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    DasonHen

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    さめしし小説アンソロ「例えばここで「」したら」告知用フライヤーに掲載した小説です
    フライヤー配布日:2025/3/16

    グッドモーニング・コール ここのところ暫く静まり返っていた朝の住宅街が騒がしい。大きな玄関の扉からのそりと出てきた男は、空気の暖かさにランニングジャケットのジッパーを下ろしながら周囲を見渡した。
     よく晴れた穏やかな陽気である。
     異常気象というものが毎年数度はある恒例となって久しい。その例に漏れず、数日前までは分厚いコートを着なければ耐えられないような寒波に見舞われていたのが嘘のように、春らしく少しの湿り気を孕んだぬるい空気が男の金の髪を揺らす。
     
     周りの住宅にひけをとらない豪邸である男の家の前を、一組の親子が歩いていた。父親と母親は上等な礼服を身に纏い、間を歩く子供はピカピカのランドセルを背負っている。
     入学式だ。
     近く——というほど近くはないが、徒歩圏内に大きめの私立小学校がある。敷地内に隣接する駐車場はなく、狭い道路に面しているので大雨の時などは送り迎えの車で周囲が混雑しているのを見かける。今日は自家用車やタクシーでの来校が認められていないのだろう。
     小さな子供の足に合わせて、大人二人はゆっくりと歩みを進めているようだった。
     
     長身の男が門扉に近付けば、塀の上から親子の様子が簡単に窺える。ピカピカの子供はしかし、小さな頭を少し俯かせてひどく緊張している様子である。
     そんな我が子に、若い両親がただただひたすらに優しい言葉をかけていた。
     
    「学校に行ったら、たくさんお友達がいるからね」
    「給食が食べられるんだよ」
    「今日はお祖父様とお祖母様も後から来てくださるって」
    「みんなでお祝いしようね」
     そんな穏やかな声は、子供の返事もないままに少しずつ男の家の前から遠ざかっていく。
     
     なんとなく音を立てないようにゆっくりと門扉を開き、男はするりと自宅の前の道に出た。ちらりと見た親子の背中はまだ近い。賑やかな鳥の声に紛れ、母親の細いハイヒールの音が家々の塀に反射してこつこつと響いている。
     俯いたままの子供の頭には小さな学帽が乗っていた。丁寧な刺繍の入ったランドセルの色は水色で、後ろ姿から男女の区別はつかない。糊の利いた制服に、真っ白い靴下。ピカピカの小さな革靴。
     
     その後ろ姿を、男はサングラス越しの目を少しだけ細めて暫し、見つめる。それから彼は門扉にしっかりと鍵をかけて、親子の進行方向とは反対に向かって静かに走り出した。
     
     
     あたたかな日差しが春の空気となって街全体を覆い尽くしている。小鳥の囀りはどこまで走ってもついてきて、明るい陽光は道路にいくつも転がる金属質の石をきらきらと輝かせている。
     少しずつ上がっていく息を整えつつ、男はそのひとつひとつにちらりと目をやりながらアスファルトを蹴る。稀に同じようなランニングウェアの人間とすれ違った。皆まわりの家の庭木の花や、まるであさぼらけのように霞んだ明るい空を見て顔を上げている。
     それにつられるように視線を上げ、男は自身の目元を隠すサングラスをおもむろに外してみた。途端、ぎゅうと眉根を寄せて男は目を瞑る。春の日差しは、どれだけ輝いて見えようとも色素の薄い男の目を眩ませる劇薬である。
     少々ペースを乱しながらも、男は足を止める事なく住宅街の間を走り抜ける。
     
     走っているうちに、顰められていた男の眉間の皺は薄くなっていき、再び周りの景色をきょろきょろと見る余裕も出てきた。
     庭木の花の鮮明な赤や、盛りの過ぎた早春の花、新緑を芽吹かせようと膨らむ枝の先を、男はほんの少し速度を落としながら眺め、通り過ぎる。
     
     そうして男はふと、大きな公園の前で静かに足を止めた。
     その公園にはすでに先客が何人かいるようだった。老夫婦や小さな子供を連れた親の姿がちらほらと散見される。
     
     男は公園に足を踏み入れることはなかったが、おもむろにジャケットのポケットについたジッパーを開け、中からスマートフォンを取り出して空に掲げた。
     ぱしゃり。
     軽くてどこか間の抜けた音が大気に広がり、溶けていく。
     
     そうして、男の足は留まる体を急かすように再び歩き始めた。さかさかと忙しなく歩みを進めながら、男は視線を手元から離さずに端末を操作している。
     しかしほどなく、男は再びその端末をポケットの中に入れてジッパーを上げる。
     遅くなっていた歩みが再び速度を取り戻しはじめる。
     その時だった。
     
    「!」
     ぎくりと男の肩が震える。慌てたように彼の手が先ほど上げたばかりのジッパーを下げ、ポケットの中身を取り出す。
     その画面を目にして、男はぽかんと間抜けに口を開けた。
     
