初デート!1ヶ月記念!!遊園地!!! よく晴れた冬の朝。
学校が休みの今日、地球寮の共有スペースは朝ごはんの美味しそうな匂いに満ちていた。
みんなが少し眠そうに朝ごはんのサンドイッチをつまみながら、各々の本日の予定なんかを話す中、やたらと張り切った様子のスレッタもテーブルについた。
「おー、スレッタぁ、やけに楽しそうだな?」
意外にも最初に切り込んだのはヌーノだ。
「もしかしてデートかぁ?」
ハハッ、と笑い飛ばすようにヌーノは続けた。
そして五秒後に目玉をひん剥く事となる。
「はいっ、今日はデートなんです!!!」
寮生全員がスレッタを見る。
「「「「えええええ〜〜〜っ!?!?」」」」
ほとんどのみんなが驚きの声をあげ、声をあげなかったアリアやティルでさえ目線はスレッタに向いた。
ミオリネだけが、やれやれとでも言いたげにティーカップを持ち上げた。
「センパイッ!ついに初デートなんですね!?」
瞳をキラキラさせたリリッケが食い気味に寄ってきた。
エランとスレッタが付き合い始めて早一ヶ月。
恋愛盛りの高校生だというのに、「今日は中庭でお話した」だの「手を繋いで一緒に帰った」だのとまるで小学生みたいな進展具合なのだ。
「どこに行くんですか!?」
「あ、えと、遊園地…です」
キャーー!いいですねぇ!と盛り上がるリリッケ、
おい浮気してんぞミオリネ!と謎の密告をするチュチュ、
好きにすれば〜?と涼しい顔のミオリネが騒がしい。
「スレッタ、時間は大丈夫なの?」
ニカに言われてスレッタはすぐさま時計を見る。
初めてのデートだ。遅刻は絶対にしたくない。
「そっ、そろそろ行きます!」
スレッタが慌ただしく席を立つと、各々の行ってらっしゃいがいくつも連なって聞こえた。
「先輩、大丈夫ですかねぇ」
リリッケがけろりと呟く。
「何がだよ」
チュチュがパンを食いちぎりながら言う。
「だって初デートですよ?遊園地ってハードル高くないですか?」
「…そうなのか?」
よく分かっていないチュチュに、今度はニカが答えた。
「ほら、並んでる間に会話が尽きたり、疲れてイライラしちゃったり」
「あー…」
「上手くプランを組めなくて楽しめなかったり」
「あぁ…」
「氷の君って何喋るんだろうなー」
「意外と浮いた噂も聞かなかったしね」
オジェロやマルタンまで参加してきて、脳内初デートはどんどん雲行きが悪くなっていく。
「スレッタ先輩、大丈夫ですかねぇ」
リリッケのつぶやきに、全員が虚空を見つめた。
10分早く着くつもりが20分も早く着いてしまうな、と思っていたのに、待ち合わせ場所にエランはもう立っていた。
「おっ、お待たせしました!!!」
スレッタが急いで向かうと、
「待ってないよ、僕もさっき来たから」
なんて言いながら端末を上着のポケットにしまった。
「エランさん、嘘ついてます」
「え?」
エランがスレッタの方を見ると、スレッタの手がにゅっと伸びて頬を包まれる。
「ほっぺたがこんなに冷えてます!ずっと待ってましたね!?」
むに、と頬が内側に寄せられてちょっと気の抜けた顔にされたエランがそのままスレッタの手に自分の手を添える。
「うひゃっ!?」
急に手と手が触れて、ついでに自分のした事を自覚したスレッタが飛び退いた。
「君も冷たいよ」
エランが面白そうに笑う。
「…エランさんの方が冷たいです」
「じゃあ、温めてくれる?」
断られる気のなさそうな手がにゅっと伸びてきて、スレッタは大事にその手を握った。
「いいですよ…デート、なので」
エランがくすぐったそうに笑って、2人は手を繋いで歩き出す。
