ラディへ捧ぐ③-1【冬】
ダルモアの長い冬。
遠くに見える山々が徐々に白い帽子を被り始め、やがてその白さは広大な大地までを塗りつぶして行く。葉の落ちた木々は、静かな眠りに就いている様にも見え、頬を刺す冷たい空気はどこまでも澄みきっていた。
「──それでさ、フロレンス様はどうですか? って、元老院の人が」
「あら?うふふ! それは私も驚いちゃうわ。それで、ラモラック。貴方はどう答えたの?」
しんしんと雪が降る、冬の日。
窓の外は既に暗くなっており、パチパチと暖炉で薪がはぜる音が、耳に心地良い。吾輩はラモラック殿の膝へ顎を乗せ、背中を撫でてくれる優しい手に酔いしれている。
「フロレンス嬢にははなっから相手にされていませんので、無理ですね。って。正直に答えたよ」
「ウフフ! あなたに告白された覚えなんてないのだけど?」
「告白以前の問題だよ、フロレンス。僕のこと弟以上に思えた事ないでしょ?」
「それを言うならあなたもですよ。世話焼きな姉としか思ってないくせに」
「そんな事ないよー? 信念を持つ女性はみんな美しいよ」
「はいはい。ラモラック。甘え上手な所はあなたの美点だけど、良い顔ばかりしすぎないよう気を付けなさいね?」
「ええー。気を付けるって、何を?」
「あちらこちらに良い顔しすぎないように、って事です。この間もカフェの女の子が泣いていたそうじゃない」
おや、それは穏やかではありませんね。
だがどうやら、喧嘩や意地悪をした訳ではないらしい。ラモラック殿は軽く肩を竦め、わざとらしく小首を傾げた。
「あ、バレてた?」
「当たり前でしょ。デートのお誘いを断ったのでしたっけ?」
「えー違うよ。その日は先に、ガウェインと釣りに行く約束してただけ」
「その次の休日は? って聞かれたそうじゃない」
「その次の休日はラディの首輪を見に行ってた。ほら、その時買った首輪。かわいいでしょ?」
「ガウェインも一緒に行っていたわよね?」
「うん、そう。あ!その時にさー、あの新しくできたピザ屋さんにも行ってきたよ。美味しかったなー」
「それじゃあ、ガウェインとデートしたようなものじゃない」
この新しい首輪は、吾輩もお気に入りです。だがどうやら、話が違うらしい。フロレンス殿は呆れたと言わんばかりに眉尻を下げ、吾輩の頭を撫でつつ席を立った。
「どうして男の子ってこう、男同士でつるむのが好きなのかしら……まあ、いいわ。とにかく、あまり愛想を振りまきすぎないように」
「はーい。気を付けまーす」
「……ほんとかなぁ?」
フロレンス殿の懐疑的な問い掛けに、ラモラック殿は声を上げて笑っていた。
年頃、と言うのは良く分からないが。吾輩を撫でてくれるラモラック殿の手は、確かに大きく成長していた。背も髪も伸び、声は低くまろみを帯び、いつのまにかフロレンス殿やモルゴース殿よりも大きくなっている。
「それじゃあ、私は夕飯の支度をしてきますから」
「はいはいー。ラディのブラッシングは僕がやっておくね」
「ええ、お願い。今日はじゃが芋が大量にあった筈だから……」
今日は泊まり込みで仕事のモルゴース殿に代わり、フロレンス殿が夕食の支度をするらしい。
