Happy Birthday,Our princess季節の割にはあたたかい日だった。
マフラーが要らないくらいだと、取引先から直帰した七海は考えながら駅を出た。
歩くこと十数分。目的地のマンションの前に着くと、入口で、事前に聞いた部屋番号を入力した。
インターホンから聞き馴染みのある、聞いていて安心する穏やかなトーンの女性の声がした。
「七海、いらっしゃい。今開けるね」
夏油の声の後ろから、女児の甲高い笑い声が聴こえた。五条と夏油の娘に会うのは何年ぶりだろうか。
入口のガラス戸が開き、エレベーターで部屋の前まで移動した。
玄関の扉が開くと、数十センチ下に、五条によく似た色素の薄い髪と肌、ぱっちりとした大きな瞳を開いた少女が立っていた。
「ななみ?」
首を傾げた。最後に会ったときの年齢からして、本人は覚えていないのだろう。
「七海です。お久しぶりです。今日はお邪魔させていただきます。」
子ども相手にしては礼儀正しすぎる態度だが、それには何も気にした様子は無く、ニコリと笑うと、
「上がってどうぞー!」
スリッパを差し出した。
手を引かれてリビングに入ると、壁には誕生日のバルーンが飾りつけられていた。
ダイニングテーブルには家主の五条と夏油、二人の同期である家入、七海の同級生である灰原がついていた。テーブルには大皿数枚に料理が並んでおり、それぞれ2割ほど消えていた。
「遅くなりました。お邪魔します。
これ、よかったら食べて下さい。」
七海が差し出した紙袋を、夏油が立ち上がって受け取った。
「わざわざありがとうね。ドーナツ?可愛い。
後で皆で食べようか。
料理、七海の分よけといたけど、間に合ってよかったよ」
灰原が片手を振りながら、
「お疲れ様七海!先に食べてるよ」
五条は振り返り、
「お疲れ〜。休日出勤ご苦労様、サラリーマン」
と労った。五条に関しては七海は「あなた方は休日もクソも無いじゃないですか」と心の内で思った。
夏油は娘が指差したおかずをよそいながら、
「七海も来たし、もう1回乾杯する?」
すると家入が席を立ち、
「あ、2本目開けていい?」
断りを入れてから、冷蔵庫へ向かった。
七海を呼び、飲み物を選ぶように促された。
灰原の方をちらりと見やると、アルコール度数が3%ほどの、フルーツ味の缶チューハイを持っていたので、同じシリーズのサワー味を選んだ。
2人が席につくと、夏油が五条へ目線を送って促し、
「改めて、5歳の誕生日おめでと〜。乾杯!」
乾杯をした。
「七海、今日電車?」
「はい。取引先から直接来ました」
「灰原もだけど、駅から遠かっただろう。私たち普段、電車使わないからね」
「全然大丈夫ですよ!ちょっと歩いて、お腹空かせられたんで!」
「これ全部、夏油さんが用意したんですか?」
「買ったやつもあるよ。あと硝子が手伝ってくれた」
「僕と灰原はお守り。」
「わたし赤ちゃんじゃないよ!5さいだもん!」
「ごめんごめん。もうお姉さんだもんね」
「もう5歳か。あっという間だな」
「硝子とかはまだ会ってる方だよね。七海は最後に会ったとき、まだこの子おむつ取れてなかったんじゃないかな」
各々が話をしていると、ふいに娘が離席して、反対側に座る七海のもとへ駆け寄った。
「どうかしましたか」
娘は「ねぇねぇ」と口に手を添えて、内緒話風に話しかけるが、声が大きく全員に丸聞こえである。
「ごはん食べたらさー、いっしょにアイロンビーズでハートつくろ」
七海は一瞬目を丸くしたが、「いいですよ」と微笑んだ。
娘はニコッと笑うと、席に戻った。
その様子を見た五条は口を尖らせた。
「あれ?僕とやるんじゃなかったの?」
「ななみがいいもん」
「パパ寂しいー。反抗期かな」
「七海、なんか前から好かれてるよね!なんでだろう?」
灰原が口を挟んだ。
「あんまり自分に構わない奴の方が好かれるパターンじゃないの?」
と言う家入に、夏油は「そんな猫みたいな…」と突っ込んだ。
食事の後、七海たちは約束どおりアイロンビーズで遊んだが、娘が途中で飽きて、七海が完成させた。その間、娘は七海の背中にべったりくっついてその様子を見ていた。
ふとダイニングテーブルの方を見やると、女性陣が酒を飲みながら、子育ての話をしていた。五条はというと、夏油の肩に顎を乗せてその様子を見ていた。
