腰に巻き付いて離れない小さな生き物――セイバーを見下ろしながら、伊織は溜息を吐いた。
何時ものように長屋にやって来た彼は伊織に抱き着きながらなにやらくふくふと笑い、幸せそうにしながら眠りに就いた。良い顔をするな、と思いながらも、程なく伊織も意識を閉ざし、目を開けると其処に居たのは、一回りも小さくなってしまったセイバーであった。
記憶は無くなっているようで、カルデアどころか伊織も知らない盈月の儀の事も忘れてしまったらしい。けれどどうしてかセイバーは、目を覚まして初めて見た伊織に大層懐いた。医療系サーヴァントによる診察やレオナルド・ダ・ヴィンチ達による解析に一人で向かわせようとすると、無言のまま伊織に抱き着き、離れようとしなかったのだ。多少支障はきたしたものの、一週間ほどで治る霊基以上であると結論付けられた。
そうなると、必要なのは世話係である。マスターが近寄ると伊織の後ろに隠れて威嚇するように喉を鳴らすし、他の女性サーヴァントが近づいて話しかけても完全無視。そうなるともう、伊織が傍に居てやる他に、選択肢は無かった。
「セイバー、食事の時間だ。食堂に行くぞ」
「…………ん」
長屋で微睡んでいたセイバーから腹の虫が鳴る音を聞き、伊織は持っていた彫刻刀を置いた。膝に頭を乗せうとうとしていた彼は薄っすらと目を開き、眠たそうにしながらも身を起こした。
目を擦りながら、何度も頭がかくん、と揺れている。眠気と食欲、二つが天秤にかかっているのだろう。暫く目を閉じ、むずがるように唸っていたセイバーは、やがてゆっくり目を開き、立ち上がった。
セイバーが睡眠を取るのであればそれでもいいかと思っていた伊織は、倣って立ち上がり、未だ眠気にふらつくセイバーの背を支える。
「いおい」
眠気に苛立っているような、不貞腐れたような顔をしながら、セイバーは両手を伊織に向かって伸ばした。微睡んでいるからか舌足らずな口は上手く言葉を発せられなかったようで、彼からしたらきちんと発声しているつもりなのだろうが、聞いている伊織からしたら微笑ましさについ、笑みが零れてしまう。
このまま無視していると腹に頭を押し付けて最大級に拗ねてしまうので、溜息を吐きながら小さい体を抱き上げる。途端、満足そうにふふん、と笑いながら、セイバーは伊織の首に腕を巻きつけた。
外を歩けば、擦れ違うほぼ全員が微笑まし気に目元を緩めて二人を見た。若干羞恥を感じなくも無いが、下ろせばセイバーは不満げに地団駄を踏み鳴らし、いおり、いおり、と声を荒げては最終的に泣いてしまう。これは、経験談だ。
仕方がない。そう思いながら食堂に向かい、和食のセットとお子様ランチを注文する。子供系サーヴァントに人気のメニューで、小さくなったセイバーも好んでこれを食べた。今日は小さいオムライスとハンバーグが付いてくるようで、目をキラキラと輝かせたセイバーが、出来上がりを今か今かと待ち、伊織の体を揺らした。大した事は無いが誰かにぶつかると危ないからと戒めると、案外素直に云う事を聞き、静かに待つようになった。
やがて二つのセットが出来上がると、気を利かせたブーディカが近くの空いているテーブルにそれを運んでくれた。
「すまない、助かる」
「……」
「セイバーも、礼を言いなさい」
「……ありがとう」
幼い子供らしい言葉に、ブーディカはにっこりと笑ってセイバーの頭を撫でた後、おまけのプリンをそっと置いて厨房に戻って行った。
元のセイバーは決して人見知りするような性格では無いのだが、どしてか小さくなった彼はあまり言葉を話したがらなかった。伊織に対してはあれやこれや云うのだが、其処に他人が居ると全くの無言になる。
その由までは分からないし、恐らく聞いても明瞭な答えは出てこない。もしかしたら、幼い頃の彼は人見知りをするような性格であったのかもしれない。そう結論付けた。
椅子に腰を下ろし、セイバーを膝に乗せる。お子様用の椅子もあるにはあるが、セイバーは使いたがらなかった。かといって普通の椅子に乗せると全く机に顔が出ないので、仕方が無く膝に乗せている。不便ではあるが、食べられない事も無い。
箸を使うのは上手いようで、小さい口を大きく開けながら、出来立てのハンバーグを食べている。それを眺めながら、伊織も白米に手を付け始めた。
食べる速度が違うからか、セイバーの方が量は少なくとも伊織の方が先に食べ終わった。口元を少し汚しているセイバーにそう声を掛けても、食事に夢中になっている彼は必死でオムライスをかきこんでいた。
「行儀が悪いぞ」
「んむ」
漸く間食したセイバーの口元の汚れをふき取ってやり、食器を片付ける為に一瞬椅子にセイバーを下ろす。不安気な彼は伊織の袖にしがみ付き、そのせいでその場から動く事も出来ない。
「セイバー、食器を片づけて来るだけだから」
「いやだ」
「セイバー……」
一時も伊織から離れたくないのか、セイバーは伊織の腕によじ登り始めた。流石に周りにまだ食事中のサーヴァントもいるのだ、迷惑になってしまうからと仕方が無く下に下ろし、頭を撫でる。
全くもって、こう云う時ばかりは聞き分けがなくなる。伊織は自分の分とセイバーの分を合わせて盆に乗せ、なんとか片手で持ち上げ、もう片方の手でセイバーと手を繋いだ。返却口に押し出すと、エミヤが手招きをして伊織に声を掛ける。
「なんだ」
「いや、聞かん坊の相手で大変だと聞いてね。よければこれを持って行ってくれ」
エミヤが渡してきたのは、子供用の焼き菓子であった。色々な動物を模られた小さな焼き菓子は、恐らく他のサーヴァントには秘密なのだろう。エミヤは唇に人差し指を当て、しぃ、と息を漏らした後、そのまま何もなかったかのように奥に戻って行った。
心の中でかたじけないと頭を下げながら、伊織はセイバーを伴って食堂から出た。