高校に入ったらクラスにお調子者がいた。
友達も多くていつも人に囲まれていてドラマの主人公みたいな奴って本当にいるんだと感心したのが第一印象だった。
慣れない高校生活に張り切りすぎた宮本大は入学2週目で風邪をひいた。部活、サックス、勉強と詰め込みすぎたのだろう。
入学前に父親に宣言した皆勤賞を獲るという目標は早々に打ち砕かれ、あまりの情けなさにベッドの中で少しだけ泣いた。
家の外から16時を告げる音楽が聞こえて目を覚ました。
太陽が傾き始めていて窓から入り込む日差しが寝起きの視界を刺激する。
彩花はもう帰宅している時間だがその音にも気付かず眠っていたのだろう。風邪を移すと良くないから部屋には来るなと伝えていた。
一日中体を休めていたおかげか寒気も失せ、それに伴って朝方に襲ってきていた悲壮感やネガティブな感情も薄くなっている。皆勤賞なんてなくても俺がちゃんと頑張ればいいと正常に考える事ができた。
残るのはやたらと痛む喉だ。唾を飲むだけで痛みを感じるからあまり声を出したくない。
明日にはこの痛みも治っているといいのだけどと薄い望みを持つ。
外からうっすらと聞こえる下校中の学生の声がほどよく雑音となり、思考の邪魔をするのが心地よい。疲労している体に脳がもう少しだけ休めと信号を送っているのを感じ目を閉じた時、ひとつの会話が耳に飛び込んだ。
「したら、俺ダイのとこ寄ってっから」
ダイって、俺の事か?
今日誰かと会う約束をした記憶はない。
でも、変声期を終えたばかりのような少ししゃがれた声には聞き覚えがある。
これは──
ピンポンと静かだった家の中にチャイムの音が響き、すぐ後にばたばたと軽い足音を鳴らして扉を開く音が聞こえた。
彩花にはすぐにドア開けんなって後から言っとかなきゃならない。
まだ幼い彩花に対応を任せきりにするのはさすがに不安だったので怠さの残る体をベッドから追い出して玄関に向かった。
「お、大!」
廊下に顔を出すと見慣れたクラスメイトの姿があった。
玉田俊二だ。喋った事はないがお調子者で明るい。出来立てのコミュニティでもすぐに人気者というポジションについていたから顔と名前には馴染みがある。
「彩花、あっち行ってろ」
小さな妹を玄関から追い出そうとすると不満気に頬を膨らませながらも素直にリビングへと戻って行った。なんだアイツ。
「妹?めんこいな」
「生意気なだけだべ。や、てか…玉田、なした?」
「ん?ああ、なんか大事なプリントあるからって先生から預かってきた」
教科書がずっしりと入った鞄を漁りその中からクリアファイルに挟まった一枚の印刷物を手渡される。
学区が違うから家は近くない筈だ。喋った事すらない(だからと言ってまだクラスに仲が良い奴がいる訳じゃないが)
「ありがとうな。でも、なんで玉田が?家遠いべ」
素直に湧き上がった疑問をぶつけてみる事にした。念の為、嫌味にならないよう取ってつけたような心配のニュアンスを付け加えておいたが口を開いた玉田から出た言葉はあまりその意図を汲んでいなかった。
「別に何でって事もねぇよ。困るべ、大事なプリントなかったら」
何の疑問も持たない黒目と目が合い、不思議そうに頭を傾げる。問いかけた質問の答えにはなってない気がして目を丸くしていると再び玉田が重たい鞄を漁り出した。
「あ、そーだ。大、これ。今日の分の授業ノート。俺のノートのコピーだから汚ぇけど無いよりマシだろ」
玉田の善意に豆鉄砲を喰らっていたら更に追加の弾が飛んでくる。
「えっ、マジ?…てか、いいの?」
「ただのノートのコピーだべ。それより、明日ガッコ来れるの?」
全授業分のノートをコピーしたであろう数枚の紙を手渡しながら上目遣いに見られ、ここまで気を使ってくれた玉田を玄関先に立たせっぱなしな事に気付いた。
「うん。もう熱ないし、明日は行く」
「そっか、良かった。無茶すんなよ」
にこっと白い歯を見せて笑う笑顔が、太陽に照らされた頬の産毛が、傾いた陽の光に重なって眩しい。
お調子者、と思っていた玉田の笑った顔が人懐っこくてクラスに馴染むのが早かったのはこういう所なんだと理解した。
玉田は良い奴だ。
「したらまた明日な。大!ちゃんと寝ろよ!」
「おう、なんも構えなくて悪いな」
まだ体に合ってない、少し大きい学生服を揺らして玉田が身を翻す。重たそうな鞄を肩にかけていて重心が僅かに傾いている。
ここからあいつの家までどれだけ離れているんだろうか。明日になったら聞いてみようと思った。
「サンキュー、玉田!」
「おう!」
少し大きな声を張り上げてしまい、喉が痛んだが、それも玉田と話した後のあたたかさがぽかぽかと身を包んでいてあまり気にならない。
玉田の姿が小さくなったところで玄関のドアを締めてリビングへ戻る。手渡されたノートのコピーを見ると、雑な字だけど2色でまとめていてわかりやすく板書してあった。
「ちっちゃい兄ちゃん。今の人だれ」
彩花が頬を赤らめている。風邪、移したかもしれないと距離を取りつつも誰と聞かれた問いには驚くほどにすんなりと答えが出た。
「友達!」