いつも涼しげなエランが2人きりだと意外な程に大胆なことを、学園のみんなは知らないだろうなとスレッタは思う。
自分だけが見られる、恋人の姿。
嬉しくて、繋いだ手をぎゅっと握ってみる。
「どうかした?」
大胆な恋人はすぐさま顔色を伺ってくる。
「なんでもないです!」
少しだけ距離を詰めて肩をぶつけにいくと、エランはびくともしなかった。
「へんなの」
握り直された手は恋人繋ぎの形になって、2人の間でゆらゆら揺れていた。
ことの発端は、エランの一言だった。
「二人だけの秘密が欲しいんだ」
晴れた日の中庭で、何気ない会話の中での事だった。
「秘密、ですか」
「うん。僕たちが特別な関係なんだって、僕たちだけが分かるような何か。それが何かは分からないけど…」
エランは上手く言えないことがむず痒かった。
用意された見た目、管理された身体。
"強化人士"は全てを監視され、把握されている。
その監視をすり抜けて、自分と彼女を繋ぐ何かが欲しい。
…その全てを打ち明ける事は出来ない。
うーん、とスレッタは少し考え、
「じゃあ、お揃いのものを買うっていうのはどうですか!?」
「お揃い…」
「はい、お揃い!もうすぐ付き合って一ヶ月になりますし、一ヶ月記念にお揃いの物を探しに行くんです!」
スレッタの提案はいつも魅力的だ。
どうしたらそんなに楽しい事を思いつけるのか、いつか聞いてみたい。
「うん、それがいいな」
「やったぁ!」
いつがいいかなぁ、とウキウキしているスレッタがハッと表情を変え、今度は急に恥ずかしそうに小声で話す。
「これってつまり………デート…ですよね?」
「そう思ってもいいかな」
「……………はい…」
今度はさらに小声になって、最後には顔を覆ってしまった。
二人が訪れた移動式遊園地は、かなりの人で賑わっていた。
ジェットコースター等のアトラクションは奥の方にあるらしく、手前には雑貨やスイーツのお店がずらりと並んでいた。
スレッタにとっては目に映るもの全てが新鮮だ。
「わぁ〜〜〜!!!すごい!!可愛いものがいっぱいありますね!!」
お土産や食べ物もたくさん並んでいて、目移りしてしまいそうだ。
せっかくだから、目当てのアトラクションに向かいつつ雑貨店を見て回る事にした。
「お揃い、何がいいですかね」
スレッタがウキウキと小物を手に取っていく。
「キーホルダーがいっぱいありますね!でもミオリネさんのとかぶっちゃうし…」
「ペンはどうかな」
「すごくいいです!!!!…けど」
「けど?」
「目立つものだと、エランさんに迷惑かけちゃいそうで…」
二人が付き合いはじめたこの一ヶ月、身の回りが騒がしいのは確かだ。
学園内のどこにいても視線を感じる。噂も聞こえる。
「あの氷の君が」「水星ちゃんと」
このワードを聞かない日はないくらいだ。
スレッタはそれを申し訳ないと思っているらしい。
「僕は気にしないけど」
「ダメです!!!!」
「そっか」
そわそわしちゃって授業に集中できません!とスレッタが言うので、分かりやすいものはNGとなった。
候補すら難しい…と頭を悩ませていると、ジュエリーショップに行き着いた。
ウィンドウの真ん中にはキラキラ輝くダイヤのリングが飾られていて、彼女の指に映えるだろうなと思っていたら「それはまだ早いです!!!」と思考を読んだかのようなツッコミが飛んできた。
その後もアレコレと見て回ったがめぼしいものは見つからなかった。
あっという間に大通りを周り終えてしまい、いつしかアトラクションゾーンまで来ていた。
