へびになる。1. 始まり
慌ただしいスタッフの声が聞こえて振り返る。どうも他のスタジオで使うはずだった動物を外にだしてしまったらしい。
ふわふわと可愛らしい。白くて小さなそれは巳波の足元にちょこん、と収まった。悠は思わずその愛らしさに笑みが溢れたが、当の巳波が聞こえないくらい小さく息を飲む。
「ひっ……」
巳波が見るからに青い顔をするので隣にいたトウマが不思議そうな顔をして「どうした?」と声をかけたが次の瞬間にはぽんっと何かが弾ける音がして巳波が消えてしまった。巳波が先ほどまでいた場所にはクリーム色の蛇がいた。
全員が唖然としていると蛇はするすると機材の隙間を縫うように逃げ出して行く。
「ミナが消えた!?え!?なんでミナのいたとこに蛇が?」
「もしかしてこれ巳波なんじゃ」
「そういえば似ているような気もするな」
突然隣にいたメンバーがいなくなって蛇が現れたので動揺するトウマの横で悠と虎於はのんきだった。
「うわ!!ミナどこ行くんだよ!!」
状況を未だ飲み込めないトウマも二人に流されてすっかり突然現れた蛇のことを巳波だと理解していた。
「うさぎが苦手とか言ってたな」
「巳波ー!もううさぎいなくなったよー!」
必死に足元を探す。巳波が収録の前にいなくなってしまうのも問題だが、蛇が急にスタジオに現れたらさらに騒ぎになるかもしれない。自分達で見つけないと、巳波が捕まってしまったらどうなってしまうか。
「どうしてそんな下ばっかり探すんですか」
声に振り返ると罰が悪そうな顔をした巳波が立っていた。
「戻ったのか」
「大丈夫なの?」
「突っ込みたいところたくさんあんだけど……」
「少し驚いただけです」
驚いたのはこっちの方だと言いたいのをみんなして飲み込んだ。
この事件をきっかけに巳波が度々蛇へ姿を変えてしまうのだった。
2.訪問者(とらみな)
虎於がうとうとと眠りにつこうかとしていると物音に気がついた。
床を静かに這う音。するすると滑るように此方に近づいてくる気配。ベッドの上で寝たふりをして待つ。まるで子供のときにサンタが枕元にプレゼントを持ってきてくれるのを待つみたいに虎於はわくわくした。途中で吹き出してしまわないかが心配だった。やがて器用にベッドの上に登ってくるのを今か今かと子どものように待つ。ついに虎於の隣にまで辿り着くとぐるりととぐろを巻いて休む。
此方に気づかれてないと思ってるのだろうか、すっかり油断していそうな姿に笑いを堪えてすっと手を伸ばした。片手で捕まえると身体をばたばたとうねうねとくねらせて逃げようと抵抗を試みられるが逃がさない。
「夜這いなら人間の姿で来て欲しい」
笑いながら言うと抵抗を諦めたのか大人しくなる。自分から人の寝室に訪れてきておいて見つかると恥ずかしいのだろうか。布団を上げて被せて上げる。そっと手を離すと逃げ出してしまわないかと思ったが、巳波は虎於に身を寄せるようにするりと近づいてきた。
きっと明日になったら人間の姿に戻っていて虎於よりも早く起きて何事もなかったような顔しておはようの挨拶をしてくるのだ。素直じゃないやつだ。次は人間の姿で来いと言ったらどんな顔をするだろうか。
次は自分の方から巳波の部屋に行ってやろう、それで逃げ場を無くしてやれば少しは素直に甘えてくるだろう、と隣の生き物への存在を感じながら眠りに落ちた。
3.たまには(はるみな)
「あ、巳波また蛇になってる」
控え室のソファでクリーム色をした蛇がとぐろを巻いていた。部屋に入ったとき誰もいないように見えたが巳波の鞄が置いてあったのでまさかと思ってソファを覗き込んだら案の定だった。テーブルの上には先ほどまで巳波が使っていたのであろうタブレットとイヤホンが置いてある。
「何、また行き詰まってるの?」
悠の質問に答えるように巳波がゆっくりとその身を揺らす。
悠は巳波の身体を持ち上げると膝に乗せた。大人しく膝の上でとぐろを巻く巳波になんだか許された気分になって得意になった。
いつも自分を子ども扱いする巳波が膝の上でされるがままに大人しく乗っているのはなんだか愛らしい。
昔は甘えた態度を取ると冷たく突き放されたりしたのに今は甘やかしてくれるようになった。ただし節度は必要だが。巳波の態度が軟化したのは二人の関係性が変わったからだった。ZOOLとして活動してきた時間が長くなったのもあるが、何より悠と巳波は付き合っている。悠が巳波に甘えるときは巳波の太腿を枕にして寝るのがとくにお気に入りだった。
「甘えたさんですね」
頭を優しく撫でてくれる巳波の温かすぎない手のひらの温度が心地いい。
だから悠はいつも巳波がしてくれるみたいに巳波の身体を撫でた。今は巳波を悠が甘やかしてあげる時間だ。巳波は蛇の姿になってる方が素直だ。蛇の考えていることを読み取るなんて能力は悠にはないが。
「巳波がこの格好になってるのも悪くないよ」
巳波も悠に甘やかされるのが好きだったらいいのにと期待しながら悠は笑った。
4.待ってて(トウみな)
