「最近お兄様が、夜1人で何処かにお出掛けになるのです」
シュナは心底心配そうに短い眉を下げながら、相談を持ちかけたソウエイにそう告げた。
シュナが寝静まった後にベニマルが静かに家を出ていくのはどうやら3日程前かららしい。気配で気付いたシュナが、わざわざ夜に出ていくなんて何かあるのだろうかとベニマル本人に問いかけても「何でもない」と返してくるだけなのだと言う。
「お兄様が何でもないと言った手前、私にはこれ以上追求することが出来ません。でも心配なのです。ソウエイも気付いているでしょう?最近お兄様の様子がおかしいのは」
問われてソウエイはふむ、と考え込む。確かに最近のベニマルの様子は変だ。集中力が欠けていると言うか、注意力散漫と言うか。とにかく何か別のものに意識を取られている感じなのだ。訓練にも身が入っておらず、ハクロウに心配されていたのを目撃している。
「…分かりましたシュナ様、原因を探ってみます」
「助かりますソウエイ…私が問うてもお兄様は喋ってくれないでしょうから。ですが何か、あまり良くない事が起きているような気がするのです…」
ベニマルを心配するシュナの背を撫でながら、何をやっているんだとこの場にはいないベニマルに苛立ちを隠せないソウエイだった。
ソウエイはさて、と考え込む。眼下ではベニマルが日中の訓練を行っている。取り繕っているようだが、やはりその動きには普段のキレは無いように思えた。見るものが見れば不調を疑うだろう。
どうしたものかと考えて…ソウエイは面倒なので直接問い詰める事にした。
「ベニマル、お前最近変だぞ」
「…なんだ突然、藪から棒に」
ベニマルが怪訝な顔でソウエイから視線を逸らす。その様子がまるで逃げているように感じられて、ソウエイに背を向けるベニマルの肩を掴み無理矢理こちらを向かせた。
「…っ!」
「おい、こちらを向け、隠すな」
腕で顔を隠そうとするので、それも強引に引き剥がす。バツが悪そうに視線を合わせようとしないベニマルの顔はいつもと変わらない。ソウエイ以外が見ればそう思っただろう。
「隈ができている」
「…最近ちょっと寝れてないだけだ」
隈取で隠れてはいるが、確かに不調を表す隈が、ベニマルの瞳の下に現れていた。
「訓練に身が入らないのも寝不足のせいか?」
「………」
「夜な夜な何処かに出掛けるのも原因の一つか?」
「…お前には関係ないだろう!」
ベニマルが語気を強めてソウエイの腕を振り払い、逃げるように立ち去ってしまった。
関係ない事はないのだが、これ以上の追求はやめておく。ベニマルの態度から何かあったのは確実なのだ。どうせ問い詰めても何も言わないのなら後はソウエイの好きにするだけだ。
夜になるとベニマルは1人家を出る。
ソウエイは気配を消してそれを追った。ふらふらと覚束ない足取りで進むベニマルを訝しみながらも、気付かれないように後を着いていく。いや、おそらくベニマルはソウエイの存在に気付いている。ソウエイが昼間のやり取りで引き下がる訳がないと言うのはベニマルが一番知っている筈だ。諦めたのか、暗についてこいと言っているのか。ソウエイはどちらでも構わないと歩みを進める。
やがて街から離れた、粗末な一軒の小屋にたどり着く。確か昼の間、巡回兵の一時的な休憩所になっている場所だ。ベニマルが扉を開けてふらふらと入っていくのを見届けてから、ソウエイも小屋に入る。最早気配を消す事などせずに堂々と正面から。
「クソ…やっぱり来やがったか…」
ベニマルは奥の壁を背にして床に座っていた。苦しそうに片手で頭を抑えて冷や汗まで流している。やはり、とソウエイはベニマルの側に駆け寄った。
「3日前の襲撃からだろう」
「…バレてたか…」
何処ぞの魔人かは分からないが、人間や魔物を使役する輩にテンペストが襲撃を受けたのは3日前だ。魔人自体はそれほど強くなく、使役された者も難なく撃退できたのだが、使用するスキルが厄介過ぎたのだ。
人間や魔物を使役する、つまり洗脳するスキルだ。この魔人の場合、強烈な電気ショックを対象の脳に与えてコントロール権を奪い、意のままに操ると言うものだった。対応した兵何人かがそれに当てられ一時戦闘不能になってしまい、その間に魔人には逃げられてしまった。巧みに姿を隠していて今もその魔人は見つかっていない。
「まさかお前、洗脳を?」
「いや、あの時完全に弾いた。弾いた筈だが…野郎、未だに俺を洗脳するのを諦めていないらしい」
