当主×高専♀ 8後日。
夏油と家入のクラスは、急遽自習になった。
特別真面目でない2人は、用意されたプリントそっちのけで駄弁っていた。
夏油は家入にも、誰にもお見合いのことは話していなかった。楽しいイベントでもないし、五条の愛人の振りをしつつ交流があることを知っている家入たちには、お見合いをしていることをなんとなく知られたくなかったのだ。
するとふいに教室のドアが開いた。
教員かと思い二人が振り返ると、見知らぬ男性数人が立っていた。
先頭に立つ男は夜蛾と同じくらいの年頃で、質の良さそうな着物を着ている。他はそこそこ屈強な体格をしており、お付きの者といった格好と雰囲気だ。
彼らは家入を素通りし、座っている夏油の前に立ち、先頭の男がじろりと見下ろした。
「…どちら様ですか」
夏油が尋ねると、男はピクリと眉を動かし、責めるような口調で返した。
「見合いの相手の顔も知らないとは。
非術師の出は教養も無いのか」
格好からして、夏油は薄々それ絡みだと気づいていたが、先日夜蛾が、夏油に確認を入れて断った縁談の相手だったようだ。
今までの相手よりずっと年上どころか、親子ほどの歳の差がありそうだ。
夏油はあくまで冷静に応えた。
「それは失礼しました。
正直に言うと、縁談自体に関心がありませんでした。
ところで縁談は断らせていただいた筈ですが、私に何か御用ですか?」
「悪い話ではない。今一度考え直して、私の後妻に収まれ。見合い等まだるっこしいものも不要だ。」
夏油の眉間の皺が深くなった。何も言わない夏油に、男は続けた。
「お前が断ってきた家々を知っているぞ。私の家系はそれ等よりずっと歴史も蓄えもある。高望みするお前にとって悪い話ではないだろう。」
「皆さんが勘違いしているようですが、私は家柄が気に入らなくて断っているわけではありません。縁談自体に興味が無いんです。
それに、それだけを言いにわざわざ高専まで来られたのですか?そうまでして私に拘るのは何故ですか?」
男は夏油の机に隠れた部分を指差した。
「お前の術式だ。お前の肚だ。他に何がある。
前妻が家柄は良いが大した術式も持たない石女だったからな。
私は珍しい術式が手に入る。お前は家柄が手に入る。何度も言うが悪い話ではないだろう」
夏油は最近では何度目か分からない、根っからの呪術師との価値観の違いを見せつけられて頭が痛くなった。思わず額を指で押さえた。
「だから家柄とかには興味ないんです。貴方たちと違って。
それに、そんな口説き文句で傾く女いないでしょう。」
「口説いてるだと?私は五条家のご当主様とは違うぞ。
おい、お前、本当に五条家当主の妻に収まるつもりだったのか?お門違いも良いところだ。
お前がどんな手を使おうと、その座には収まれない。身分が違うんだ。」
突然五条の名前が出てきて、夏油は思わず黙ってしまった。
違う、私は当主の妻になりたいわけじゃない。
私は⸺。
ふいにそれまで黙っていた家入が口を挟み、
「ねぇ、てか、これ不法侵入だよね。
誰か呼びに行ってくるから」
席を立ち上がり、出入口へ向かった。
しかしお付きの一人がその目の前に立ち塞がった。
「どいて」
家入が手で払い除けようとすると、彼はその手を掴み、捻り上げた。
「痛っ!」
「硝子!」
夏油が立ち上がりかけたが、家入の首に手が回されると、動きを思わず止めた。
家入を人質にするつもりなのだ。
別のお付きの者たちが、夏油を後ろから羽交い締めにし、椅子に縫い止めた。
「我が家にも、他人に反転術式を使える者がいる。うちにとってはそう珍しくない」
呪術師の世界に於いて貴重な存在の家入だが、男たちにとっては雑に扱えてしまう。夏油が抵抗すれば家入にも危害を加えられてしまう。
暗にそう言っているのだ。
「縁談を了承するまで、この部屋から出さぬぞ。
言っておくが、この縁談は私の意向だけではないぞ。五条家からこの話がきて、我が家が引き受けたのだ。この世界で生きていくためにもここは穏便に行動することだな」
五条家がやはり絡んでいたようだ。
それにしても特級術師の自分を丸め込もうとするとは。こいつ等がどこまで私のことを知っているのかわからないのが、逆に手を出しづらい。
「特級術師には敵わないからな」
男が怪しい手枷のような呪具を取り出した。
術式を封じるつもりか。夏油が羽交い締めにしている手を振り払おうとしたとき、
「何の騒ぎだ!」
出掛けた格好のままの夜蛾と、補助監督が教室に飛び込んできた。
学長直々に交渉するとあっては、縁談相手たちも引き下がらずにはいられなかった。
通りがかった補助監督が、異変に気づいたらしい。
夏油は家入に無事かと問うた。
「そんなことより、見合いって何?
夏油、五条家当主と付き合ってるって設定じゃなかったの?」
「…私もよくわからないよ。
それよりごめんね、巻き込んでしまって。」
「そんなことよりあんたが心配だよ。
なんかまた呪術師の面倒事に巻き込まれてるんでしょ」
「それは何とかするから、気にしないで。
本当にごめん…」
夏油はそれだけ言うと、授業終了のチャイムを背に教室を出ていった。
とうとう硝子まで巻き込んでしまった。
高専が仲介しているし、学長がその度心配してくれて、迷惑をかけてしまっている。
呪術師の価値観はわからなくとも、自分も呪術師である以上、その価値観の輪の中に組み込まれてしまうのだ。
その中で悟と一緒にいる自分、友だちを装う自分は中途半端な存在なんだ。
悟に対する気持ちだって中途半端半端だ。
友だちで良いと言っておきながら、他に親しい女性がいない、仲が良いのは自分だけだと知って、どこか嬉しかった。
中学のときの恋愛みたいに、なんとなくこの先に悟と付き合う夢を見てたのかもしれない。
結局、悟の隣に他の女が立つのが嫌なんだ。悟
の唯一の存在になりたいのは確かかもしれない。
でもそれは叶わない。悟は決められた相手と結婚して子供を産むんだ。それが決まってる。
自分がそれになれるのは到底想像がつかない。相応しくないって言われたし。
気にしてるわけじゃないけど、たしかに将来の妻としては、彼女らとスタート地点は同じでない。
現実を見なくては。
大人にならなくては。
諦めなくては。
後日。
夏油は再び夜蛾に呼ばれた。
苦々しい顔から、ここ最近の状況から、また縁談絡みだと受け取れる。
「これからは、お前に確認を入れなくとも断ろうと思っているんだが、」
「相手はどんな方ですか?」
夏油は遮って尋ねた。