「恭二、みのり、またね!」
ピエールがそう元気に言う。三人での仕事が終わって、帰る頃には空はもう暗くなっていた。俺と恭二の家は同じ方向だけれど、ピエールの家はこの十字路を左に曲がった先にある。だから、いつもここで別れるのだ。ピエール一人だったら送って行くところだけど、いつも通りSPさんがいるからそうしなくても大丈夫だろう。
「またね、ピエール」
「またな……明日、一人の仕事だろ?がんばれよ」
恭二は視線を一瞬彷徨わせて、言うかどうか悩んだみたいだったけど、そう付け足した。ピエールは、ぱちりと瞬きをして、ふわり、と微笑む。暗いけれどその頬が色づいているのがわかって、俺まで微笑んでしまう。恭二の一言でここまで嬉しそうにするのだから、本当にわかりやすい。
「……うん、ありがとう。ボク、がんばるね!」
そう言って小さく手を振る姿は、年相応でかわいい。そうしてピエールは背を向けたから、俺たちも家に向かって歩き出した。塀でピエールの姿が見えなくなる瞬間、視界の端でピエールが振り向く。恭二は気づかない。恭二を見つめるピエールの瞳を、俺だけが見た。でも、きっと見ない方がよかったのだろう。さっきとは違って大人っぽく見える少し苦しそうな表情からは、恭二へ向ける恋心がはっきりと見えたからだ。
ピエールが恭二に恋していることは、そういったふとした瞬間の様子から伝わってきた。お節介だとわかりつつも、「告白しないの?」と本人に直接聞いたこともある。その時、ピエールははっきりと「しない」と答えた。理由をたずねた俺に、ただ寂しそうに微笑む姿を見て、踏み込みすぎた、と反省した。きっと、ピエールの事情が関係しているのだろう。互いの事情を聞かない。それは俺たちの間で暗黙の了解だった。だから、俺もそれ以上は聞かなかった。
「ピエール、最近……変な顔してるよな」
恭二が突然そんなことを言うから、考え込んでいた俺はとっさに答えられなかった。変な顔ってなんだ、ピエールはいつもかわいいだろ、と思わず言いそうになったけど、恭二の頬が赤く染まっていたから、その言葉を飲み込んだ。
「……どんな?」
「さっきみたいな……なんか、言いたげな顔というか……」
どうやら別れ際のことをさしているらしい。あれを変な顔と形容するのは、鈍いにも程がある、と少し呆れ混じりに思う。でも、恭二の頬は赤いままだったから、つい口が滑った。
「かわいい顔、じゃなくて?」
「……わかんないっす」
俯いた恭二に、突っ込みすぎたかな、と少し反省する。でも、恭二を見つめるピエールの表情はいつもの何倍もかわいく見えるのに、向けられている本人がそんな認識ではあまりに報われない、と思ってしまったのだ。恭二はそのまま黙り込んでしまって、その様子に俺も、どうしたもんかな、と悩む。ピエール、多分、脈があるよ、とここにはいない仲間に心の中で言うけれど、もちろんそれは伝わらない。俺は、お節介だとわかりつつも、ひと肌脱ぐか、と覚悟を決めた。
「あんな顔するの、恭二の前でだけだよ」
恭二は黙ったままだ。
「……わかっているくせに」
その言葉に、恭二はようやく顔を上げる。その目が揺らいでいる。やっぱり、わかっているのだ。
「なんで、俺なんだ……」
「ピエールに聞きなよ」
ため息の一つも吐きたくなる。でも、後一押しだ。
「満更でも、ないんだろ」
「……わかんないっす」
さっきと同じ情けない返答に、俺は今度こそため息を吐いた。以前、恭二が恋愛ドラマに出演したとき、「なんでこんなまだるっこしい駆け引きをしてるんだ……」とぼやいていたことを、ふと思い出した。ピエールの方がよっぽど大人だ……と、思ったら、つい浮かんだ問いをそのまま口にしてしまう。
「恭二って、もしかして恋愛したことないの?」
視線が逸らされる。どうやら図星だったらしい。さっきからの、年のわりに幼い言葉の、訳はこれか。答え合わせができてしまって複雑な気持ちになる。
「好きになったやつとか、……いなかった気がする……」
「過去形なんだ?」
ビクリと揺れた体。真っ赤な顔。あー、初恋なんだ、いじめすぎたかな、とちらっと思ったけど、諦めたように笑うピエールの表情を思い出したら、ここで後には引けない気がした。
「ちなみに、ピエールは好きな人いるけど、伝える気はないって」
わかりやすく動揺する恭二は、もう自分の思いを隠すことすらできていなかった。少し喋りすぎたとは思ったけれど、かわいい仲間のことを思ってだから許してほしい。ごめんね、とピエールに心の中で謝る。
「みのりさんは……どうしてほしいんすか」
「俺が決めることじゃないだろ。まあ、後悔してほしくはないけど」
二人ともね、と付け加える。恭二は、黙ったまま考え込んでしまった。でも、これ以上、俺にできることはもうない。全ては、恭二がどうするかにかかっている。やる時はやるタイプだから、あまり心配はしてないけれど。そうして気がつくと、もう俺と恭二が別れる場所に着いてしまった。
「じゃあ、また明日」
「……あの、みのりさん……ありがとうございました」
「……どういたしまして」
恭二に微笑みかける。恭二のオッドアイには、さっきまでの迷いはもうなかったからだ。うまくいくといいな、と思いながら背を向けて家までの道を歩き出した。