『こちらこそありがとう。またいつでも遊びにおいで』
了解、というスタンプと一緒に送られてきた返信を見て無性に嬉しくなる。
今日は藤原宅へお邪魔して愁くんと沙絵ちゃんとたまに東条さんも参加して一緒にゲームをしていた。沙絵ちゃんはあまりゲームをすることに馴染みがないらしい。トランプとかUNOとか、そういう皆が知っているようなゲームもなんとなく知ってはいるけれど遊んだ経験が少ないとのことで、今回皆んなで遊んでみようということになった。
思いの外白熱して熱中してしまって、楽しい時間は一瞬で終わった。俺は日が暮れる前にお暇し、心配だから帰り着いたら連絡して、という愁くんの言葉に喜んで返事をした。
最初に愁くんの家に行ったあの日、帰り道にはすでに恋に落ちていた。
愁くんは姿勢が、動きが綺麗だ。暑い時に我慢できずダラっとしてしまう俺とは違い、愁くんはいつも凛としていて同じ気温で過ごしているとは思えないほど涼しい姿をしている。それが的前では殊更綺麗に見える。
キリッと緊張した空気感を持っているけれど、本人自体はとても優しかった。いつも皆中しているような同い年のすごい人がまだまだ経験の足りない俺に「真摯で前向きな射だ。全く恥ずかしいと思わない」「たかが数年先んじたくらいでどうということはないよ」と言ってくれたことが、何故か風舞の誰に言われるよりも心に響いて、きっとそこで恋に落ちたのだと思っている。
あの日から弓に対する気持ちに焦りが減り、前向きになれた。だからと言って全てが上手くいっているかといえばそうではない。けれど、気持ちは軽いままだ。
――――愁くんのこと、好きだなぁ…
自覚した恋心に浸りながら喜んでいるスタンプを返信してベッドに横になると、既読が付くのをじっと眺めていた。
広く落ち着いている弓道場が休憩時間に入って少し騒がしくなる。
トイレや買い物などで出ていった人もいるので、今は比較的に人が少なくなった。それでもそこそこ騒がしいのは元々の人数が多いからだろう。
今日は桐崎へ合同練習に来ている。到着してからすぐに愁くんと会うことができていつもより元気が有り余っていた。
今日も愁くんは凛とした佇まいで弓を引いている。どこにもブレない、完璧な射のように俺には見える。
少しでもあんなふうになりたくて懸命に弓を引く。結果は付いてきていないものの、やることは課題もわかっているし少しだが変化も出てきている。ただ前向きに課題に向き合い引き続けた。
休憩時間に入り話をしたくて愁くんを探す。弓道場の奥の方に1人でいたのを発見し、声をかけようとそちらへ向かう。
「湊」
愁くんが声をかけたのは湊だった。俺の足はその声を聞いて動かなくなった。元々愁くんの近くに湊はいたし、俺は弓道場の入り口付近にいて遠かった。声をかけてもおかしくないとわかってる。けれど、彼は湊を見つけ声をかけた時に表情が柔らかくなり、凛とした空気が少し和らぐのを感じてしまった。
彼らが親しいことは知っていたし、今まで大会などで実際そういう場面に何度も出会している。なのに自分の心はギリっと痛んだ。何故なのかは誰に聞かないでもわかる。
2人を見ていると痛みと不快感が出てくるのを感じるが、これが現実なのだとわかった。
朗らかに談笑する2人の距離感と、そこから遠くその中に入っていけない自分。これが俺の今の立ち位置。藤原宅にお邪魔した時は気にならなかったのは、この距離感がぼやかされるから。一緒にいるとわかってしまう、具体的な距離。
視線を外し、綺麗に並んでいる的を眺める。他者が弓を引くのは綺麗で、自分も同じように当てたいと思うのに弓を引いているからこそ現実はほど遠い。
「敵わないなぁ」
