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    開催ありがとうございます〜!
    かっこいい左馬刻さまはいません。

    #一左馬
    ichizuma
    #イサクリパ

    年中無休イルミネーション 手先が凍りつきそうなほど寒い日も、俺たちの事務所は暖かい。乱数たちが外出中だから少し空寂しいが、じきに帰ってくるだろう。
    「左馬刻さん、その……お願いがあるんスけど」
     隣で音楽を聞いていたはずの一郎が、いつの間にか俺の目を見て何やら言ってきた。
    「なんだよ」
    「……えっと」
    「ンだよ、はよ言えや」
     まごつく一郎。そんなに言いづらいことなら覚悟を固めてくればいいものを。
    「……イルミネーションに、連れてってください!」
     目を見開く。なんだ、そんなことか。
    「いいぜ」
    「やった!」
     途端、一郎の顔がふわりと綻んだ。オッドアイの瞳は眩しげに細められ、睫毛はくるりと上を向く。真白の歯を見せて口角を上げれば可愛らしいえくぼができた。拳はぎゅうと握りしめられていて、指先が痛そうだと思う。一郎の周囲には花が飛んでるような気すらする、幸せそうな笑み。
    「でも意外っす、断られると思ってたんで」
    「断る必要なんざねえだろ」
    「いや、だって乱数が」
    「乱数ァ?」
     そこで事務所のドアがうるさく開いた。鼻と耳を赤らめた乱数がひょこんと顔を出す。
    「ただいま〜っ!ねぇねぇいちろー、どうだった?」
    「OKだったぜ」
    「えっマジ?あのサマトキサマが?」
     意外!とでも言いたげな顔でこちらを見てくる。その顔うざってえからやめろ。
    「乱数テメェどういうことだよ」
    「あっはは!サマトキサマオコだ〜!別にやましいことはしてないよ?左馬刻って、イルミネーションとか嫌いなタイプかもねーって言っただけ☆」
    「……嫌いじゃねえよ、景気良くてむしろ好きだぜ」
     乱数の後ろから、長身の影がぬっと顔を出した。センセーだ。
    「ふふ、左馬刻くんらしいですね」
    「ねねねね左馬刻、ボクもイルミネーション見たい!寂雷もそうでしょ?」
     乱数がセンセーのほうを向く。センセーは微笑んで口を開いた。
    「そうですね、イルミネーションなどは久しく見ていないので全員で見に行きましょうか」
    「俺もそれがいいです」
     何故か四人で行くことになった。騒がしくなりそうだ。
    「おーいいぜ、一番綺麗なやつ見せてやんよ」
    「やた〜っ!ご飯は左馬刻の奢りね!」
    「なんでだよ!」
     キャアキャア騒ぐ乱数をセンセーがたしなめて、一郎が笑いながらそれを眺める。相変わらずうるさい奴らで、でもそこがいいと思う。何があっても言わねえが。
     だが結局、四人揃って見に行くことはなかった。


