駱駝の星焚き火がパチパチ燃えている。昼間はあんなに暑くてたまらなかったのに、今じゃこんなに寒いなんて。
……ってナミが言ってたけど、おれからしてみたら砂漠の夜はすっごく快適だ。だって冬島なんかこんなの屁じゃないくらいの酷い寒さで、視界が真っ白に染まるのだってそう珍しいことじゃない。凍った睫毛を重いな冷たいなって瞬きの度に思うあの頃に比べたら、毛皮を通り越してくる冷たい風も心地よく感じた。
「ああぁあぁ…なんでこんな寒いんだよ…」
「ほんとにな…チョッパーがもふもふじゃなきゃ凍えてたぜ」
抱きついてきて暖をとる二人は相変わらず調子がいいし鬱陶しい。でも、一方でおれの心も何故かぽかぽかしてて、くっつかれたっておれは元々寒くなんてなかったはずなのに、と首を傾げた。不思議な気持ちだった。
夜の空は昼間と変わらず雲一つない。生まれてこの方慣れ親しんだ分厚い灰色は影も形もなくて、あの島とこの砂漠が同じ空で繋がってるっていうのは何ともヘンな感じだ。黒い布一杯に広げた金平糖みたいな星を眺めていると、あの小さな家、ドクターと頬を寄せて見つめた試験管を思い出して、
「エースもこっち来いよチョッパーめちゃあったけえぞ!」
えっ。
目の端から滲み出そうになったものが、思わず引っ込んだ。唐突に何言ってんだ!と声の主を見たが、常と変わらぬ笑みをニコニコと浮かべている。
少し離れた位置に立ったテントに視線を向けると、黒い瞳と目が合ってビクリとした。
エース。
ルフィの兄弟。
ルフィのにいちゃん、なんだって。
エースとはアラバスタで会った。目的地が一緒の方角だから、ってことでこうして道を共にしている。
悪いヤツじゃ、ないと思う。
というより、多分、いい人だ。それは出会い頭のビックリするほど丁寧な挨拶もそうだし、何より。
ルフィを見る目が時折、ビックリするほど優しかった。
ルフィが何かやらかしてヒイヒイ言ってるときも、相変わらず手のかかるヤツ、なんて言いつつ、その口の端を上げていて。おれには兄弟なんていなかったけど、いや、だからかな……ああ、エースはルフィのことすっごく大事なんだな、って思って、それで、……ちょっぴり、羨ましかったりなんかもした。
でも、やっぱりまだおれは、エースのことがよく分からなかった。
昼間は皆でワイワイ飯食ったりなんかもしたけど、エースは道中もそんなに喋らなくて、それは多分、ここが体力や気力を尽く奪う砂漠という土地であることを差し引いてもそうだった。なにか、間に線が一本引いてあるような、そんな感じ。……そりゃ、仲間って訳じゃないからそんなもんなのかもしれないし、何ならこんな風に思ってるのはおれだけかもしれない。おれは、なんだかんだエースと一対一では話してないし。
おれの仲間たち、例えばゾロやサンジとかより、エースがおとなの顔をしている、というのも理由にあるかもしれない。おれはまだ、ほんの少し、……ほんの少しだけ、おとなが怖かった。
「おれは、いいよ」
「えー絶対後悔すんぞ!チョッパーふわふわだしあったけえしなんかいい匂いするし…ほら!」
「そうそう!まさに天然高級湯たんぽ!」
ルフィとウソップがそう言って撓垂れ掛かってきて、そこに埋もれたおれは慌てて首を出した。
「いや、おれの意思は!?」
「ケチケチすんなよぉ」
んな無責任な!と、長い鼻を摘んで抗議した。「いてて!」なんて言ってウソップが仰け反る。
「ほらイヤがってんじゃねえか」
お返しとでもいうようにコッチの鼻を摘んできたので取っ組み合っていると、エースがそんな風に笑って言う。でも、その笑い方はなんだか、人知れず去る木枯らしのようだった。おれは、ヒュウ、とさっきまで暖かかった心が急に冷え込んだ気がした。
別にベタベタ引っ付かれんのなんて好きじゃねえし、湯たんぽだ何だって撫で回されるのも嬉しくはない。だから、エースが断ったのはおれに都合がよかったんだ。
そう、よかった、はずなのに。
「い、…イヤじゃ、ねえぞ!ちょっとなら、…ちょっとだけだぞ!」
気付けばそんな風に言っていた。言い切ってからハッとして、自分に自分で驚いてしまう。でも、じゃあ撤回するかというと、そんな気にもならなかった。というのも、言われたエースの方がぱちくりと目を瞬かせていたのだ。その様におれは何故か胸のすくような思いがした。さっきまでエースとおれたちの間に確かにあった透明な境界線が、今は砂埃に紛れて消えていた。
「ほらエース!チョッパーも折角こう言ってんだしさ!」
空に抜けるような弾んだ声でルフィが言う。途端、おれは恥ずかしさのような何かが頬に上るのを感じて、でも今更引っ込める方がもっと恥ずかしい。
おれは、フン!と鼻息を立ててエースのところまで行き、どかりと目の前に座った。エースはぱちぱちと瞬きをして、何か言いかけて、でも何も言わずに大きな笑みを浮かべた。
「じゃあ、ちっと、頼むな」
エースはひょいとおれを持ち上げ、胡座の上に乗せた。大きな手、長い足。おれは、乗り越えたはずの緊張が再び襲ってきたのに気付き、慌てて首を振る。
エースは思っていたより体温が高かった。火になれるからか、あるいは元々代謝がいいからか。ゾロよりも少しばかり大きな体は不思議にぽかぽかとしていた。
これならおれで暖をとる必要なんて本当に無かったのかもしれない。そう思ったけれど、なんとなくおれは大人しく抱えられたままでいた。そう、なんとなくだ。時にはこういうことも必要なんだ、たぶん。おれは、ドクトリーヌと別れたときのこと、ルフィたちに付いていくと決めたときのことを思い出した。
そして、エースはというと、おれのことを抱えるために毛皮に触れた瞬間から、キョトリと不意をつかれたような顔をしていた。
「…たしかに……」
最初のぎこちなさに反して、エースはわりに慣れた手つきでおれのことを抱えていた。掌から、そして背中に触れた上半身から、熱い体温が伝わる。
「ほんとにふわふわしてんな」
ひひ、と笑った顔は、思ったより大人じゃなくて、……寧ろ、おれたちに近かった。なんだかそれが凄く意外で、振り返ってマジマジ見てしまう。そこで初めておれは、帽子の影のもと、エースの頬にソバカスが散っているのに気がついた。大きさや濃さの違う点が、日焼けして赤らんだ頬骨から鼻筋までにサラサラと広がっている。まるで、天の川みたいだ。
ふと目を逸らすと、その先にはルフィがいた。ルフィは、エースの弟は、にしし、とあの笑顔で笑っている。
ああ、ルフィは兄ちゃんにちゃんと似てたんだな。
おれは、そんなふうに思った。