ご主人たちが十八歳と言うニンゲンの年齢に達してからは、モルゴース殿も泊まりの仕事を受ける機会が増えた。もう自分で判断できる年齢だから。と、言う理由なのだそうだ。
「──はぁ……年を取るって、面倒ごとが増えて行く事なのかね。ラディ」
ラモラック殿はソファへゆったりと背を預け、吾輩を撫でつつポツリと言葉を零す。その視線は、窓際で揺れる松ぼっくりの釣り人形に注がれていた。
松ぼっくりに木の実で目鼻を付けただけの、子供じみた簡素な人形。それは、ラモラック殿が初めてダルモアで迎えた冬に作ったものだ。ダルモアの子供達が雪で家の中に閉じ込められている間に作るものだとご主人が教え、作ったものだった。
「僕は、子供のままでいいのになぁ」
その独り言は、誰に聞かせるでもなく。だが、本心からの願いなのだろうとは、吾輩は気が付いていた。
「ゲホッ……! はぁ?貴様とフロレンスがか? 馬鹿馬鹿しい……」
温かいシチュー、焼きたてのパン。隣家から貰った芋で作ったポテトサラダはホクホクと美味しそうな湯気を立てている。今日も痣だらけで帰宅してきたご主人を交えて、いつもの面子でフロレンス殿お手製の夕食を囲んでいた。
先ほどまで話していた事をラモラック殿が冗談交じりに説明すると、ご主人はパンを詰まらせてしまったらしい。ゲホゲホと激しく咳き込み、冒頭の台詞が飛び出した訳だ。
「フフフフフ……でもさ~ガウェインくん」
「何だ、気味が悪い」
「万が一、僕がフロ姉のお婿さんになったら……僕がほんっとーに君のお兄さんになっちゃうけど……良い?」
「断固拒否だ、バカ。そもそもなんで、そんな馬鹿みたいな話になったんだ?」
「元老院のお爺ちゃん達が、日向でチェスをしていて思い付いたらしいよ」
十八歳と言えば、もう結婚が許される年齢だ。
幸いにも、名家ウェールズの次男ラモラック殿がダルモアには滞在している。もしラモラック殿がダルモアの者と縁を持てば、両国の絆がますます深まるのではないか。
「なーんてね。どう?」
「もうろくジジイ共は茶でも飲んで盆栽の批評でもしてろ。と、伝えておけ」
「アハハ! お茶を飲みながら盆栽の批評をしていたら、思い付いちゃったんだろうね~」
「チッ……馬鹿馬鹿しい……それよりも貴様、演習には参加するのか?」
今日は吾輩の皿にも豪華な夕食が盛り付けられていた。茹でたジャガイモと骨付き肉を混ぜた、スペシャルご飯だ。目を輝かせながら食べていると、ニコニコとしたラモラック殿がご主人には見付からぬよう、こっそり肉を足してくれた。有り難うございます、とその手へ頬を擦り付ける。
「あー、ソレね。どーしよっかなー」
「何だその煮え切らん態度は……」
「ガウェインはー? 演習どうすんのさ?」
えんしゅう? 初めて聞く単語です。
「俺か? 参加するぞ」
「えっ、ホントに? 雑魚と足並みを合わせるなんて、できるかー!ってプンプンしてそうなのに」
特徴を良く掴んでいるご主人の物真似に、フロレンス殿が吹き出して笑っていた。その和やかな空気に、ついつい吾輩も笑顔になる。
「あのなぁ……! 確かに雑魚どもと行動するのは気に食わんが、昇格が掛かっているんだ。仕方が無いだろうが」
昇格とは、たまにご主人が受けている試験の事ですね。