    ***


    「一郎、今度イルミネーション見に行こうぜ」
     十二月も半ばになり、街はいよいよクリスマス一色となってきた。カラフルなイルミネーションが街路樹を彩り、どこにもかしこにも赤い衣装の髭爺さんのイラストがある。どこか浮ついた街の雰囲気は嫌いじゃない。だから、一郎と居たいと思った。いつか過去の仲間たちと共に見るはずだったきらきらした夢幻の世界を。
    「おー、どこの?」
    「ハマに決まってんだろ。空いてる日、あるか」
     一郎はスマホを手に取り、何やら操作する。予定を確認しているのだろう。
    「あー……っと、今月はもう二十四と二十五しか空いてねえや」
    「イブと当日じゃねえか」
    「クリスマスって地味に依頼来ないんだよ」
     不思議そうな表情をする一郎。クリスマスに依頼がこないのは年若い一郎に配慮してのことだろう。つまり、明るく優しく有名人で端正な顔立ちをした高身長の青年には、恋人の一人や二人はいるだろうという下衆な推測。
    「……カノジョとか、いねえの。お前は引く手数多だろ」
    「んー、告白とか全部断ってっから。万年クリボッチだぜ」
    「なんで」
    「面倒だから、ってのもあるけど……。自分で言うのもなんだけどさ、俺ってあんま恋人とか大切にできねえと思ってるから。デートに誘われてもその日に二郎と三郎とか左馬刻と過ごす予定あったら左そっち優先しちまいそう」
     一郎はふわりと笑った。その顔があまりにも綺麗で、見入ってしまう。俺はやっばり一郎の笑顔に弱い。
     一郎も世の男どもの性質に漏れず、デリカシーがやや欠如している。一郎のこの行為に悪意はない。ただカノジョに弟より大きい愛情を注げないだけ(そもそも弟たちに向ける愛情がデカすぎるんだが)。こいつは本当に、素でこういうところがある。それを本人も自覚しているからこそ恋人はいらないと思っているのだろう。
     さらりと弟たちに続く俺の名前に、思わず口角が上がる。期待しているわけではないが、一郎が心臓とまで呼ぶ弟どもに並べるのは素直に嬉しい。それに、何より。女よりも俺を優先するという発言に、俺の最悪な恋心は沸騰してしまう。どうせ叶わねえんだからそのまま蒸発して消えちまえ。
    「……ハッ、最低だな。ガキかよ」
    「だから彼女作りたくないんだよ……。そういうことばっかしてると刺されそうだし」
     ぼやく一郎の目がマジでちょっと笑ってしまう。俺ならそんなこと気にしねえのにと悪女のようなことを言いそうになる口を噤んで、一郎と見るはずのイルミネーションに思いを馳せた。
     俺の恋は、大海に一滴の毒を混ぜるようなものだと思う。
     どこまでも続く海に、人畜無害な顔をした真水と共にほんの少しの毒を混ぜて流し込む。毒は海の中で消え、誰にも気付かれず忘れ去られる。そんな恋をしている。飯に誘うときは恋人と行くような小綺麗な店にほんのたまに連れて行ったり、ドライブするときにはプレイリストにラブソングを一曲だけ混ぜてみたり、よりにもよってクリスマス・イブにイルミネーションに連れ出したり。気づいてほしいわけではない。昇華してしまいたいだけだ。そうしないと、溢れてしまいそうだから。


    ***


     二十四日、朝。目が覚めた瞬間、これはまずいと思った。

     眉間がじわりと熱を持って、上体を起こすことすら億劫。何もない天井をぼんやり眺めているだけなのに視界がぐらぐらしてくる。毛布を払いのけるだけなのに関節がきりきり痛む。立ち上がりたくない。きっと勘違いだ、これは。起きたばかりでうまく身体が動かないだけ。そう無理矢理結論づけて、気怠い身体に鞭打ってベッドから降りた。世界は面白いくらいぐるぐるぐらぐら歪んでいる。裸足で床に降り立つと、つめたい温度が少し心地よかった。
     カーテンを開けることすらままならない。そのころようやく、自分の身体にうまく力が入らないことに気付いた。膝はかくかく震えて、指先はもたつく。脳みそが膨張してふわふわ浮いていくような感覚。いつも通りシャワーを浴びたいが多分危険だ。風呂場で倒れかねない。……恐らく風邪。ここのところ寒くて乾燥する日が続いていたから。認めたくはない。だって、今日は。どうしても、今日だけは。

     幾度も倒れ込みそうになる身体を叱咤してなんとかキッチンまで辿り着いた。コーヒーを淹れようとしても、豆の匂いだけで吐き気がする。冷蔵庫の中身を思い浮かべる。……今は何も食べられそうにない。仕方ないからグラスに水を入れてがぶ飲みした。ぬるい温度が喉を伝う感覚すら気持ち悪くて吐きそうだ。それに唇も切れた。ひりひりして少しつらい。最悪の気分だ。
     そういえば喉にも違和感がある。試しに声を出そうとすると空咳が出た。何度か咳をしたあとどうにか声を出す。それはざらついた、掠れた声。自分の声のはずなのに、俺が知らない声。熱を測らずとも分かる、これは完全に病人。このままでは、一郎に逢えない。