ジェットコースターというらしい高速系のものからお化け屋敷といったイベント系まで豊富に揃っている。
「せっかくだし、何か乗りませんか?」
スレッタが瞳を輝かせる。
「そうだね」
エランもスレッタも、遊園地は初めてだ。
「乗りたいものはある?」
エランが聞くと、スレッタは期待いっぱいに空の方を指さした。
「アレはどうですか!?」
ちょうど空の方に機体が見えて、悲鳴と共にレールに沿って急降下していった。
ジェットコースターだ。
「だと思ったよ」
学生とはいえパイロット科の二人だ。
ガンダムに比べたらこんなものは余裕だろう。どんな乗り心地なのだろうと、普通とは違う期待を少なからず抱いていた。
「じゃあ、悲鳴をあげた方が負けって事でどうですか!?」
自信がありそうなスレッタが勝負を持ちかけてくる。
「………乗った」
エランは乗らざるを得ない。
先輩として、なにより彼氏としての矜持がかかっている。
まるでこれから決闘でもするかのような面持ちで、二人はアトラクションの列に進んだ。
…三十分後。
二人はベンチに腰掛けてどうにか呼吸を整えていた。
高所も速度も慣れたものだ。しかし盲点だったのは、自分の操縦ではないということだ。
予測不能の動きがこんなにも恐怖をあおるものだとは思わなかった。
一度目はどちらも悲鳴をあげる暇もなく終わった。後はただの負けず嫌いで、勝敗がつくまで二度も三度も乗りまくり、今に至る。
結果はまさかの両者ギブアップ。
理由は単なる乗り物酔いだ。
「エランさん…、無事ですか………」
「ハァ…なんとか………」
「死ぬかと思いました……」
「次は平和な乗り物にしよう」
「賛成です…」
マップによると近くにゲームセンターのコーナーがあった。
ゾンビを一緒に倒して相性を測るゲームを見つけ、これなら酔わないだろうと挑戦した。
ここでようやくパイロット科の力が発揮され、持ち前の機動力でゾンビの掃討は余裕だった。
「スレッタそっち行ったよ」
「任せてください!」
思えばパイロット同士の二人が協力して敵を倒すのは初めてのことだった。
もし学科が違えば、決闘ではなく共闘できたら、もっと違った学園生活があったのかもしれないと二人は思った。
肝心の相性は98%を叩き出し、ランキングでは見事1位となった。
「やったぁ!!!!!」
思わずハイタッチ。
ゲーム画面には相性診断の結果が写し出される。
「えーっと、…相性90%以上の二人は息ピッタリ、お互いを想い合えるベストカップルです!
何があっても、その手を離さないで。例えゾンビが来たとしても…」
そこまで読んで、どちらからともなく照れてしまう。
「つっ、次、どこ行きましょうか」
「そうだね、カフェでも行って何か食べる?」
「はっ、はい!」
"その手を離さないで"と言われた後なのに、恥ずかしくて手は繋げない。
今日は朝から自然に手を繋げていたのに、こんな形で急に意識させられるとは想定外だった。もう少し繋いでいたかったとスレッタは思った。
近くにあったカフェはケーキやパフェが人気らしく、多くの女性客で賑わっていた。
店内には雑貨の販売コーナーもあって少し見ていたが、すぐに席へと案内された。
窓際の席からは庭に咲いた花々が見えて綺麗だ。
「わーーー!どれも美味しそうです!」
メニューに並ぶ写真はどれも可愛らしくて、スレッタはあちこち目移りしてしまう。
フルーツタルトにショートケーキに、初めて目にするケーキも。
メニューを何度もめくったり戻ったりするスレッタを、エランは微笑ましく眺めている。
「決まりそう?」