実戦時は他の追随を許さぬ強さなのに、筆記が壊滅的なんだよねーと、ラモラック殿がお話されていた記憶があります。筆記試験の前になると、ラモラック殿が泊まり込みで家庭教師されていますよね。
まあ、たいてい最後は言い争いになって、いつのまにかお二人で違うお話をして、ゲラゲラ笑っていたかと思うと眠っておられますが。とても微笑ましい光景です。
「あーそっか。副団長のだっけ?」
「そうだ。選考の際に、合同演習の結果がかなり影響するからな」
騎士団、魔導師団、合同演習。
ああそうだ。数年前にフロレンス殿が参加されていたのを思い出した。ダルモア騎士団と魔導師団から今年十八歳になる者が選ばれ、二人ひと組で試練を受け、解決するのだ。
小国ダルモアの強みは、優れた魔道力と少数精鋭の騎士団。互いに尊重し力を合わせ、この国を護り続けてきた。それを次代へ繋ぐ為に、成人を控えた若者の能力を計るのが目的らしい。
「フン、他者の力など必要ない。俺一人で十分だ。さっさと試練とやらを突破すればいい話だろう」
そう乱暴に言い捨てたご主人の言葉に、二人のやり取りを聞いていたフロレンス殿が小さく溜め息を零す。
「ガウェイン、それだと落第点になりますよ」
「ハァ? 何故だ」
「総合的な能力を計るのが目的なのですから、当然です。ペアを組んだ魔導師と力を合わせねば突破できない内容ばかりですし」
「……ぐ……、っ……」
「それ壊滅的じゃん。ガウェイン、こないだも近衛隊の彼と喧嘩してたしね」
「あれはあいつが悪い! 擦り寄りで近衛隊に入れただけの雑魚が、偉そうに命令してくるから……!」
「はいはいはい。毎回仲裁してあげる僕の立場にもなってよね。あの時止めていなかったら、また謹慎処分食らう所だったでしょ?」
「…………」
ラモラック殿の言い分は正しい。ご主人もそう思っているのか、グッと言葉を飲み込み、それ以上は何も言い返さなかった。
ご主人は元々、あまり素直に心情をお伝えするのが上手ではない。昔からそうなのだが、年齢を重ねて行くごとに、それを拗らせてしまっている気がしてならないのだ。
「ねー、フロ姉。演習さ、やっぱ僕も参加しようかな」
「え、ラモラックも?」
「うん。駄目かな?」
「大丈夫だとは思うけど……ガウェインと組めるとは限らないですよ?」
演習のペアは、当日くじ引きで決めるらしい。どんな状況で誰が相手でも、順応できる能力が試される訳だ。
「うん、僕は大丈夫。参加さえしていれば、ガウェインが問題起こしそうになったら止めてあげられるし」
「ふふ! それもそうですね」
「おい……!」
「きーまり! そうしよ。明日モルゴース師匠に伝えておかなきゃ。ごちそうさまー。片付けは僕らがやるよ、フロ姉」
「は? 俺もか?」
「あったりまえじゃん。ホラホラ、早く食べちゃって」
ポンとご主人の背中を軽く叩き、ラモラック殿は先に席を立ってしまった、ご主人は慌てて最後のパンを口へ押し込み、空いた食器を手にその後を追う。忠犬である吾輩は皿までペロペロと綺麗に舐め、ご主人を見習って空いた器を咥えてキッチンへと向かった。
「お、ラディもごちそうさま? 賢い子だね~ヨシヨシ」
はい、今日も美味しかったです。腹ごなしに庭のパトロールへ行って来ても良いですか?