今日こそはと決意してきたのだ。トウマは緊張した面持ちで隣を歩く巳波に視線を向けた。トウマからの視線に気が付いた巳波はトウマに微笑みかける。こんな風にトウマに巳波が笑いかけてくれるようになったのは二人が付き合い始めたからだ。何を決意してきたかというとそれは勿論。
トウマの部屋でトウマがいつも寝ているベットの上でトウマは巳波の身体の上に覆いかぶさっていた。
「狗丸さん……」
巳波が恥ずかしそうに目を伏せる。トウマの腕の下すぐそこに捕まえられる距離にある。
「ミナ、いい?」
トウマの腕の下で巳波が小さく頷くのと『それ』はほぼ同時だった。ぽんっ!と何かがはじける音がする。巳波は蛇の姿になっていた。
「ミナっ!また……」
がっくり気を落としたトウマの下でにょろん、ととぐろを巻く。心なしか気恥ずかしげに見えた。
恋人同士になった巳波とことに及ぼうとすると毎回これの繰り返しだった。巳波は恥ずかしいのかもしれない。巳波のほうも乗り気であると思うのだが。さすがに蛇になった巳波と愛し合うのは難しかった。
蛇の姿になってしまった巳波と諦め悪くにらめっこをしていたトウマだったが、ひとつ深いため息をつくと巳波の隣でごろんと寝転がる。未練たらしく横目に見るが巳波は蛇の姿にのままだ。
「おやすみ、ミナ」
そっと巳波の身体をひと撫でしてから眠りについた。
夜中に目を覚ます。腕の中の巳波はいつの間にか人間の姿に戻っていた。すやすやとこちらを信じ切って穏やかな寝息を立てる巳波を見るのは悪くない気分だった。焦ることはないよな、と思える。これは信頼されている証なのだから。
後日再度挑戦してまたもやいいところで巳波が蛇になってしまって嘆くことになることをトウマは今は知らない。
5.ナギみな
「棗氏、機嫌を直して」
ナギは 威嚇してくる白い蛇を見つめ返す。
「どんな姿の貴方も素敵ですが、その姿では仲直りできませんよ」
宥めるナギ相手に巳波がシャーっと舌を出した。
喧嘩のきっかけはいつも些細なことだった。例えば二人の共通の"友人"の話だとか。
苛立ちのあまり蛇になってしまった巳波の姿に先程までは腹を立てていた筈なのにナギは和んでしまった。
「何を笑っているんですか」
いつの間にか巳波は元の人間の姿に戻っていた。
「そんな歯の浮くような台詞、よく言えますね」
ナギの膝の上に乗っかって正面から向き合う。
「普段の姿の私には言わないくせに」
巳波は目を細めた。眉がくいっと吊り上がる。自分がまだ怒っていることを伝えているつもりらしい。
ナギの首に腕を回す。また二人の顔が近づく。
巳波の頬がわずかに赤くなる。上がった眉が少し緩んで眉が下がる。
「機嫌を直していただけましたか?」
「誰かさんにそっくりで憎たらしい」
仕返しとばかりに巳波はナギに口付けた。
つい先程まではナギを威嚇していた舌がナギの口腔内を這う。
この後、きっと何で喧嘩をしていたかなんて忘れてしまうだろう。
6.春巳
「強情な人」
そう春樹を真っ直ぐに睨んだ巳波が白い蛇の姿になる。
蛇の身体で春樹の首にゆるりと巻き付く。それからゆっくりと締め上げる。
「巳波……俺が死んじゃうよ」
蛇に首を締め上げられそうになっているのに春樹は笑っていた。
「また泣いてるね」
するっ…と春樹の首から離れる。そのまま春樹の身体を伝って床を滑るように這う。リビングからドアの下の隙間を這って寝室に入っていく。
「入るよ」
春樹は一言声をかけると返事を待たずに寝室の扉を開いた。
「……蛇は涙を流さないんですよ」
巳波は人間の姿に戻っていた。
「博識だね」
「それに泣いてるんじゃなくて泣かされたんです」
そう言って春樹を睨む巳波の頬に一筋の涙が流れる。
「うん、ごめんね巳波」
春樹が巳波の頬に指を寄せる。それに巳波は大人しく瞼を閉じた。
「側にいてくれてありがとう」
7.犬になる(トウみな)
「あらあら、これではデートじゃなくてワンちゃんとのお散歩ですね」
巳波の前を歩く柴犬、もといトウマ。尻尾を元気に振っている。このデートをトウマも喜んでくれているのだと思うと巳波の心も弾んだ。
「リードをつけましょうね」
巳波に首輪を大人しく着けられるトウマの頭を撫でた。
「いい子」
揺れている尻尾がくるんっと巻いている。丸いおしりを追いかけるように歩く。揺れる犬のおしりを見つめる。可愛らしいな、と微笑ましく眺めていたが、ある一点ばかりをいつの間にかずっと目で追ってしまう。
くるり、とトウマは犬の姿のまま振り返る。巳波の不躾な視線が気になったのだろう。不思議そうにきょとんと巳波を見上げていたが巳波の視線の先に気がついてしまった。
ぼふん!っとまた音を立ててトウマが今度は犬の姿から人間に戻った。
「ミナ!どこ見てんだよ!」
「ふふ、ごめんなさい。可愛らしくってつい」
「こ、こんなところの何処が可愛いんだよ!」
トウマは自分のお尻を守るように後手に隠した。
「いつもお互いに見ているんですもの、恥ずかしがらないで」
巳波が見ていたのは犬の姿になったトウマのお尻の穴だった。
「今度犬の姿のときにも触ってみていいですか?」
「駄目に決まってんだろ!」