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    zu_kax

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    zu_kax

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    八、天明のファンファーレ あれからしばらく経っても、那由多の喉の調子は戻らないままだった。スタジオでの練習は頻度を落とさざるを得なくなり、楽器隊だけでの練習日も増えるようになった。今のところ直近でのライブは予定されていないが、このままではいけないと那由多自身も気づいているだろう。
     賢汰は、那由多の調子が戻らない理由をわかっていた。あの日のやり取りで賢汰が彼女を傷つけたからだ。すきだと言った那由多の気持ちを踏みにじり、それが勘違いだと切り捨てた。どうか神様でいてくれと、懇願した。父親に対するストレスに拍車をかけるように、彼女を信奉する賢汰自身が、さらに那由多を追い詰めたのだった。
     他のメンバーも口にはしないが那由多の不調に気づいていたし、それが長引くほどに不安は募っていくようだった。あの日から那由多は必要以上に賢汰に声を掛けることは無くなって、賢汰もまた那由多に関与することを避けていたから、二人の間は常にぎくしゃくしていた。
     その日は、那由多の用があるからと楽器隊だけでスタジオに集まっていた。那由多が用事の内容を賢汰たちに伝えることは無かったが、賢汰はおそらく病院だろうと察していた。那由多の通院頻度は以前よりも増しているようだった。薬も服用しているみたいだったけれど、それらをメンバーに知られないように必死に隠している。
     那由多から喘息の話を聞いて、もっと彼女の体調を管理し、サポートしなければと思っていたのに、すきだと言われた賢汰は彼女の手を離してしまった。那由多の病状や体調が心配なのに、もう要らないと告げられた賢汰は、彼女の世話を焼くことすら許されない。二度と触れるなと、言われたのだ。那由多に顔を見せることすらおこがましいとも思えたが、練習での彼女はいつも通り、賢汰がギターを弾くことを許してくれた。彼女にとって必要な音であれただけで、賢汰は生きる理由を失わずに済んだ。
     賢汰にすきだと言った那由多は、「私が神様なら、こんな不完全な身体にしなかった」と言った。自分ではどうしようもない、うまく操れない身体なんて要らないと。自らの思うままにならない身体に苛立っていた。幼少の頃から喘息という病魔に蝕まれ続けた那由多の身体は、賢汰が思う以上に彼女を脅かしていて、那由多は自身に蔓延るその病を心底恨めしく思っていたように思う。
     彼女に神様という烙印を押したのは、他ならぬ賢汰だ。万能の神ならば、歌うのに窮屈な器など選ばない。父親に捨てられるような人生など選ばない。あんな風に男たちに蹂躙されることなど、あり得ない。そんなこと、全部、わかっていたはずなのに。賢汰は自分の都合で彼女を神様に祀り上げ、押し上げた。
     歌だけ歌って、生きていたかった。燃えるような灼熱の瞳を苦しげに歪めて、彼女は細々と告げた。誰かのことを好きになることなど知らず、音楽のことだけ考えていられたら。賢汰の言うように、音楽の女神でいられたら、どれほどよかったか。那由多はひとりごちるようにそう言って、涙を流していた。
     お前の気持ちは嘘だと、刷り込みだと、押し付けるように遠ざけたのは賢汰のほうだ。無遠慮な言葉は、那由多のことをひどく傷つけた。自分の都合で、彼女の想いを受け流した。そのほうが、都合が良かった、、、、、、、からだ。那由多が神様でいてくれるなら、賢汰はいつまでも彼女の隣にいられる。女神を愛する信奉者として、永久に音楽を奏でていられる。だがそれは、賢汰が見た都合の良い夢だ。那由多の言葉で我に返った賢汰は、どうして自分が彼女を神様にしたかったのか、ようやく理解していた。
     あの子が人間であることなんて、最初からわかっていた。旭那由多はただの人間だ。小さくてか弱い、ひとりの女の子だ。初めて会ったときからそんなことはわかっていたのに、賢汰はそれを、、、、、、見ないふりをした、、、、、、、、
     忘れもしないすすきののライブハウスで、彼女の歌を初めて聞いたとき、賢汰の胸は今までにないほど熱くなった。それまでやっていた音楽が嘘だったと思えるくらい、那由多の歌は〝本物〟だった。どうしようもなく、あの子が欲しいと思った。自分の手で、旭那由多を頂点まで連れて行こうと決意した。それから楽屋での惨状を目にして、この子を守りたいと思った。自分の手で、彼女を支えたいと、ずっと傍にいたいと、思った。きっともうあのときから、賢汰は那由多のことを好きになっていたのだと思う。