「ああ、庭へ出たいのか? ほら」
ガチャリと、庭へ続く裏口の扉をご主人が開いてくれる。有り難うございます、ご主人。そう視線でお伝えし、吾輩は夜のパトロールへ出発した。
「ねー、ガウェイン。今日はあのボドゲの続きしよ。海賊のやつ」
「おう、いいぞ。今日も貴様をボコボコにしてやる」
「フフ、無理だね。この間は初見だったから勝ちを譲ってあげたんだよ」
キッチンの窓越しに、楽しそうなお二人の会話が聞こえてくる。吾輩は積もり始めたばかりのふかふか雪を鼻先で感じ、その上へごろんと転がった。ううん、気持ちが良い。
オレンジ色の灯りが漏れる窓からは、楽しそうな話し声とカチャカチャと食器を片付ける音。その会話がふいに止んだかと思うと、今度は先ほどまでとは違うどこか神妙な声が漏れ聞こえてきた。
「──あの、さ」
「うん?」
「喧嘩になった理由、ちゃんと知ってるから」
「…………ああ? あの話か」
喧嘩、先ほどお話しになられていた、近衛兵殿の件だろうか。ラモラック殿の神妙な声に対し、ご主人はもう何の話かすらも曖昧であったのだろう。特に気にする様子もなく、手際良く皿を洗いつつ返事をした。
「別に構わん。フロレンスに余計な心労をかける必要はない」
「うん、ごめん」
「貴様が謝罪する必要はない。詫びるべきなのは、あの近衛のバカだ」
ガチャン、とやや乱暴に置いた皿をラモラック殿が受け取り、丁寧に水を拭き取って行く。
「アハハ! そりゃそーだ。あの彼も演習に参加するんだっけ?」
「ああ、そうらしいな」
「そっか。負けないようにしなくちゃね」
「フン、俺が負ける訳ないだろう」
後から知った話だが、喧嘩の理由は亡き御父上の事らしい。御父上を冒涜され、堪忍袋の緒が切れたのだと。
ご主人が洗った皿を、ラモラック殿が拭いて重ねて行く。洗い終えたご主人がそれらをテキパキと片付ける、見事な連携プレーだ。
「演習さー、僕らがペアを組めたら最強だと思わない?」
「は? ……まあ、それはそうだろうが……くじ引きで決めるのだろう?」
「ちょちょいと細工しちゃえばいいんじゃないかな? もしくは賄賂渡すとか」
「あのなぁ……」
体をブルブルと勢いよく震わせ、体に付いた雪を落とす。空を仰ぎ見ると目を閉じた時みたいな暗闇から、ヒラヒラと白い粉雪が静かに舞い落ちてくるのが見えた。雪に覆われた大地は仄かに明るくて、寒いはずなのに、どこか温かい。
「馬鹿みたいな事ばかり言ってないで、さっさと部屋に行くぞ。ゲームをするのだろう?」
「うん。あ、ガウェイン。ちょっと待って」
「何だ?」
まっさらな雪の上には、ご主人とラモラック殿の影が映り込んでいる。二つの影がふいに重なり、三秒。そして、すぐに離れた。
「……ぁ、のなぁ……っ!」
「しーっ! フロ姉に気が付かれちゃうよ」
「……ッ、」
本日も平和、異常なし。
吾輩がパトロールを終えて家へ戻ると、上機嫌なラモラック殿が「ご苦労さま」と頭を撫でてくれた。
「ほらほら、ゲームするんでしょ? 部屋いこ」
「……ぐ、……、ああ……」
ご主人はラモラック殿に背を押され、自室へと戻られるらしい。吾輩も後を着いて行こうとしたが、同じタイミングでフロレンス殿に呼ばれてしまった。どうやら編み物をされるついでに、吾輩が毛布代わりをすれば良いらしい。
承知致しました。ゆっくり暖をお取り下さい。
「母さんへのクリスマスプレゼントに、膝掛けを作っているのですよ」
フロレンス殿の傍らへピッタリと寄り添いつつ、パチパチと薪がはぜる暖炉の炎を眺めていた。
膝掛けですか、良いですね。きっと喜ばれると思いますよ。