この2人は、高専の頃の、付き合っているか付き合っていないかといった時期から距離感がおかしいので、通常通りだ。
父娘の挙動がそっくりだと思った。
その時トイレから戻ってきた灰原が、
「七海、何か面白いことあったの?」
と尋ねてきた。僅かだが表情に出ていたようだ。
「何でもありません。…ハートできましたよ」
娘はやったー!と喜び、夏油のもとへ駆け寄った。
「ママ、アイロンだして!」
「七海にありがとうは言った?」
「ななみ、ありがとう!」
娘がペコリとお辞儀をした。夏油は夏油で、談笑しながら、こちらの様子を見ていたようだった。
夏油と娘は完成した、板に乗せたアイロンビーズの塊を持って別室へ消えていった。
手持ち無沙汰になり、ダイニングテーブルにつくと、家入が話しかけてきた。
「子どもと遊ぶの上手いじゃん。いい父親になるんじゃない?」
言われて七海は驚いた。
「本当にそう見えましたか?接し方がわからないまま遊んでましたよ」
「父親の僕だって未だによくわかってないよ」
五条が口を挟んだ。
「その割にはちゃんと父親としての関係性ができてると思いますよ。詳しいことはよくわかりませんが。」
「傑もそう言ってた。今のままでいいって」
「夏油、子育てと平行して父親も育ててんだな。」
家入の言葉に五条は「しょうがないじゃん」と不平を言った。
「父親ってもんがよくわからないし」
一般家庭と程遠い出自の五条は親子というものを知らずに育った。
「夏油がいいって言うならいいんじゃない?」
何の事は無く、家入は言った。
「家族と一緒にいる五条さん、お父さんだなーって感じしますよ!」
灰原の発言には誰も同調せず、家入と七海は顔をしかめた。
急に五条が真面目な顔をして呟いた。
「無下限呪術、持ってるっぽい」
娘のことだ。「っぽい」と推測の言い方をしているが、五条の眼は確実にそう認識しているのだろう。
3人は息を飲んだ。
「他にこのことを知っている人は?」
七海が尋ねる。
「まだ傑だけ。
五条家や上層部には漏れないようにするつもり。
家はただでさえ生まれたときから、引き渡せってしつこかったからね。今でも言ってくるし。
あ、他には学長には言おうかなって思ってる。面倒よく見てもらってるからね。」
「ななみー!みてー!」
娘と夏油が戻ってきた。手にはボールチェーンを通した、アイロンビーズを持っている。
五条はパッと普段のヘラヘラした雰囲気に戻った。
「…じゃあ、そんなわけだから、みんなよろしくねー」
口には出さなかったが、七海たちに情報を共有したということは、何かあったときに頼りたいということなのだろう。
女子ならば術式を受け継いだ以上、なおさら五条家を始めとする呪術師たちからは、術式を後世に残すための道具にしか見られないだろう。ただでさえ、呪術師最強の五条と同じく特級術師である夏油の娘というだけあり、余計に注目されていたのが、五条の術式を相伝しているとなると、更にその価値は上がる。利用するために五条家が手元に置こうと躍起になるかもしれない。
五条の幼少期のように、呪詛師に命を狙われる可能性だってある。
元々、娘が生まれる前からでさえ、五条が徹底的に夏油の身を隠して出産させた。その頃は七海と灰原でさえ、お腹が大きくなる頃の夏油の居場所を知らなかった。
そんな出自の子だ。普通の生活は保証できないだろう。自分で将来を決められるかもわからない。
七海が考えを巡らせていると、いつの間にか娘が横に立っていた。そして椅子の上に立つと七海の頭をポンポンと触った。そして照れたのか、五条が下ろそうとする前に椅子から降りて、五条の後ろに隠れた。
どうやら神妙な面持ちの七海を心配しているらしい。
「ありがとうございます。大丈夫ですよ。」
七海が声をかけると、娘は五条の影から出てきて頷いた。
夏油がキッチンから、
「七海のドーナツ、食べようか」
と言って箱を持ってきた。
娘は五条に「ぶーん」と高く持ち上げられ、着席させられた。甲高い笑い声を上げた。
呪術師から離れた自分に何かできることはあるだろうかと七海は考えた。
この家族の幸せを願わずにはいられなかった。