    那由多に神様でいてほしかったのは、、、、、、、、、、、、、、、、自分の恋慕に気づいていたからだ、、、、、、、、、、、、、、、。彼女に欲を向けたら、賢汰はあいつらと同じになる。だから、那由多は神様でいなければならなかった。この想いを誤魔化して、信仰にしなければならなかった。那由多がただの女の子だなんて、最初から知っていたはずなのに。
     あの子の歌が好きだから那由多を好きになったのか、那由多が好きだからあの歌に魅せられたのか、そんな違いは些細なことだ。那由多は音楽そのものだった。那由多がいるからあの音楽は生まれ、音楽が在るから那由多はここにいる。
     すすきののライブハウスで聞いた歌をきっかけにして、彼女と接するようになって、賢汰は時間が巡るに連れて彼女を心から慈しみ、愛おしいと思うようになった。その気持ちは、神様に持つような信仰心ではなく、紛れもなく恋慕の情だった。
     だが、賢汰は自分が那由多に恋情を持つことを赦せなかった。那由多は誰にも脅かされない高潔で誇り高い人だ。彼女に自分の欲を向けるなんて嫌だった。旭那由多を、消費したくない。汚したくない。那由多を蹂躙し、貶めていた男たちと同じになるのは嫌だった。
     那由多が音楽の神であると強く願い、信奉する。賢汰は彼女の歌を愛していたし、那由多は自分自身のために歌い続けた。賢汰にとって、那由多の存在は運命だった。彼女がずっと神様でいてくれれば、この信仰をいつまでも持ち続けられる。自分の恋慕を隠して、「俺はあいつらと違う」と自分に言い聞かせて。敬虔な信者でいれば、、、、、、、、那由多に触れることを赦される、、、、、、、、、、、、、、。彼女自身が触れられることを望んでいると、言い訳をしながら。
     賢汰の一方的な独りよがりの信仰を、那由多は拒絶した。もう要らないと言われた賢汰は、彼女のために何ができるだろう。答えはずっと出ないまま、賢汰は那由多に声も掛けられないでいる。

    「賢汰」
     スタジオでの練習が終わり、声を掛けてきたのは深幸だった。那由多がいると延長でスタジオの閉館ギリギリまでになる練習時間は、今日は予定通りに終わった。
    「どうした」
     尋ねれば、深幸は少し悪戯っぽい笑みを浮かべて右手をくいっと煽るような動きをした。
    「飲み、行かね? もう飲めるんだろ」
     賢汰は数か月ほど前に誕生日を迎え、めでたく成人の仲間入りをしていた。飲めるようになってからは色々な酒を試してみたが、ワインが口に合うとわかってからは様々なワインを集めて飲み比べたりしている。
    「珍しいな。お前が俺を誘うなんて」
    「バイトしてるバーがあるって言ったろ。前、興味あるって言ってたし」
    「今日はこのあと予定も無いし、いいぞ」
     深幸は今年の2月には誕生日を迎えており、酒が飲めるようになってからは札幌駅近くのバーでバーテンダーのアルバイトをしていた。雰囲気が良く、料理も美味いので酒が飲めるようになったら遊びに来いと言われていたのだった。今日はバイトが入っているわけではないらしいが、賢汰が深幸とサシで飲むのは初めてだった。
     未成年の涼と礼音には少し悪い気もしたが、二人と分かれた賢汰は深幸と連れだって駅のほうまで向かった。深幸がバイトしているバーはスタジオからは少し歩けばすぐだった。
    「で? 何があった」
     カウンター席に通され、最初の酒を頼むと、深幸は一品目が来る前にそう切り出した。酔いが回る前に聞いておこうという魂胆らしい。
    「何が、とは?」
     涼しい顔で返せば、深幸は不愉快そうに眉を顰める。賢汰も、深幸が何を聞きたいかは理解していた。だが、それを話せば那由多の喘息のことや、父親のこと、昔いたバンドでのことも話さなければならなくなる。彼女の了承を得ずに、個人的なことを話すのはいくら相手がバンドメンバーの深幸であっても憚られた。
    「とぼけんなよ。那由多と何かあったんだろ」
     最初に頼んだモヒートをひとくち飲んだ深幸は、責めるような口調で告げる。賢汰は一杯目のジャックローズを傾けた。
    「……お前には関係のないことだ」
     那由多の名前に、賢汰は狼狽した。深幸が何を聞きたいかわかっていたのに、名前を出されれば動揺してしまう。目を伏せて素っ気なく返せば、ハアと溜息を吐かれる。
    「告白でもされたか?」
    「……ッ!」
     さらりと返ってきた声に、賢汰は翠玉の瞳を見開いた。俯いていた顔をパッと上げれば、してやったり、という深幸の顔がニヤついている。意地の悪い表情だった。
    「当ててやろうか」
    「な、にを」
     もうひとくちグラスを煽った深幸は、ふうと息を吐いてからこちらを向く。カウンターに肘をついて賢汰のほうを見るその様子は、どこか芝居がかっていて癪に障る。
    「那由多に好きだと言われた。だがお前はそれを拒否した。お前は音楽のことだけ考えていればいい、とか言って。違うか?」
     ぴっと向けられた人差し指が賢汰の顔を差す。深幸の指摘した通りだった。賢汰は誤魔化すようにグラスを傾け、それから小さく息を吐く。ここまで察されていて、今更取り繕うことは不可能だろう。