    「はい、獅子神だけど……」
     駆け出そうとしていた足はその場でぴたりと止まる。スマートフォンを耳に当てながらうろうろと視線を彷徨わせ、男はちょうど公園と道路を隔てるフェンスの近くに歩みを進めた。ここならば車や自転車の邪魔になることはない。
     
    「いや……うん、何もねぇよ、ごめんすぐに見られると思ってなくて……
     なんもねぇって……嘘じゃねぇよ
     つーかお前仕事は?
     ……あー……すまん忙しかったな、じゃ……
     え?……うん、いや理由っつーか……みんな空とか見てて、近くの小学校で入学式もあるっぽくて、春だなーって思って…………桜も咲いてたから……
     …………うん、そう……近くの公園……コンビニ行く方向の…………うん……」
     
     何か悪いことをしでかした時にする言い訳のように、男の声は小さくもごもごと不明瞭だった。所在なさげに、幅の広い肩までも小さく丸める姿は叱られる子供そのものだ。
     
    「悪い、用事もねぇのに……
     ……あー……うん……
     へっ?いや、違うそういうんじゃなくて、別にほんとに綺麗だなって思っただけだから……あっ、いやオメーが行きてぇなら別にあいつら誘ってとかでも、もっと北行けばまだ咲いてないとこあるだろうし、
     ………………うん……
     うん……
     ……そうなんだ、そっちももう咲いてそうなのか?
     あー、そっか、病室から見えた方がいいもんなぁ
     今日も?後から休憩とか取れねーの?やっぱ忙しいなお前……
     え、つーか今はまだ大丈夫なのか?
     …………そうか?ならいいけど……」
     
     しょぼしょぼと落ち込んだ様子であった男の声音が少しずつ芯を持ち始める。フェンスに体をもたれかからせて、男は機械を耳に当てたまま視線を上げた。
     その先にはどこかやわらかい色味のヴェールを被せたような、春の空が広がっている。
     
    「…………そうだな、近いうちにみんなで集まって……
     ……え?夜っていつの夜?今日?本気で言ってんの?
     いやそういうんじゃなくて……オメー明日も仕事だろ?どこ行く気だよ?
     ……あー、うち?ここ?いや別にいいけど……そんな何本も植ってるわけじゃないぜ?
     ……うん……うん……そうだな、もう一つある……ちょっと距離あるけど…………オレの足で十五分くらいかな……
     ……うん……えー、歩いて?お前それで大丈夫?
     はは、なにそれめっちゃ楽しそう……
     食うもんは買う?うちで頼んどくか?
     ……へ、へへ、そっか…………うん……
     分かった、そしたら歩いてても摘まめるやつも作っとくわ
     ……ふ、ははっ、大丈夫だよ分かってるよオメーの食欲くらい!
     歩きながら食べる用と、公園で広げて食べる用だろ?公園の方はちゃんと弁当箱にするか?はいはい……
     うん……何時になるか分かんの?
     ……いやそれは帰宅に対して気合い入れすぎだろ、仕事頑張れよ先生なんだから……
     ……いや、好きなんだろ仕事?
     それは屁理屈じゃねーかな?
     …………それは分かるけど……
     うん…………
     あー…………でもさぁ……
     ……オレは先生のそういうとこ、すげーかっけーなって……思うけど……
     いや、何もねぇよ、ほんとにそう思ってるだけ……
     ん?うん……そうだけど…………
     うん………………?
     …………なぁなぁ、お前の近くでなんか電話鳴ってねぇ?
     うん、いや出ろよ!やっぱ時間やべーんじゃねぇか!
     はいはい!なんかあったらメッセージでもいいから!
     ……いや春の肉料理って何だよ!無茶振りすぎんだろ!」
     
     通話の中で男の声はだんだんとボリュームを増していき、最後はほとんど怒鳴るような声音に変わっていた。しかし、その音量に似つかわしくない緩みきった表情が、彼の機嫌の良さを表している。
     
     男は耳から離した携帯端末の画面を数秒見つめ、それからいそいそとその機械をポケットの中にしまい込んだ。そして、どこか落ち着かない視線をあちこちにきょろきょろと彷徨わせながら、彼は再び足を躍らせ始める。
     
     一歩、二歩、男の大きな足が固いアスファルトを蹴る。
     
     それは先ほどまでのストイックでよく管理されたジョギングペースではなく、何か強くて、暖かい風の渦に追い立てられるような駆け足であった。パーティーの前の子供のような、これから何かとてつもなく楽しく、幸せなことが待っていると信じ切る無垢な疾走であった。
     
     韋駄天の如く走り去る男を、散歩中の犬が眺めている。ピカピカのランドセルを背負った子供が振り返って見ている。
     そのどれに目をくれることもなく、男は小さな風を巻き起こしながら春の街を駆け抜ける。
     男のやわらかな金の髪を彩っていた薄紅模様が、男の起こす風に攫われひらひらと空を舞う。
     
     街のあちこちで、桜が満開を迎えていた。
     
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