     薬を置いてある棚に行こうとしても、ほんの数メートルすら永遠の距離に感じる。頭まで痛くなってきた。頭の内側からノックされるようなきつい痛みが俺の脳を支配する。ああ、クソ。普段の自分ではありえないくらい手のひらが熱い。なのに身体の芯はひどく冷たくて、ぞくぞくと奇妙な悪寒が這い上がる。
    「……いち、ろぉ」
     口をついて出てくるのは、眩しいアイツの名前。アイツのまばゆい笑顔ならこんな苦痛からも拾い上げてくれそうだと思ってしまう。だけど頼れない。ぐちゃぐちゃで気持ち悪い脳内に残った微かな自尊心が、寝室のスマホを取りに行ってメッセージを打ち込むのを阻止する。頭の芯がぐらぐら茹だる、気持ち悪い。
     一郎の笑顔が好きだった。おめでたい色の双眸がきゅっと細くなって、薄く灼けた肌がほんのり色づいて。口角が左右非対称に上がる一郎の笑顔が愛おしい。眩しく笑った顔が俺の心まであたたかく照らす。
     そんな笑顔をずっと見ていたくて、いろいろなものを与えた。食べさせた。連れて行った。きらきらした笑みが俺の手によってもたらされる度、征服欲とも言えるような歓びを感じていた。それなりに際どい道を歩んだこともあるというのに、この世界の悪意を知らないような顔で笑える。それはきっと、アイツの根っこが光の塊だからなのだろう。そう、思っていた。あの離反のときまでは。
     ……昔のことを思い返していたって何にもなりはしない。分かっている。記憶の中のアイツにまで頼りたくなっている俺はひどく愚かだ。
     一郎はお人好しだから、メッセージひとつで俺のところにすっ飛んでくるはず。たとえメッセージの相手が俺じゃなくても。プライドなんかかなぐり捨ててしまえばいいとは分かっている。俺はもう憧れの左馬刻サンでも、憎むべき碧棺左馬刻でもないのだから。それでも、俺は一郎に迷惑をかけたくない。弱みを見せたくない。プライドと、罪悪感と、ほんの少しの恋心が俺をそうさせる。

     薬棚には包帯やら湿布やらが雑然と並んでいる。その奥にひっそりとある体温計と小瓶を取った。体温計のカバーを適当に放り捨て、脇に挟む。途端に身体がぐったりしてしまい、思わず座り込む。痛い、気持ち悪い、痛い、痛い、苦しい。もし敵対組織にこんなところを見られたら俺はお終いだ。目を閉じて耐えているうちに体温計が音を立てた。
    「さんじゅうはちど、くぶ……」
     乾いた笑いが出そうになる。もちろん笑える筈もなく、ただ咳が数回出ただけだった。電気すらついていない薄暗い部屋に虚しい咳が響く。こういう状況を綴った短歌……俳句だったか、よく分からねえがそんな感じのヤツがあった気がする。アレを詠んだ奴もこんな惨めな気持ちだったのだろうか。とにかく、この高熱ではシノギもできない。だが今日は一郎との予定があったから、もともと組の仕事は全て舎弟に任せている。それだけが不幸中の幸いか。……自分の体調を数値で表されるとやはり気が滅入る。こんな熱を出したのは久しぶりだ。こういうときには人が恋しくなる。合歓、銃兎、理鶯、簓、……一郎。
     体温計も放り投げ、震える手で小瓶の蓋を開けようとした。蓋が異様に堅くてなかなか開かない。俺の手に力が入っていないだけか。……少しの間格闘して、ようやく開いた。ほっとして三錠ほど取り出そうとした、瞬間。するんと手の中の小瓶が滑り落ちて、目の前が大きく傾いた。
     気付いたときには、半身が床についていた。床のひんやりした心地が身体を冷やす。目の前でスローモーションのように小瓶が落ちてきて、錠剤がざらざらと大きな音を立ててあちらこちらに散らばる。白い粒が跳ね、混ざりあい、反発して、どこまでも遠くに離れていく。その一つが俺の腹に当たった。
     ──なんだか、全部どうでもいい気がした。散乱した薬も、放った体温計も、乾燥した唇も、乱れたままのベッドも。ふっと、意識がとろんとするのを感じとった。ここは深海だと思った。何故深海なのだろうか。分からない。つめたい。苦しい。
     瞼が落ちてくる。このまま波に身を委ねていれば痛みから解放される気がした。独りのさびしさからも。
    「い、ち……」
     その名前が音になることはなかった。大波のような眠気が押し寄せて、そのままふつんと意識が途絶えた。