    「……見てきたように言うんだな」
     溜息まじりに呟けば、深幸はまた呆れた息を吐いた。先ほどの問いは、確証があったわけではなく、賢汰にカマをかけるつもりもあったのだろうと思えた。でなければ、自分の答えが当たっていて、こんな風に呆れたりはしないはずだ。
    「那由多のこと見てれば、お前が好きなことくらいすぐわかる。で、お前も那由多が好きだってこともな」
     そう言われ、賢汰はぐっと息を飲み込んだ。腹立たしいことに、深幸にはすべてお見通しらしい。言葉も無く黙っていれば、深幸は再度息を吐いてグラスを傾ける。生ハムとサラダの盛り合わせが運ばれてきて、二人の間に置かれた。
    「なんで那由多を受け入れてやらなかった?」
     深幸はすでに一杯目を飲み干して、次のグラスが目の前に用意されていた。深幸からしてみれば、二人ともお互いを想い合っているのにどうして空回っているのかわからない、というところだろうか。顰めた声は低く、賢汰のことを責めるようだった。
    「……それ、は」
     たどたどしく言葉を紡ぐが、うまく音にはならない。自分のために彼女を神様に押し上げた。ただの女の子を、賢汰の都合で神様にした。愛しかった。彼女のことが好きだった。けれどもう、二度とあの子には触れられない。
    「別にジャイロは恋愛禁止ってわけじゃないだろ。まあ、色恋がバンドの解散原因になったりすることもあるかもしれないが、那由多はそんなことで歌を蔑ろにしないし、お前だってそうだ。節制する気持ちもわかるけど、それでパフォーマンスが落ちてたら元も子も無いと思わないか?」
     深幸は、賢汰がバンドのためを思って那由多の好意を断ったと踏んでいるらしかった。確かにバンド間の痴情のもつれは解散のきっかけになりやすい。けれど深幸の言うように、那由多は音楽に恋愛を持ち込むことは無いだろうし、もし賢汰が彼女の好意を受け入れて、結果別れることになったとしても、音楽の前では平等でいるだろう。
    「違うんだ」
     二杯目のモスコミュールを一気に飲み干した賢汰は、アルコールの匂いが混じる息を吐いた。那由多を拒絶したのはジャイロのためではない。里塚賢汰というただひとりのためだ。どちらにせよ、もう要らないと言われた賢汰に、彼女の手を再び取る資格など無い。
    「那由多の気持ちはどうなる? お前だってあの子のことが好きならっ」
    「違う、っ!」
     鋭い声が口から零れて、眼前の深幸は目を見開いていた。翠玉の瞳は滲んで視界が曇る。深幸は何も知らない。彼女がどんな境遇に置かれていたか。賢汰がどうして彼女を神様にしたがったのか。
     彼女が好きなら、賢汰は那由多に触れるべきではなかった。彼女の求めに応じることなく、あの子を傍で支えてやるべきだった。那由多が望むならと身体を差し出し、彼女の欲を発散する行為は、賢汰にとっても幸せな時間だった。那由多の好意はまやかしだ。賢汰があの日彼女を連れ出さなければ、あの子に触れなければ、那由多の心が人間に向くことは無かっただろう。
     もっと普通に出会って、普通に彼女を好きになりたかった。那由多の好意を、刷り込みだなんて思いたくなかった。この子は俺のことが好きなのだと自信を持てるくらい、彼女のことを大事にしたかったのに。
    「……自信が持てない」
     酒のせいで赤らんだ頬のまま、賢汰は小さくつぶやいた。自分のような人間が、那由多の心を動かすなんて思えなかった。これは信仰だと、信奉だと自分に言い聞かせて彼女に欲を向けていた卑怯な男に、那由多が好意を向けるなんて思いたくない。賢汰の本質は、那由多を蹂躙していたあいつらと同じだ。彼女に自分勝手な欲を向け、自らを慰め、旭那由多を消費してきた、、、、、、、、、、
     お前のことがずっとすきだったと言われても、自分ごときがそんな風に想われるとは思えなかった。思いたくなかった。俺なんかのことを、好きだなんて言わないでくれ。
    「那由多のことが、好きなんだ……」
     カウンターに突っ伏した賢汰は、小さな声でつぶやいた。美しく伸びやかな歌声も、獰猛に赤く輝く瞳も。くちづけをすると漏れる甘やかな息も。滑らかな陶器のような肌も。余裕が無くなると縋るように背中に回される腕も。気持ちがよくなると目を細めて鳴く声も。すべてが、愛おしくてたまらなかった。零れた言葉に、深幸は小さく頷く。
    「でも、あの子に、俺は――」
     那由多の気持ちを拒否した。嘘だと、それは刷り込みだと切り捨てた。傷つけて、全部、踏みにじった。もう、那由多のことを好きでいる資格なんてない。那由多に好きだと伝えることもできない。触れることも、許されないのだから。
     少量の酒で酔いが回った賢汰は、カウンターに突っ伏したまま小さく寝息を立てる。やれやれと息を吐いた深幸は、持っていたグラスを傾けた。
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