「い、今、フルーツタルトとモンブランで悩んでまして…!うーん、でも、………よし!決めました!」
一人で楽しそうなスレッタに、エランは内心笑い出しそうだった。
ぐっと堪えて店員を呼ぶ。
「私はフルーツタルトと、紅茶をセットで!エランさんは?」
「モンブランと、飲み物は同じものを」
「かしこまりました」
店員はオーダーを通してキッチンへ戻る。
スレッタは肝心の目でエランを見つめた。
この人のこういう優しさが、やっぱり好きだ。
「どうかした?」
今だってたった一瞬の、スレッタの変化を見逃さない。
「ケーキ。いいんですか?」
「うん、僕も食べてみたかったから」
半分こしてくれる?と、スレッタの望みを見透かしたような提案をする。
「はい!」
満面の笑みを見せるスレッタに、エランも同じように口角を緩めてしまいそうだった。
オレらしく振る舞うのを忘れるなよ!とオリジナルに釘をさされていなければ、あぶなかった。
スレッタ自身は、エランさんも嬉しそう、と思っているので実際はアウトなのだが。
「お待たせしました」
運ばれてきたケーキにはクリームやフルーツソースが添えられて美味しそうだった。
宝石みたいにキラキラ輝くフルーツタルトにスレッタの目も輝く。
いただきます、と二人して手を合わせた。
「エランさんの前にケーキがある。ふふ、なんか可愛いです」
学園の人たちには想像出来ない組み合わせだろうな、とスレッタは笑う。
エランは考える。
「確かに、一人だったら一生来なかった場所かもしれないね」
店内は女性客とカップルで占められている。
食堂のメニューにたまに出るスイーツに、なんでみんなあんなものが食べたいのだろうと不思議だった。
ものは試しにプリンを食べてみたことはあったけど、"甘い"という味を理解しただけだった。
だけど今、二人で半分こが約束されたケーキはとても美味しい。
こういうのは味じゃなく、誰と食べるかに意味があるのだろう。
「ありがとう、連れてきてくれて」
じんわりと、優しさが滲むような声。
「どちらかというと、連れてきてくれたのはエランさんです」
電車の乗り換えにはまだ慣れず、スレッタに任せていたらきっと真逆のどこかに着いていただろう。
それはそれで楽しそうだと想像して、エランはまた笑う。
「じゃあこれ、約束の」
ケーキフォークに乗ったモンブランが、スレッタのお皿に運ばれる。
「じゃあ、これもどうぞ」
スレッタのタルトはなぜかお皿よりも上の、顔の方に近づいてくる。
…オリジナルが見たら小言を言うだろうな。
そんな覚悟をして、エランは口を開けてタルトを迎えに行った。
お会計をすませ、美味しかったですね、なんて言いながら歩き始めたところでエランが急に立ち止まった。
「あ」
「どうかしました?」
「…ごめんスレッタ。端末を忘れてきたから、ここでちょっと待ってて」
「あ、はい、分かりました」
すぐに戻るから、とエランはカフェへ走っていく。
スレッタは通行の邪魔にならないよう道の端に寄って待つ事にした。
だんだん通行人の視線が刺さり初めて、ベンチでもないかと歩き出す。
なんだか美味しそうな匂いがしてきて、そう言えば売店のチュロスが美味しそうだったな、と思い出した。
「エランさんと半分こしようかな」
店内が混んでいたせいで、店を出るのに数分かかってしまった。
カフェを出てもスレッタが見当たらず、エランは端末を確認する。
メッセージと不在着信がいくつも来ていた。
"エランさん、チュロス半分こしませんか?"
"すみません、人に流されて戻れなくなっちゃいました!"
"エランさんどこですか?"