    ***


     なにかあたたかいものにつつまれている。つめたいものなんて何一つない、永遠のぬくもり。なのに俺の身体は死体のように冷たい。
    「……ま……き」
     誰かが俺を呼んでいる。やさしくてやわらかい声。俺が焦がれる声。
    「さ……とき」
     ここは、ひどく幸せな世界。暖かくて優しくて、俺にはもったいないくらいの。俺は風邪で独り倒れているくらいがちょぅどいいのに。今だってほら、吐きそうだ。吐いてしまえばここはけがれる。
    「さ……き、左馬刻!」
     ゆっくりと瞼を上げる。途端に吐き気と頭痛と悪寒が這い上がってきて、仰向けになっていた身体を横向きにしてうずくまるような体制になった。ほとんど反射のようなものだった。そうしたって気持ち悪い。ここは俺の寝室で、何故か一郎がいる。頭の上から普段より上擦った声が聞こえる。不思議とそれはノイズではなく、やさしく力強い童謡のように聞こえた。
    「……い、ちろ……?」
    「やっぱ苦しいよな、スポドリ取ってくる」
     なんでお前はここにいるんだとか、なんでうちにスポドリがあるのかとか、そんな疑問をぶつける間もなく一郎は行ってしまった。疑問が頭をぐるぐるまわっている間に一郎は戻ってきた。キャップを開け、俺の口に少しずつ流し込んでくる。冷たくて少し甘くて、からからの身体が潤っていく気がする。