「最近、顔色が悪い時があるの。歳のせいだって母さんは言うのだけど……」
ああ、そうですね。皆様がいらっしゃらない時ですが、妙に咳き込んだりされていたりします。何でもないのよ、と吾輩にもおっしゃるのですが。
「今年の冬は特に寒いし、少しでも温かくしてもらおうかなって」
それは良い案です。猫の手も借りたいとは良く言いますが、犬の手でもお役に立てますでしょうか。
「あら? ふふ、ラディも手伝ってくれるのですね。心強いです。花嫁修業をちゃんとしていれば、もう少し綺麗に作れるのでしょうけど……」
そう言いながら見せてくれた膝掛けは、確かに所々ほつれそうになっている。だが、そんな事は些細な問題だろう。吾輩のベッドカバーは、いつもフロレンス殿のお手製だ。暖かくてフワフワで、お気に入りである。
「──私も、ガウェイン達も。いつの間にかそんな歳になっていたのですね。ついこの間まで子供だとばかり思っていたのに」
子供でいられる時間は、案外短い。
親の背中を小さく感じ、ふと立ち止まり、己の眼前に長い長い道が続いている事に気が付く。その長い道の先は深い霧に包まれており、分かれ道になっているのか、はたまた崖になっているのか。それは誰にも分からない。
「私ね、母さんと話した事があるの」
はい、何でしょう。
「もし、ガウェインかラモラックのどちらかが女の子だったら、お似合いだったのにね、って。ふふ、ガウェインには秘密ですよ。カンカンになりそうですから」
ふふ! そうですね。秘密にしておきます。
ああでも、それは楽しい夢想ですね。ご主人達は本当に仲が良いですから。あまりメスとかオスとかは関係無さそうな気もしますが。
「──よし。ラディのお陰でだいぶ進みました。今日はこの位にして寝ましょうか?」
はい、お供します。ご主人方はゲームに興じられているそうですから、今日はフロレンス殿のカイロ役を務めましょう。
暖炉のしまつを終え、フロレンス殿に従って二階へ上がる。その途中でご主人の部屋の前を通ると、賑やかな声が漏れ聞こえていた。どうやらゲームが盛り上がっているらしい。
「ガウェイン、ラモラック。先に休みますよ」
フロレンス殿はコンコンと軽くノックをし、声を掛ける。扉の向こう側からは「はぁい」「おう」とお二人の返事が聞こえたので、吾輩も尻尾で返事をする。
おやすみなさい、お二人とも。あまり夜更かしはしないように。
だがお二人の楽しそうな声は、夜中まで消える事がなかった。
◆
右目は月を、左目は太陽を。
北の吟遊詩人の間で歌われる、古い曲の一節だ。右目に映る月とは、過去の比喩。それに対して左目に映る太陽とは、現在。そんな説もあるそうだが、真実は誰にも分からない。だがニンゲンへ伝える言語を持たぬだけで、吾輩にはその感覚が理解できる気がしていた。
〝見える〟のだ。
まだ幼かったラモラック殿が、この右目も治そうと魔力を注ぎ込んでくれたお陰なのか、どうなのか。白昼夢にも良く似た光景が目蓋の裏へと浮かび上がってくる。
そう、まるでいま吾輩が見ている、セピア色の光景みたいに。
「だからさ、番号が書いてある紙を袖口に忍ばせて……」
「まーだ貴様は諦めていないのか。不正に加担するつもりはない!」
「あ~ハイハイ、そうですか。わかりましたよー、ケチ!石頭!」
「はぁ……」
朝から元気ですね、お二人とも。
昨夜は遅くまでゲームに興じていたらしいが、流石は元気いっぱいの年頃だ。朝もまだ明けきらぬうちにご主人が起き出してきて、寝癖もそのままなボサボサ頭で散歩に行くぞと声を掛けてくれたのだ。