"不在着信"
"不在着信"
"不在着信"
ものの数分で予想のはるか上をいくアクシデントが発生した。
慌てて通話してみるが、お互い掛け合っているのか上手く繋がらない。
エランは走り出す。
人混みに慣れていない彼女を一人にしてしまった。
手を離すなと、言われたばかりだったのに。
陽も落ちはじめて、じきに暗くなるだろう。
端末の発信音を聞きながら、走ってスレッタを探す。
たぶん売店の方だろう。
チュロスを持って迷子になってるスレッタは想像するだけで可愛くて笑ってしまいそうになるけど、今はそれどころじゃない。
とにかく走った。
人の波にぶつかりそうになって「すみません、」と謝りながらスレッタを探す。
繋がってくれと、端末を握りしめる。
ひたすら発信中と表示されていた画面が、通話中に切り替わった。
鼓膜に、その声だけがまっすぐ届いた。
「エランさ、」
見つけた。
その声を聞いた途端に、視界に広がる数多の人間の中から、君を見つけた。
どういう因果か分からない。こんなところで、火事場の馬鹿力みたいな力が湧いたのだろうか。
「スレッタ!!!」
一目散に走って、走って、向かってきたスレッタをしっかりと抱き止めた。
「エランさん!!!」
ふえぇと子どもみたいに目に涙を溜める彼女を隠すようにして抱きしめる。
あたりは完全に暗くなって、夜の訪れを知らせるよう丁度花火が打ち上がった。
ドーンと大きな音をたて、キラキラと儚く消えていく。
抱き合う影が瞬間的に地面に照らされても、みんな花火に夢中で二人の事なんて眼中にない。
拍手が沸き起こる。
どう考えても花火への賞賛だけど、自分たちが祝福されているみたいでもう少しこのままでいたい気もした。
「ごめんなさい」
スレッタが腕の中で小さく謝る。
「悪いのは僕だよ」
「もういなくならないで下さい」
「うん」
「絶対ですよ」
「絶対。約束するよ」
今度はちゃんと手を繋いで、最後にスレッタが乗りたいと言っていた観覧車に乗る事にした。
その大きな観覧車は遊園地の中心に位置していて、夜は煌びやかな園内を見渡せると評判のようだった。
「2名さまですね、向かい合ってお座りくださーい!」
「出発しまーす!」
係の人に言われるまま、二人は向かい合って座る。
登っていくにつれライトアップされたアトラクションやパレードの賑わいが綺麗に見えて、同じくらいの高さでもコクピットから見る景色とは全然違った。
初めて乗る観覧車に初めはドキドキした。
けど、そのドキドキは乗り物にではなく、好きな人と近距離で密室にいるせいだとすぐに気づいた。
「そっち、行ってもいいですか」
スレッタが言う。
「どうぞ」
エランが片側に寄って席を空ける。
スレッタが立ち上がると、観覧車は重力に従って少し傾く。
「わ、」
フラついたスレッタに手を差し出し、スレッタはエスコートされてエランの隣に座った。
なんでだろう、二人きりでこんな狭い所にいるからかな。
もっと近くで、一緒にいたい。
夜景が味方して、今日なら一歩大人になれそうだ。
「エランさん、知ってますか」
「うん?」
離さないと決めた手が重ねられ、すりすりと愛おしそうに撫でられる。
応えるように、スレッタも指を絡めてみる。
「この観覧車に乗ったカップルはいずれ別れるってジンクスがあるんです」
「えっ」
意外すぎる話題にエランは驚く。
「でも、もうひとつジンクスがあって…」
観覧車は四分の一ほど登ったところで、今二人はほとんど夜空に二人きりだ。
「頂上でキス、したら、二人は永遠に一緒にいられるんです」
自然と、エランの方へ近づいて膝を合わせてみる。
「だから、あの、」
こんな大胆なこと、きっと今しか出来ないと思った。
おずおずと、少しだけ目線を上げてみる。
顔が近くにあって、目が合った。
吸い込まれそうなほどに、真っ直ぐにスレッタを見る目が近づいて、