弓も恋も。だからと言って湊が憎いわけでもないし、愁くんが悪いわけでもない。俺が勝手に想って勝手に嫉妬しただけ、だからこれは自分の問題なんだ。どうしていいかは、まだわからないけど。
「遼平、遼平。ちょっとこっち来て」
「七緒、何?どうしたの?」
しばらくぼーっと的を眺めていたからか、七緒に呼ばれてそっちへ向かう。
人が周囲にいないところでしゃがんだ七緒に合わせてしゃがみ込むと小声で話しかけられる。
「遼平ってもしかして藤原くんのこと好きなの?」
「え?!なんでそれを……あっ」
墓穴を掘ったのに気がついて口に手を当てる。
驚いて声も少し大きくなってしまったので、周囲を見渡したが思ったより周りは気にしてなさそうだった。
さぁっと血の気が引いていっているのがわかった。どうしよう。自分の中だけで終わらせるつもりだったのに、バレたことで気持ち悪いって思われたら…愁くんにも嫌われ…。
「あ、俺気持ち悪いとかないよ、恋愛は人それぞれだしね。驚かしちゃったみたいでごめんね」
「あ、いや大丈夫……」
口元に手を添えて一層小声で話してくれるのでありがたい。
両腕に顔を伏せてため息を吐くと気持ち悪くないと言われて体の強張りは緩んでいき、引いた血の気も少しずつ戻ってきているように感じる。
「七緒に気持ち悪がられなくてよかった。誰にも言ってなかったのにバレてびっくりしたよ」
顔を上げて苦笑した。七緒勘が良すぎない?
「今日遼平が藤原くんのことをずっと目で追ってたし、表情もいつも以上にコロコロ変わるからちょっと気になって」
自分の無意識の行動に顔が熱くなってくる。
「そんなにバレバレだった?」
「そうだね、勘がいい奴は気づくかも。でもまだ周りにはバレてないと思うから大丈夫」
特に風舞メンバーは大体鈍いし、もし気付かれても口硬いやつばっかりだから大丈夫だよ。と言われてしまいまた深いため息をついてしまう。
自分では隠しているつもりだったのにそんなにあからさまだったのか。今後はもっと気をつけないと。
「まだ恋人同士じゃないんだよね?」
「全然そんなんじゃないよ、俺の片想い。付き合いたいとか思ったことないし。両想いになることなんてないと思うよ。……愁くんの特別は湊だけなの、七緒も知ってるだろ」
手に持ってたタオルを握りしめる。困ったように笑うことしかできない。
ちらっと愁くんと湊の方を見ると、先ほどと変わらず和かに話を続けていた。
愁くんと湊の周囲のものは2人がライバルなのを大体知っている。そして愁くんが今まで特別視しているのは湊だけだとも。
あまり周囲に関心を持たないようで、愁くんが自ら進んで話しかけに行くのは湊だけだった。
「俺は藤原くんのことよく知らないから遼平がそう言うならそうなのかもしれないけど…、友だちには幸せでいて欲しいし、出かけられるイベント情報があったら教えるね」
「うん、ありがと。あの…このことは皆んなには言わないで」
「もちろん。遼平が嫌がってることするわけないだろ」
話の切りも良くなり七緒が何か考え始めてるような感じだったので、邪魔しないように立ちあがろうと思ったらその前に急に七緒が肩を組んできた。顔を寄せてきて今までよりもっと小声で話しかけてきた。
「恋って苦しいこともあるけど楽しいことも沢山あるからさ、いっぱい楽しみなよ。応援してる」
組んだ肩を解いて立ち上がるとぽんぽんと背中を優しく叩かれる。七緒が優しくて少し泣きそうになった。気持ちがバレたのはびっくりしたけど気持ち悪がられるどころか応援までしてもらえるなんて。仲間に恵まれて嬉しい。
「七緒、本当にありがとう。七緒に声かけてもらえて少し気持ちが楽になった」
「どういたしまして」
じゃぁね!俺ちょっと電話してくる、と七緒は弓道場から出ていった。
