お題「ひだまり」キムラスカのファブレ侯爵の十歳になるご子息がある日突如行方不明となり、奇跡的に無事の帰還を果たしたものの、まるで記憶を無くし赤ん坊に戻ってしまったかのようになってしまった。
　その身体警護のため、またその様を余人の目に触れさせないため。侯爵邸にほぼ軟禁状態となったそんな悲劇の侯爵ご子息が、もう一度赤ん坊から始めて一年余り、なんとか会話と自力歩行ができるようになってしばらくしたほどの頃。
　冬が過ぎて、日中の気温がはっきり暖かくなってきて、何はなくとも外に出たくなる空気の漂う春。お昼を過ぎてしばらくした時間帯。

　庭師が屋敷の隅にある、芝生と植え込みの小広場のようなところの様子を久し振りに確認しに行っていた。背の低い木々の枝振りを確認していると、離れた場所の樹の根元に、遠目にも明るいたまご色のレジャーシートが見えた。何だろうかとある程度の距離を保ったままそーっと移動して覗く。
　そこには侯爵ご子息の使用人をしている彼の孫と、孫にとってのご主人様が、うららかな日差しの降り注ぐ中で、ひっついてうたた寝をしていた。
　樹の幹に背を預けている孫がその足の間に小さなご主人様を座らせてうとうとしており、その孫にまた背を預けている小さな主人はぐっすり寝入っている。その体勢とサイズ差から、親子のクマかサルかといったところだ。
　初春の日差しでぽかぽかと温められ、揃って昼寝をしているその子供ふたりの様子に、思わず笑みが浮かんだ。
　力なく垂れた孫の手には絵本が携えられており、小さな主人の手にはチーグルのぬいぐるみが握られ、二人の周囲にはおもちゃが何個か転がっている。シートの端には水筒とお菓子の小袋がいくつか。
　天気がいいから、と孫が部屋から誘い出したか、あるいは小さな主人にねだられたのか、ピクニック気分で遊んでいるうちに揃って寝入ってしまったらしいことが、その有様から容易に察せられて、さらに笑ってしまう。
　日差しを受けて、孫の金髪と小さな主人の赤い髪がきらきらと輝いているその様をただ眺めているうちに、庭師の胸中に色々なことがよぎった。

　「孫」の五歳の誕生日、これまでの全てを失ったあの日から、覚悟を抱いてこの老爺だけを供にして、この館に勤めてからの孫を。
　その手には剣を、その顔には当たり障りのない表情を纏うようになったこと。一日で最も多くの時間を過ごす相手、邸内でもっとも歳の近い侯爵子息にさえ、身体接触も会話も最低限にして、距離を保っていたこと。
　しかし、それはある日、孫にとっての主人が記憶も人格も失い、幼馴染の婚約者さえ忘れてしまい全くの別人のようになってしまってからは、そんな分別も予防線も、主人の側から全て打ち壊されてしまった。
　どういうわけか、他の使用人やメイドに対して全く無反応であるか嫌がる様子だったのが、孫に対しては無条件に懐く素振りを見せたことから、以前の記憶を取り戻すきっかけになるかも知れない、と周囲からの期待を一身に受けてしまい、ご主人の世話を孫が一手に引き受けることになってしまったのだ。
　言葉も話せない、意思の疎通もできない十歳の赤ん坊に相手にこれまでのように距離をとって接することなどできようはずもなく、真っ白になってしまった主人の伸ばす手を跳ね除ける事も出来ぬまま、応え、否応なく密接な距離と時間で毎日を忙しなく過ごしてきた。
　そしてすっかり孫の子守りが板についたこの頃では、こんな風に二人揃ってゆったりといられることも増えてきた。
　子守りの勝手の分かってきた孫が慌てたりイラついたりすることもなく落ち着いていれば、小さな主人も落ち着いている。穏やかにただ二人で笑って和やかに過ごせるこんな時間を持てることが。

　この館に「庭師とその孫」として居ること。その目的と抱いた意志を忘れたつもりはない。
　それでも、こうしてひだまりの中で幼い主人と若い孫が穏やかな寝息をたてて寄り添っているこの光景を、尊く思うこともまた事実だった。
　庭師の老爺はただ、この時間が少しでも長くあればいいと思い、そっとその場に背を向けた。