ベニマルが忌々しそうに舌打ちをする。痛むのか深いため息を吐きながら頭を抱え、くしゃりと髪をかき混ぜる。
「リムル様に報告を」
「待て、もう少し、もう少しで逆探知できる。奴の居場所を特定出来そうなんだ。報告はその後で…ああっ…!」
ベニマルが一層その顔を歪めて苦しむ。見ただけでは分からないが、強烈な電流がベニマルの脳に迸っているのが気配で理解できた。
「藍闇衆で奴の居場所を特定する、お前が苦しむ必要はない!」
「こちらのほうが…早い。奴もまさか逆探知されるなんて、思ってもいないだろうしな…。それよりソウエイ…」
「なんだ?」
「見苦しい所を見せる…」
「…今更だな」
一瞬電流が弱まった隙にベニマルはそう伝えて、ソウエイの軽口に呆れたように笑みを浮かべた。
そしてまた繰り返される先程より一際強い頭の痛みにぎり、と歯を食いしばる。
「うっ!ぐぅ…!ハァ、クソッ、しつこい…!」
ベニマルは頭を抱えて悪態をつく。スキルを弾く事は簡単だ。しかしわざと隙を作り洗脳が可能だと思わせる。魔人の力が強まる程、居場所の特定は容易になる。ベニマルは昼間は抵抗力を高めて何気ない風に振る舞い、夜にこんな場所で1人、魔人の居場所を探っていたのだろう。要は2人の根比べだ。
だがそれは見ての通り容易ではない。脳を電流で灼かれる痛みは想像を絶するだろう。魔人はテンペストの幹部であるベニマルをもう少しで洗脳出来ると調子づいている。そこを突いたベニマルの作戦なのだろうが。
不器用というか、要領が悪いと言うか。誰にも話す事もせず3日前から1人で抱え込んでいたのも責任感からだろうか。
ソウエイは案じる身にもなってくれと、気休めにもならないがベニマルの背中に手を添えた。
「ぁああっ!痛いっ、痛い痛い痛い!クソ、クソッ…!ッ!」
痛みを耐える為に握られた拳は、自身の爪で手のひらを傷付けていた。ソウエイはそれを強引に解き自らの身体に縋らせる。ベニマルはソウエイの服に爪を立ててひたすらに耐えた。鋭い爪が服を裂き肉を抉るが、ベニマルが感じている痛みの方が何倍も上だろうと、ソウエイは顔色一つ変えなかった。
「う゛…ッ!ハァ、ハ、あ、あぁああッ…!クッソ、あ、の野郎…絶対、こ、殺してやる…ッ!」
怒りで何とか自我を保ちながら、ベニマルは電気の信号を辿り魔人の居場所を探る。こう言う緻密な作業は得意ではないので3日も時間が掛かってしまったが、それも今夜で終わりだ。ベニマルは抵抗力をわざと少し弱める。するとここぞとばかりに脳を灼く電流が強まり、耐え難い激痛に視界が赤く染まった。
「ッ!?ァ、〜〜〜…ッ!!」
身体をびくりと硬直させベニマルが声にならない悲鳴を上げた。そしてプツンと糸が切れたようにぐらりと身体が傾き、ソウエイの胸に倒れ込む。慌てて受け止めて汗だくのベニマルの様子を確認すると、やはり気を失ってしまっていた。ソウエイは深いため息を吐きながら、汗で額に張り付いた髪を梳いてやる。
『リムル様、魔人の居場所が特定出来ました』
『ああ、此方にも伝わった。…全く、目を覚ましたら説教だな』
『ええ、存分に叱ってやって下さい』
ベニマルが意識を失う瞬間、特定された魔人の位置情報が思念伝達で送られてきた。洗脳されない為にスキルを弾き脳にプロテクトをかけるという徹底ぶりだ。激痛の中で器用な真似をするものだと感心はするが、自己犠牲など許されていいものではない筈だ。余計に心配をかけさせた礼をどうしてくれようかと考えて、顔色の悪いベニマルの寝顔を覗き込む。
「取り敢えず今はこれで許してやる」
「っ…」
結構な力でベニマルの額にデコピンを食らわしてやる。べちんと音を立てて弾かれた指に小さく呻いたベニマルに、ソウエイはくすりと笑みを溢した。
ぐったりと気を失っているベニマルを抱き抱えて小屋を後にする。今頃リムルが、ベニマルの洗脳に失敗して狼狽えているであろう例の魔人に然るべき対応をしている筈だ。
一件落着なのだが、腕の中のベニマルを見るともっとしてやれた事があったのではと思わずにはいられない。
「それもこれも、1人抱え込んだお前が悪いんだがな」
ぽつりと呟くソウエイだったが、ふと先程の激痛で苦悶の表情を浮かべたベニマルを思い出す。アレはアレで中々そそるものがあったなと、自身の加虐心に火をつけた張本人であるベニマルを抱え直し、ソウエイは来た道を真っ直ぐ戻るのだった。