「してもいい?」
「エランさ、」
返事を待つ前に呼吸を止められた。
顔が、身体が、全部が近くて、想像よりリアルな質感をもっとちゃんと確かめたくて、何度も何度も唇を重ねる。
吸って、重ねて、離して、吐いて、またキスして、ぎこちなかった感情がほぐれて、溶け合うようにキスをした。
漏れる吐息が艶めかしく鼓膜に届いて、エランはここが部屋じゃなくて良かったとこっそり懺悔した。
とっくに頂上を過ぎてそろそろ地上が見えてきた頃、名残惜しく唇を離してエランは言った。
「嫌だったら言って」
スレッタは思わず笑う。
「もう遅いです」
閉園時間が近づき、帰りが遅くならないように二人は帰路につく。
だけど今日はなんだかもう少し一緒にいたくて、寮の近くのベンチに二人で座る。
さっき買ったチュロス、半分こしませんか、というのを口実にした。
「スレッタ、これ」
エランが出したのは可愛らしくラッピングされた手のひらサイズの紙袋だ。
「今日、お揃いの物を買おうって言ってたでしょ」
「あ…!そうでした」
本来の目的をすっかり忘れていた。
「これはどうかな」
渡された紙袋を、スレッタが丁寧に開けていく。
中から出てきたのは、エメラルドカラーのマニキュアだった。
「わぁ…!かわいいです!」
スレッタは感嘆の声をあげて喜ぶ。
「良かった、喜んでもらえて」
エランは内心ほっとした。
初めての贈り物で、気に入ってもらえるかは内心不安だった。
「絶対この色がいいと思ったんだ。僕とスレッタの、目の色に似てると思って」
エメラルドみたいに輝くその小瓶は、光の当たり具合によって青にも緑にも見えた。
「お揃い、これがいいです!」
スレッタはそれを胸に抱いて喜んだ。
「あれ、でもいつの間に?」
今日一日の、どこにそんな余裕があったのかスレッタは考える。
「カフェの雑貨コーナーにあったのが気になってて。せっかくなら驚かせたくて、一人で買いに戻ったんだ」
端末を忘れたと言ったあの時だ。
「まさかあの後はぐれるなんて、思いもしなかったよ」
エランは思い出して笑う。
「は、恥ずかしいから忘れて下さい!!」
スレッタは真っ赤になった顔を覆う。
この年で迷子だなんて恥ずかしくて、顔を上げられずにいたら頬に何か柔らかいものが触れた。
絶対的な確信と共に顔をあげると、エランが照れたように笑っている。
「今、頬に」
「うん」
「もう一回してください」
「同じ場所がいい?」
エランは二人の時しか使わない声色で、試すようなことを言う。
いじわるな恋人に、今度はスレッタから仕返しのキスをした。
そのうち主導権なんてものはなくなって、キスする前の関係なんて思い出せなくなるくらいにキスし合った。
ずっと一緒にいたら、キスなんて当たり前の事になるんだろうか。
「おはようございます!!!」
「スレッタ、おはよう」
地球寮の朝食の場はいつも和やかだ。
ニカが挨拶を返してくれて、みんなもおはよ〜と口々に挨拶する。
月曜の朝らしい、眠気とやる気が混在する不思議な空気だ。
まだルームウェアのスレッタは、朝食のパンを選んでテーブルの方へ移動する。
「あ!センパイ足!!」
ダイニングテーブルの前に座ろうとした時、何かに気づいたリリッケが声をあげた。
「ペディキュアかわいいですね!」
「あっ、ありがとう…ございますっ!」
「オシャレな色ですね〜!あれ、今まで塗ってましたっけ」
「あ、えと、昨日の夜に…」
「お似合いです〜!」
氷の君とのデートはどうだったのかみんなが気になっているタイミングでのこれだ。
ネイルを塗るというスレッタには思いつきそうもない突飛な行動。
それからしゅわしゅわと赤面していくスレッタ。
マーキングにしか見えない、その色。
遠くでパソコンに向き合っていたミオリネは「色ボケ」と小言を言ってエンターキーを強めに叩いた。
そのネイルがペアだとバレるのも、時間の問題だろう。