キリエ+桃悟くん 突然、隣の気配が遠のいた。
ふと振り向くと、数歩後ろで足を止めた桃悟がいる。
「……桃悟?」
キリエは疑問に思いながらも近付き、桃悟の顔を覗き込んでみたが、口を噤んだまま固まっているようだ。
つい先ほどまで雑談を交えながら、次の授業へと向かっていたはずだった。
肩を並べて歩いていたのだが、立ち止まった今の桃後は床を見詰めたまま、そこから動こうとはしなかった。ニフラーのチャチャが彼の肩で「きゅうきゅう」と声をあげている。小さな体を慌ただしく動かしながら、家族の心配をしているようだ。
「どうしたの、具合悪い?」
キリエは静かに問いつつ、チャチャの頭を撫でて落ち着かせた後、桃悟の背に軽く触れて言葉を促したが、彼の顔色は次第に青ざめていくようだった。言葉を発することもなく、よく見ると体を震わせている。手のひらに伝わる体温は、いつもよりも低く感じられた。
「……桃悟、医務室に行こう」
チャチャが何度も呼び掛けている。それにすら返事を返さない桃悟の様子を見て、キリエの不安がますます募っていった。
半ば強引に彼を連れて歩き出すと、何とか自分の足で歩けるようだ。ゆったりとした足取りで、体を支えながら進む。
一体どうしてしまったのだろう。いつも通り元気に見えていたが、本当は不調を隠していたのだろうか。
ぐるぐると考えながらも医務室に到着した丁度その時、授業の始まる鐘が鳴った。
ミス・ブレイニーに桃悟を引き渡したキリエは事情を聞かれた後、授業に向かうよう言われ、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にする。ちらりと窺うと、ベッドに腰かけたまま呆然としている桃悟がいて、心配で仕方がなかった。
1人で目的の教室を訪れると、遅刻を咎める教師に説明をして、桃悟の欠席を伝える。空いている席に腰を下ろし授業を受けながらも、なかなか集中をすることが出来ない。
先ほど廊下から見た桃悟の表情とチャチャの悲しげな声が、頭から離れなかった。
授業終わりの昼休み。
足早に医務室へ向かうと、桃悟はベッドの上で横になっていた。どうやら眠っているようだ。
頭をもたげたチャチャがキリエの姿を捉え、ふんふんと鼻を鳴らしてベッドの端へと歩み寄ってくる。キリエは付き添ってやれなかったが、チャチャがずっと傍に居てくれたことが心強い。
「チャチャ、様子はどうかな」
「きゅう」
小さく問いかけると、チャチャは桃悟の方を振り向いてから、再びこちらを見上げてくる。
ぐるりと室内を見渡してみたが、ミス・ブレイニーは不在のようだ。
食事を取ってこようかと迷ったが、出来るだけ傍にいた方が良いようにも思える。ベッドの傍にある椅子に腰かけ、チャチャと一緒に話をしながら、桃悟の寝顔を眺めて過ごすことにした。
少しして、キリエとチャチャの声を聞いたためか、桃悟は目を覚ましてこちらへ視線を寄越すと、上体を起こそうとした。ここへ連れてきた時に比べると、顔色は良くなっているように思える。
「まだ横になっていて良いよ」
その言葉に桃悟はパチパチと目を瞬かせた後、体の力を抜いてじっとこちらを見つめている。
「さっきの……」
ぽそりと呟かれたその言葉を耳にした時、キリエはようやく違和感を覚えた。
桃悟の口調や視線が、どこかおかしい。
何故こんなにも他人行儀な——
互いに閉口した後、困り顔で笑んだ桃悟の唇がゆっくりと動き始めるのを、キリエの目が捉えていた。
「さっきは、ありがとうございました。……ええと、お名前は?」
「……え、」
彼が、こういった質の悪い冗談を言うような人間ではないと、キリエには分かっていた。
その意味を理解した時、どくり、と重苦しい心臓の音が耳奥で響いた。