まだ眠たそうなラモラック殿も一緒に家を出たのは、三十分ほど前。朝靄に霞む道をゆっくりと歩きつつ、朝から元気な二人を眺めていた。
「とにかく、俺は全うに挑むぞ」
「はいはい。僕も適度にやりますかぁ」
「……チッ……出世が掛かっていないやつは気楽……」
そこでふと、ご主人の言葉が途切れる。どうしたのかとラモラック殿も目を丸くし、ご主人の顔を覗き込んでいた。
「ガウェイン?」
「そう言えば、ラモラック。貴様はどうするんだ?」
「うん? どうするって?」
「うちでの仕官を終えてからだ。国へ戻るのか?」
それは当たり前で、非常に単純な疑問。そろそろ真面目に考えねばならない年頃だ。
「……うーん……まあ、そうだね」
「次期当主には長兄がなるのだろう? 貴様は補佐でもするのか?」
「えー、僕には無理だよ。それはパーシィのお役目。兄上もそう思っているだろうし」
「いや、無理と言う事はないだろうが……まあ、想像はつかんな」
「でしょー? ふふ……まあ、まだ何年か先の事だし。おいおい考えるよ」
本心を言えば、ラモラック殿には夢があった。だが、まだ言葉にできるほどその夢は明確ではないのだろう。語尾を濁し、パッと話題を切り替えてしまった。
「君は? ガウェイン」
「俺?」
「騎士団長になるんでしょ? 君のお父さんみたいな」
「……騎士団長、か」
「ん?」
「……いや、何でもない」
「…………」
子供から少年へ。少年から大人へと。時間に換算すれば非常に短い、思春期と呼ばれるひととき。子供の頃のように瞳を輝かせて夢を語るには経験が邪魔をし、夢を諦め現実的な身の振り方をできるほど、酸いも甘いも噛み分けた訳ではない。難しい年頃だ。
お二人にしては珍しい静かな散歩を終えて、我々は家へと戻った。
騎士団と魔導師団の合同演習。
十八歳になる若者達の能力を計る、登竜門のような伝統行事だ。
「えーと……騎士団と魔導師団から、それぞれ一人ずつ選ばれるんだよね?」
「ああ、そうだ。組み合わせは公平にくじ引きで決まる」
合同演習、当日。
参加する者達が訓練場に集合し、教官からの説明を聞いていた。今年の参加者は騎士団、魔導師団共に十二名ずつ。各団長達からの推薦で選ばれた、将来有望な若者達だ。
ご主人とラモラック殿は最後方で並んで立ち、教官からの説明を聞きつつ、もとい聞いているふりをしつつ、コソコソと耳打ちしあっていた。
「て言うかさ、ガウェインよく大丈夫だったね?」
「は? 何がだ」
「演習に参加できるのって、団長からの推薦が貰えた人だけでしょ?」
「ああ」
「ガウェイン生意気だからさ~団長に煙たがられて……痛っ!」
「フン、別に参加できずとも実力だけで十分だ」
「も~……全力で脇腹小突くことないじゃん……副団長が推してくれたんだっけ?」
「ああ、そうだな」
今の騎士団副団長は、実力は確かなもののかなりの高齢だ。武一筋で偏屈な所もある御仁だが、自分の後継にとご主人を推してくれているらしい。ご主人と相性の悪い騎士団長ピートを一喝し、今回の演習に参加させたのだと言う。
「ふふ、良かったね」
「まあ、な……ほらそれより、ちゃんと説明を聞いておけ」
「はいはい~」
一通りの説明を終えた後、参加者は数台の馬車へ分かれて乗り込み、演習が行われる地へと向かう事になった。
「ん? ああ、俺は向こうの馬車か」
事前に伝えられていた馬車へ乗り込もうと、ご主人が荷物を手にした時だ。一人の女性魔導師が、ご主人へと声を掛けて来た。彼女は今回の演習でご主人とペアになった魔導師で、私たちはあちらに乗れと言われました、そう伝えていたのだ。
「あれ? ガウェイン、どこ行くのー?」
