父の日の師弟供養「……あれ、もしかして師匠ですか?」
霊幻は一度瞬きをして、それから振り返った。もちろん自分を呼んだ声は幻聴などではなかったようで、後ろにはコンビニのアイス売り場に立つ見慣れた弟子の姿があった。
「ようモブ。お前がこんな時間に外いるなんて珍しいな」
「お父さんがデザートにアイスを買ってきて欲しいって」
モブの言葉に、そういえば今日が父の日だったことを思い出した。そして、この真面目な中学生がこんな時間にコンビニがいる理由に納得した。にしても一人とは珍しい。
「エクボか律はいないのか?」
「エクボは昼から散歩に出かけてて、律はご馳走を食べすぎてお腹が苦しそうだったので留守番してもらってます」
「弟君もちゃんと中学生だったんだな……」
いかんせん自分を見る時の冷たい視線と冷ややかな声色と冷静な態度で忘れがちだが、何というか、彼にもきちんと子供らしい部分があったようで少し安心した。
しかし、このままこうして話していては、モブの帰りが遅くなって今度会った時の彼の態度がまたキツくなりかねない。
「それで、何買うかは決めたのか」
「それがその……買おうと思っていたアイスが予算を超えてしまうのでどうしようかと……」
モブが指差したアイスの値段は一つ三百一円であり、反対の手に握られているのは千円札一枚のみだ。
「お前とお父さんの分だけ高いの買ってくのじゃダメなのか?」
「それだと律とお母さんに申し訳なくて」
もし自分がモブの立場なら一番安いアイスを四つ買って釣りを全て自分の物にしていただろうが、流石に嘘や小狡いことをあまり得意としない弟子に教えることではないだろう。
素直な弟子に免じ、霊幻はズボンのポケットに手を伸ばして小銭入れの中から百円玉を三枚取り出した。
「そういやお前に謝らなきゃいけないことがあったんだよ。ちょっと手出せ」
「なんですか?」
ほれ、と言って霊幻はモブの手のひらに三百円を置いた。
「実は先週の水曜のバイト代渡し忘れてたみたいなんだよ、悪かったな」
「え、待ってください、先週ちゃんと貰いましたよ」
「馬鹿だなぁお前、そういうことにしとけって」
半ば無理矢理小さな手に硬貨を握らせ、霊幻は店を出た。モブは変なところで意思の強さを発揮するところがあるので、遠慮される前にさっさと帰ってしまいたかったのだ。
(……つか、結局煙草買い忘れたな)
そういえば散歩がてらに、切れた煙草を買おうと思ってコンビニに来たのだが、モブと話すうちに忘れていた。
しかし何か良いことをしたようで家を出た時に比べればいい気分だ。一服しなくても眠れそうな程度には。
「っ、師匠!」
今度こそ随分はっきりした空耳かと思ったが、振り返った夜道の先にはやはりモブがいた。
「どうした、モブ」
全力で走ってきたのか、息を切らせながらこちらに歩いてくるモブの手には水色の袋が握られていた。
「……っは、あの、これ、師匠に……渡し、たくて」
よく見ればそれは、彼が買おうとしていたアイスの3つ隣に置かれていたソーダ味のアイスだった。
昔より体力もついて全力で走っても転ばない程度には運動が出来るようになっても、きっとこいつの根っこの部分にある律儀なところとか、優しさとかそういうものは変わらないんだろう。
嬉しいやらくすぐったいやら、形容し難い感情を誤魔化すように、霊幻は汗でかすかに湿ったモブの髪の毛をぐしゃぐしゃと撫で回した。
「ちょ、何するんですか」
「お前走るの早くなったなぁ」
いつかきっと、この形のいい頭を簡単には手が届かなくなる日が来るのだろう。けれどもしそんな日が来たら、自分はせめて笑って祝ってやりたい、なんてのは自分には少し感傷的すぎるだろうか。
しかし首まで真っ赤にしてぜぇぜぇと息をするモブを見る限り、そんな日が来るのは少なくともまだ先のようだ。
霊幻はモブの手に握られていたアイスのパッケージを破り、中から取り出した水色のそれを彼の口元に差し出した。
「喉乾いただろ、一口食ってけよ」
「師匠が……全部食べていいのに……」
「溶けるから早く食えって」
渋々、と言ったように小さくかじったモブの目がきらきらと輝くのを見て霊幻は小さく吹き出した。やっぱりまだまだ子供だ。
「じゃあ、今度こそ気をつけて帰れよ」
「はい師匠。ありがとうございました」
小さくお辞儀をして来た道を小走りで走るモブを見てから、自分もまた朝の走り込みを増やした方がいいかと少し悩む。ぼうっとしていてはきっと置いていかれてしまう。
いつまでも師匠面して弟子の前を歩くことは出来なくても、せめて困ってる時に隣で話くらい聞いてやれるように。
決意新たに食べたアイスは、暗がりの中でも鮮やかな空の色をしていた。