     俺がちまちまスポドリを飲んでいる間にも一郎は氷嚢を作ったり布団を直したり、甲斐甲斐しいという言葉が似合うような働きぶりを見せた。萬屋で病人の看病力も鍛えているのだろうか、なんて場違いな憶測が脳裏をよぎる。
    「いちろ、なんで……」
     やはり喉が変だ。掠れて俺ですらちゃんと聞き取れない声なのに、それでも一郎の耳に届いたらしく、タオルを絞りながら返事をしてくれた。
    「ん……と、左馬刻が約束の時間一時間過ぎても連絡なかったから心配になって、左馬刻ん家に来てみた。それでインターホン押しても反応なかったから合鍵使って入った」
     起きてあまり時間が経たないうちに記憶を無くしているから、かなりの時間床で眠っていたことになる。一郎が見つけてくれたのは本当に幸運だった。
     そういえば随分前──TDDの頃に合鍵を渡していた。たまに酔っ払って一郎に送ってもらうことがあったから、俺のを使わなくても鍵を開けられるように。解散してから鍵や住所を変えなかったのは、一郎如きのために今の生活環境を変えるのは癪だったから。とうに無くすか捨てるかしていると思っていたから、少し驚くと同時に嬉しくなってしまう。絶対に本人に言えっこない。
    「そしたら薬は散らばってるし左馬刻は倒れてるし、すげえびっくりした。とりあえず寝室に左馬刻運んで適当にスポドリとか食えそうなものとか買ってきて、左馬刻眺めてたら目ぇ覚ました」
     すっげえ魘されてたぞ、と心配そうに覗き込んでくる双眸には、あの頃から変わらない光がある。全てを導いて受け入れる、強い強い光。俺が憎み、疑い、それでも魅入られ続けたもの。
     あの日一郎と離反して、一郎のことも何もかも分からなくなった。一郎の言葉も態度も偽物で、光の塊だと思っていたものは薄っぺらい金メッキで、アイツの善性だと信じていたものは全て偽善で独りよがり。それでも、どうしても。俺の心に温度を与えたあの笑顔だけは本当だったと信じてしまいたくなるものだった。
     一郎が憎くて殺したくてしょうがない。命より大切な妹をかどわかした罪を俺がこの手で裁くと決めた。この殺意は本物だ。それは俺が誰より知っているのに。なのに、ああ、あの笑顔が胸にこびりついて離れない。たまに俺の胸を内側から突き刺してその存在を訴えた。忘れてしまいたい。忘れられれぱどれだけ楽だろうか。それでも、俺の隣に一郎がいて、俺に向けられた数多の笑顔があって、その事実は俺の中でさえ覆しようがない愛しい記憶だったのだ。
     俺がそんな無為なことを考えている間に、一郎は乳白色のビニール袋から様々なものを取り出した。ゼリー、りんご、バナナ、プリン、冷凍うどんなど。
    「なんか食えそうなもんあるか?」
    「……なん、にも……」
    「そっか。じゃあ冷蔵庫に入れとくから好きなときに食べろよ」
     うん、と小さく頷くと、一郎がふわりと笑った。あ、これも、俺が大好きな笑い方。思わず溢れてしまったと言うような小さな笑み。綺麗で愛しくて可愛い。そんな笑いが俺に向けられていることが幸せだ。相変わらず身体の表面は茹だるように熱いし寒気はおさまらないし、頭も喉も関節も痛くて大変なのに、一郎の笑顔だけで浄化される心地がする。ゲームじゃあるまいし。
     唐突に、一郎が俺の額に手を当てた。ぴくりと肩が跳ねる。一郎はぱっと手を離して、熱さがんねえなと呟いた。こちらの気持ちも知らずに躊躇わず触れてくる一郎が憎らしい。こっちはどうしようもない恋心を燻らせて看病されているというのに。気づかれるはずのない恋をしているのに、勘違いしてしまいそうになる。
     月日は経ち、諍い続けた一郎とも形だけは和解することができた。誤解もすれ違いも多くあったが、一度できたしがらみは簡単には消えない。中王区が斃れてもマイクが廃れても、憎みあった日々を簡単に流すことはできない。微妙な均衡を保ったままのぎくしゃくした関係が続いたが、時が流れるにつれ次第に打ち解けて、一郎も成人した今では胸を張って友人と言えるような関係性を築くことができた。昔のように、とまでは行かずともそれなりに仲良く(馴れ合っているようでかなり嫌だが、これ以外に俺と一郎を表す簡単な表現は見つからない)やっている。
     そうすると、また一郎の笑顔を見る機会が増えた。モニター越しのよそ行きの微笑みや弟たちに向ける愛情入りの笑顔ではなく、花開くような無邪気な笑顔。先程のような穏やかな笑顔。昔より端正で男らしくなった顔立ちが柔らかく崩れる瞬間がたまらなくて、俺はこの顔にずっと焦がれていたのだと思い知らされる。
     この笑顔のためなら俺はなんだってしてやりたいと心の底から思う。数年前と変わらぬ感情。アイツのカリスマ性にあてられた愚かなグズ共と何ら変わらないとは思う。それでも俺は、一郎が──。
     ──一郎が、何なのか。愛おしくて、いじらしくて、忘れられなくて、焦がれて、燻って、隣に立ちたくて。
     俺は知っていた。この感情を恋と呼ぶことを。
     合歓に向けるものと同じような親愛だと思っていたから気付けなかっただけ。嫌悪と憎悪と殺意の炎に晒され小さな黒焦げになっていたから喪われたと思っていただけ。一郎との向き合い方がわからなくなって隅に追いやられていただけ。天地をひっくり返すような大喧嘩を経て、心の底から一郎と向き合えた。その頃には一郎にガキみたいに焦がれる感情が膨れ上がっていて、それでようやく自分の恋情を理解できた。アイツの顔がずっと忘れられなかったのは恋情のせいなのだと気付かされた。俺の中にはずっと、確かに恋心があったのだ。非常に不本意だが。
     そんな恋心を向ける男に看病されて、最高に情けなくて惨めだと思う。けれど心地よくて安心できて、ずっと隣にいてほしいと思ってしまう。過去の俺なら絶対にあり得なかった。俺も弱くなったもんだ。
     星降る夜は続きゆく。冬が終われば仕舞われるイルミネーションの煌めきのように儚いけれど、それでもこれまで続いてきた歴史の半分は夜だった。それは、これからも。
     布団にくるまれて一郎と話していると、また眠くなってきた。もう何時間も寝ているのに。俺の瞼が重いのを察したのか、一郎がするりと俺の頬を撫でた。遠慮するような優しい触れ方で、こいつはこんな手つきもできたのかと驚く。昔から一郎はがさつな奴だったから。俺が一郎の全てを憎んでいた間にも一郎は成長したし、俺も変わった。これからは日々のささいな変化を見逃したくないと思う。なんて、ポエミーで傲慢な思い。
    「寝ていいぜ、俺はここにいるから」
     一郎の体温を頬に感じる。あたたかい、大きな手。ここならきっと、苦しいものは全部とけてなくなる。そんな予感がした。
     瞼を落とすと途端に睡魔が襲ってくる。眠気に身を任せて、そのまま沈み込むように意識を落とした。おやすみ、と聞こえた気がした。