「ああ。俺が乗る馬車は向こうにあるらしくてな」
「ふーん……?」
チラ、と。ラモラック殿はご主人の後ろにいる女性魔導師へと、視線を向ける。彼女は視線に気が付いているのか、サッと深くフードを被り直し、ご主人と共に自分たちが乗り込む馬車へと向かった。
「……向こうに着くまでは一緒だと思ったのに、な」
ラモラック殿はそう小さく呟き、くるりと背を向ける。すると、やたら豪華な衣装を身につけた一人の騎士が、ラモラック殿の隣へやってくる。如何にも成金な衣装が全く似合っていないその騎士は、先日ご主人と揉めていたあの近衛兵だった。
「やあ、どうもー。あ、君が僕とペアなんだっけ? よろしくね」
ニコ、と人当たりの良い笑顔を浮かべ、求められるまま握手を交わす。どうやら近衛兵の彼は野心が強いらしく、この機会にラモラック殿と親交を深めたいらしい。
それはそれは。どうりでガウェインと気が合わない訳だ。
ラモラック殿のそんな心の声が聞こえてしまいそうで、吾輩は深く頷かざるを得ない。
皆がそれぞれの馬車へ乗り込み、貴重な冬の晴れ間のなか演習へと出発した。
馬車は揺れる。十二人の騎士と魔導師を乗せて。彼等を待ち受けるのは、輝かしい未来なのか、歯を食いしばるような厳しい試練なのか。
「あー、うん。そうだね。ハハハ……へぇー。すごーい。ふんふん?」
ガタゴトと険しい峠道を進む馬車の中。ずっと話しかけてくる近衛兵の彼へ、ラモラック殿は生返事を繰り返している。
彼の一族は代々続く由緒正しい貴族だとか、難しい政治の話だとか、とある島の女王陛下に勲章を戴いた武勇伝だとか。ラモラック殿が一番興味が無い分野の話ばかりで、退屈なのだろう。彼に見えないよう小さく欠伸を零しつつ、適当に返事をしていた。
そのうちに、彼の話題が騎士団の話になった。どうやら彼は、現団長のピートと懇意にしているらしい。彼の父は前任の団長と折り合いが悪かったそうだ。
「……前団長って、ロットさん?」
元ダルモア騎士団長・英雄ロットは、ご主人の御父上だ。吾輩にしか見えていないらしいが、御父上は時々暖かい風となりご家族の様子を見守りに来ている。とても優しげな方だ。
ラモラック殿が黙っているのをどう受け取ったのか。彼の饒舌は止まらず、流石に同じ馬車に乗っていた他の受験者たちも、不快を露わにしていた。
──ロット様は英雄と呼ばれてはいたが、実力が伴っていなかった。
──その点ピート様は、とても勇敢で聡明な方だと父が──。
「……あー……あの、さ。流石にその話は、もう止めた方がいいんじゃないかな?」
我慢の限界なのだろう。ラモラック殿はできるだけ口調を和らげ、ストップと彼の話を遮った。
「誰にとって誰が英雄なのかは、一人一人が決める事だよ。少なくとも、君のお父さんや君が決める事じゃないと思う」
吾輩も同意です。
ラモラック殿は時々本質を突く。決して狙っているわけではなく、地頭の良い方なのだ。きっとラモラック殿のご両親やご兄弟方が、本質を大切にするお人柄なのだろう。
他の受験者もラモラック殿の言葉に感銘を受けているのか。馬車内の空気が一変した、その時だ。
「……えっ?」
もの凄い地響きと叫び声が、後方から聞こえて来たのだ。
「なに……後ろ?」
ラモラック殿が慌てて馬車の幌を上げ、後方を見ようと身を乗り出す。するとそこには、大きな鷲の魔物に襲われ傾いた馬車の姿がある。その馬車は最後方、ご主人達が乗り込んでいた馬車だった。
「……な、……」
ラモラック殿の脳裏へ、幼い頃の悲劇が蘇る。鮮血、慟哭、冷たくなって行く大切な人。
いやだ、やめろ。助けたい──助けなきゃ!
