もしも記憶が消せたなら 月森くんへの電話を切ると、完二くんの大きな声が響き渡る。
「だぁから! オメーのせいじゃねぇっつってんだろ!」
「クマのせいクマ……。クマなんにもできんかったクマ」
巽屋の台所に集まっていたのだが、電話をするために少し場所を離れていた。離れている間に何かを作っていたらしい完二くんは鍋にお玉を入れ、クマさんの持っているお椀へ何かを運ぶ。そしてクマさんはその度にお箸で何かを口に運んでいた。
「何をしているの二人共」
「あ、雪子。月森くんと電話繋がった?」
ダイニングテーブルに腰掛けていた千枝が話しかける。
「うん。全部伝えてきた」
「そっか。ま、花村自体は無事だからね。そこまで心配することじゃないけど、月森くんだけ知らないってのもなんか変だし。ちょっと話をしようと思って電話掛けたら、花村に「誰?」とか言われるわけでしょ? それじゃ月森くんが可哀想だしね」
病室で目を覚ました花村くんは私達にそう言った。思い出しただけで胸の奥がどこかチクリと痛む。けれど入院もそんなに長くはない。二、三日で経過を見てすぐに退院するそうだ。記憶喪失と言っても何かの拍子に思い出すかもしれないし、千枝の言う通り、そこまで心配することはない。ないのだけれど。
「雪子が月森くんに電話してる間に、あたしも直斗くんに電話しておいたよ。りせちゃんは夜になったら改めて掛けとくよ。多分今仕事中だと思うし。雪子も帰ったらなんだかんだで忙しいっしょ?」
春休みが終わって新学期が始まったとはいえ、それなりに旅館には客がやってくる。仲間の一大事なので駆けつけたものの、旅館に戻れば手伝いがあるだろう。
「ありがとう千枝。ところで」
台所で高速で行われている謎のわんこそば大会に、千枝が困惑した様子で回答した。
「あー、これ? 完二くんが白玉作って、クマくんが片っ端から食べてる」
先程から完二くんがお鍋で茹でていたのは白玉だったようだ。
「オメー片っ端から食うんじゃねぇよ! 先輩らの分無くなるだろうが!」
「んぐんぐ……。クマのせいでシラタマなくなっちゃうクマよ~~~~~! 白くて可愛いクマのシラタマヨヨヨ~~~~~~!!」
「元気ねぇどころか元気しかねぇじゃねぇか! もう良いだろ! 天城先輩らの分までなくなっちまう!」
白玉以外にもいい匂いがする。もう一つの鍋には小豆が煮込まれているようだ。だが、見ている間にもどんどん減っていく。
「クマさん……? まさか私達の分まで食べないよね……?」
「クマくん……? あたし達の分まで食べたらどうなるかわかってるよね……?」
殺気立った私と千枝に対して、クマさんはウインクしながら空になったお椀を見せてきた。
「ぐふ。お腹いっぱいクマ」
「あー……。先輩、白玉はまた今度でも良いッスか?」
申し訳なさそうに私達を見つめる完二くんが困ったように目尻を下げて言うので、それが少しおかしくて笑ってしまった。
すっかり空になってしまった白玉と小豆の鍋と、残されたのは芳醇な香りだけの台所で膝を突き合わせてお茶を飲む。
「で、花村先輩はなんで車に轢かれたんだ?」
完二くんのお手製白玉で膨らんだお腹を撫でながら、クマさんはしゅんと項垂れた。
「花村先輩がいくらぶちぎってるトコあるつったって流石にそこまでじゃねぇだろうが」
「自転車で土手転がってることはあっても、そういう接触事故までは起こしてなかっただろうしね」
一人で転ぶことはあっても、人を巻き込む大きな事故を起こすような程度ではない、というのがメンバー内の認識であった。そもそも花村くんは運動神経は良い方で、たまに少し、間の抜けた部分があるというだけである。
「クマさん、あのね。もし、もしもだけれど。花村くんが一人で車に飛び込んだんじゃなくて、誰かに突き飛ばされたとか、そういう事案だったら捜査しないといけなくなるの。だからお願い。何があったのか教えて」
病室に駆けつけた時には車の主と思われる人物はいなかった。轢き逃げかもしれない。だとすると時間が経てば経つほど犯人を捕まえにくくなる。
「クマ、何も知らんクマ。ヨースケは何も悪くないクマ。でも……、クマは何も出来なかったクマ」
そう言って俯いてしまう。花村くんが故意に飛び出したわけではなさそうだけれど、それならなぜこんな事故に遭ったのかが分からない。車側が信号無視でもしたのだろうか。
クマさんにそう問うと、緩く首を横に振る。
「違うクマ。違う……。クマ、なんも知らんクマ。クマもキオクソーシツになりたいクマよー!!」
テレビの中に帰ると言い残し、クマさんは走って出ていってしまった。
「なーんかおかしいッスよね、クマの奴」
「まぁ交通事故ってショッキングなものだしね。いくらシャドウと毎日戦ってて怪我したり意識失うとか、そういうコトに慣れてるっていったって、身近な人が交通事故に遭うトコ見ちゃったー、なんて結構くるよ、メンタルにさ」
千枝と完二くんが思い思いにぼやく。
「そうだね、私も千枝が戦闘で倒れた時は心臓が止まるかと思ったことだってあるし」
「ゆ、雪子ぉ……」
いくら回数をこなしても慣れないものはある。それが大事な人であればあるほど慣れないだろう。
「とはいえ事が事だからねぇ。クマくんのことはそっとしてあげたいけど、事件だったら犯人捕まえなきゃだし……」
目撃者が今のところクマさんしかいない。事故のことを聞くならクマさんに聞くしかないのだ。クマさんに聞けないのならば、他に目撃者を探すしか無い。
「今日はもう日が暮れちゃうから人いなくなっちゃうだろうし、明日から聞き込み捜査、いっちょやってやりますか」
「うん。私も放課後出れる時は一緒に手伝うよ」
「オレも商店街回って聞いてみるッス」
三人で顔を寄せ合い頷いた。花村くんの記憶が早く戻りますようにと、少し祈りも織り交ぜながら。