    ***

     左馬刻が目を閉じてしばらくすると、規則的な寝息が聞こえてきた。穏やかで、俺が来たときとは違う。少しは回復していることにほっとしてため息をつく。目を覚ましたら勝手に入ってきた俺に対して殴る蹴るの暴挙に出ると思っていた。そういえば散乱した薬を片付けていなかったことを思い出した。でもまあ、もう少し後でいいか。
     汗ばんでしっとりした白髪をゆっくりと撫でる。左馬刻は身じろぎひとつせず俺の手のひらを受け入れる。あの気高く傲慢で我慢強い左馬刻がこうも素直に看病させてくれて、眠ってくれるとは。相当滅入っていたのだろう。無理もない。タワマンの一角にあるこの家は、病人が一人で過ごすには広すぎるし寒すぎる。俺がここで眠っていたらと思うと、あまりの寂しさに苦しくなる。
     左馬刻のことは好きだ。友人として、先輩として。尊敬できるかどうかはともかく、いい奴だとは思う。それに顔もいい。美人と称されるモデルより美しいと思うし何より俺のドタイプだ。こうして触れているときにもほら、甘い波に呑まれそうになってしまう。指先があまく痺れて、心臓の鼓動が疾くなる。本当に好みの顔で困る。起きているときはキツい美人って雰囲気なのに寝顔はあどけなくて、そのギャップにもやられる。
     指の腹で左馬刻の瞼を撫ぜると、長い睫毛がふわりと揺れる。部屋の電灯が反射してきらきら光るのが綺麗で見惚れてしまうけれど、薬を片付けなければ。
     ベッドから立ち、左馬刻の部屋を出る。あの頃に幾度となく見た廊下やリビングが広がっている。左馬刻は大抵酔っていて、寝室まで運んだものだ。

     あの頃。左馬刻の家の合鍵をもらえたとき、天に舞い上がる心地だった。それは俺を信頼してくれているということで、本当に嬉しくて。離反したあとは何度も捨てようと思った。でも貰えたあの時の歓びが忘れられなくて、なんだかんだあの赤いピアスと同じ箱に入れられ部屋の隅に置かれたままだったのだ。今日は思い切ってピアスをつけてきたから、何かあったとき外してもいいようにとコートのポケットに入れていた箱。その中に鍵が入ったままだった。俺の雑さもたまには役に立つ。
     錠剤をかき集めながら、左馬刻のことを考えた。倒れてしまうほど苦しかったのに、俺に何も言ってくれなかった。短くない付き合いだから、左馬刻のプライドがエベレストより高いことは理解している。だけとどうせ夜には会う予定だったのだから連絡してくれてもよかったのに。やはりまだ信頼されていないのかもしれない。まだ俺は左馬刻の中では可愛い後輩の一郎か、もしくは憎むべき山田一郎なのだろうか。けれど素直に看病させてくれたから、やっぱり自分から連絡するのは弱みを見せるようで嫌だっただけだろう。左馬刻はそういう奴だ。
     暴行を受けると思いながら左馬刻の家に行き、依頼でもないのに甲斐甲斐しく看病していて、自分でも不思議だ。左馬刻には元気でいてほしいし、不遜な王様であってほしい。じゃないと俺がやりづらいし妙に気を遣ってしまう。なのに、今弱った左馬刻を見ると、よくわからない──例えるならバトルの前の背筋が痺れる高揚感のような、何か確実に善くない感情がそこはかとなく湧き上がってくる。最悪だ。
     俺は、左馬刻という花の香りに惹きつけられただけの哀れな蝶のようだと思う。他の有象無象と変わらない愚者。それでも俺は、左馬刻が──。
     ──左馬刻が、何なのか。格好よくて、でもかわいいと思ってしまって、いじらしくて、忘れられなくて、焦がれて、燻って、隣に立ちたくて。
     俺は知らない。この感情の呼び方を。けれどこの感情は不快ではないから、善いものだったらいいな、と思う。





     一郎がその淡い感情に名前をつけるのは、きっとそう遠くない未来のお話。
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