もうすぐ休憩も終わるので俺もトイレを済ませて戻ってくると愁くんに声をかけられた。
「遼平くん」
「愁くん!今日も絶好調だね」
さっき態度のことを言われたばっかりなのに、どうにも愁くんの前では頬が緩んでしまう。やっぱり綺麗で落ち着いていてかっこいい。
元に戻らない表情に焦り、タオルで汗を拭うように見せかけて口元を隠す。
「遼平くんは前より姿勢が良くなったね」
「本当?愁くんにそう言ってもらえると嬉しいな」
浮つく気持ちを抑えようとして空いてた左手で袴を強く握りしめた。落ち着け俺。
「今日最初に会った時と様子が違う気がするんだけど、どうかしたのかい?」
「いや、なんでもないよ!気にしないで」
否定はしたけど、愁くんはずっと俺を見たままでどうやら納得してないようだった。
誤魔化す言葉も話題も見つからなくてえーっと、と言い続けても愁くんは視線を逸らさない。それに焦ってしどろもどろに話を始めた。
「えーっと、……さっき七緒に俺が考えてたことを当てられて動揺してて……だからだと思う。せっかく桐崎に練習に来たのにごめん。休憩時間終わったら切り替えるから」
「そうだったんだね。さっき如月くんと話してた時に様子がおかしかったから心配していたんだ」
「見られちゃってたのか。愁くんにはカッコ悪いところばっかり見られててダメだなぁ」
自分のダメさに気持ちが引っ張られて、落ち込んでいくのが受け答えに出てしまった。
「そんなことないさ。弓のことなら俺にも伝えられることがあるかもしれないけど……」
「弓のことじゃないんだ。弓のことなら愁くんにも相談するよ。これは俺の心の問題なんだ。だから自分で考えて答えを出さないといけないんだ」
いや、出ている答えもある。
愁くんのことが好き、だなんて言ったらこうやって話すこともできなくなってしまうだろうから。
恋に落ちても君と友達でいたい。それは気持ちを自覚した時からずっと思っている。
「考えを七緒に当てられてびっくりしたけど、アドバイスもらって応援してもらったから大丈夫。心配してくれてありがとう」
愁くんは眉尻を下げながら軽くため息を吐いた。困らせちゃったかな。
「前も言ったと思うけど、俺は遼平の真摯で前向きなところが君らしくてとても良い部分だと思っている。
君の周りには仲間もいるし俺は不要かもしれないけれど、何か力になれることがあれば言ってほしい。協力するよ」
初めて家にお邪魔した時に実感したけれど、やっぱり愁くんは優しいし、元気になる言葉をくれる。
ダメだなぁ、どんどん好きになっちゃう。
「ありがとう。それなら気分転換したいから、またお家にお邪魔させて欲しい。今度は愁くんと弓を引きたいな」
「いいよ。遼平くんがよければ今週末にでも弓を持って遊びにおいで」
「本当?!やったー!ありがとう愁くん!」
沈み始めていた気持ちがまた会えることが決まって急浮上する。我ながら現金だ。
自分から自分が楽しむための我儘を言うなんて久々かもしれない。また、それを叶えてもらえるのがとても嬉しい。
愁くんの中では俺はただの他校の友達だろう。でも俺の中では愁くんは片想いの相手だけど友達で、お家に呼んでもらえるだけでとっても特別に感じる。
今はそれだけでいいや。
『恋って苦しいこともあるけど楽しいことも沢山あるからさ、いっぱい楽しみなよ』
七緒にかけてもらった言葉を今じんわりと理解する。
七緒、俺いっぱい楽しむね。
どうか少しでも愁くんと一緒にいられる時間が長く続きますように。
実は本当に特別だったことは合同練習後の懇親会で知った。少し優越感のようなものを感じてしまったのは言うまでもない。
千一くんと万次くんに、すでに遊びに行く約束をしていることを内緒にしてしまったのはどうか許してほしい。