「させない……、っ ガウェイン」
パアッと周囲が眩い光に包み込まれ、魔力が生み出した凄まじい旋風が全てを飲み込んで行った。
時間は少し遡る。
最後方の馬車は非常に小さく、中にはご主人とペア相手のお二人だけだった。
「…………」
ご主人もお相手の女性魔導師も無口な方で、馬車が出発してからと言うものの、互いに言葉を交わしていない。
チラリと、ご主人はお相手の胸元を見る。正確に言えば、胸元へ抱え込んでいる錫杖のような杖をだ。杖に埋め込まれた石を見れば、彼女がどんな魔法を使うのか大凡の見当が付く。
『杖?』
『うん。小さな石が填め込まれているでしょ? あれは不足した魔力を補うサポート役みたいな物でね。色を見れば大体の傾向が分かるんだ』
僕やフロ姉にとっては飾りみたいな物だけどね。
かつて交わした何気ない会話を思い出し、ご主人は石の色を観察していた。彼女の石は、深い葡萄色。一般的には魔物使いと呼ばれる、特殊な魔力の持ち主だ。
「──おい、」
ご主人がそう低く呟くと、彼女はピクリと肩を震わせ怖ず怖ずと顔を上げた。フードに隠された彼女の顔は、一瞬目を奪われてしまうほど可愛らしい。まだ少女の年頃であったが、可愛らしいその顔には表情がなく、とても暗かった。
あまり見た事のない顔だな、とご主人は考えていたらしいが、ダルモア魔導師団は団員の数が多い。ラモラック殿のように遊学で訪れている者も所属しているので、見覚えがない者がいても不思議ではない。
「あんたは後方で控えていろ。俺を助ける必要はない。余計な手出しはするな。以上だ」
面倒事はさっさと済ませるに限る。異論は許さぬ強い口調でご主人は言い切り、再びお二人の間へ沈黙が訪れた。彼女からは否定も肯定もなく、馬車はガタゴトと峠道を進んで行く。
これがもし、ラモラック殿がペアの相手であれば。
そんな言い方しなくても良いでしょと叱ってくれて、冗談で茶化して。そうしてご主人の気負いも多少和らぐはずだ。ご主人の剛と、ラモラック殿の柔は、対照的なようでとても相性が良い。お二人もそれが分かっているからこそ、何だかんだと一緒に居て心地が良いのだろう。
「…………」
まだ目的地へ着かないのだろうか。ご主人がそう幌を持ち上げようとした、その時だ。
「……な……、っ……?」
ガコンと車体が大きく揺れ、体が空中へ放り出された。
上下左右の感覚を唐突に奪われ見えた景色は、大きな鷲の姿。鷲の魔物だ。こんな所に鷲の魔物がいるなんて、聞いた事がない。
「ガウェイン」
為す術もなく崖から落下して行く途中、覚えのありすぎる声が上から聞こえてきた。気が付けば大鷲は風の魔術で片翼を切り裂かれ、痛みで正気を失っているらしい。力を暴走させ、他の馬車も鉤爪で引き裂き、崖下へ叩き落としていたのだ。引き裂かれた馬車からは悲鳴と共に、数人の騎士や魔導師が叩き落とされていた。
その中の一人。真っ直ぐ自分へ手を伸ばす魔導師を受け止めようと、ご主人は必死に足掻いている。
「ラモラック くっそ……!まに、あわん……」
「ッ……、なん、で……魔術が出な……ああ、もう、ッ」
崖下へ吸い込まれながらもご主人は必死で、手当たり次第に触れた物を掴む。すると、そのうちに岩の間から伸びていた木を掴む事に成功した。重みと落下の勢いで木は大きくしなっていたが、ガッと足で岩壁を擦り、なんとかスピードを殺す。
「つかまれ」
そして、落ちて来たラモラック殿をなんとか──捕まえた。
だが、二人分の重みと勢いに耐えられなかったのだろう。木は途中で折れてしまい、二人はしっかり抱き寄せあったまま崖下へと落下してしまった。底の見えぬ雪山の谷間へ、数台の馬車が消えて行く。
「ラディ?」
パチン、と。暖炉へ焼べていた薪がはぜた。
その音と同時に吾輩はスッと体を起こし、裁縫を嗜まれていたフロレンス殿へと向き直る。
すみません。吾輩は行かなくては。
「どうしましたか? ……まさか……ガウェイン達になにか……?」
ええ。ご主人とラモラック殿を、助けに行かなくてはいけません。ですが、ご安心下さい。
吾輩は、彼等の小さな友人。この国一番の猟犬ですから。
(③-2へ続く)